イオルクとクリスが上陸した港町は竜の尻尾の先。そして、少年と別れたのは尻尾の先からちょっと上の町。王都は竜の尾の丁度真ん中にある。
イオルクとクリスは歩きながら地図を確認していたが、少年に聞いた情報を踏まえ、これからのことを考えると、一度じっくりと話し合わないといけないと結論付けた。その結果、往来の真ん中を外れた道の脇で、地図を広げてしゃがんでいる。
「まいったな。ハンターの営業所がないとは……。金が稼げん……」
「どっちにしろ、物々交換じゃないか。お金は必要ない」
「違う! オレは金を稼がなきゃいけないんだ!」
「北上して、ドラゴンチェストに入ってからじゃダメなのか?」
「二ヶ月で二十万G稼げるか?」
「そんなに? 二ヶ月じゃないとダメなのか?」
「ダメだ」
(コイツ……。何で、こんなに金稼いでんだろ? 宿代や飯代も、ほとんど俺持ち出し……。まあ、賞金首の額で賄えるから問題ないんだけど、クリスは同じ額以上を稼いでるはずなんだけどなぁ)
クリスの力説は続く。
「大体、何なんだ! この国は! 稼ぎになる話が一つも転がってない! 犯罪者は居ないのか!」
「犯罪者が居ないことは良いことなんじゃないか?」
「良くない! 適度に悪人が悪さしているからこそ、国は潤うものだ!」
「何処の誰の理屈だよ……」
「兎に角! こんな国は、一秒だって居たくない!」
イオルクは溜息を吐く。
「分かったよ。鍛冶屋も鉱石も王都にしかないって言うから、今までと違って一直線で進むからさ」
「本当か?」
「本当だ。だから、それ以上叫ぶな。通行人が睨んでる」
ドラゴンテイルの通行人がクリスの罵詈雑言に厳しい視線を送っている。
「…………」
クリスは無言で立ち上がると、イオルクを置いて歩き出した。
「あのヤロウ……。逃げやがった」
イオルクは『これからが大事な話だったのに』と思いながら立ち上がると、クリスを追い掛けて王都へと向かう道を足早に歩き出すのであった。
…
急ぎ足の旅が続く――。
一番の原因は、金銭面。お金が使えなければ何も出来ない。そして、今、頼りになるのはイオルクの持っている数本のナイフだけである。これを節約して何としてもドラゴンテイルを抜けなければならない。
この事態は、はっきり言って、イオルクの大きな失敗だった。ドラゴンテイルに入っても、今まで通りに何とかなると軽く考えて準備を怠っていたからだ。
しかし、その点はクリスも同じ考えをしていたので、クリスは強く追求しなかった。それにドラゴンウィングで稼いだ賞金首の額は、一人では到底稼げるものではなかったし、基本、盗賊団を倒した時に鉱石類がなければ、盗賊団の残した宝物の大半がクリスに渡っていた。今までの稼いだ額だけでも、クリスが立てた予定を遥かに凌駕している。
そして、現在の金銭以外の問題を整理すると次になる。
まずはイオルクについて……。
イオルクの目的である鍛冶屋としての技術習得と黄雷石の確保が達成できていない。王都に着いても、それを手に入れられるかは非常に難しく、予定に霧が掛かったままである。
クリスについて……。
本来は、ドラゴンテイルでもハンターの営業所を頼りに賞金首を倒して金を稼ぐはずが、ドラゴンテイルに着いてからは1Gも稼げていない。寧ろ、ドラゴンテイルを抜けて装備を一新しなければならなくなり、余計な出費がでるかもしれない。
そんな状態が続き、ドラゴンテイルに入ってからは、順調だった旅に支障が出ていた。王都手前まで辿り着き、本日の寝床に選んだ小さな社で夜露を凌ぎながら、イオルクとクリスは憂鬱な気分で眠りに着こうとしていた。
◆
『お願い! 助けて!』
少女の張り裂けそうな声がスラムに響く。道行く人々は、それを見て見ぬフリをしているだけだった。
そんな中で、クリスは、その少女を少し前の自分と重ね合わせていた。
――何も出来なかった自分。
――悪いことを悪いと言えなかった自分。
――力がなかった自分。
――助けを求めても誰にも助けて貰えなかった自分。
魔法を覚えて戦場にも出るようになり、ハンターになる年齢に満たない分だけ戦に参加し、手にした金を握り締める。
それはスラムから抜け出し、自分の力を手に入れた証だった。
(誰も救ってくれなかったんだ。オレは、オレのためだけに生きていけばいい。そう思っていたのに……)
少女の声は自分の声に聞こえてしまった。叫んでも助けて貰えなかった自分の声に聞こえてしまった。
(だったら、オレが手を差し伸べるしかないじゃないか!)
その考えは単純だったかもしれない。誰もが目を伏せるだけの巨大な相手は、同じように目を背けても、誰も責めはしない。
だけど、自分の心に引っ掛かった想いを呼び起こし、こうありたいと思ってしまったクリスは、鎖に繋がれた少女を引っ張る男に向かって真っ直ぐに立ってしまっていた。
『その子を放してやれよ!』
見て見ぬフリをする大人達の前でクリスは叫んでいた。
『ダメだ。コイツは、儂が買った奴隷だ』
『助けて!』
男が嫌がる少女を殴る。
『奴隷のくせに、まだ自分の立場を理解していないのか!』
クリスは、再び叫ぶ。
『理解できるわけないだろ! あんたのしていることは間違いだ!』
『うるさい! どんなに理屈を捏ねようと、これは儂のものだ!』
『だったら、オレが彼女を買い取る!』
クリスの言葉に男は暫し黙ると、直に大声で笑う。
『買い取る? 別に奪い取っても構わんのだぞ?』
クリスは男の周りを警護する二人のハンターに視線を向けるが、その二人に対して全く勝てる気がせず、一歩も動けなかった。
『旦那、苛めちゃ可哀そうだ。俺達は、ランクBのハンターなんだから』
『相手の強さを感じ取った、坊主のセンスだけでも大したもんですよ』
男はクリスを見て、鼻で笑う。
『そうだな。しかし、最近、つまらんことばかりで余興が欲しいところだ……。そうだ、坊主』
今にも潰されそうなプレッシャーの中で、クリスは意地で言葉を吐き出す。
『……何だ!』
男はニタニタと笑いながら続ける。
『買い取ると言ったな? チャンスをやろう。三年間で100万G持って来い。そうすれば、この娘を貴様に譲ってやる。お前のために大サービスで処女も奪わんどいてやろう』
『そんな下種な考えするか!』
『くっくっくっ……。ただし、飯代はタダじゃないんだ。その分の労働は、この娘にさせる。忘れるな、三年だからな』
男に連れられて少女は去っていく。その目は、一途にクリスに向けられていた。
そして、男達が去ると、クリスは腰を抜かして尻餅を付く。初めて見たランクBのハンターに恐怖が体中に伝わり震えていた。
(情けねぇ……)
暫くすると地面を殴りつけ、クリスは立ち上がる。
(この間、規定の年齢になったんだ! オレは、今から……)
◆
社の外では雨が降り出していた。
その雨音に気付いたのか、夢の終わりだったのか、クリスはゆっくりと上半身を起こす。
「また、あの夢だ……。忘れない……。絶対に忘れないさ……。だから、待っていてくれ……」
クリスは寝付けなくなって静かに瞑想すると、頭の中で二重詠唱の呪文を繰り返した。
その横で、イオルクは少し前から目を覚まして、クリスが起きたのに気付いていた。クリスは、週に何度かこうやって目を覚ますためだ。だけど、今は知らないフリをすることにしていた。
きっと、いつかクリスの口から打ち明けてくれる時がくると信じていた……。