翌朝、雨はあがり、空は快晴――。
イオルクとクリスは、社の前で出発の準備を始める。
「今日中に、王都に着くと思う」
「そうか。とはいえ、オレ達は泊まる宿もないんだよな……」
クリスが、がっくりと項垂れる。
「甘い考えかもしれないけど、王都って王家が管理してるんだろう? もしかしたら、金が使えるんじゃないか?」
「……だといいけどな。期待はしてねぇ」
クリスは鞄を持つと、先に出発する。
「ノリの悪い奴だ。そこは賛同してテンションを上げるところだろう」
荷物を整理してからリュックサックを背負い直し、イオルクも後に続く。しかし、大分先に行っているはずのクリスに直ぐ追い着いた。
イオルクの視線の先で、クリスがしゃがみ込んでいる。
「どうした?」
「女だ」
「は?」
クリスの前で、女の人が尻餅を付いている。
「どうしたんだ?」
「今から聞くところだよ」
クリスが女の人に話し掛ける。
「怪我でもしたのか?」
「見て分からぬのか!」
イオルクとクリスは顔を見合わせて首を傾げる。
「見よ。わらわの草履を」
イオルクとクリスが女の人の指差す方向に落ちる草履を見ると、それを珍しそうにクリスが拾い上げる。
「何だ、これ?」
「草履を知らぬのか?」
「知らん」
「何処の田舎者じゃ」
「田舎じゃなくて国単位で違うんだ」
「道理で、珍妙な格好をしておると思った」
イオルクがクリスの肩を叩く。
「クリス、とにかく肩を貸してあげたら? 地面は、昨日の雨でぬかるんでるし」
「そうだな。ほら、肩に手ついていいから」
「すまぬ」
女の人がクリスの肩に手を掛けて立ち上がり、そのまま寄り掛かると、クリスは持っていた草履をイオルクに渡す。
「イオルクの専門だろ? 直らないか?」
「見てみる。……この作りなら直せそうだな」
イオルクはリュックサックから布を引っ張り出すと、鼻緒を付け替え始める。
その間に、クリスは女の人の足を観察する。
「ちょっと、体勢変えるぞ。背中でも頭でもいいから、手を置き直してくれ」
クリスがしゃがみ込むと、女の人は右足をあげたままクリスの頭に手を掛けた。
「足に触るからな」
「触れるな! 馬鹿者! そっちは痛いのじゃ!」
クリスは無視して女の人に右足に触れ、回復魔法を掛け始めた。
それを見て、イオルクが少しだけ驚く。
「クリス、回復魔法使えたのか?」
「当たり前だろ? こんなもん常識じゃねぇか」
「俺、使えないし……。っていうか、何で、今まで使わなかったんだ?」
「オレ達のどっちかが怪我したかよ?」
「……してない」
女の人が呆れて溜息を吐く。
「御主の友人は馬鹿なのか?」
「そうなんだ」
「オイ!」
イオルクは、ふてくされながら直した草履を地面に置く。
「おお! 馬鹿なくせに手先は器用じゃな」
「大きなお世話だ」
イオルクはクリスに向き直る。
「じゃあ、行くか」
「ああ」
イオルクとクリスが王都に向け歩き出すと、女の人が着いて来る。
「何だ?」
「わらわも王都に行くところじゃ。連れて行くがよい」
イオルクは、クリスに耳打ちする。
「何で偉そうなんだ?」
「いいとこの人じゃないのか? 見ろよ、あの服」
イオルクは女の人の服を確認する。見事な染付けと刺繍の着物を身に纏っている。よくよく見れば、綺麗な黒髪を留めている朱の簪も複雑な細工が施されている。
「何をこそこそやっておる?」
「別に……」
「では、行くぞ。そうそう、わらわのことはキリと呼ぶがよい」
「はあ……。俺達は……」
「クリスにイオルクであろう?」
「…………」
イオルクとクリスは顔を見合わせると溜息を吐く。
道中、キリという妙な女性と王都に向かうことになった。
…
ドラゴンテイルの王都に向かう道――。
イオルクとクリスのイライラは蓄積されていった。
「イオルク! 荷物が重いのじゃ。女の細腕では持てん。御主が代わりに持て」
(だったら、何で、従者も連れずに一人で歩いていたんだ)
仕方なく、イオルクはキリの荷物を右手に持つ。
「クリス! 喉が渇いた。水じゃ」
「さっき、キリが飲んだので最後だよ」
キリがバシッとクリスの頭を叩く。
「年上の人に向かって、何たる口の利き方じゃ。『キリさん』と御言い」
「キリさんが飲んだので、最後!」
「御主は馬鹿か? 魔法が使えるのだから、それで水筒に水を補充せい」
「そんなもんのために魔法を使うのか⁉」
「喉が渇いたと言っておる」
「あ~~~っ! くそっ!」
クリスは呪文を唱えると上空にウォーターボールを撃ち上げ、落下してきた水を水筒に詰め込んだ。
「それでよい」
一人喉を潤すキリを見て、イオルクもクリスも思わず項垂れる。
そのイオルクに、足を止めたキリが話し掛ける。
「イオルク。少し聞きたいのじゃが、良いか?」
「ああ、いいよ」
「御主らは、何処から来たのじゃ?」
「翼の先から尻尾の先だよ」
「ドラゴンウィングからか? 大変じゃったろう?」
「お金が使えないからね」
キリが顔を歪める。
「だとしたら、御主ら、汚いのではないか? 風呂にも入らず」
「普段よりはね。でも、普段より汚れてない」
「どういうことじゃ?」
キリは首を傾げる。
「この国、凄く治安がいいんだ。ここまで盗賊に出会ってないから、汚れるようなことはしてない」
「なるほどのう。確かに治安はしっかりしておる。争いの種はドラゴンレッグだけじゃ」
「そういえば、ここは襲われる頻度が高かったな。内輪揉めしている場合じゃない」
「うむ。イオルクはよく分かっておるのう」
「浅からずの縁があるからね」
イオルクの言葉に、キリはニンマリと唇の端を吊り上げた。
「っなことより、何で、一人なんだ? いくら治安がいいからって、あんたみたいな人は、一人じゃ外に出しちゃいけないだろ?」
キリのグーが、クリスに炸裂した。
「何という言い草じゃ!」
「キリさんは少し自覚した方がいいぜ。周りが迷惑する」
「御主は、どうなのだ! わらわの勘が正しければ、御主こそ、周りに迷惑を掛ける人間じゃ!」
「冗談じゃねぇ」
イオルクは片眉を歪め、腕を組む。
(どっちも正しいな……。しかし、これ、纏まるのかな? ノース・ドラゴンヘッドに居た時は真人間の抑止勢力が存在してたけど、ここに居るのは俺を含めて、全員ダメな方の人間だろう)
イオルクの分析は正しかった。目の前のクリスとキリは止まることを知らない。
仕方なしにイオルクが仲裁に入ることにした。
「そこまでにしよう。どっちも馬鹿なんだから」
クリスとキリのグーが、イオルクに炸裂した。
「お前、何言ってんだ!」
「そうじゃ!」
イオルクは『自分では無理』と仲裁を諦め、用件を直接言うことにした。多分、こっちの方が効果がある。
「あのさ……。いい加減に進みたいんだ……。今日中に、王都に着かないから……」
「「ん?」」
クリスとキリは目的を思い出した。
「行くか……。結局、何が原因で争ってたか忘れちまった」
「わらわもじゃ」
「お前らなぁ……」
イオルクは何か一人だけ疲れた気分になった。
(ユニス様、隊長、イチさん……。俺、今、皆の気持ちが凄いよく分かる……)
結局、キリの我が侭は道中延々と続き、その都度、クリスと言い争いになり、違う意味で話が途切れることがなかった。
…
王都に着く頃――。
イオルクとクリスは憔悴しきっていた。
「では、この恩はいつか」
王都の入り口で別れになると、ケロリとした様子で、キリは優雅に去っていった。
何事も無かったようなキリの後ろ姿が目に入ると、イオルクが項垂れてクリスに話し掛ける。
「精神的に疲れた……。俺、こんなに突っ込みのポジションに居たの初めてだ……」
「何なんだ、アイツは?」
「さあ? 『ありがとう』の一つもなかったな……」
「あれは、素直に言わないタイプだろ」
イオルクが顔を上げると、クリスが今後のことを尋ねる。
「これから、どうすんだよ?」
「とりあえず、休みたいな。宿屋に行ってみないか?」
「また、ないんじゃないか?」
「聞くだけ聞いてみる」
イオルクは側を通り掛かった道行く人に声を掛ける。
そして……。
「なかった」
「やっぱりな」
「王都に着いても野宿するのか……」
「こんな立派な町の何処で野宿するんだ?」
「う~ん……」
イオルクとクリスが十分ほど悩んでいると、近づいて来る、仮面を着けた黒装束の集団がクリスの目に入った。
「オイ、あれって……」
「ん?」
クリスの視線を追って、イオルクは項垂れる。
「戦場で、俺を囲んだ集団だ……」
「やっぱり例のか……。夢に見るわな」
クリスも納得する異様な仮面の集団。
距離は、どんどんと縮まっていく。
「何で、こっちに来るんだ?」
「オレが知るかよ」
「でも、ここって、俺とクリスしか居ないじゃん」
「ってことは?」
仮面の集団がイオルク達を取り囲むと、仮面を付けた男の一人がイオルクに話し掛ける。
「王が御呼びです」
イオルクは自分を指差し確認する。
「はい」
「オレは?」
「貴方もです」
イオルクとクリスには思い当たる節がない。
クリスは腕組みをすると、面倒臭そうに話し出す。
「きっと、イオルクのせいだ」
「は?」
「前の戦場で、とんでもない粗相をしたに違いない」
「そんなわけないだろう……」
「いいや! 有り得るね! お前、どっかネジが外れた節があるからな!」
イオルクは額に手を置き、仮面の集団は戸惑い始める。
「あ、あの……」
クリスが仮面の集団を手で制すと、イオルクにビシッと人差し指を差した。
「絶対に王族の人間に失礼なことをしたに違いない!」
「クリス……。言っていいことと悪いことがあるって知ってるか? 大体、お前は、俺が何をしたと思っているんだ?」
「王様を足蹴にしたとかだ」
「それはノース・ドラゴンヘッドでしかしてない!」
「「え?」」
クリスと仮面の集団達の声が重なった。直後、仮面の集団を置いてクリスは一歩踏み込むと叫ぶ。
「本当に前科があったのかよ⁉」
「悪いか? それとも、今のは誘導尋問か?」
「違うっつーの! お前、本当に馬鹿じゃないのか⁉」
「何言ってんだ? 生きてりゃ、こんなことの一度や二度はあるだろう」
「あるか! 何処の世界に王様を足蹴にした経験者が溢れ返ってるって言うんだ!」
「この世界?」
「聞いたことないわ!」
「案外、皆が知らないだけで、王様には踏まれたい性癖の持ち主が多いのかもしれない」
「そんな変な奴が王になれるか!」
イオルクはガシガシと頭を掻く。
「うるさいなぁ……。じゃあ、どっかの誰かが揉み消してんだよ」
「何処の誰だよ?」
「俺の場合は王様が直々に――」
「お前、王様の弱みでも握ってんのか!」
「じゃあ、ユニス様に頼む」
「誰だ? ユニスって?」
「ノース・ドラゴンヘッドのお姫様」
「どんな関係なんだ」
「一緒にボケる仲だ」
「誰が突っ込むんだ?」
「俺の隊長だ」
クリスのグーが、イオルクに炸裂した。
「ノース・ドラゴンヘッドは崩壊してんのか⁉」
「多分、俺が居なくなって平和になったと思う」
「それは冗談なのか? 真実なのか?」
「真実だ」
イオルクのせいで、クリスと仮面の集団が額を押さえているという異様な光景が広がった。
「だから、コイツは嫌なんだ!」
クリスが不満を叫ぶ一方で、仮面の集団は落ち込んでいる。
「すみません……。いい加減に同行してくれないでしょうか……」
さっきまで気味悪がっていたのも忘れ、クリスは段々と仮面の集団が哀れに思えてきた。
クリスが右手の親指で、行き先を指す。
「イオルク、行くぞ」
「何で? 信用していいのか?」
「イオルクの馬鹿さ加減に、アイツらに激しく同情した……」
イオルクの目からも仮面の集団が激しく落ち込んでいるのが分かる。
「何で、落ち込むんだよ?」
「……我々の理想が砕かれたからです」
理想という言葉に、イオルクは疑問符を浮かべるも――。
「まあ、いいや」
――しかしというか、やはりというか、イオルクからいつもの言葉が漏れた。
イオルクとクリスは仮面の集団に連れられ、王都の一番大きな建物へと入って行くのだった。