武舞台――。
クリスと仮面を付けた対戦者が出揃う。
しかし、さっきのイオルクとテンゲンの戦いと比べて歓声が上がらない。観客のほとんどが魔法使いとアサシンでは、この条件ではクリスに勝機がないと判断していたためだ。
試合も直ぐ様、開始が告げられた。
だが、いつものクリスなら文句の一つも言うところなのに、その言葉が発せられなかった。今のクリスは集中している。観客の反応など気にせず呪文の詠唱が始まった。
…
観覧席――。
「何じゃ、この不快な呪文は……」
「今まで聞いたことのない呪文じゃわい」
もう聞き慣れたイオルクはそうでもないが、テンゲンとキリは耳を押さえたい衝動に駆られていた。また、テンゲンとキリの気持ちは観客が思っていたことでもあった。
…
武舞台――。
クリスは自分の中に呪文のストックが出来るのを感じると、攻撃に打って出る。一方の対戦者は、不気味なクリスの呪文に様子見をしているところだった。
クリスの右手からファイヤーボールが勢いよく飛び出すと、対戦者は難無く火球を躱してクリスに向かう。その途中、対戦者の右手にはクナイが握り込まれた。
…
観覧席――。
キリが溜息を吐く。
「愚か者め。詠唱時間を確保できる初手で、あんな初歩の魔法を」
テンゲンもキリと同様の意見だった。
しかし、隣の二人と反対にイオルクは唇の端を吊り上げる。
「油断したな」
…
武舞台――。
クリスに斬り掛かった対戦者がフラフラと後退する。会場に居る誰もが予想を裏切られた。対戦者はクリスのアースウォールの作り出した土壁にノンストップで激突したのだ。タイミングは、最初の魔法を発動させてから次の魔法を唱え切るまでのタイムラグを完全に無視していた。
クリスの追撃は終わらない。土壁に向けてエアリバーを発動して岩石のつぶてを対戦者に御見舞いする。対戦者は、未だ平衡感覚の戻らない体で更に後退する。
(狙い通りだ)
クリスの止まらない呪詛のような詠唱。とどめとばかりにファイヤーリバーが対戦者に注がれる。
しかし、対戦者は懐から呪符を取り出すと念を込め、一瞬で氷の壁を形成させてクリスのファイヤーリバーを相殺した。
(お国柄の魔法か……。呪文詠唱なしでやってのけたのは、あの呪符かよ)
対戦者の呪符は効力を失い灰になる。
(一枚につき、一回か。それだけで使えるなら、何てお手軽な代物だ)
クリスは相手の出方を伺い、呪符の戦闘方法の情報を収集するためにレベル3の魔法を温存し、レベル1の連続魔法で戦い始めた。
…
観覧席――。
対戦者の戦闘方法を見て、イオルクは思い出す。
「呪符か……。一度だけ、イチさんが使ったのを見たことがある」
テンゲンがイオルクの言葉に顔を向ける。
「ほう。イオルクは見たことがあるのか?」
「見たと言っても、溶け出した毒液をイチさんが凍らせたのを見ただけですけど。本来、あんなに威力があるんだ」
「あれは呪符のレベルを使い分けているだけじゃ」
「そんなことも出来るのか」
「ただ、あの呪符は高価でな。呪符の紙自体も特別製なら、使用している墨も特別製じゃ」
「そんなに乱発できないってこと?」
「まあ、死ぬくらいなら使い切るがのう」
(そりゃそうだ)
キリも疑問を口にする。
「クリスの魔法は何だ? 何故、連発できる?」
「言えるわけないでしょう」
キリがイオルクの襟首を掴む。
「わらわは、今、知りたいのじゃ!」
「そんな…横暴な……」
イオルクを解放すると、キリは耳打ちする。
「安心せい……。あやつも、さっき色々しゃべっておったわ」
(しゃべらされたのね……)
「で、どうなのじゃ? ん?」
イオルクが溜息を吐きながらテンゲンを見ると、テンゲンは両手を合わせて謝っている。
(苦労してるんだな……。仕方ない……)
「アイツ……、勝手に魔法を開発したんです」
「は?」
「よく分からないんですけど、呪文を分解して組み合わせて二重詠唱しているんです。で、常に呪文を一つストックしてるとか」
「…………」
キリのみならずテンゲンも言葉を失っている。
「そんなことが……出来るのか?」
「出来るも何も、さっきから発してる、この気持ち悪い呪文がそうなんですよ」
「あやつ……、何者じゃ?」
「俺も驚いてますよ。戦場では、あんな魔法使い見たことないから」
「簡単に出来るものじゃないぞ」
「そうでしょうね。クリスも体の中の魔力の感覚を感じ取って何とかって、言ってましたから。これ以上は、俺には分かりません」
キリが黙ってクリスを観察する。
「戦っている時は、いい顔するのじゃな」
「まさか惚れた?」
イオルクの肩をテンゲンが叩く。
「違うわい。戦っている男を見ると、いつもああなんじゃ」
「ただの癖?」
テンゲンは黙って頷く。
(キリさんの性格が掴めない……)
イオルクは武舞台に視線を戻した。
…
武舞台――。
戦いが膠着状態に入る。
クリスは対戦者の呪符攻撃を見たいが、中々、攻撃を見せない。一方、クリスに近接攻撃を仕掛けたいがクリスの巧みな魔法攻撃で近づけない対戦者。
心の中で、クリスは溜息を吐く。
(待ってても使ってくれそうにない……。終わらせるか……)
クリスが魔法のレベルを上げる。二重詠唱に組み込んでいたレベル1の魔法をレベル3の強力な魔法に替えて組み込む。
しかし、対戦者は耳を済ませて、レベル3の魔法の呪文の一部が組み込まれる時を待っていた。
対戦者は、ここで呪符を使用した。
(何で、ここで?)
対戦者も馬鹿ではない。
クリスの戦いを見て、二重詠唱の特徴をいくつか掴んでいる。二重詠唱と言っても、必ず二つ分の呪文を詠唱するのだ。詠唱が一つ終わる度に発動するのではなく、見計らったタイミングで二つ発生するからタイミングが取れないのだ。全容を解明できなくても、集中すれば一部は聞き分けられるのを確認している。
故に詠唱に耳を澄まし、クリスの使用する魔法の詠唱レベルを集中して聞き分け、とどめの動作に使用する魔法をレベル3と予想して待っていた。そして、レベル3の僅かに長い詠唱のタイムラグを狙ったのだ。
ここまで掴んだ情報を基に、対戦者は呪符でレベル1の魔法を相殺してクリスに接近した。
(拙い……! レベル3の詠唱が読まれてた! 間に合わない!)
対戦者はクナイを振るうが、クリスは武器を持っていない。誰もが勝負の決着が付くと思った時、クリスは予想外の行動に出る。クナイに向かって裏拳を放ったのである。
手甲にガリガリと傷が入るも、クリスは構わずに手甲を対戦者の顔面にまで持って行く。対戦者はクナイを持つ反対の手でクリスの裏拳を受け止めると距離を取った。
「チッ!」
クリスが舌打ちをした後に呪文を再び紡ぎ、今度は止めていた足を動かし始める。
(息が上がるから、走りながら呪文を唱えたくないんだけどな)
クリスが動き出したことで、対戦者は攻撃のタイミングが、更に取り辛くなる。
(イオルクと居て、分かったことがある――)
クリスは走りながら呪文を紡ぎ、対戦者の攻撃のタイミングをずらし続ける。その僅かな動きだけで対戦者へのレベル1の魔法の被弾率は格段に上がるようになる。
(――魔法使いが守られて呪文を唱えるのは間違いだった)
ハンターの仕事でイオルクに合わせて走り続けた足は、戦場の騎士にも引けを取らない。
(魔法使いに必要だったのは……)
クリスが左手を翳し、右手を翳す。
(戦いながらも呪文を紡げる心肺機能と――)
左手からエアリバーによる突風の流れが出来る。
(――背中を任せる相手に合わせる体力を併せ持つことだった!)
そして、右手からファイヤーリバーが迸る。
風の力を借りた炎の川の流れは、激流に変わって対戦者を包み込んだ。
…
観覧席――。
イオルクが席から立ち上がる。
「やった……」
イオルクは拳を握り締める。
「魔法を掛け合わせたのか⁉」
キリが驚愕の声をあげる横で、テンゲンは首を振る。
「違うな。そんなことは人間に出来ない。性質を理解した上で相乗効果を最大限に発揮させたんじゃ。単純なことだ。炎に風を送る。それだけだ。だけど、それを一人で出来ないから誰もしなかっただけなのじゃ。あの若者は、それをやったのじゃ」
イオルクは、クリスが成長する姿をまざまざと見せ付けられた。
…
武舞台――。
クリスは呪文の詠唱は止まらない。
今度は、エアリバーを発生させて突風の勢いを対戦者から横に反らすと炎の流れが変わった。そして、続け様にウォーターウォールを発生させ対戦者を水で包み込むと、クリスは息を吐く。
(大怪我させる前に止めたつもりだけど)
クリスが対戦者に近づき、倒れている対戦者を抱きかかえる。
「服も燃え切ってないな。火傷も余りなさそうだけど、回復魔法を掛けとくか」
クリスは対戦者の体に手を当て、回復魔法を掛け始める。
(やばいな……。二重詠唱の連発で頭が熱を持ってやがる……。まだまだ使い慣れてない証拠だ……)
クリスは回復魔法を掛け終わると、イオルクの方を向いて親指を立てる。すると、そのまま前のめりに倒れて意識を失った。
イオルクは愚痴を溢しながら観覧席から武舞台に向かう。
「あの馬鹿……。まだ開発中のくせに無理するから」
テンゲンとキリは、イオルクの背中を見詰めて暫し沈黙していた。
「とんでもない隠し玉を持っておったな」
テンゲンの言葉に、キリはただ頷く。
「ほれ。さっさと救護班を呼んで後始末をせんか」
キリはハッとすると、指示を出し始めた。その後、武舞台に上がり会場を締めると、武闘会は大喝采で幕を閉じた。