一方、イオルクに放置されていたクリスも目を覚ます。
額のタオルを放り投げ、布団の上で上半身だけ起こす。
「あ~……。気持ち悪りぃ……」
愚痴を溢しながら、クリスは自分の鞄を手繰り寄せ、紙とペンを取ると、書き溜めていた二重詠唱の呪文が書かれたノートにガリガリと本日の成果を書き加える。
「呪文の構成を修正しないとな。……くっそ! まだ修正必要なのかのよ、この詠唱方法は!」
精神的負担により、気分が悪くなったり意識が飛んだりするのは呪文の分解と構成が何処かで間違っているからに違いないと、クリスはガリガリとペンを動かし続ける。
そして、数分後、呪文の分解の構成を組み直し終えてペンを止める。
「こんなもんか」
クリスは新たに組み直した呪文を読み直す。
「大分、完成には近づいていると思うんだけどな」
クリスはペンのお尻で頭を掻くと、ノートとペンを鞄に突っ込み、放り投げて横になる。
「もう少し寝てるか……」
忘れる前に構成を書き直し終えたが、まだ呪文を唱える気分にはなれなかった。無理に呪文を唱えて、気分の悪さを悪化させる必要はない。
しかし、クリスが横になって直ぐに襖を誰かが襖を叩く。
(イオルクか? 礼儀正しくて気味悪いな)
クリスが襖に向かって叫ぶ。
「起きてるぜ。勝手に入んな」
襖が開くと、仮面を付けた男が立っていた。
「そのパターン飽きたぜ。仮面付けてるから誰だか判断つかないしよ。何の用だ?」
仮面の男が頭を下げる。
「先ほど対戦した者です」
「で?」
「是非、御話をさせて頂きたい」
「嫌だ」
「え?」
「だるい」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
クリスは面倒臭そうに体を横に捻り、左肘を突いて頭を支える。
「何だってんだよ?」
「御話を……」
「嫌だっつーの!」
「御飯でも何でも奢りますから!」
「いいだろう」
「…………」
クリスの即答に、仮面の男は沈黙した。
…
食堂――。
一般のアサシン達が食事をするところであり、イオルクが最初に行こうと思った場所である。物々交換が主であるドラゴンテイルではあるが、アサシン達は特別な紙幣を利用している。
「専用のお金みたいなものか?」
「はい。我々しか使えません」
奢りという言葉で場所を移したクリスと対戦者だったアサシン。現在、その食堂に辿り着いて席に座ったところだ。ここにはクリスと対戦者だったアサシン以外の利用者は居ない。
「オレらの持っている金も使えればいいんだけどな……。まあ、ここは奢りなんだから、気合い入れて集らせて貰おう」
「……御手柔らかに」
クリスは片手をあげて促す。
「いい加減に外せよ。こっちも惚けるの疲れるんだぜ。お前、あの港町のガキだろ?」
「分かっていたのですか?」
「オレ達が会ったのは、ほとんど大人だからな。子供の声の高さで記憶に残っているのは、あの時のガキだけだ」
「では、案内をしていた時から?」
「正確には、その途中からな」
「イオルクさんは、どうでしょうか?」
「恐らく気付いてたな。アイツ、ガキと老人に好かれるせいか、ガキの声を忘れたことないみたいだから」
「凄いですね」
「お前が隠しているから、知らないフリしてたんだよ。まあ、アイツもガキみたいなもんだから、ワザとかもしれんが」
男が仮面を外し、少年に戻る。
「そっちの方が百倍いいぜ」
「そうですか?」
「ああ」
「これは戦いにおいて、相手と対等であるために身につけるのです。僕のように子供だと、本気で相手をしてくれませんから」
「それって、戦いにおいては有利なんじゃないか?」
「嫌ですよ! 互いの技で凌ぎを削って勝利を得たいんです!」
「アサシンの言葉とは思えんな……」
「仕事とプライベートは別です!」
「どんなプライベートだよ」
クリスは肩を竦めて溜息を吐くと、注文をするために厨房に手を振る。
「すみませ~ん! 酒と料理を適当に二人分!」
「あの、僕、お酒は……」
「すみませ~ん! お茶追加!」
「一人分、多くありません?」
「二人分消化すればいいじゃん」
(この人に何を言ってもダメだ……。僕の聞きたいことに、ちゃんと答えてくれるのだろうか?)
暫しの待ち時間の後で、料理と飲み物が運ばれてくると、クリスは酒を注ぎ、料理のおかずに手を付ける。少年はお茶だけを啜った。
「で? 聞きたいことって?」
「先の戦いについてです」
「体験したんだから語ることなんてないだろ?」
「正直、クリスさんが、ここまで戦えると思いませんでした」
「そういうことか」
クリスは少年を箸で指す。
「お前、油断してたもんな」
「そんなことありません!」
「そうか?」
クリスの視線が鋭く少年に突き刺さると、その視線に少年の視線が反れた。
「……油断していました」
「正直に言えよ」
「……すみません」
「まあ、当然と言えば当然なんだけどな。多分、お前が初めてだと思うぜ? 近接戦闘する魔法使いとの戦い」
「教えにありませんでした。だから、僕の戦い方は間違っていたのかを聞きたかったのです」
「強くなることに素直なんだな。オレが分かる範囲と感じた範囲で良ければ話すよ」
「お願いします」
(真面目なガキだねぇ)
クリスは、酒に一口口を付ける。
「まず、オレが気をつけてたところな」
「はい」
「相手がアサシンだったから、煙とか粉とかの気管に入るものだ。喉を潰されれば呪文を唱えられないからな」
「暗器の類ですか……」
「注意していれば気付いたはずだぞ? 今日のオレの詠唱のほとんど――二つに一つは風の系統だったって」
「風……? そういえば……」
「それは、さっき言った戦法を使われた時に風の力で吹き飛ばすことを前提にしていたからだ」
「なるほど」
「更に付け加えるならばだ。オレが二重詠唱した時に風を使っているのに気付いたなら、火にも気を付けられただろうな」
少年はとどめの火炎の激流を思い出すと、がっくりと項垂れる。
「全然、気付かなかった。近接戦闘はないと思っていたから、煙や毒も使用しなかった」
クリスは、酒をもう一口飲む。
「テンゲンの爺さんほどじゃないけど、動き事態は悪いと思ってないぜ」
「基本は出来ているつもりです」
「じゃあ、そろそろ、その先に行くのを考えた方がいいんじゃないか?」
「先?」
「教え以外の戦闘方法だ」
「教え以外って……」
少年は少し戸惑っている。
「難しいことじゃない。いいか? 教えを請うのは問題ない。だけど、それだと他の連中と差は出ないだろ?」
「ええ」
「だから、頭の中で想像するんだ。この時、『こんなことをしたらどうか?』『あんなことをしたらどうか?』ってな。難しいことじゃないだろ?」
「……それだけ?」
少年の態度に、クリスは再び箸を向ける。
「お前、今、オレを馬鹿にしただろ?」
「そ、そんなことないですよ!」
少年は両手を振って否定した。
「結構、大事なんだぞ。お前は、データにないから対応できないなんてことになっただろ?」
「うう……」
少年が俯く。
「少しの動作から相手の情報を仕入れて、それに対応した攻撃方法を選択する。訓練しないと分からんだろ?」
「……確かに」
「それに、これをやると戦闘経験が格段に増えるぞ」
「え?」
クリスはおかず以外の料理も食べ始める。
「オレも初めは気付かなかったんだけどな。実戦体験するのも頭で想像するのも、脳みそを使うだろ?」
「はい」
「だったら、常に頭を使っている方が、経験が増えるのは当たり前のことだったんだよ」
「う~ん……」
少年は『本当だろうか?』と腕を組んで考える。
「まあ、経験値の量から言えば実戦に優ることはないだろう。でも、実戦で『もしも』の仮定を試すのは出来ない。だけど、想像の中では自由だ。もしかしたら、そこから使える方法なんかも発見するかもしれない。また、危険の回避を察知できるようになるかもしれない。これは地味だけど、日々の積み重ねだ。塵も積もればってヤツだ」
「そうか。確かに僕には経験値が足りないのかもしれない。そして、それを補う努力が足りなかったのかもしれない」
「そういうこった。オレは魔法使いで弱いのを自覚してるから、この手の努力を怠ったことがねぇんだ」
少年は俯いて自分の努力の甘さを痛感する。
(これは魔法使いだとかアサシンだとかは関係ない。日々の努力の積み重ねが顕著に出たのが、さっきの戦いなんだ)
少年の思い悩む姿を見ると、クリスは『いいこと言った』と酒を飲み、食事を続ける。しかし、そのクリスも、ドラゴンウィングでイオルクに注意を入れられてから始めたことだった。
「あと……、最後のアドバイス。余り突飛な想像はしない方がいいからな」
「何ですか? その妙な助言は?」
「『使えるかな?』と思って、試して失敗することもあるってことだ」
「よく分からないんですけど?」
「イオルクに厳禁にされたのがある」
「は?」
「粉塵爆発を封印された……」
「はい?」
話の合間に酒を入れていたため、クリスは酔いが回ってきていた。ダンッ! とテーブルに酒の入った器を置くと、声を張り上げる。
「あのヤロウ! 一度、入り口を埋めたぐらいで!」
「な、何の話ですか?」
「それだけじゃないんだぜ? 笑い茸の粉を使った時もそうだ!」
「何故、魔法使いが暗器の類を……」
「あん時はさ。山賊のアジトに忍び込んだんだよ」
「はあ」
(何か脈略がなくなってきたな)
「四十人も居る山賊のアジトに、誰にも気付かれずに忍び込んだんだ」
(アサシンでもないのに凄い……)
「そこでエアリバーを使って風の流れを起こして笑い茸の粉をアジトに送り込もうとしたんだ」
「なるほど」
「だけど、使ったところが風下でな。オレとイオルクにもろに……」
(それは怒るだろうな……)
「そのあと、笑いながら全滅させたんだから、いいじゃねぇか。なあ?」
(良くないと思う……)
「イオルクは、その後、『粉関係禁止だ!』って横暴な命令を……!」
クリスは二杯目の酒を一気飲みする。
「アイツは粉の素晴らしさが分かっていない!」
(僕は、クリスさんの粉に対する異様な執着が分からない)
クリスは空になった容器を置いて、一息つく。
「まあ、そういうことに気をつけろということだ」
少年は何が何だか分からなかったが、酔っ払いには逆らわないことにした。
「……はい」
機嫌を良くしたクリスは、更に酒を追加注文する。少年は良い話も仕入れたが、どうでもいい話にも付き合わされて複雑な気分で食事をした。