スラム街――。
大金の入ったクリスの鞄を持つイオルクに続いて、クリスがイフューを抱いて歩く。
人を抱きながら歩くのが、たたでさえ目立つのにクリスが抱いているのはエルフの少女。スラムの人々は、当然のようにクリスに好奇の目を向けた。
「相変わらず嫌な街だぜ」
「まあ、エルフなんて滅多に見ないからな」
クリスがイライラを募らせて歩いると、クリスの服を誰かが引っ張った。
(スリか?)
視線を向けると、スラムの男の子が何かを差し出している。
「何だ?」
「その、怪我してるから……」
男の子の視線がイフューの足の裏に向いていることに、クリスは気付く。
「傷薬か?」
男の子が頷くと、クリスは小さく笑顔を浮かべる。
「ありがとな。でも、今から治療しに行くから大丈夫だ。傷薬は貴重だろ? 大事に取っときな」
「そう?」
「ああ……。本当にありがとう」
クリスは男の子に礼を言うと、その場を後にする。
「オレが捻くれた見方しか出来ないのか?」
クリスの独り言にイフューは微笑んだ。
…
平民街――。
スラム街を抜けて暫く歩くと、道が再び石畳に変わり、街の裏道とも呼べる少し暗い路地をイオルクを先頭に進む。
「なあ、イオルク」
「何だ?」
「お前、オレの指示なしに進んでるよな?」
「ああ」
「何で、この街を初めて訪れたはずのお前が、娼館の場所を知っているんだ?」
「長年の経験だ。あの手の店は、大体、こういう路地にある」
自信満々に言い切ったイオルクに、クリスは呆れて溜息を吐く。
「お前、本当に騎士だったのか?」
「印象違うか?」
「ああ。そういうのって傭兵とかが行くもんだと思ってたよ」
「偏見だな。男は総称してスケベだ」
「この前、友人のヌードを書かせようとして怒った男の言葉とは思えんな」
「繰り返すなよ」
「あの……。そういう話は、遠慮して貰えませんか?」
「「すまん」」
イオルクは頭を掻く。
(どうも話しづらいな……。娼館なんていうキーワードが出れば、男同士ならこういう会話になるんだよな……)
そして、その手の話題を控えて路地の奥に進むと、二階建ての豪華な娼館が姿を見せた。
「一度も迷わずに、本当に案内なしで辿り着きやがった……」
「そう言うなよ。こんなのは序の口だ」
(コイツ、まだ変な能力を兼ね備えてるのか?)
クリスは娼館を見て、素朴な疑問を口にする。
「こん中は、どうなってんだろうな?」
「俺の経験では、この手の娼館は一階が酒場風に寛げるようになっていて、二階でエロいことをするようになっている」
「段々イオルクがチンピラに見えてきた……。お前、本当に騎士だったんだよな?」
「だけど、今は頼りになるだろう?」
「まあ……」
「じゃあ、行こうか」
イオルクは娼館の扉を開いた。
…
娼館――。
クリスが踏み込んで直ぐに眉をハの字にする。
「イオルクの言った通りの造りだ……」
クリスの言葉を聞いて、イフューは苦笑いを浮かべる。
「クリス、こっちだ」
イオルクは慣れた感じでカウンターへと向かうと、クリスも溜息を吐いてイオルクに続く。
カウンターの前まで来ると、イオルクは鞄を置いてカウンターに片手を掛けて寄り掛かり、この店を取り仕切っていると思われる人物に声を掛けた。
「すみません」
「何だい?」
「ここで、一番偉い人だよね?」
「別に偉くないよ。そんなことより、何の用事なんだい?」
「エロいことするのが目的じゃないんだ」
「じゃあ、あんた、何しに娼館に来たんだよ?」
「美人のお姉さんにお願いがあって」
「そりゃ、どうも」
イオルクが声を掛けたのは、この娼館を取り仕切る女主人だった。この女主人が看板になって男達が娼館を訪れる理由の一つになっているのは間違いない。
そして、イオルクが改めて用件を伝えようとした時、待つのに苛立っていたクリスが割り込んだ。
「悪いけど、オレの方から先に話させてくれ」
「今度は、何だい?」
「この子の入浴を手伝って欲しいんだ」
「は?」
「だから! 店の女の子が居るんだろ!」
「部屋を貸してやるから、あんたが洗いなよ」
さっき抑えた妄想が頭に蘇ると、クリスは顔を赤面させて怒鳴る。
「そ、そんな恥ずかしいこと、出来るかーっ!」
一階の酒場で爆笑が起こった。
しかし、それも仕方がない。何故なら、ここは男が女を抱くための店なのだから……。そこで恥ずかしいなどという場違いな表現が出れば、笑われても仕方ないのだ。
クリスは頭を振って妄想を飛ばすと、口を強く結んで頭を下げる。
「頼む!」
女主人は溜息を吐く。
「洗って貰うだけって言っても、高いよ?」
「幾らでも好きなだけ持っていっていい」
クリスはイフューをカウンターの席に座らせると、イオルクが床に置いた鞄をカウンターに置いた。
女主人は鞄の止め具を外して中を見ると、直ぐに閉めた。
「あんた……」
「この子のために貯めた金だ。好きなだけ使ってくれていい」
クリスの目は真剣だった。そのあまりに真剣な目に、女主人は再び溜息を吐く。
「悪かったよ」
女主人が壁に掛けられた鍵を一つ取ると、クリスに渡す。
「二階の一番奥の部屋に、その子と同じ子が二人居る。頼めば、何でもしてくれるよ」
「ありがとう」
クリスは鍵を掴むとポケットに突っ込み、イフューを抱くと二階へと走って行った。
女主人はクリスの後姿を見ながら、残されたイオルクに話し掛ける。
「あんな純情な男が、まだ居たんだね」
「まあ、女を知らない初な奴だからね」
女主人は笑う。
「そこは関係ないよ。この街に居ながら、一途で真っ直ぐだってことさ。……その金、置いて行っちまったね」
女主人の鞄に向けられる視線に、イオルクは肩を竦める。
「好きなだけいいってさ」
「受け取れないよ。少なからず、ここに足を運んだ女の一人としては」
「いいの? アイツは、あの子のためなら出し惜しみしないと思うけど?」
「ああ……」
「お姉さんはいい人だね」
「そりゃ、どうも」
「今晩、どうですか?」
「あんたからは遠慮なく四割り増しで金が取れそうだ」
「じゃあ、やめた」
イオルクの言葉に女主人が微笑むと、イオルクは冗談を終わりにしようと気持ちを切り替える。
「アイツが帰るまで、少しいいかな?」
「まったく……。本当に何だい?」
イオルクは皮の鎧の隙間に挟んでいた紙を取り出す。
「お宅の主が代わったって話だ」
「え?」
女主人はイオルクの出した紙に視線を移す。
「……あんた、ヒルゲの次の支配者かい?」
イオルクは笑みを浮かべて頷いた。