数日後――。
復興途中の街では、暫く平穏な日々が続いた。
イオルクは鍛冶場で農耕器具を作製し、最近では鍋や包丁なんかも造っている。そして、各リーダーのもとで、商店、農業、酪農、風俗などが徐々に整理され始めていった。
一方で、少し時間が出来たのがクリスとエルフの娘達である。刺青の除去が終わり、治療魔法が使えることで怪我人の手当てを受け持ったが、毎日毎日、怪我人が出るわけはなかった。
そこで、クリスはイフューを連れて北上して、ドラゴンアームにやや近い町へと向かうことにした。
街の入り口で、イオルクとケーシーとエスが見送る中、イオルクが選別にと、クリスに何かを放り投げる。
「ほら、直しといたぞ」
渡したのは新しく造り直した長手袋タイプの手甲だった。
「悪いな」
「お前の戦い方は少し危なっかしいからな。少し硬い鉱石に変更しといた。この前みたいなハンター相手じゃなければ、ひしゃげないと思う」
「助かるぜ」
クリスは手甲を着けると両手を軽く握る。
「丁度いい」
手甲の調整もしっかりと出来ているようだった。
「さて、行くか」
フード付きの外套を一枚多く羽織っているイフューに、クリスが振り返る。そして、目の見えないイフューのために、クリスは手を取る。
「大丈夫か?」
イフューは頷くと、少し頬を赤くしながら呟く。
「ちょっと、嬉しい……」
その言葉に、ついついクリスも赤くなる。
「…………っ!」
クリスは、イオルク達が笑っているのに気付くとイフューの手を引いて歩き出す。
「行ってくる!」
クリスの声は少し上ずっていた。それが可笑しくて、またイオルク達は笑う。
ケーシーが笑いながら、イオルクに話し掛ける。
「クリスって、いい人ですね」
「純情って言うのかな? 男なら、ああなるよ」
「どうして?」
エスがイオルクに質問した。
「クリスの中で、イフューは特別だったからだよ」
「特別なの?」
「イフューが喜ぶ姿が嬉しくて仕方ないはずだ。その姿を見られれば浮かれるし、ましてや、その油断だらけの姿を見られればねぇ……」
「ふ~ん」
今度は、ケーシーが質問する。
「それは恋なのでしょうか?」
「恋? そうかもしれないな。俺には、よく分からないけど」
「エルフと人間が……」
ケーシーは少し複雑そうな顔をした。
「不思議じゃないんじゃないの?」
「そうですか?」
「今まで会わないのが普通だっただけで、会ってみたら、いい人だったっていうだけだから」
ケーシーは考え込んでしまう。
「例えば、エルフ同士でも知り合わなければいい人か分からないってことだよ」
「ああ、それなら」
「それが人間かエルフかの違いなだけ。色んなエルフに会ったけど、俺は嫌悪するものなんて一つもなかったよ」
「私達は……。クリスとイオルクに嫌悪するものはありません」
「ありがとう。種族じゃなくて個でみれば、そうなるってことだよ」
「少し分かった気がします」
ケーシーは納得してくれたようだった。
「さて、お仕事に戻りますか」
「はい」
「うん」
イオルク達は、街での自分達の持ち場に戻った。
…
一方のクリスとイフューは、言葉少なに北上する。
そして、言葉を交わさなくても分かることがある。手の温もり――熱過ぎる温もり……。簡単に言えば、二人とも上せていた。
道の途中でクリスが立ち止まり、大きく深呼吸をする。
「悪い……。緊張して声も掛けられねぇ……」
「わたしも……」
「気晴らしに、少しオレのことを話してもいいか? それなら、大丈夫そうだから」
「はい」
クリスはイフューの手を引いて、再び歩き出す。
「オレさ、自分以外は誰も信じられなかったんだ。あの街のスラムは自分のことで精一杯で、正しいことも出来なかったから」
「分かります。わたしの声は、クリス以外に届かなかった」
「ああ……。オレは同じ様に無視するって選択も出来たんだけど、もの凄く嫌だったんだ。普通に考えれば、ガキには無理な金額を吹っ掛けられてるし、それを実現するにはリスクの伴う仕事しかない」
イフューは少し俯きながら、申し訳なさそうに聞いている。
「だけど、それでもやろうと思ったのは魔法の力があったからだった。大人も子供も関係なく、呪文一つで体から出る力。都合のいいことに、遺伝によって成長の良し悪しが決まる。オレの両親は、魔法の才能があったんだろうな。人間にしては、まあまあな才能が初めからあったんだ」
クリスは上せるようなこともなくなり、少し落ち着いたようだった。
「力があると分かって、基礎を覚えたら戦場に出たよ。こんな街を直ぐに出るために……。ピンバネされているのも知らずに、ヒルゲの募集した傭兵に志願した。そして、自分の力が証明されて僅かな資金を手に入れた。……それから、イフューの声を聞いた」
「やっぱり、わたしのせい? クリスが辛い思いをしたのは?」
「いや、結果論で言えば辛くなかった」
「本当?」
「ああ。分かるかなぁ? それをやってる時は、夢中で何も気付いていないんだ。終わってから、辛かったとか楽しかったとか感じるのが多い旅だった。それを総合すると、楽しかったになる」
クリスの表情を確認できないイフューは、『クリスが自分のために嘘を言っているのでは?』と聞き返す。
「本当に辛いことはなかったの?」
「まあ、歩いた距離を合計したら辛いという距離になると思うけど、それを感じさせなかった。だから、今、思うことは――オレは笑うこともあったのに、イフューは笑えてない時間を過ごしたのなら不公平かな……って、思っているんだ」
「わたしは……。確かに笑うことはなかった……」
クリスは少しだけ暗い顔になる。
「でも、それは周りの人達もそうだった。刺青を入れられて、逃げることも出来ないと悟らされて、生きるためだけに辛い労働を強いられる」
「……やっぱり」
クリスは額に空いている方の手を置き、奥歯を噛み締める。
「でも、報われた」
イフューは微笑んでいる。
「クリスは約束を守ってくれた。わたしが諦めて後悔していた約束を守ってくれた。それは、ただの約束よりも大事な約束に変わった。それに……、そこで止めなかったのが嬉しいの」
「止めなかった?」
「クリスは頑張ってくれてる。何もなかった奴隷だった人達のために、歩みを止めなかった」
「……それ、少し違うんだ」
イフューは首を傾げる。
「確かにあの状況が気に入らなくて、オレは無理して頑張ってる」
「はい」
「だけど、その中心にはイフューが居て、その外にイフューの知り合いのエルフが居て、更にその外に同じ境遇の人間が居て、仕方なく全部を何とかしようとしてるだけなんだ」
「わたしが中心?」
「そう」
イフューは赤くなって俯くと、クリスは慌てて、そういう意味じゃないと片手を振る。
「えっと、だな。オレもイフューも、そんなに長生きしてないだろ?」
「あ、はい」
「で、その人生の大半がイフューで構成されているんだ。だから、オレの人生を今の状態で語ると、どうしてもイフュー抜きでは語れないんだ」
「あ……、なるほどです」
クリスは頭を掻く。
「まあ、それだけじゃなくなってるのは確かだけど……」
「……うん」
イフューがクリスの手を少し強く握り返すと、クリスは少し声を張る。
「目が治ったら、故郷まで送る!」
「……はい」
二人は、また言葉少なに歩き始める。今は、先のことを考えたくなかった。イフューが故郷に帰るという別れを考えたくなかった。
…
ドラゴンアームへの砂漠に続く手前の町から三つほど前の町――。
少し小さめな町だが、宿屋、道具屋、武器屋など一通り揃っている。そして、クリスの街とは違い、医者も常駐している。故に、この町の医者を訪ねて来る旅人も多い。
クリスは、イフューを連れて病院へと訪れた。結果、待ち時間が長かったため、宿屋で軽い食事を済ませ時間を潰した後の診察になった。
そして、病院など訪問したこともない二人が少し緊張して診察室に入ると、白衣を着た初老の医者がクリスとイフューに気を利かせて声を掛けてくれた。
「どうされました?」
「目を診て貰いたくて」
「どっちが患者だい?」
「こっちの子だ」
クリスがイフューの肩に手を置くと、医者はイフューに視線を移す。
「分かった。じゃあ、そこに座ってフードを取って」
イフューが丸椅子に座り、フードを取ると医者が驚く。
「エ、エルフ……!」
「もしかして、種族が違うと診れないとか?」
「そんな事はないが……。ただ、エルフを連れて来たのは、お前さんが初めてだ」
「そうだろうな。オレも、イフューが初めてのエルフだった」
医者は咳払いをすると、イフューに尋ねる。
「目が、どのような状態なのかな?」
「見えないんです、全然……」
クリスが補足する。
「暗い穴の中で、ずっと作業をさせられてて」
「それでか……。少し診させて貰うよ」
医者は、イフューの目を診察し始める。カーテンを閉めて部屋を暗くし、蝋燭の火を近づけたり離したりする。そして、蝋燭の火を消すとカーテンを開ける。
「おかしいな……」
「何が?」
「ちゃんと目は反応しているよ。瞳孔が閉じたり開いたりしている。病気を思わせる痕跡も見つけられない」
「どういうことだ?」
医者はイフューの前で手を振る。
「見ようとしてないのか……」
「だから、どういうことだよ?」
医者は椅子に座ると、静かに話し出す。
「随分と前になるが、似た患者を診たことがある。心を閉ざして見るのをやめたんだ」
「何だよ? やめるって?」
「言った通りだよ。見ることをやめてしまうんだ」
「やめるって……。どうやって、やめるんだよ? 見たくなきゃ、目を瞑ればいいだろ? 目蓋を閉じるだけだ」
「そうじゃない。心を閉ざすと言っただろう。精神的に強いショックを受けて、見るのをやめてしまうんだ」
クリスは納得いかないという顔で腕を組む。
そのクリスからイフューに視線を変えて、医者は話し掛ける。
「随分と辛い思いをしたんじゃないのかい?」
「…………」
イフューは黙っている。
「君は我慢強いようだけど――」
「言わないでください!」
イフューは強い言葉で、医者の言葉を止める。
「……見るのをやめた覚えはあります。でも、ここで言いたくないんです」
医者は溜息を吐くとイフューに少し待つように伝え、クリスを別室に連れて行った。
…
別室――。
医者がクリスに話し掛ける。
「心当たりあるかね?」
「……有り過ぎる」
「何で、こんなになるまで放っておいたんだ」
「……三年、会えなかった」
「お前さんが原因じゃないのか?」
「オレが原因だ……」
クリスが否定しないで俯くと、医者は複雑な事情があると判断して、クリスを責めるのをやめた。
クリスは声を絞り出して質問する。
「……何で、こうなったんだ?」
「見たくないものを見せ続けさせられた時、脳が精神的な崩壊を避けるために見ることを拒否したんだ。つまり、防衛本能の一つだ」
クリスは顔面蒼白になると倒れそうになり、医者がクリスの腕を掴んで側の椅子に座らせる。
両手で顔を覆いながら項垂れ、クリスは質問を続ける。
「……治らないのか?」
医者は難しい顔で答える。
「脳に再び見たいということを思い出させればいい……」
「見たい?」
「人生は素晴らしい、世界は美しい、生きているのは素晴らしい……とな。心に呼び掛けるんだ」
「その治療方法はあってるのか?」
「極端な例だ。それにショックで閉ざしたなら、それと同じ位のショックで開けるしかないだろう?」
「……そうだよな」
「そして、これをするのは非常に難しい」
「当然だ……」
「幹部が目だからだ」
「え?」
思ったことと少し違う指摘に、クリスは顔を上げる。
「目というのは、人間の中で収集できる情報量の多いところだと思わないか?」
「多いっていうか、ほとんどじゃないか?」
「そうだろうな。その目を使わずに目を開けるショックを与えるんだぞ?」
「あ……、あ~」
クリスは納得すると激しく項垂れる。
「話し掛け続けるのか……」
「それも手だな」
クリスは大きく溜息を吐いた後で、勢いよく立ち上がる。
「ありがとさん。金払って帰るよ」
「……これから、どうするんだ?」
「話し続けんだよ。時間のある限り」
「本気か?」
「向こうは寿命長いんだし、何とかなるんじゃないか?」
医者は驚いていた。さっき、顔面蒼白になっていた男は、既に次のことをしようと動き出そうとしていたからだ。あまりにも立ち直りが早い。
「お前さんは、どういう神経をしているんだ?」
「オレも、そう思うよ」
「お前さんな……」
クリスがイフューのところに戻ろうとすると、医者が声を掛ける。
「少し待ちなさい。さっきの話の続きがある」
「あん?」
クリスが振り返る。
「前にも患者を診たと言っただろう? その患者は治ったんだ」
「……治った? 治す方法があるのか⁉」
「ああ、ドラゴンアームで治した。治る保障はないがな」
「どっちなんだよ?」
せっかちなクリスに呆れながら、医者は会話を続ける。
「ドラゴンアームの奇跡の水というのを知っているか?」
「奇跡の水? 特別な水があるのは知ってるけど……」
「その中に巡礼者が祈りを捧げて、神官から貰える水がある。それを布に浸して目に当てたら、目が見えるようになったらしい」
「祈りで? どんな水なんだ?」
「竜の形をした青水石から湧き出る水だ」
クリスは腕を組んで悩む。効くかもしれないし効かないかもしれない。それでも、少しでも早く治る可能性があるなら……。
「行ってみるか」
「直ぐにか?」
「色々と片付いたらにするよ」
「どうして?」
「やらなきゃならないことがある。それに話を聞く限り、原因が病気や怪我じゃない。いつでも治せる。不自由な時間を強いるけど、時間は問題にならないから後回しだ」
「それでも、一日でも早い方が――」
「分かってるけど、出来ない。今、やってることを投げ出すような奴に、イフューは絶対に心を開かない」
クリスの力強い声に、医者は頷く。
「ああ……。きっと、それが正しい」
クリスがイフューの居る部屋へと向かうと、医者も後に続いた。
…
診察室――。
丸椅子に座ったまま、イフューは俯いて待っていた。
「お待たせ」
クリスがイフューに声を掛けても、イフューは俯いたままだった。
「街が自立できたら、一緒にドラゴンアームに行こう。努力次第で治る」
「……わたし、また迷惑を掛けている……」
「気にするなよ」
「でも……」
クリスは片膝を突いて、イフューの右手を両手で強く握る。
「初めて会ったあの日より、成長したオレを見て貰いたいんだ。いや、見てくれ」
「でも……」
「滅茶苦茶カッコイイんだ、オレ」
「……はい?」
「見ないと損するよな?」
クリスが医者に振り返ると、医者は笑いながら答える。
「ああ、笑いが止まらない顔をしている」
「どういう面だよ」
笑いながら、医者がイフューに話し掛ける。
「一見の価値があるってことさ。今は甘えていればいい。彼は、それが嬉しくて仕方ないらしい」
「え?」
クリスが声を大にする。
「何言ってやがる! 余計なことを言うな!」
「いやいや、彼女の前でカッコつけていたいんだろう?」
「そういうことは言わないでくれよ……」
医者は、また笑う。
「お嬢さん、これが彼の本音だ」
「クリス……」
クリスは立ち上がると、ガシガシと頭を掻く。
「どいつもこいつも……。オレとイフューをからかいやがって……」
クリスがイフューの手を引っ張り、立たせる。
「行こうぜ」
「あ、うん」
クリスが医者に言い放つ。
「診察料は幾らだよ?」
「ただでいい。診察中に笑いの種を貰ったからな」
「……絶対に患者の話のネタにするなよ」
「それは約束できん」
「ドラゴンチェストには、まともな人間は居ないのか?」
「自由な土地だからな」
「そうだったよ。診察代、ありがとな」
クリスがイフューと診察室を出た後で、医者は呟く。
「何かアイツなら、あのエルフを治せるような気にさせるな」
医者は、上機嫌で次の患者を招き入れた。
一方のクリスとイフューは、その日は、この町で一泊することにした。