更に二ヶ月が過ぎたドラゴンチェスト南東の街――
街は着実に復興を果たしていた。拡大した農地と牧場は、次の収穫で自給自足を満たせる見込みが立ち、来年からは少しずつ蓄えることも可能になる予定だ。
その反面、ヒルゲの支配の時と比べて売り上げが落ちた。闇取り引きの商品、奴隷の売買、ドラゴンレッグからの鉱石の売り物を失ったのが主な理由だ。それでも、いくらかの余裕を持って街の人間が生活できるようになったのは、ヒルゲの売り上げ徴収の還元があればこそ。
つまり、必要以上の贅沢がなければ、適切な値段で売られるようになった食料で普通に生きていくことが出来るのである。
しかし、変化は良いことだけではなかった。支配者のヒルゲが居なくなったことで、ドラゴンチェスト全体のパワーバランスが崩れ始めていた……。
…
街の入り口近く――。
少し広めのこの場所では、今日も子供達が遊んでいる。今でこそ遊んでいられるが、前はヒルゲの部下に殴り飛ばされ、そんなことも出来なかった。
そんな中、一人の子供が街の外を指差す。
「誰か……? 一杯来てる?」
街に近づく人影を子供達は不思議そうに見ていた。
しかし、次の瞬間、一人の子供が腕を押さえて急に倒れた。腕に刺さっているのは矢だ。突然の出来事に混乱する子供達。それを見ていた一人の男の子が、直ぐに街へと走った。
…
イオルクの居る鍛冶場に男の子が走り込んで来る。
「どうした?」
男の子は必死な形相のまま、息を乱して何も話せない。
鍛冶場の職人達は、またイオルクに頼みごとかと笑っていたが、男の子の服に付く血を見て、イオルクは表情を変えていた。
「どうした?」
「あ…あ……あの……あの……」
イオルクは鉄を打っていた金敷の前から立ち上がると、鍛冶場に立て掛けてある剣を手に取る。
「指差せるか?」
男の子は頷いて街の入り口を指差すと、イオルクは男の子の頭を撫でる。
「よく頑張った。落ち着いたら、ここのおじさん達に話せるな?」
男の子が無言で何度も頷くと、イオルクは表情を更に厳しくして職人達に話し掛ける。
「この子の話を真剣に聞いてあげてください。俺の勘が間違いでなければ、緊急事態が発生している」
(ドラゴンチェストの駐屯を置く前に狙われた……!)
イオルクは鍛冶場を後にして街の入り口に走り出した。
…
街の入り口――。
皮の鎧を身につけた男が一人、子供達に剣を向けていた。子供達の先頭に立つのは、イオルクがダガーを貸した少年。腕に矢が刺さり倒れている子供と皆を守るため、震えながら、なけなしの勇気を振り絞っていた。
「――まだ殺されていない!」
事態は、イオルクの最悪の想像よりもマシな状態。剣を鞘から抜くと、イオルクは子供達のところへ走る。
「イオルク!」
子供達がイオルクに気付き声をあげ、その声に男が視線を移す。
イオルクの剣先と視線が男に向けられると、男は何も出来ぬまま、子供達の前にイオルクが出るのを許した。
イオルクは、子供達に背を向けたままで話し出す。
「怪我した子をケーシー達のところに連れて行けるな?」
子供達に話し掛ける声は、いつも通りに穏やかだった。
「街の人達に危険を知らせてくれ。まずは、クリスかファンクがいい」
『うん……』
「俺は、ここでアイツの相手をするから、頼めるかな?」
『うん……』
「じゃあ、皆で頑張ろう。俺も頑張るから」
子供達は傷を負った子を庇いながら、ゆっくりと動き出す。
『イオルク……、大丈夫だよな?』
「俺は大丈夫だし、街も大丈夫だよ」
『……分かった』
子供達は街の中心へと、怪我を負った子を支えて歩き出した。
そして、子供達の声が聞こえなくなるぐらい離れると、イオルクの口調が変わった。
「何人来ている?」
男はイオルクの質問に答えられない。さっき、剣先と視線を向けられてから、一向に動けなくなっていた。だから、子供達に襲い掛かることが出来なかった。
「しゃべれないか?」
イオルクが剣を下ろすと、それだけで、男は何とも形容しがたい圧迫感から解放された。
「もう一度、聞く。何人来ている?」
「な、な、何を言っている?」
イオルクは苛立ちながら話しを続ける。
「俺が着くまで子供達を殺さなかったのは、まだ街の護衛の人数を聞き出せなかったからなんだろう? 同じことだ。今度は、俺がお前達を殺す人数を聞き出すんだよ」
「ば、馬鹿げてる。たった一人で……」
「そうか……。一人じゃ、普通は無理な人数か」
イオルクは一歩を踏み込むと男の胸を蹴りあげた。そして、男が街の外まで転げたところで、走り込んで剣を振り下ろした。
「予想が外れた。街を襲うのは収穫時期だと思っていたのに……! だから、それまでにテンゲンさんに駐屯の用意をして貰えばいいと思っていた……!」
街に近づく影に、イオルクは視線を向ける。
「ヒルゲから解放され、復興した街から利益を奪い取ろうと考えた連中が動き出していた……!」
イオルクの戦いが始まる。しかし、今は皮の鎧も身につけていない。ダガーもない。ロングダガーと剣だけの状態だ。
「久々に嫌な感覚が蘇りそうだ。あの時と同じように負けられない戦いだ」
イオルクは街を襲う者――野盗、ハンター崩れ、ゴロツキなど、明確ではない敵と戦いを始めた。
…
戦い始めて三十分――。
イオルクは、今までにない気持ち悪さを感じていた。
ドラゴンレッグの兵士や騎士との戦いと違い、相手が圧倒的に弱過ぎる。誇りのある者同士の戦いと違い、この戦いは気持ち悪いままだった。
(――一方的な虐殺をしているようだ)
その弱い敵は、目先の弱い者が集う街から利益を奪おうと向かって来る。剣で一太刀のもとに急所を切り裂くと、急所は太い血管の通り道でもあるため、イオルクは返り血で濡れた。
この一方的な戦いが始まって、かなりの敵をしとめている。ロングダガーと剣は血糊で切れ味が落ち、既に役目を果たさなくなっていた。
特別な武器のため、失くさないように街の入り口付近に投げて、今は斬り殺した誰とも知れない者の剣を使用している。
(これだけの力を見せ付けて、何故、引かない? 何故、逃げ出さない?)
イオルクは剣を投げ捨て、槍を拾う。
(突くだけなら切れ味は関係ないか……)
段々と思考が止まり始め、ただ相手を殺すことだけが頭を埋め尽くす。最短距離で相手の急所に武器を届かせることだけが頭を埋め尽くす。
(…………)
イオルクは殺すためだけの機械のように動き続けた。
…
知らせを受けたクリスが街の入り口に辿り着いた時、街の人間の何人かが集まっていた。そして、誰もが動けないでいた。
視線の先で、幾人もの死体が転がる中心で動き続けているのは真っ赤な獣。街で見せていた穏和な姿とは対照的な悪魔のような姿だった。
『あれがノース・ドラゴンヘッドの騎士の力……』
誰から漏れたか分からない言葉をクリスは否定する。
(そんなわけないだろう……。あんなに返り血を浴びる戦い……)
また、何処からか言葉が漏れる。
『怖い……』
街の人間はイオルクを恐れていた。
(怖い? そんなことを言うな……)
街の人間からは、イオルクの戦い方に否定的な意見も出ていた。
(アイツが戦っているのは……! アイツが負けられない戦い方をしているのは……!)
クリスは奥歯を噛み締め、走り出そうとした時、腕を誰かが握り締めた。
「ケーシー……。エス……」
エルフの二人の手から震えが伝わってくる。
(頼むから、そんな目でアイツを見ないでくれ……)
クリスがイオルクに視線を戻すと、イオルクの左腕は動いていなかった。
「あの馬鹿……!」
再びクリスが前に出ようとした時、また腕を引っ張られる。
振り返った先でエスが首を振っている。
「ダメだよ……」
(何が?)
「クリスも怖くなっちゃう……」
(だから、オレが行かない? ふざけるな!)
クリスは腕を振り払うと、イオルクのもとに走った。
…
戦いの最中、イオルクの視線にクリスが入ると、クリスはぶつけるように思い切りイオルクの背中に自分の背中を預けた。
「何で、来たんだ? お前は、あの街のリーダーだろう? こんなところに来ちゃダメだ」
「黙れ! この馬鹿! 腕貸せ!」
クリスはイオルクの左腕を掴み、服で血を拭うと回復魔法を掛け始めた。
「悪いな。勘が鈍ってた。基本の出来てない動作に、予測を間違えた」
「しっかり治してやるから、黙ってろ!」
「ありがとな。でも……、これ終わったら戻れよ」
「戻らない!」
イオルクは警戒を続けながら、クリスに問い直す。
「何でだよ?」
「あの街が大事なのは分かるし、オレが今、リーダーなのも分かってる! でも、オレは、お前が背中を任せられるダチだろうが!」
その言葉に、イオルクは微笑んで俯く。
「格好つけて、一人で悪者か? 気に入らねぇな!」
クリスは回復魔法を掛け終わると、攻撃魔法の呪文の詠唱を始める。
(そういう気遣いする、お前も! イオルクを見て、ただ怯えるだけの連中も!)
クリスが詠唱を完了するとファイヤーウォールが発動し、襲い来る敵を一気に焼き払った。
「これで対等だ!」
イオルクは諦めの笑みを浮かべて、顔を上げる。
「馬鹿だよな。お前まで、変な目で見られる必要ないのに」
「いいんだよ! いくぞ!」
「ああ」
久々のコンビネーション。そこには一糸の乱れもない。遠近両方の魔法を使いこなすクリス。その詠唱を守り、敵を誘導するイオルク。襲い来る敵を完全に圧倒し始めた。
そして、一時間後……。
街を襲う者の姿は見えなくなった。