ドラゴンウィング中間の中間の港町――。
位置的には、ドラゴンウィングの北西にある港に着き、陸路で歩いて十日もすれば、エルフの隠れ里に到着する距離までになった。
港町の宿では、エルフの少女達が少し賑やかに、里に着いたらの話を語り合っている。その様子を見て、イオルクは少し笑みを浮かべ、クリスに目を移す。しかし、一方のクリスは遠い目でエルフの少女達を見詰めていた。
イオルクはクリスに声を掛けて、宿の屋上で風に当たらないかと誘うと、クリスが『そうだな』と呟き、二人は屋上に向かった。
「なあ、少しイフューと距離を置いてないか?」
「……もう少しで別れるからな」
「関係ないじゃないか」
「あるよ。里に戻って、人間と親しいなんて迫害の原因にもなりかねない」
「考え過ぎなんじゃないか? 里のエルフの様子を話しただろう」
「それだけじゃねぇよ。イフューは、ケーシー達と話しているのが普通なんだ」
「まあ、同じエルフだからな」
クリスは視線を夜の海に向ける。
「それを記憶に焼き付けておきたい」
「焼き付ける?」
「イフューとは……、一緒に居られないだろうからな」
クリスは笑ってみせる。
「イフューは、やっぱり特別なんだ。約束だけじゃねぇ。一人の女の子として特別なんだって、気付いちまった」
「じゃあ、告白とかしないのか?」
「送り届けて、里を出る時に気持ちだけは伝えるつもりだ」
「伝えて終わり?」
「そのつもりだ。種族が違うからな。オレとイフューは生きている時間がずれていくだろうし、里から連れ出すわけにもいかない」
「時間か……。俺達の十年、二十年後はおっさんだけど、イフュー達は少女のままだろうからな」
「駆け落ち覚悟で里の外に出ても、エルフのイフューは隠れ住んで外に出ることも出来ない。だから、別れる覚悟を決めた。大好きだった女の子の姿を忘れない」
「そっか……」
「そういうことだ」
イオルクとクリスは、暫し夜の海を眺める。
「人間同士なら、もう少し我が侭を通せるのにな」
「仕方ないだろ。イフューはエルフだったんだから」
「そっか……」
クリスは、ぶっきらぼうに呟く。
「イオルク、からかわないんだな?」
「まあな。最近、クリスとイフューを見てて、いいなって思うことがあるから」
「そう見えるか?」
「ああ」
「……そうか」
クリスがイオルクに向き直る。
「ところで……」
「ん?」
「イオルクは告白とかしたことないのか?」
「ないよ」
「どうしてだ?」
「俺、結婚するとか、子供を作る気ないから」
「は?」
「何か、そういう存在に感じるんだよ」
「その前提になる好きになるとかはないのか?」
イオルクは腕を組む。
「何て言うのかな? 個人としては好き嫌いはあるんだよ。でも、この人と幸せになりたいとか、一緒になりたいという感情が湧かないんだよ。俺は、一人で居ないといけないって思うんだ」
「…………」
クリスは少し間を置くと続ける。
「……それって、イオルクのあれのせいか?」
「あれのせいだろうな。俺は普通の人間と比べて、いつも自分が一つ格下の存在な気がしてるからな」
「極端なんじゃないか?」
「一応、人と触れ合っていたいとは思うんだけどね」
クリスはイオルクに刻まれたトラウマを考えて、柵に肘を置いて頬杖を突く。
「どうなんだろ? まあ、それでもいいんじゃないか?」
「ほう、その理由は?」
「好きになれない原因は、自分を卑下した労わりのもんだろ? 大きく分類すれば邪悪なもんじゃねぇよ。それはヒルゲを追い出して街を復興させた経緯を見れば分かるさ」
「まあ、そうだ」
「だったら、いいんじゃねぇの? 人は好きなんだから」
イオルクは少しだけ考えると、答えを出した。
「それでいいや。今の考え方を直すのも面倒臭いし」
「そう言うと思ったよ。お前は、少しぐらいおかしいのは流せる図太い神経をしていて、自分のやったことに後悔するようなことをしていねぇんだ。だから、その結果で失ったものがあっても、少なからず納得していられるんだと思うぜ」
「なるほど……。じゃあ、このままでいいか」
「やっぱり、流せるんだな……」
「でも、時々、悩むぞ?」
「当たり前だ。そこまで何も考えなしだったら、今以上にただの馬鹿だ」
「現状、俺が馬鹿だという烙印がしっかりと刻まれているんだが……」
「馬鹿じゃないとでも思っているのか? オレの知り合いランキングの馬鹿部門一位は、二位に大差を付けてイオルクだぞ」
「ダントツかよ……。まあ、俺もクリスに対しては同じ扱いだな。ただ一位と二位の差は僅差だけど」
「お互い様じゃねぇか」
「クリスよりは真人間だと思うんだけどなぁ」
「脳みそ腐ってんじゃねぇか?」
「じゃあ、ここは細かく馬鹿のジャンルを分けて、徹底的にだな――」
「不毛だと思うぞ」
「まあ、いいや」
「言うと思った」
クリスは欠伸をする。
「くだらねぇ話をしちまったな」
「俺とクリスが話していて、為になった話をした記憶がほとんどないけどな」
「ほとんどが雑談」
「意味のない会話」
「そんなもんだろ?」
「そんなもんだな。それでも話すネタが尽きないんだから、ある意味凄いよな?」
「ネタが被ることも多いけどな」
「くだらない話は、記憶にしっかり留めないからな」
「つまり、ほとんどが無意味な会話で形成されているのか?」
「素晴らしいな」
「だから、馬鹿だという印象しか、お互い残らない」
「それが結論か……」
イオルクとクリスは溜息を吐く。
「戻るか?」
「これ以上は馬鹿の証明にしかならん」
普段の何気ない会話。結局、それは馬鹿の証明にしかならなかった。そして、最初の真面目な話が異質なのだと、二人は感じていた。
…
次の日――。
ドラゴンウィングの翼の先端と中間の中間ぐらいの町を出て東へ向かう。イオルクを先頭にエルフの三人、最後にクリスが続いた。
そして、朝から歩き続けてお昼時になると、少し開けた空間のある森で昼食と休憩を取ることになった。
昼食後の休憩中、珍しくイフューがイオルクに話し掛けた。
「ちょっと、いいですか?」
「ダメ」
「ど、どうして?」
「……って言ったら?」
「また、そんな子供みたいなことを……」
イフューが話を続ける。
「話の続きなんだけど」
「え~と、『ちょっと、いい』の答え?」
「それは冗談で、もう終わったじゃないですか……」
「俺の意見は、どうでもいいのか?」
「……いい加減、話をさせてくれませんか? 最近、拳を握るまでの間隔が段々と早くなってきてるんです」
「重症だな」
「イオルクのせいです」
「とりあえず、グー入れとくか?」
「入れません!」
「では、話をどうぞ」
イフューは、ぐったりと疲れてから話し出す。
「クリスのことなんですけど」
「クリス? 一日で老けたのか?」
「違います」
イフューは拳を握っていた。
「じゃあ、背が伸びたとか?」
「昨日と今日で、目に見えて変わりません」
「じゃあ――」
イフューのグーが、イオルクに炸裂した。
「だから、話をさせてください! どうして、次から次へと変な質問で話を進めさせてくれないんですか!」
「え~……」
「何の『え~』なんですか!」
「イフュー、目が見えるようになって元気になったな?」
「わたしが元気になったんじゃなくて、目が見えない時は、姉さん達が代わりに怒っていたんです!」
「突っ込みの割合が均等化した理由は、それか……」
「話をさせてください!」
「そうだな。とりあえず、からかうことに成功したし」
「どうして⁉ どうして、からかい終わらないと話が出来ないの⁉」
「人間っていうのは、そういう生き物なんだ」
「嘘です!」
「え~……」
「だから、何の『え~』なんですか!」
「俺が人間って生き物じゃないみたいじゃないか」
「そうじゃないんです! イオルクの個性が人間全般的じゃないってこと!」
「で、結局、何の話?」
「~~~!」
イフューがキレた。側の大きな石を持ち上げ、イオルクに狙いを定めている。
「ストップ! それは洒落にならない! 悪かった! 冗談!」
イフューはズシンと石を落とすと肩で息をする。
(イフューは鉱山で働いていたから力があるんだった……)
イフューが大きく息を吐く。
「……話していいですか?」
「はい……」
「最近のクリスの様子を聞きたいんです」
「様子?」
「ドラゴンウィングに到着する少し前から、少し距離があるなって……」
「あ~……」
クリスが別れる準備をするため、心の整理と行動を取っているのをイオルクは思い出す。
「それにドラゴンウィングに入ってから手を握ってない……」
「手ですか……」
(お前達、相思相愛だな)
イフューは少し目を伏せて呟く。
「クリス……。わたしのことが嫌いになっちゃったのかな……」
「それはない……」
(それにしても、こんな恋愛にほど遠い人間に相談か? イフュー?)
イオルクは、イフューに質問する。
「ケーシーやエスには?」
「相談したけど、男の子の気持ちは分からないって」
「そうですか……」
(俺が話して納得させられるのか?)
イオルクは眉をハの字にして、困った顔で話し出す。
「クリスは、少し先のことを考えているんだよ」
「先?」
「里に着いたら、お別れだろう?」
「お別れ……」
イフューがペタンと地面に尻餅を付いた。
「オ、オイ! イフュー?」
「考えてなかった……」
「は?」
「わたし、クリスと別れるのを考えてなかった……」
「それって……」
「ずっと、側に居ると思ってた……」
恋する乙女は盲目になっていたようだ。
「クリスと一緒に居たい……」
イフューが別れという事実に気付いて大粒の涙を流し始めると、イオルクは頬を掻きながら話を続ける。
「クリスと話すしかないよ。アイツが少し距離を置いたのはアイツの優しさだし、イフューの気持ちが伝わってないのも事実だよ」
「……クリスの気持ちは?」
「里を出る時に、イフューに置いて行くつもりだったみたいだ」
「そんなの……」
ただ泣き続けるイフューが話し出すのを、イオルクは黙って待ち続けた。
イフューは何度も涙を拭いながら、言葉を搾り出す。
「こんな気持ち初めてなの……。クリスに居て欲しいって思うだけで、胸が一杯になってる……」
「少し特別なんだ?」
「……うん」
「まあ、分かるけどな」
イオルクはドラゴンウィングまでの短い旅を思い返す。
「イフューの目が見えるようになって、一番近くに居て喜んでいたのがクリスだ。ケーシーやエスにも、その場所を譲らなかった。そして、イフューもそれを受け入れてたもんな」
「……うん、クリスは特別」
「あと、十日以内に里へ着く。これからの思い出は、どうするんだ?」
「たった十日……」
「うん」
「……それだけしかないの?」
「でも、例え一緒に居れても、エルフと人間じゃ寿命が違う。ずっと着いて回る問題だよ」
「そんなのって……」
「そして、もっと辛い現実。一緒に居たとしても、イフューは、クリスの老いていく姿も死んでいく姿も見なければならない」
「…………」
現実を言葉にされて、イフューは黙って俯く。
「耐えられるか? クリスは、もっと考えているかもしれない。アイツは頭がいいからな」
「わたしは、そんな先を考えていないし、今が一番で考えてる……。今の一番がクリスと一緒に居ること……」
「じゃあ、それをクリスと話して、二人で答えを見つけるべきだな」
「二人で?」
「そう、イフューとクリスの問題だ。まあ、クリスなら、いい案を思い付くんじゃないか? 今は別れる後のことを優先的に考えてるけど、イフューと話して考える方向を変えてやれば、そっちを積極的に考えるだろう」
「そんなに上手くいきますか?」
「何とかなるんじゃないか? 勢いで街を復興させるような奴だからな」
「…………」
イフューは、『そうかもしれない』と少し思い始める。
「だから、あとはイフューがしっかり話して、クリスをしっかり頼ればいいんだよ」
「あの……、そんなクリスに問題を擦り付けるような方法でいいんですか?」
「間違いではないと思うけど……。いいこと教えようか?」
「はい」
「好きな女の子に頼られて嬉しくない男は居ない」
「……クリス、わたしのこと好きかな?」
はにかむイフューに、イオルクは溜息を吐く。
「何を今更……。言って欲しいのか? 仕方ない奴め」
イオルクは大きく息を吸い込む。
「クリスは、イフューが大好きだ! 世界で一番愛している!」
イフューが顔を赤くした直後、クリスのグーが、イオルクに炸裂した。
「なんてことを大声で叫んでやがる!」
「いや、イフューのリクエストで……」
「は?」
クリスがイフューを見ると、イフューは真っ赤な顔のまま俯いていた。
「否定しないだろう?」
「明らかに、お前の陰謀を感じる!」
クリスがイオルクの襟首を両手で掴むと、イオルクは素知らぬ顔で口笛を吹き出した。
「ムカツク態度を取りやがって……!」
「あの、クリス……」
「ん?」
クリスが振り返ると、イフューが声を絞り出した。
「あなたと、ちゃんとお話をしたいんです」
「…………」
クリスはイオルクを解放すると、イフューに向き直る。
「しっかりと伝えておきたいことがあります」
「……分かった」
「出来るなら、イオルクを除いた二人で」
「了……解だ!」
クリスがイオルクを蹴り飛ばした。
「絶対にお前が悪い! 大事な話だと思うから、どっか行け!」
イオルクはのそのそと起き上がり、服の埃を払う。
「そんな蹴り飛ばさなくてもいいのに……」
イオルクは、クリスのやって来た方向に姿を消し、残されたクリスとイフューは暫し黙ったままだった。
…
陽射しを遮る木の下で、クリスとイフューは腰を下ろしていた。
話しを始めたのはイフューだった。
「イオルクにクリスのことを聞きました。最近、クリスが少し距離を置いている理由……」
「……そうか」
「クリスは、もう別れる時のことを考えていたんですね」
「もう、じゃないな。……短い時間しかない」
イフューは改めて残された時間を感じ、自分が考えなしだったことを自覚する。だけど、考えなかった理由もちゃんとある。
「わたしは、ずっと、クリスと一緒に居られると思っていました。先のことなど、考えていませんでした」
「どうして?」
「分からない……。クリスとは、ずっと一緒に居ると思い込んでた……」
「一緒か……。それは、オレが一番望んでる願いだな」
「うん……」
イフューは小さく頷くと、自分の気持ちを語り出す。
「わたしね、クリスのことが大好きなんだと思う。三年間は後悔し続けて、数ヶ月は必死に街を再興して、里に帰るまでの僅かな時間で……、きっと大好きになっちゃった」
「オレは……、いつ好きになったか分からない。初めて会った時から忘れられなくて、傷ついていたイフューが悲しくて、街で笑顔を見せたイフューが嬉しくて……」
「そうなんだ」
「……大好きなんだ、オレも」
「……うん」
クリスは顔をあげる。
「でも、恋愛とかと少し違う気もする」
「うん、それも分かる。わたし達の関係は特別だから。急激に近づいて、気持ちが高揚してる気がする。だから、その急に近づいた気持ちをゆっくり時間を掛けて埋めたい」
「大好きなんだけど、気持ちが本物か信用できないってことだよな」
「だけど、一緒に居たい……。離れると理解すると心が引き裂かれそう……」
イフューがクリスに視線を向ける。
「手を握っていい?」
「ああ」
イフューがクリスの手に自分の手を重ねる。
「こうしているのが一番幸せ……。確かめる言葉を捜さなくてもいい……。わたしは、クリスを感じてる……。これだけのことが愛おしい……」
クリスは自分の手を通して伝わるイフューの体温を感じる。
「イフューの手が綺麗に戻ってよかった……」
「クリスのお陰……」
「目も治ってよかった……」
「それも、クリスのお陰……」
「イフューの役に立ててよかった……」
「クリス、あなたにいくら感謝をしても足りない……」
「そう思って貰えると報われる……」
イフューは暫く目を伏せると決意する。
「クリス、一緒に居よう。わたし、クリスの行くところなら、何処にだって行くよ」
「何処にだってって……。家族は? 友達は? エルフの仲間は?」
「クリスを優先する」
「それはダメだろ……」
「でも――」
イフューはクリスと離れるのが嫌で目に涙を溜めている。クリスは、自分が必要とされているのだと強く思わされた。
「オレが……」
クリスは口を強く結ぶ。
「オレがイフューの側に居ることは出来ないか?」
「……クリスが?」
「そうだ。オレがエルフの隠れ里に住むんだ」
「いいの?」
「オレには……家族が居ないからな。待ってる人が居ないから」
「クリス……」
イフューはクリスの頬に手を当てる。
「クリスは、わたし以上に悲しい人生を送ってたんですね……」
「どうかな? ここ最近は、自分の人生を悲しく思ったことはないよ。近くで馬鹿やる親友が居て、オレをまともな人間の道に引っ張り直してくれた女の子が居て、信頼できる仲間が爆発的に増えやがった。今までより、これからのことを考えると自然と笑みが零れる」
「そう……」
「そして、これからの人生にイフューが側に居てくれたら最高だ」
「クリス……」
イフューはクリスに体を預け、クリスはしっかりと受け止めた。
「頼んでみるよ。イフューと一緒に居られるように」
「うん、私も一緒に……」
この時、クリスは旅の終わりをエルフの隠れ里と心に決めた。