次の日――。
イオルクの目に飛び込んできたのは、この旅で見慣れた光景だった。ケーシーとエスも、何処か安心した顔をしている。きっと、内心では気遣っていたに違いない。
「あれがいいんだよね。クリスとイフューは」
エスの言葉に、ケーシーが頷いた。
「私達の心も穏やかになる」
「うん……」
ケーシーとエスは少し羨ましかった。自分達は恋というものをしたことがなかったからだ。
「あたしも素敵な人と出会えるかな?」
イオルクは、エスの言葉を聞くと質問する。
「素敵な人って、どんな条件?」
「え? う~ん……。クリスみたいな人?」
「馬鹿な奴か?」
「そっちの属性じゃなくて!」
「何気に馬鹿って属性は確定してんのな……」
「そうじゃなくて……、分かんないかなぁ?」
イオルクは笑みを浮かべる。
「冗談だよ。何となく分かるよ。言葉じゃ言い表わせないんだよな?」
「そうそう」
「里に戻れば、いい人も見つかるよ」
「そうかな?」
「少なくとも、俺よりも真っ当な性格の人間は山ほど居るぞ」
「じゃあ、選びたい放題だ!」
エスの言葉に、ケーシーが笑っている。
そして、イオルクは少し真面目な顔で、これからの経過を話す。
「ここから先、町は少ない。最後は野宿した次の日に、里に着くことになる」
「イオルクは、本当に里の場所を知っているのですね。私達よりも正確に」
「地図を見て旅するのには慣れたから、それだけだよ」
「私達の旅は、そこで終わるのですね。……少し寂しい気がします」
「色々あったからな」
「はい」
「三、四年ぶりか?」
「はい」
「人間だと、かなり変わってる時があるんだけど、エルフって歳を取らないだろう? エルフの再会って、どんなんだ?」
「そうですね。成長するのは子供の私達だけですから」
「驚くのは向こうだけか」
「ただ長く離れるということも起きないのが里の中ですから、どんな反応をするか……」
「兎に角、全ては着いてからってこと?」
「はい」
ケーシーは少し緊張した顔で返事を返した。エスとイフューを連れ出した責任。前日とは違い、ケーシーは自分の犯した罪を再び意識し始めていた。
…
ドラゴンウィング北部・エルフの隠れ里のある山の麓――。
九日掛けて辿り着いた山は霧に覆われ、山頂までの道を覆い隠す。
その山の霧に、クリスは違和感を覚えて額を押さえる。
「何だ、ここは……? 何か得体の知れないものが侵入してくる感じだ……」
「クリス……」
イフューがクリスを支える。
「外から魔力を体内に入れて魔法にして出す……。この世界の人は、誰もが魔法を使う資質を持っているでしょう? その資質に作用して、この霧は方向感覚を狂わせます」
「エ、エルフは?」
「体内で相殺できます」
「そうか……。魔法も使ってないのに入り込んでくるのか……。なら、完全に魔力を遮断するか自分でコントロールするしかないってわけだ……」
クリスは大きく息を吐く。
「少し魔法を使う」
クリスの指先に回復魔法が僅かに発動すると、いつもと違いチラチラと魔力光が揺れている。
「なるほどな……。乱れてやがる……」
(乱れているなら、自分で強制的な流れを作ってやればいい)
クリスの集中が高まる。
(強制的に入る魔力に流れを作って……外に出す)
更に集中力を上げ、クリスは魔力の流れをコントロールすると、不快な感覚が徐々になくなっていくのを感じる。
「こんな使い方するの初めてだぜ……。魔力をただ放出するだけなんて」
イフューは少し驚く。
「……相殺できるの?」
「原理が分かればな。だけど、慣れてないから長く持たないぞ」
「クリス……。あなた、少し不思議……」
「あん?」
「ヒルゲのハンターと戦った時も、普通と違う魔法を使ってた」
「その時、見えてないだろ?」
「感じました。呪文を使って魔法を二つ使った……」
「まあな」
「そして、今も……」
クリスは少し考えるが、直ぐに考えるのをやめる。
「とりあえず、後にしよう。この処理が続いているうちに里まで行きたい」
「そうですね」
イフューが振り返ると、ケーシーとエスは頷く。
「じゃあ、行くか」
イオルクが先頭で歩き出した。
「何で、お前は何事もないように歩き出せるんだ!」
「ああ。俺、魔法を完全に使えないからな。関係ないんだよ」
「デタラメな奴め……」
「ほら、急ぐんだろう?」
「納得できねぇ」
エスが付け加える。
「気にしない方がいいよ。クリスの反応が正常で、霧が里を守ってんだから」
「そうだよな。オレが正常なんだよな」
エルフの隠れ里を目指して、イオルク達は山を登り始めた。
…
前に訪れた時と変わらない。霧は、どんどん濃くなっていく。山を登り続けると、やがて人工的な木の柵が目に付くようになる。
「山頂に近づいている」
「分かるのか? イオルク?」
「その柵に記憶がある」
「このあと、どうなる?」
「霧が晴れてくるはずだ。そして――」
ケーシー、エス、イフューの歩く早さが変わる。彼女達は思い出していた。里までの道が分かる。この辺までは、いつも来ていた。霞んだ霧の先に懐かしいものを感じる。
エルフの三人は、イオルクとクリスを置いて走り抜けた。
「ああ……」
「帰って来た……」
「皆、居る……」
イオルクの時のように弓を構えるエルフ達の弓も気にならなかった。各々、フードを取って里を懐かしむ。
弓を構えていたエルフ達は、同属と気付くと弓を下ろした。
「あの時と同じだな」
あとから現われたイオルクに、エルフ達から声が上がる。そして、クリスには警戒する声が上がる。
「イオルク!」
一人のエルフがイオルクに抱きついた。
「コリーナ?」
「そう!」
「大きくなったな」
「本当?」
「ああ、胸に少し手応えが――」
コリーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「折角の再会なのに!」
「あはは……」
イオルクは抱いていたコリーナを地面に降ろす。
「エルフの皆を呼んでくれるかな?」
「うん。……そっちの人達は?」
「コリーナのお姉さん達になるのかな?」
「じゃあ、もしかして……」
「だから、説明したいんだ」
コリーナは小さく頷くと、里の集落に走って行った。
そして、弓を構えていたエルフの男の一人が、イオルクに話し掛ける。
「もしかして……。連れ去られていた?」
「うん。そして、助け出したのは俺の親友だ」
イオルクがクリスの肩を叩いた。
「……どうも」
エルフの男は、戸惑いがちのクリスの左手を取ると強く握った。
「ありがとうございます」
「オイオイ……」
クリスは少し照れると、空いている手で頭を掻きながらイオルクに話し掛ける。
「素直に喜んでいいのか?」
「喜んでいいよ」
「そうか?」
クリスはエルフの男の手を両手で握り返した。
…
里のエルフ達が集まってくる。
ケーシーとエスとイフューのそれぞれの両親も姿を現わし、エスとイフューは直ぐに両親の元に走った。しかし、ケーシーは自分の両親を見て少し俯くと、自分の両親ではなくエスとイフューの両親の元に向かった。
「……私のせいで二人が里の外で捕まりました。私が二人を誘って、里の外に連れ出しました」
ケーシーの言葉に、再会を喜んでいたエスとイフューの両親達の顔が変わった。
「あなたのせい?」
エスの母親は厳しい顔になると、ケーシーの頬を力一杯張った。
ケーシーは成すがままに受け入れ、頭を下げた。
「すみませんでした」
「謝って済む問題じゃないわ!」
「エスは……純潔を失って……。イフューも鉱山で働かされて……。最近まで目が見えない状態でした……」
エスの母親は、再びケーシーの頬を力一杯張った。
「あなたは!」
「……全部、私が悪いのです」
エスの母親が再び手を振り上げると、エスとイフューが割って入った。
「やめて!」
「あたし達、皆が約束を破ったの!」
エスとイフューの必死の訴えに、エスの母親が手を下ろす。
「三人で遊びに出て、霧の晴れた場所で遊んでいたの」
「その時、誰も約束を破ったことを悪いと思っていなかった」
「歳が一番上だからって、ケーシー姉さんを責めないで……」
そして、その場にケーシーの両親が近づいて来た。
「ケーシー……」
ケーシーは、ゆっくりと振り向くが視線を背けた。まだ自分が許せない。
「おかえり……」
ケーシーの両親は、そっとケーシーを抱きしめたが、ケーシーは、ただ涙を流すことしか出来なかった。
…
クリスはイオルクに話し掛ける。
「難しいんだな……。親子っていうのは……」
「それだけじゃない。エルフっていうのは、厳しい掟で自分達を守ってきた種族だからだよ」
「人を売り買いして、種族を差別して、平等に生きようとしない。悪いのは、オレ達人間じゃないのか?」
「間違いなくな。だから、そこに疑問を抱いている人間も、ここに最低二人は居るわけだし?」
「全部が全部じゃない……か」
「しかし、多くの人間が刷り込まれた常識や認識を直ぐに否定することが出来ないから、俺達は、こんな悲しいことを目の当たりにしなくちゃならないんだろう」
「嫌になるな……」
「まあな」
クリスが頭を掻く。
「じゃあ、行くか」
「は?」
「いつもの得意技を披露するんだよ」
「そんなものあったか?」
「土下座だ」
「……何で?」
「空気が重いだろうが。このままじゃ、ケーシーは悪者のままだぞ? ここで、オレ達が土下座すれば人間が悪いって流れになるだろうが」
「まあ、いいけどさ……。それだと、土下座の価値観が下がってる気がするんだよな」
「ケーシーのためなら、これぐらい何ともないだろ」
「プライドの問題じゃなくて、気持ちの問題だからな」
「そして、見慣れていない奴らにはインパクト大だ」
「何でも利用するんだな?」
「そういう理由だけじゃねぇよ。オレ達が人間だからこそ、謝らなくちゃいけねぇんだよ」
「そこを忘れるわけにはいかないよな」
クリスが歩き出すと、イオルクも後に続く。そして、エルフ達の前に出ると、クリスとイオルクは土下座した。
「「すみませんでした」」
「…………」
場が沈黙すると、クリスが話し出す。
「一番悪いのは、オレ達人間だ。エルフが里を出れないのも人間のせいだ。ケーシーを責めないで欲しい。エスもイフューも責めないで欲しい」
エルフ達に混乱が広がる。元凶の種族が土下座をしている。しかし、この人間が助け出したのも事実であった。
「今は、三人が里に戻ったことを喜んでくれないか?」
頭を擦り付ける究極の謝る姿勢に、クリスの言葉が優先されるべきだと、エルフ達に広がり出す。
クリスは顔を上げると、ケーシーに顔を向ける。
「ケーシー、もういいんじゃないか? いい加減、お母さんとお父さんを安心させてやれよ。ずっと、ケーシーの言葉を待っている」
ケーシーだけが、まだ両親と会話をしていないのにエルフ達は気付く。それにクリスの言葉で、ケーシーをもう許していた。
「その青年の言う通り、今は再会を喜ぼうじゃないか」
声を発したのはこの里で最年長のエルフ――ゴブレだった。
「詳しい話を聞かせてくれないか? イオルク」
イオルクが顔を上げる。
「お久しぶり」
イオルクはゴブレに笑みを返す。
「また、仲間を助けてくれたな。ありがとう」
「助けたのは親友もだよ」
イオルクがクリスの肩に手を乗っけた。
「君も、ありがとう」
「助けられたのは、オレの方でもあるんだがな」
「どういうことだね?」
「オレは、イフュー達に心を救われたんだ」
「その話も詳しく聞きたいな」
「ああ」
ゴブレはエルフ達に振り返る。
「帰って来た娘達と両親を一緒に居させてあげよう。今日の分の仕事は、残った我々で分割して当たろう。そして、夕方、儂に話してくれるか?」
ゴブレがケーシー、エス、イフューに尋ねると、三人は小さく頷いた。
「さあ、仕事に戻ろう」
エルフ達はゴブレの言葉に、その場を離れ出した。ケーシー達も両親に手を引かれて、懐かしの我が家へと戻って行った。
ゴブレが残されたイオルクとクリスに声を掛ける。
「君達は、儂の家に来なさい」
イオルクとクリスが立ち上がる。
「彼女達の話を聞く前に、君達から聞いておくよ」
「了解」
返事を返したイオルクに対して、クリスは少し困り顔になる。
「オレは、まだエルフっていうのを理解してないんだよなぁ」
ゴブレが笑う。
「それも話すとしよう。その間に直ぐに夕方だ」
ゴブレが先に歩き出すと、イオルクは懐かしそうに微笑んで後に続く。
「オレだけ、仲間はずれな気分だな」
クリスもイオルクに続いた。