一ヶ月後――。
イオルクは旅人に戻り、クリスと旅した格好と荷物でドラゴンチェストに入っていた。今は、ノース・ドラゴンヘッドへの帰り道。今日の分の移動を終え、ドラゴンテイルに繋がる前の砂漠の町の宿で一息ついていた。
寝転ぶベッドの上で、イオルクの頭の中にはドラゴンテイルの出来事が思い出される。
王都を旅立つ前までの三日間の戦闘で体は疲弊し、そのままの状態で王都を追い出され、暫く体中が筋肉痛を襲った。そんな扱いを受けたが、自然と笑みが浮かぶ。
ノース・ドラゴンヘッドの次に慣れ親しんだ国になったドラゴンテイル。人々との触れ合いもそうだが、鍛冶屋としての新しい技術も仕込んでくれた。
イオルクはベッドに寝転んだまま、右手をあげる。ティーナに貰った手首の重りはボロボロに変わり果てていた。今、身につけている皮の鎧もノース・ドラゴンヘッドを出た時の状態ではない。リュックサックも煤けてボロボロだ。
「もう直ぐ、十年経つんだな……」
イオルクの頭に色んなことが蘇る。ノース・ドラゴンヘッドを出て、色んな人に会った。
「そして、ノース・ドラゴンヘッドに戻るのか……」
イオルクの頭には、六年前に別れたクリスのことが浮かんでいた。
「今頃、どうしているか……。二十五か……。お互い、いい歳だからな。二度と一緒に旅をすることはないだろうな」
六年間、何も起きていない世界に対して、イオルクは『自分達のしていることは無駄なのではないか?』と考える。しかし、直に首を振る。
「それがなくても、俺は武器を造った」
やがて、眠気が襲い、イオルクは深い眠りに着こうとしていた。
「フレイザー兄さんと隊長……。離婚してくれてると助かるんだけどな……」
イオルクは眠りに着いた。
…
ノース・ドラゴンヘッドへの帰還の旅は続く。イオルクは順調にドラゴンチェストを北上し、十日後、遂に東に進路を取る。更に東に歩みを進めて一週間、砂漠を抜ければドラゴンヘッドに入るというところまで辿り着いた。しかし、根っからのトラブルメーカーの旅は、最後の最後までトラブルが続く。
…
砂漠に入って二日目――。
イオルクは、ドラゴンチェスト最後の町で噂されていた人物と出くわしていた。
『砂漠に盗賊が出るらしい。相手は一人だが、あんたも気をつけな。まあ、広い砂漠で、一人しか居ない盗賊に出くわす奴は、相当な不幸だがな』
「俺は、相当不幸のようだ!」
イオルクはリュックサックを放り投げ、外套を脱ぎ捨てる。腰の左から右手で剣を引き抜き、腰の後ろから左手でダガーを抜き取った。
盗賊は頭をしっかりとフードで隠した外套を装備し、両手にナイフ。最初の接触、盗賊の右手のナイフを左手のダガーで受けたイオルクは舌打ちする。
「戦い慣れてやがる! 何で、十年のうちに盗賊が巣くってんだ?」
イオルクが力任せにダガーを振り切ると、盗賊は後退した。
「実力差は分かっただろう! 殺さないから消えろ!」
イオルクを見据えた盗賊は声を漏らす。
「この強さ……。あれを運んでいるかもしれない……」
盗賊は、再びイオルクに迫り、素早さを活かしたナイフの連続攻撃を仕掛けた。しかし、イオルクは剣とダガーで全て捌き切る。
戦い慣れているかなりの手練れだが、イオルクとは実力差がある。
(何より、攻撃が軽い)
だけど、気を抜けない。盗賊から放たれている集中力が桁違いだった。油断していれば、ナイフという武器の特性を活かしたワンアクションで急所を狙う攻撃が飛んでくる。
(故のナイフ装備か)
イオルクは右手の剣を鞘に納め、ロングダガーに換装する。
盗賊は自分の武器に対抗するためだと判断すると、ナイフを指で挟み右手を翳した。その右手から放たれたのは火球だった。
「魔法使いだったのかよ!」
イオルクは脱ぎ捨てた外套を拾うと、火球を外套で振り払う。そして、距離を開けては拙いと盗賊に走り出す。
しかし、盗賊はニヤリと笑うと、炎の奔流を詠唱なしで放った。
…
炎が流れ終わり、盗賊はイオルクの死体を確認しようと目を凝らす。
「居ない?」
跳躍して躱されたかと上を睨むが居ない。辺りを見回すも、外套が風にはためいているだけだ。
「外套……!」
外套は風が流れているのに、はためいているだけで流されてはいない。
「そこか!」
盗賊が外套を力任せに剥ぎ取った。
「居ない……」
再び周囲を気にして見回した瞬間、外套のあった砂から手が生える。手は盗賊の足を掴み、引き摺り倒す。
イオルクは砂の中から姿を現わすと盗賊に馬乗りになり、首元にロングダガーを突き付けた。
「危うく丸焼きになるところだった。外套をボロボロにしやがって」
「レベル3の詠唱破棄の魔法を躱せる人間が居るなんてね」
「戦場じゃ、死体を被ってやり過ごしたよ。今回は外套と砂だったけどな」
「そうか……。絶対に仕留めなければいけなかったんだがな」
「目的は、何だ?」
「殺せ……」
「理由は!」
「殺せ……」
イオルクは盗賊のフードを少しずらして顔を覗く。その下から現われたのは燃えるような赤い髪と整った綺麗な顔。
「女?」
「お前も、私を犯すか? 殺す前に?」
「犯す?」
「無抵抗な者を犯すのが人間の性なのだろう」
イオルクはロングダガーから震えが伝わるのを感じる。さっきの言葉は、盗賊の精一杯の虚勢だった。
「お前、自分の言った言葉に恐怖してないか?」
イオルクの言葉に、盗賊は叫ぶ。
「殺せ! あんな屈辱を受けるぐらいなら、直ぐに殺せ!」
「お前、どんどんボロが出てるぞ……。犯されたことがあるのか?」
盗賊は顔を真っ赤にすると『殺せ!』を連呼した。
イオルクは溜息を吐く。
「理由を聞かせてよ。犯さないし殺さないから」
「……何でだ?」
「俺は外道か……。それに盗賊にしては、ちょっと必死過ぎるからな」
「私は、そんなに生にしがみ付いてない!」
「そうじゃなくて、戦い方の方だよ」
「…………」
盗賊は力を抜いて抵抗をやめると、イオルクに聞き返す。
「悪い奴じゃないんだな?」
「先に襲った、お前が言うか?」
「人間は信用ならない」
「どうすりゃ信じるんだよ? 俺だって、お前を信じてロングダガーを離した隙に、魔法で黒焦げなんて御免だからな」
「そんなことはしない!」
「じゃあ、お互い戦闘行動なしな」
「分かった」
「約束だぞ!」
「分かった!」
イオルクはロングダガーを離して腰を上げると、倒れている盗賊に手を差し出す。
「ほら、掴まれ」
盗賊は鼻を鳴らすと、イオルクの手を取った。そして、イオルクは盗賊を引っ張り上げると、落ちていた外套を拾って叩く。
「あ~あ……。黒焦げになっちゃったよ。砂漠を抜けなきゃなんないのに火傷しちゃうよ」
溜息を吐いているイオルクに、盗賊が声を掛ける。
「オイ」
「ん?」
「着いて来い」
「んん?」
「隠れ家に予備の外套がある」
「くれるのか?」
「ああ」
「ちょっと待ってくれ」
イオルクは武器を納めると、リュックサックの方に走り出す。
盗賊はイオルクを見詰めて呟く。
「こんな効率の悪い方法しかないのか……」
盗賊はナイフを納めると外套を脱いで砂を落とした。その盗族の赤い髪から覗いたのは、エルフと同じ尖った耳だった。盗賊は砂を落とした外套を着直すと、自分の隠れ家に向けて歩き出した。