岩場を離れた砂漠の真ん中――。
イオルクとミリアムは砂の上に座り込む。そして、イオルクがミリアムから小箱を受け取ると、慎重に小箱を手の中で回し、構造を確かめる。
「ここ、これをスライドさせて蓋が開くんだ」
長方形の小箱の横の凹凸。そこに指を掛けて上に力を込めると上にずれて、面が上に開く。
「俺、魔力感知ゼロなんだ。魔力が漏れているか分かるか?」
「ええ、まだ漏れていません」
「ゆっくり開くな」
面が限界まで開き切る。
「どう?」
「漏れていません」
「じゃあ、今度は取り出すぞ」
イオルクが魔族の宝石に手を掛けて止まる。
「……というか、俺が手で持っていいのか? これ、ミリアムの体の一部だよな?」
「ふふ……。気にしませんよ」
イオルクはミリアムを見詰める。
「どうしました?」
「いや、女って凄いなって……。そんな風に化けるんだもんな」
「言ったではないですか。盗賊になり切るためだと」
「そうだけどさ。……まあ、いっか」
イオルクは気を取り直して魔族の宝石を掴むと、そっと取り出す。そして、ゆっくりと箱から離して拳三つ分ぐらいの距離。ミリアムがイオルクの手を押し戻した。
「そこが限界です」
「そうか……。感知されるほど漏れたかな?」
「微弱な魔力です。大丈夫」
イオルクはホッと息を吐き出し、魔族の宝石を小箱に戻す。
「この箱の材質が近くの魔力を打ち消すみたいだな。密閉しなくていいみたいだ」
イオルクとミリアムが立ち上がる。
「岩場に戻ろう。開いて爆発なんてこともないし、あそこの方が涼しくていいや」
「はい。それで、その小箱なんですけど……」
「ん?」
「どうやって、ペンダントに?」
「町に行くか? 俺でいいなら、形を変えるけど?」
「貴方が? 出来るのですか?」
「俺、鍛冶屋で装飾の修行もしてきたから」
「なら、お願い出来ますか?」
「ああ、任せて」
小箱の性質を確かめ終え、二人は再び岩場へと戻った。
…
小箱のサイズを慎重に計測して、紙に設計図を興す。デザインは、八面体のペンダント。余った小箱の残りは八面体の中に収めるようにする。
イオルクは魔族の宝石の側で小箱を解体し、設計図通りに切り刻み、リュックサックから熱に弱い金属を取り出し、焚き火で金属を溶かして溶接する。
ミリアムは、側でその工程を感心して見ていた。
「手先が器用なのですね」
「言っただろう?」
「騎士とも言っていたので、少し掛け離れたイメージがありました」
「お互い様だな」
イオルクはペンダントの溶接をし終える。
「いい感じだな」
イオルクはペンダントに変わった小箱を魔族の宝石に掛けると、それをミリアムに差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
ミリアムは魔族の宝石を受け取ると、不安が顔に表われた。
「これ……。元に戻るでしょうか……」
「どうだろう?」
「……今から、傷跡に当ててみます」
「分かった」
ミリアムは震えるように、イオルクを見る。
「あの……」
「ん? どうした?」
ミリアムはイオルクの側に近づく。
「怖いのです……。何が起こるか分からないから――そうじゃなくて、何も起きなかったらと思うと怖いのです……」
イオルクは何も言わず、がっしりとミリアムの肩に手を回した。
「これでいいか?」
ミリアムは力強い腕に安心すると、小さく頷く。ペンダントを首に掛け、魔族の宝石と一緒にペンダントを握ると、いよいよ魔族の宝石を傷跡に合わせて当てることになる。
深呼吸をして決心を決め、傷口と宝石の向きを合わせると、ミリアムはゆっくりと魔族の宝石を傷口に押し当てる。
「……何も起きないか?」
「いえ……」
ミリアムの呼吸が荒くなる。
「宝石の魔力の活動と私の脈動が一致し始めてる……」
直に傷痕から血が滴り出した。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫……。宝石が傷痕を掻き毟って、元に戻ろうとしてるだけ……」
「掻き毟るって――」
ミリアムは痛みに耐えながら、イオルクに笑って見せた。その無理に笑った顔を見ると、イオルクはペンダントを握ってないミリアムの左手を自分の左腕に置く。
「無理するな。握ってろ。痛い時は爪を突き立てろ。付き合ってやるから」
「変な人ですね……。痛みを共有したいなんて……」
「そういうんじゃないって」
「そうですか……」
ミリアムの額に汗が滲み、ミリアムの手は何度となくイオルクの腕を握り返し、それから暫くの間、ミリアムは痛みに耐え続けた。
ミリアムは呼吸を荒げ、肩を上下させている。
「熱病にでも掛かったみたい……」
時間は二十分を越えようとしていた。
「まだ終わんないのか? それより、大丈夫なのか?」
「ええ……。少しずつだけど、楽になってきたから……」
「でも、血が止まってないぞ?」
「大丈夫……」
「このまま死なないだろうな?」
「死ねない……」
ミリアムは目を閉じる。
「管理者の思い通りに世界を壊させない……」
「ああ、そんな訳の分からない変な奴のためにくれてやる命なんてない」
「ええ……」
「魔族の世界に戻って、管理者の恐怖が去った時、きっとミリアムの力は必要だ。頑張れ」
「そんな日が来ますかね……」
「最悪、魔族の寿命勝ちってのもあるんじゃないか? 管理者が死んで、ミリアムが生きていれば勝ちだ」
「貴方って人は……」
ミリアムは微笑みながら大きく息を吐く。
「もう、大丈夫……。力が戻ってきている……」
「力?」
「魔法の力……。イオルクと戦った時は、人間の魔法の力ぐらいしか出せなかったから……」
「十分な威力だったぞ? 本来、もっと凄いのか?」
「ええ……。イオルクなんか骨も残らない……」
「恐ろしいな」
「イオルクには向けないから安心して……」
「信じるよ」
「ええ……」
ミリアムの呼吸が落ち着いてきた。呼吸のリズムは、いつの間にか静かな寝息に変わっていた。
イオルクは、安堵の息を漏らすと、岩場の隠れ家にある毛布を丸めて枕を作り、ミリアムを横にして頭を置く。
「お疲れさん」
イオルクは岩場の入り口の方に目を向ける。
「もう日が落ちる……。今度は寒くなるのか……」
砂漠は夜を迎えようとしていた。
…
日が落ち、闇の中の砂漠――。
昼間熱せられた砂は急激に冷え出し、今では少し寒いぐらいだ。
イオルクは困り顔で呟く。
「ミリアムは、どうやって夜を過ごしていたんだろうか?」
そろそろ暖を取るために火でも熾したいのだが、当の本人は疲れて眠っている。
「というか、寝ている時って体温調節できないんじゃなかったっけ? 山で寝るなって言うのは、凍死しないためとかって聞いたことがある。このまま放置して、寝かしておいていいのか?」
(何か拙い気がする……)
イオルクは寝息を立てるミリアムの頬を指で突っつく。
「お~い、起きてくれ~」
しかし、ミリアムは起きない。
「困ったなぁ」
イオルクがミリアムの鼻を摘まむと、ミリアムの寝息が苦しそうに口での呼吸に変わった。
「まだ起きないか……」
今度は、口も塞ぐ。三秒後、ミリアムは上半身を勢いよく起こした。
「起きたか?」
ミリアムのグーが、イオルクに炸裂した。
「何をするのですか!」
「暖を取りたいんだけど、どうすればいい?」
「……もっと、普通に起こせないのですか?」
「熟睡してるようだったからさ。俺は、自分の都合があるし」
「貴方ねぇ……」
ミリアムは、がっくりと項垂れた。
「で、ミリアムは砂漠の夜をどうしているんだ?」
「毛布に包まって、朝が来るのを待っています」
「それだけ?」
「十分です。魔族の世界は砂漠がほとんどですから、多少の暑さや寒さは平気です。慣れています」
「凄いな。でも、俺、我慢できないから温まりたいんだけど」
イオルクの自己主張に、ミリアムは溜息を吐く。
「贅沢な人ですね……。でも、今日は、そうしたいかもしれません……。体力が落ちたのか、いつも以上に寒く感じます……」
「何か燃やすものあるか?」
「いいえ。こんな密閉されたところで火を焚けば、酸欠になりかねません」
「そうか……」
イオルクはリュックサックを引っ張ると中を漁る。毛布と着替えを何枚か取り出し、ミリアムに着替えを渡す。
「重ね着しときな」
「ありがとう……」
ミリアムはイオルクの着替えを受け取ると、自分の服に目を落として血で汚れているのに気付いた。
「服も替えないと……」
もぞもぞと動いて、ミリアムは自分の替えの服を取り出す。
「洗濯したばっかりだったのに……」
ミリアムは、イオルクを睨む。
「あっちを向いてください」
「うん」
イオルクがミリアムを背に向きを変えると、ミリアムはゴソゴソと服を替え始めた。
「洗濯って、どうしてるんだ?」
「ここから暫く行ったところにオアシスがあるので、そこを使っています」
「そんなものがあったんだ?」
「あまり使われていないみたいです。ここを通る人は最短で砂漠を抜ける道を選ぶので、オアシスを利用しないのでしょう」
「そうだな。俺も、その類の人間だ」
「もういいですよ」
ミリアムが着替え終わると、オルクが振り向く。
「ダブダブだな」
「貴方が大き過ぎるのです」
「それで、毛布に包まれば平気か?」
「ええ、大分温かい」
ミリアムは枕にしていた毛布を広げて自分を包む。
「隣に来ませんか? もう少し温かくなりますよ?」
「そうする」
イオルクがミリアムの隣に移動して座り直す。肩が触れ合う距離で、お互い少し温かさが増す。
「不思議な気分です。嫌悪した人間の側に居るなんて」
「俺も凶悪だって思ってた魔族の隣に居るのが不思議だ」
「凶悪……ですか」
「そう伝わっていたからね」
「でも、仕方がないことです。三番目に殺された風の国の王は、人間を恨み、絶命する一年前に再び力を蓄えて、こっちの世界に進出したと言いますから」
「人間を恨んだのか? 管理者じゃなくて?」
「管理者も人間だったという話です。耳が尖っていなかったという風に聞いています」
「それで、人間を恨んだんだ……」
「はい。そして、それ以外にも数多くの厄災を残したと聞いています」
「何それ?」
「魔具と呼ばれるものです」
「魔具?」
「人に災いを齎すものとしか言いようがありません。持っているだけで体力が衰えたりするアイテムなどです。分かりますか?」
「呪いというヤツなのかな? 実際、見たこともないけど」
「何百年も前ですから、今は残っていないでしょう。それに人間の世界に進出した風の国の王の詳細は、魔族には分かりません」
「ふ~ん……。伝説の武器も魔具とかになるのかな?」
「魔族の宝石からエネルギーを取り出して魔法を使うと聞いていますから、同じ原理を使ってところがあるのかもしれません」
「そうか……。話変わるけどさ。意外と普通に会話が成立するんだな?」
「そうですね。少し意外です」
「ミリアムって変わり者なんじゃないか? 人間相手に会話するなんて」
「私は信頼しているからです。宝石を返してくれたでしょう? おかしいのは、貴方なのでは? 襲って来た盗賊を魔族だと信じて、聞いた話でしかない私を信じたのですから」
「そうだな……。俺、何で、信頼したんだ?」
「私が聞きたいです」
「エンディに頼まれたからじゃないか?」
「何故、疑問系で私に確認するのです……」
「多分、エンディだ。エンディとは街を一緒に復興させて、それなりに知り合いだからだな。だから、エンディの言っていた魔族を信じたんだよ」
「理由が後付けされたとしか思えない会話です」
「気にするな」
(気になる……)
ミリアムは溜息を吐くと、話題を変える。
「少しお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「いいよ」
「体の調子が戻るまで、もう少し掛かりそうなのです。その間、ここに留まってくれませんか?」
「簡単に言うと、水汲んできたり、世話とかしろと?」
「言い方は悪いですけど、率直に言いますと……」
「別に構わなよ。リュックの中には食料も多めにあるから、二人で二、三日ぐらい持つと思うし」
「助かります」
「俺は急ぎじゃないからね。気にしないで」
「そうなのですか?」
「国外追放の帰り道。緊急の呼び出しじゃないから平気」
「時間を取らせてしまうので安心しました」
「安心したなら、よかったよ」
ミリアムは肩の力を抜く。
「また眠くなってきました……」
「横になるか?」
「はい……」
ミリアムは、イオルクの側で横になった。
「寒いから、貴方も横になってくれませんか?」
「結構、我が侭だね?」
イオルクは仕方なくミリアムの横に寝転ぶと、ミリアムはイオルクに体を寄せた。
「父と母が亡くなって、温もりを感じるのは初めてです」
「俺は、そんなことないけどな」
「どうしてですか?」
「人間には娼館という――」
ミリアムのグーが、イオルクに炸裂した。
「最低です!」
「いいじゃないか……。俺は、そこらの男と同じでスケベなんだから……」
「そういう話をする雰囲気でしたか!」
「仮にも女王様に向かって、ねぇ」
「分かっているのではないですか!」
イオルクは笑っている。
「まったく!」
ミリアムはフンと鼻を鳴らした。
「……だけど、冗談を聞くのも久しぶりでした」
「今度は、ミリアムが言ってみなよ」
「言ったことありませんよ」
「軽く嘘を入れたり、思っていることと反対のことを入れたり、関係のない話を混ぜるのがポイントだ」
「役に立ちそうにありませんね」
ミリアムは、一言漏らすと目を閉じる。そして、暫くすると寝息を立て始めた。
「目を閉じれば寝れるんだ……。それだけ、疲れてるんだよな。ごめんね」
イオルクは自分の分の毛布をミリアムと自分を包むように掛けると、目を閉じる。寝るにしては早過ぎる時間だったが、ミリアムの寝息のリズムに誘われて、イオルクもやがて眠りに落ちていった。