翌朝――。
ミリアムは朝早く目を覚ました。胸の魔族の宝石に体中の器官が連動しているような感覚を覚える。
「懐かしい……。そして、思い出した……」
ミリアムは胸の宝石に右手を当てる。
(これが私だった……)
そして、何気なく体を起こそうとした瞬間、体中に激痛が走り、ミリアムは力を込めるのを中断する。
「久しぶりの魔法の力のせいですか……」
これは正座してから立ち上がった時の痺れと同じ様なものだと、ミリアムは判断する。しかし、流れる力が強いせいか、動かそうとすると、体は激痛という反応を返し続ける。
視線を横に移せば、昨日の変な人間。自分が枕にしていたのは、その変な人間の腕だった。
「こんな格好で寝ていたでしょうか?」
ミリアムは思い出す。
(腕はなかったはず……。そもそも、私が頭を起こさないと腕は下に来ない……。私が枕にした?)
イオルクを見る。
「もう少し密着した方がいいでしょうか……」
ミリアムは頭を振る。
(何を考えているの! とりあえず、起きましょう……)
しかし、体を起こそうとすると再び体中を激痛が走った。
「どうしよう……」
視線をイオルクに戻すと、イオルクはニカッと笑う。
「……何の笑顔ですか?」
「無様に何かしようとしていた魔族の女王様を嘲笑ってた」
ミリアムがグーを炸裂させようと拳を振り上げる。
「ぐ……!」
(早い動きと力を込める動きは、まだ無理……)
ミリアムの頭の後ろから腕を抜いて、イオルクは起き上がる。
「どうやら、体中が言うことを聞かないみたいだな?」
「そうなのです……」
「ここで擽りの刑とか執行したら面白いだろうな」
「やめてください!」
イオルクがニヤリと笑うと、ミリアムは少し顔を引き攣らせ恐怖する。
そして、イオルクの手が伸びる。
「キャーッ!」
「冗談だよ」
イオルクはミリアムの背中の後ろに手を添えると、ゆっくりと起き上がらせた。
「冗談で言っていい嘘と悪い嘘があると思います!」
「今のは、いい嘘だろう?」
笑っているイオルクを見て、ミリアムは子供のような笑顔の人間だと思った。
「何か食べるか?」
「……はい、少し早いですけど」
「じゃあ、準備するよ」
イオルクが立ち上がろうとすると、ミリアムがイオルクの袖を掴んだ。
「ん?」
「その……」
「何?」
「ト、トイレに行き……たいのですけど」
「え?」
「…………」
沈黙する場。
「俺がさせるのか?」
「そんなわけないでしょう! そ、外に連れて行ってください!」
「で?」
「その、だから! 用が済めば自力で戻って来ますから!」
「体痛そうだけど?」
「乙女のプライドに勝るものはありません!」
「そうか?」
イオルクはミリアムを外まで腕に抱える。その後、散々注意を言われた後に岩場まで戻り、朝食の用意を始めた。
…
岩場のアジト前――。
イオルクは、鍋に水を張って火を熾す。そして、味噌と粉のスープの素と干し肉を加えてお玉で掻き混ぜる。
「こんなもんでいいよな」
十分後、痛みに耐えながら歩いて来たミリアムが姿を現わす。
「呼んでくれれば迎えに行ったのに」
「呼べるか!」
イオルクは立ち上がると手を貸す。
「ほら、朝食はここで食べよう」
「ありがとうございます……。何で、人を労わることが出来るのにデリカシーがないのですか?」
「前に会った子も、そう言ってたよ」
イオルクは手頃な石にミリアムを座らせると、用意していた器にスープを盛る。
「簡単な、お手軽料理。多分、もう食べれるよ」
「いただきます」
ミリアムはイオルクから器とスプーンを受け取ると、イオルクが座るのを待つ。イオルクも自分の分をよそうと、ミリアムの隣に腰掛ける。
「「いただきます」」
二人はスープを啜る。
「俺の味付けに合わせているから、味が濃いかもしれない。大丈夫か?」
「丁度いいです」
「よかった。おかわりあるから」
「ええ……」
ミリアムがスープを啜るイオルクを見続けていると、イオルクは視線に気付く。
「どうした?」
「人間というのは、こんなにも親切なのですか?」
「エルフもだけど? それは育った環境によるんじゃないの? 人間の中には、お尋ね者になって賞金首掛けられてるのも居るし」
「では、イオルクだから?」
「運が良かったな。ドラゴンチェストで会ったのがエンディで、砂漠で会ったのが俺じゃなかったら――」
「なかったら?」
「――まあ、俺でなくても大丈夫か」
ミリアムは、ガクッと片方の肩を落とした。
「貴方は、どういう人なのですか?」
「人間の中じゃ、変わり者だろうね」
「そうでしょうね」
ミリアムはスープを啜る。
「ミリアムは女王様だったんだろう? 大変なのか?」
「なりたくてなったわけではありません。でも、少しでも秩序を作ろうと努力をしました。農地や牧場地での争いを禁止したり、なるべく皆に平等に食べ物がいくようにしたりとか……」
「ふ~ん……。魔族の世界って、こっちの世界みたいに豊かな土地と砂漠が逆転すれば問題解決しそうだな?」
「解決……するかもしれませんね」
「あれ? でも、ミリアムが居なくなったら、誰が治めてるんだ?」
「今、私の治めていた土地に魔族の王は居ないので、秩序が乱れているでしょうね。また強い者が豊かな土地を巡って、争いが起きているはずです」
「この裏で?」
「はい。他の四つの土地は、争いが終わった後です」
「ふ~ん……。こっちの世界はドラゴンレッグから軍隊が攻めて来て、争いが起きたり起きなかったりだな。宣戦布告もなしに、いきなりやって来て戦うんだ。ノース・ドラゴンヘッドの騎士は、各国からの要請で撃退に向かう。俺も、何回も戦ったよ」
「何処に行っても戦いですね……」
「そうだな」
イオルクもミリアムも種族が違うだけで、やっていることは同じと感じる。結局、戦うことになるのだ。
「ただ土地がある分、こっちの方が随分とマシだけどな。ミリアムは、こっちで暮らすのか?」
「いいえ、戻るつもりです。隠れ住むのは変わりありませんが、次の核を持つ者が現われた時に備えます」
「核を奪いに来た者と戦うのか?」
「その通りです。例え土地が貧しくても、あそこは故郷ですから」
「そうか……。で、どうやって戻るんだ?」
「管理者の魔法を使います」
「知っているのか?」
「ええ、それを使って連れて来られたのですから。ただし、権限が掛かっているので、少々乱暴な使い方をしますが」
「権限?」
「管理者の魔法は少し特殊なのです」
「特殊?」
ミリアムが頷く。
「私は人間よりも魔法に対して感覚が鋭いのですが、あれは魔力を使わない魔法なのです」
「は?」
「呪文によって機動を掛けるのは人間の魔法と変わりません。しかし、違いがあるところが二つあります。一つは、管理者しか使えないこと。もう一つは、発動しているのが別の場所の何かということ」
「難しいな……。一つずつ説明して貰っていいか?」
「ええ。管理者の権限というのは、呪文によって機動が掛かった時に使用許可が下りているか下りていないかです。管理者ではない限り、魔法が発動しません。二つ目、魔力自体が体を通さずに体の外で発動します。つまり、管理者の魔法に関しては権限だけが重要で、資質によるレベルというものは関与しません」
「確かに特殊だな。……そういえば、クリスも、そんなことを言ってたな。アイツは、それを利用して呪文を分解して使っていたから」
「呪文を分解?」
「どうも、呪文を使うと何らかのサポートが働くみたいで、機動とか待機状態とか発動を感じ取って、分解して使っていたんだ」
人間の中でも魔族やエルフに近い感覚を持つ者に、ミリアムは感心する。
「人間の中にも感覚の鋭い人が居るみたいですね」
「アイツは才能がある奴だったからな。と、クリスは置いといて……。大体、分かったよ。あとは、最初の乱暴な使い方っていうのを教えてくれるか?」
「はい。呪文による機動が掛かるというのは分かりましたよね?」
「ああ」
「魔法は起動しているのです。だから、権限確認の発動待機状態の時に無理やり魔力を流し込んでロックを抉じ開けて発動します」
イオルクが右手で頬を掻く。
「……そんなこと出来るのか?」
「魔力量の高い者なら恐らく。管理者の魔法を見て、そう感じました。だから、私が元の世界に戻るために、この胸の宝石は必要不可欠なのです」
「そういう理由もあったのか……」
「呪文は、しっかり頭に記憶してあります。そして、その魔法というのは、黒い獣の話していた内容から、この世界と私の世界の立ち位置を変える魔法と分かっています」
「さすが女王様。ただでは捕まってやらないな」
「その魔法だけが魔族の世界に帰る希望ですからね」
ミリアムの話を聞いたイオルクは、あることを思い付く。
「なあ、その魔法の呪文……教えてくれないか?」
「何故ですか?」
「さっきのクリス、管理者の魔法を研究しようとしている」
「何のために?」
「言っただろう? 俺の国でもおかしなことが起きて、俺達は違和感を抱いている。何かが起きた時に、何かをするための保険というか事前対策のためだって」
「そうでしたね……。何か起きた時に、貴方達に何か出来ることがある方がいいかもしれない。言葉にすると発動しますから、紙に呪文を記します。そして、知っている限りのメモも付け加えておきます」
「メモ?」
「先ほど言っていた発動のタイミングなどです。貴方の知り合いの感覚なら、私の表現で理解できるはずです」
「助かるよ」
「本当に、何かの役に立てばいいのですがね……」
「そうだな。ただ、何か起きた時、俺達が爺さんの可能性もあるから、こっそりと秘伝にしないとな」
「ええ、このささやかな抵抗を管理者に知られたくはありませんね」
イオルクはスープを飲み干して立ち上がると、リュックサックの中から紙とペンを取りに岩場のアジトに入って行った。
「管理者以外にも動き出している気がする。だけど、こっちは小さな可能性であり、小さな力……。それでも私の心は、何かに抗いたいと思っている」
ミリアムは、ただの気まぐれなのかもしれないと思いつつも、イオルクに協力することにした。そして、メモを書き終えると、二人は残りのスープで朝食を再開した。
…
岩場のアジト――。
ミリアムの体の調子は、時間が経つにつれて良くなってきた。激痛だった痛みも筋肉痛程度に変わった。
「いい感じです」
ミリアムが指をパチンと弾くと、炎が上がった。
「凄いな。今、軽くって感じじゃなかったか?」
「はい」
「じゃあ、今日にでも戻るのか?」
「……そうですね」
ミリアムは少し目を伏せた。
「どうした?」
「貴方と居るのは楽しかったので……」
「俺と? 怒ってばっかだったじゃないか?」
「それも楽しかったのです。貴方は自由でした」
「自由……」
イオルクは嬉しそうに微笑んだ。
「それ、最高の褒め言葉だよ。自由っていうのに、一番憧れたのは俺だったからさ」
「自由に憧れた?」
「こんな俺にも切っ掛けとなる大事な思い出があるのですよ」
「興味がありますね」
イオルクは、ただ笑っている。
そんなイオルクを見ながら、ミリアムは少し口を強く結ぶ。
「イオルク」
「ん?」
「私と一緒に行きませんか?」
「……は? 何処に?」
「私と一緒に魔族の世界に」
「どうしたのさ?」
「……貴方と一緒に居たいのです」
イオルクはチョコチョコと頬を掻く。
「え~と……。それは恋でもしちゃったのか?」
「……そうなのでしょうか?」
「俺に聞かれても……」
「…………」
イオルクは右手を前に出して静止する。
「魔族の女王様が、どうしたのさ? 俺なんて力を取り戻した女王様から見れば、取るに足らない存在だろう? 価値も激減」
「どうしてでしょうね……。失礼で冗談ばっかり言っているのに……」
「だろう?」
「でも、とても優しくて……」
「優しいか?」
「そういう人が居なかったのです。私の周りには戦いがあっただけ。ようやく戦いから離れれば、今度は国を治めることになっていた。周りは大臣ばっかりでした。そして、こっちの世界に連れて来られて胸の宝石を抜き取られた。……そのあと――」
「そこからはいいよ。もう分かっているから」
ミリアムは胸に両手を置き、イオルクを見詰める。
「……貴方の自由さが魅力的なのです。その自由さが楽しかったのです」
「だから、俺を側に置きたい?」
「そういうことだと思います」
イオルクは頭を掻く。
「一緒に居てあげてもいいんだけど……。だったら、俺の側に居てくれよ」
「それは出来ません。理由も言ったでしょう?」
「じゃあ、無理だよ」
「……そうですか」
俯くミリアムに、イオルクは声を掛ける。
「あのさ」
「……はい」
「ミリアムが自由になればいいんじゃないか? 少なからず、俺に羨む要素があるんだろう?」
「貴方のようになれると? 私に出来ますか?」
「出来るんじゃないか? こう見えても、俺は敬語を使ってた人間だからな」
「それも冗談ですか?」
「……恥ずかしながら事実だよ」
「信じられませんね」
「でも、実に魅力的だろう?」
ミリアムは微笑んで頷く。
「イオルクを連れて行くのは諦めて、自分で自由というものを考えてみます」
「そうしてみなよ」
「では、別のお願いを聞いてくれますか?」
「叶えられるならね」
「私を抱いてくれませんか?」
イオルクが吹いた。
「どうしちゃったのさ? さっきから、俺を連れて行きたいだの……」
「今度のは違います。私の我が侭だけではありません。……帰る前だから、心の傷を埋めておきたいのです……」
「それって、ヒルゲのことか?」
「貴方と居る間は、傷が埋まっていた気がしたのです」
「ミリアム……」
「女王などという地位に居ますが、本当は弱い女なのです」
「だから、抱かれるって……。そんなので、傷は埋まらないよ」
「それでも……。あんなのが初めてなんて思いたくない……」
「はじ――」
イオルクは溜息を吐く。実は、ミリアムの気持ちは少なからず分かる。娼館に通っていたイオルクは、そういう子と話したこともある。また、それはエルフのケーシーとエスが受けた傷でもあった。
「何で、俺の知り合いには、こういう子が多いのか……」
「え?」
「こっちのこと……。で、はっきりと宣言しとく」
「はい」
「ミリアムの言ってる、それは初めてじゃない」
「では……?」
「理由なら簡単だ。自分だけでなくて相手の気持ちもあって初めてだからだ」
ミリアムが首を傾げる。
「何ですか? それは?」
「本当のそれは、自分も相手も気持ちを分け合うもんなんだよ」
「つまり……?」
「ミリアムが納得しなければ初めてではない。そして――」
「そして?」
「――ヒルゲは下手だってことだ。独りよがりのあれに何の意味がるんだ? 相手の気持ちも支配できるようにコントロールしてこそのあれだろう? 俺のテクニックは、もっと凄いぞ」
「貴方は、こういう話の時も馬鹿なままなのですね……」
「褒めるなよ」
「褒めていません」
イオルクはミリアムの肩に手を置く。
「美人相手に拒まない」
「普通、もう少し違う雰囲気になりませんか?」
「男として、そこで欲情しない方が失礼だと思う。やってみる?」
「この人は……。でも、御願いします。傷を癒してください」
ミリアムはイオルクに体を預けると、イオルクに向かって指を立てた。
「出来れば子種も貰えますか? 私は逞しい息子が欲しいので、貴方みたいな体格の子が欲しいのです」
「……結構、ミリアムも変な性格してるよね?」
「そうですか?」
「雰囲気うんぬん言ってた奴が、そういう要求するかね?」
「条件が揃っているのに、何か一回分損した気になりませんか?」
「それは何の損なんだ……」
「だって、子作りも兼ねるのでしょう?」
イオルクは、何処かズレていると溜息を吐く。
「異種族間で妊娠なんてするのか?」
「分かりません」
「そもそも一回で妊娠するのか?」
「そこは運かと」
「適当だな……」
「一応、計画性はあるかと」
(そうだろうか?)
「っていうか、それでいいのか? 俺は結婚する気も家族作る気もないんだけど」
「それはそうでしょう。私達は別の世界で生きていくのですから」
「父親は要らないから、子供だけが欲しいのか……。まあ、いっか……」
イオルクがミリアムを抱き寄せると、ミリアムはモジモジとしてイオルクに目を向ける。
「……あの、優しくしてくださいね」
「分かった。一回目は、そうする」
「何回する気なのですか?」
魔族の女王と人間……。奇妙な縁で交わってしまった二人……。
その日、砂漠で前代未聞の出来事が起きたことを世界は知らない。そして、その夜、魔族の女王と人間は、それぞれの居場所に戻ることになる。
…
その別れ際――。
管理者の魔法が強制的に機動して魔力が輝く中で、ミリアムからイオルクに話し掛けた。
「イオルク、確かに貴方が私の初めての人です。貴方の気持ちと私の気持ちを分け合えた気がします。……少しだけ感謝しています」
「それぐらいが丁度いい」
「そして、忠告です」
「ん?」
「近々、もう一回、トラブルに巻き込まれると思いますよ」
「は?」
「女難の相が出ています」
「へ?」
「では」
「ちょっ! 何、その不安だけ残すような助言は⁉」
ミリアムは笑いながら、イオルクに手を振る。これが二人の別れだった。
イオルクは溜息を吐きながらも、冗談を言えるようになったミリアムに微笑むと、砂漠を抜ける準備に入った。