逃避行開始から十二日目の深夜――。
イオルク達は、ようやく目的地の移民の町に辿り着いた。
途中の町に寄らずの旅のせいで、装備品や生活用品も必要最小限で、イオルク達の身なりは汚れていた。
「お風呂に入りたいです……」
「何回か水浴びはしてたけどね……。俺は髭を剃りたい……」
移民の町は、木の柵で防壁を造っただけの簡素なもの。途中で見た魔法特区の石壁とは大きな違いだ。ここは王都から一番離れた町であるため、重要性も低く襲われることも少ないので十分ではある。
イオルクが木製の大きな門を叩くと、中から王都より派遣された騎士が顔を見せた。皮の鎧を身につけているので見習いの騎士である。
「どうした?」
「ドラゴンチェストからの新しい移民を連れて来たんだけど、受け入れて貰えないか?」
「ドラゴンチェスト? こんな夜遅くに着いたのか?」
「え~と……。地図を見間違えて到着時間を間違えて……」
王妃の身分を隠すことと到着の日にちを少しでも誤魔化せるように、イオルクは嘘をついた。
「間抜けな奴だな」
「よく言われるよ」
「少し待て」
派遣される騎士が駐屯している、移民の町の宿舎に見習いの騎士が戻り、暫くして名簿を持って戻る。
「この町は、来る者拒まずって感じでな。つい先月も、二人増えたばかりだ」
「じゃあ、今日から二人増えても大丈夫かな?」
「ああ、何が出来る?」
「出来る? どういうこと?」
「まだまだ発展するからな。職を聞いて、適所で働いて貰うんだ。ちゃんと賃金を払う制度まで立ち上げるのも大変だったんだぞ」
(さすがユニス様にジェム兄さんだ。町の発展の形が出来ている)
イオルクはニーナに振り返る。
「何か出来ることはあるか?」
「…………」
ニーナがイオルクを手招きすると、イオルクは疑問符を浮かべてニーナに近づく。
「私、魔法を使う以外に才能がありません。召し使いが居たので、家事洗濯なども人並み以下です」
「困ったな……」
イオルクが見習い騎士に話し掛ける。
「少し世間知らずの子で、一から教えてくれる仕事がいいんだけど」
「一からか? う~ん……」
見習い騎士は考え込むと、暫くして何かを思い出す。
「字の読み書きは出来るか?」
「出来ます!」
ニーナは強く返事を返した。
「教養もあるなら、学校の先生をしてみないか? ドラゴンチェストの移民の中には文字を書けない者も少なくないのだ。今、子供も増えてきている。ユニス様は、次の世代から――もしくは、やる気のある者には教養も身につけさせるべきだと仰られた。そっちの方の人材を増やしたいのだ」
「是非、やらせてください!」
「じゃあ、頼もう」
見習いの騎士は、名簿に今日の日付を記してニーナに渡す。
「これに名前と職業を記して」
ニーナは、名簿を見詰め――
(これに名前だけを記せば、ただの平民に……。それでも、ノエリアのためなら……)
――苗字を省き、自分の名前と赤ん坊の名前を記した。
「紹介は?」
イオルクがニーナの横から自分の名前をフルネームで書き込んだ。
「俺だよ」
「イオルク・ブラドナー……!」
見習いの騎士がイオルクを見ると、顔つきが変わった。
「帰っていたのですか?」
「俺のこと、知ってるのか?」
名簿を捲り、最初のページを見せる。
「移民達の紹介は、あなたの名前です」
「それでか」
見習いの騎士は緊張した様子で姿勢を正すと、再度イオルクに話し掛ける。
「あなたの伝説は、よく知ってます」
「伝説って……。悪い方だろう?」
「それもありますが、先輩に色々聞いています」
「先輩?」
「一緒に見習いをしていた方々です」
イオルクの頭には、かつて戦場で戦った仲間の顔が過ぎった。
「ああ……。十年もすれば、皆、立派な騎士だもんな。でも、伝説ってのは大げさだよ」
「しかし、見習いでの活躍や暗殺者を退けた話など――」
「話には尾ひれが付くもんだよ」
「そうなのですか?」
「そういうもんだよ。実際、十年間追放になってるんだから」
イオルクは苦笑いを浮かべていた。
「……あまり、お好きな話ではないようですね?」
「ごめんな」
「いえ、気持ちも考えずに……」
「気にしないで。気持ちを汲んでくれて、ありがとう。……ところで、宿屋あるかな? 長旅で、ゆっくりしたいんだ」
「ありますよ。よろしければ、宿舎も利用できますが?」
「特別扱いは良くない。ちゃんとお金を払うよ」
「分かりました。案内します」
イオルク達を町の中に通すと、見習いの騎士は宿屋まで案内してくれた。
「すみません。最初の無礼な振る舞いは許してください」
「最初のままの態度でよかったのに」
「勘弁してください」
見習いの騎士は笑いながら頭を下げると、宿舎に戻って行った。
ニーナがイオルクに声を掛ける。
「御偉い騎士なのですね?」
「違うよ。後輩が先輩を立ててくれただけ」
「照れなくてもいいのに」
「違うって……。ほら、宿に行こう」
「はい」
イオルクとニーナは宿に向かって歩き出す。
「そうだ……。この時間だと、お湯はないかな?」
「残念ですね」
「宿の主人に聞くだけ聞いてみようか?」
イオルク達は宿の中に入ると、交渉の末、別料金で風呂を沸かし直して貰えるとのことだった。長旅の疲れを癒すため、イオルクは、その条件を少し高めでも受け入れた。
…
翌朝――。
宿の中で、イオルクはリュックサックの中身を確認していた。約二週間の旅で補充は一切なし、着替えの洗濯も川での手洗いのみ。
「洗剤とか使って、しっかり洗いたいな……。剃刀も研ぎ直して、不精髭も綺麗に剃りたいし……」
ガシガシと頭を掻く。
「一日、ゆっくりするか」
イオルクがリュックサックの中を仕分けして整理していると、誰かが部屋をノックする。イオルクは、多分、ニーナか昨日の見習い騎士だろうと部屋の扉を開ける。
「おはようございます、イオルク」
「ニーナか。どうしたの?」
「その、少し重要な御話が……」
「ん?」
イオルクは疑問符を浮かべながら、ニーナを部屋に入れる。
「先ほど、昨日の騎士さんが部屋を訪ねて来て、御仕事を紹介して貰いました。そして、長屋の一室を分けて頂くことになったのですが……。生活用具とお金が一切なく……」
「ああ……。そうだよね」
「幾らか、お金を貸して貰えないでしょうか?」
「いいよ」
「助かります」
ニーナは安堵の息を吐いた。
イオルクは自分も不足品があるのを思い出すと、ニーナに改めて話し掛ける。
「あとで、町を回らないか? 生活用品の補充とかをしたいんだ。その時、服とかも新調しなよ」
「イオルクは、お金に余裕があるのですか?」
「生活に困らない程度にはね」
(多分、オリハルコンを錬成する時の燃料になる赤火石が大量に必要になるから、無駄遣いは出来ないけど……。残り約二百万G……。鍛冶屋しながら稼げば、何とかなるだろうか?)
イオルクは少し考えたが、今はニーナを優先することにした。
「私物の整理をして、整備できるものは整備してしまうから、一時間――いや、二時間後にどうかな?」
「分かりました」
「赤ん坊に必要なものもあるかもしれないから、先にお金を少し渡しておくよ」
「すみません」
ニーナが頭を下げると、イオルクはリュックサックの中からお金を取り出してニーナに手渡した。
「イオルク……。貴方の好意に感謝します」
「余裕がある時だけだよ。俺だって、明日、食べるものがないほど困窮してたら、ニーナには親切に出来ないよ」
「そうでしょうか?」
「ああ」
ニーナは深く頭を下げる。
「それでも感謝しています。ありがとうございます」
イオルクは少し照れると、話を続ける。
「これから辛い日々が続くかもしれないんだ。今のうちに取れるものは取っておきなよ」
「いいえ、必ず返します」
「頑固だねぇ……」
「人として真っ当に生きたいだけです」
「そうなの?」
「ええ」
ニーナの真っ直ぐな視線に納得させられると、イオルクは扉を指差す。
「そろそろ行った方がいい。赤ん坊が待っているんだろう?」
「そうでした。失礼します」
ニーナが部屋を出て行くと、イオルクはリュックサックの中身の整理を再開する。
「もう少し気を遣ってあげるべきかな? ご主人を殺されて、国を逃げるように出たんだから……」
イオルクは首を振る。
「これから生きていくのはニーナだ。これ以上は面倒を見切れない。どこかで区切りをつけないと。……それに平民の暮らしも楽しいもんだ。ニーナが日々の生活から、楽しみや自由を見つけられれば変われるはずだ」
イオルクは自分に言い聞かせるように呟き、頷いて、今度は自分自身に納得させる。そして、必要な物資をメモに書き終えると、刃物類を研ぎ始めた。
…
髭を剃って、さっぱりしたイオルクと赤ん坊を抱いたニーナが移民の町の中を歩く。
真新しい家と徐々に増え始めた店。そして、まだまだ足りない供給。移民の町は、町としては中途半端な状態だった。
「だけど、活気がある」
イオルクは少し嬉しそうに見回す。
「どうしたのですか?」
「思い入れのある人達なんだ……。頑張ってる姿が嬉しい……」
「不思議な言い方ですね?」
「ここの人達は、頑張ることが報われない場所から移民して来た人が、ほとんどなんだ。だけど、今は違うから……。頑張っているから……」
ニーナも周りを見回す。
「確かに少し活気が違うかもしれない……。何と言うか、自分達の成果を喜んでいる――そういう感じがします」
移民の町は、町と言っても名ばかりなところが多い。
ニーナが、どう思っているか、イオルクは少し心配だった。
「上手くやっていけそう?」
「私も厳密に言えば、移民で新しいことをする身ですから、やる気が出ます」
「よかった」
思いの他、ニーナは落ち込んでいる様子はなく、寧ろ新しい生活に興味を示しているようにも見えた。
そして、それにイオルクが安心したところで、二人の会話は終わる。小さな町のため、目的の店の一つに直ぐに辿り着いてしまった。
イオルク達は衣類を売っている店へと入る。
「さあ、選んで」
「すみません。なるべく安いのを選びます」
「そう?」
(遠慮してんのか)
イオルクは少し遠慮がちに品物を選んでいるニーナを凝視すると、女性者の服類を何着か適当に見繕う。それを買い物籠に入れ、今度は自分の分の着替えを選び始めた。
…
十分後――。
ニーナが服を選んで来ると、イオルクは自分の買い物籠に入れるように指示する。そして、一つに纏めた買い物籠を店の女主人である、おばさんのところまで持って行き、会計をして貰う。
すると、おばさんは会計をしながら、ニーナにぼやく。
「あんた、随分と際どい下着を選ぶんだね?」
「は? 際どい?」
ニーナが首を傾げて、おばさんの持つ下着を見る。
「ちょっ――こんな……! 選んでないです!」
「俺が選んだ」
ニーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「何、勝手に選んでいるのですか!」
「いや、遠慮がちにしてたから、俺の趣味で……」
「貴方の趣味なのですか⁉ あんな紐みたいなものが⁉」
「似合うと思うぞ? こう見えて、服の上から女のスリーサイズを見極める目は卓越しているんだ」
「変態だったのですか⁉」
「人より少しスケベなだけだよ」
ニーナが項垂れる。
「最悪です……」
「その分は、俺の奢りだから」
「要りません! だったら、別のものを選び直します! それと、下着類は絶対に見ないでください!」
ニーナは買い物籠を漁り、過激な下着を掴むと元の場所に返しに行った。
イオルクは頬を掻く。
「ちゃんと返しに行けるってことは、しっかり見てたんじゃないか」
「あんた、あれは良くないって……」
「しっかり売ってるくせに」
「そういう趣味の人が居るから需要があるだけだよ。そして、連れの前で、堂々と買う馬鹿は居ないよ」
店のおばさんは、イオルクに呆れていた。
…
衣類の買い物を終え、イオルク達は生活用品も補充し終える。宿に戻って荷物を纏めると、ニーナと赤ん坊とは、ここで別れることになる。
イオルク達は見習いの騎士の居た宿舎に、最後の挨拶をしに行く。
「少し世間知らずだから、助けてあげてくれな」
「分かりました」
見習いの騎士が約束してくれたことで、イオルクは安心して移民の町を離れることが出来る。
そして、ニーナに向き直る。
「しっかりな」
「最後に恥を掻かされましたが、ありがとうございました」
「はは……」
イオルクが残った旅の資金の入った袋をニーナに渡す。
「これ、約束のもの。俺はハンターの営業所のある町まで戻ってお金を補充するから、自由に使って」
「必ず返します」
ニーナはイオルクからお金を受け取ると、感謝して頭を下げた。
イオルクは返さなくてもいいとも思ったが、気長に待つことにした。ニーナの言った『人として真っ当に生きたい』という言葉は正しいことだと思ったし、情けを掛けることが逆に傷つけることになるとも感じたからだ。
イオルクは、再び見習いの騎士に話し掛ける。
「ここがノース・ドラゴンヘッドの一番東の町だよね?」
「はい」
イオルクは、東に聳える山を指差す。
「じゃあ、この更に東にある山には、誰も住んで居ないのか?」
「はい」
「そうか……。あそこの山ごと土地を買ったら幾らになるかな?」
「値段ですか? 値段がつくんですかね? 人の往来のない最も東の場所ですから、住み難いんじゃないんですか?」
「ふ~ん……。申請出してみようかな?」
「住むんですか⁉」
「少しゆっくりしたいし……。物が必要な時にここまで来れれば、ニーナを気に掛けれるから、丁度いい」
「止めはしませんが……」
「一番の理由が、王都まで戻るのが面倒臭いって理由だったりもするけど」
見習いの騎士は首を傾げた。
「この一つ前の町には、ハンターの営業所があったよな?」
「はい。でも、土地の買い取りの申請もですよね? そうなると、それなりに大きな町でないと申請できませんから、三つほど戻った町で申請するといいですよ。私も月に一度、城に連絡を入れるのに利用していますから、確実です」
「ありがとう。そうするよ」
イオルクはリュックサックを背負い直す。
「じゃあ、元気で」
イオルクはニーナと見習い騎士に手を振り、三つ前の町を目指して歩き出した。
…
その後、イオルクはノース・ドラゴンヘッドの最も東の山を購入し、山頂付近に家と鍛冶場を造ることになる。その場所には、ハンターの営業所に預けてあった全資金と鉱石が巨鳥を使って運ばれ、イオルクの十年に及ぶ旅は終わりを迎えることになる。
そして、世界は何もないまま三十五年が過ぎた……。
―――――材料編 完