六十歳になったイオルクは顔に深い皺を作り、髪の毛も黒髪の半分以上が白髪に変わっていた。老人に変わる長い時を武器から金槌に持ち替えて、三十年以上、金属を叩き続けてきた。体格だけは、現役の頃とあまり変わらない。衰えたのは素早さと体力と言ったところだ。
一方のアルスは、茶髪の整った髪型と同じ茶色の目。身長は同年代の少年達と変わらないが、線の細い少年だった。
ナイフを造った日から、自覚してイオルクと生活を始めたアルスだったが、直ぐに大きな間違いに気付いた。寡黙が似合いそうな、がっしりとした老人は、実は凄く軽い性格をしていた。それは厳格な貴族の家庭で育ったアルスにとって、カルチャーショックだった。
年齢は離れているのに、まるで同い年の友人とでも話しているようだったのが信じられなかった。だが、それがよかったのかもしれない。アルスは、直ぐにイオルクに惹かれていった。
「なあ、まずはレベル2の魔法を使えるようになろうな」
朝食を終えて、台所のテーブルで一息ついていると、イオルクはいきなりアルスに妙な提案をしていた。
その提案の内容に、アルスは眉をハの字にする。
「僕は初歩的な魔法――つまり、レベル1の魔法以外を使うとバーサーカーになってしまうのですよ?」
「そんなことは分かってるよ。あと、俺のことは、お爺ちゃんと呼べ。で、アルスは敬語をやめろ。気持ち悪い」
「き、きも――」
返って来た答えに何の解決もなく、気持ち悪いと言われたことにアルスは幻滅する。
「年上の人は敬うように、お父さんに教わったのだけど……。いきなり否定されるとは思わなかった……」
「それは、人それぞれだろう。それで、お前、どうなんだ? 魔法使えるのか?」
アルスは半ば諦める。この手の人間には何を言っても無駄な気がした。幼いアルスの精神は、そこまで器用に対応できない。
アルスは色々と言いたいのを省き、言葉遣いも少し子供らしく心掛け、イオルクの質問にだけ正直に答えた。
「レベル1は、いくつか使えるよ」
「へぇ……。レベル2を使ったことは?」
「ないよ」
「そうか。じゃあ、呪文教えてやるから使ってみろよ」
アルスが右手で静止を掛ける。
「お爺ちゃん、ちょっと待って。何で、お爺ちゃんが呪文を知ってるの? 鍛冶屋でしょう? そもそもバーサーカーにして、どうする気なの?」
「…………」
イオルクは目を閉じ沈黙すると、静かに口を開いた。
「もう一回、お爺ちゃんって呼んでくれないか?」
アルスはガクッと体の力が抜けた。
「いや~、思いの他いいもんだな。改めて年を取ったことを実感するよ」
イオルクはガッハッハッと大声で笑い、アルスは、何とか立ち直ると声を出す。
「お爺ちゃん……。あとで何度でも呼んであげるから、真面目に答えてよ。話が進まない……」
「そうか? ……で、何だっけ?」
「お爺ちゃんが呪文を知ってる理由!」
「ああ、そのことか。レベル2だけじゃない。本に載ってる呪文なら全部知ってる。もちろん、効果も」
「何で?」
「鍛冶屋に必要な能力なんだよ」
「掛け離れている気がする……」
イオルクは右手の人差し指を立てる。
「いいか? 鍛冶屋が武器を造んのは戦士だけのためじゃない。魔法使いにだって造る。奴らが持ってんのは、何だ?」
「杖?」
「そうだ。ただの杖ならいい。でも、中には特殊な鉱石や材料を混ぜ合わせて、杖自身に能力を持たせることも出来る。お前の両親なら、そういう杖を持っていたんじゃないか?」
「確か……、月明銀の杖を持ってた」
「だろう? もし、お前がそういった杖を造ろうとした時、魔法を知らなくていいのか?」
アルスは顎に指を置いて、首を傾げる。
「どうなんだろう? 効果が出るならいいんじゃないの?」
「実は駄目だ。量産するような物ならいい。それ相応の値段をつければいいからな。でも、相手が親友とか尊敬する人にも、そんな物を造るのか? その時は、相手を想って相手に合わせた武器を造らないか? 俺は、そうしてる」
アルスは考えながら黙り込む。確かに大事な人にあげるものは手を抜きたくない。
考え込んでいるアルスを見て、イオルクはいい傾向だと思った。
「答えは出たか?」
「うん、最高のものを造りたい」
「だろう? だから、魔法使いの特性も、しっかり知っておかなきゃな。造る杖が長所を伸ばすのか、短所を補うのかは分からない。だったら、全てに備えるしかない。魔法は使えなくても、知識だけは貯め込んでおくべきだ」
「分かったよ。……じゃあ、もう一つの質問。何で、バーサーカーになるようなことをするの?」
「今しか出来ないからな」
「?」
アルスが疑問符を浮かべる。
「俺は、もう大分歳だし、アルスとずっと居られない……。年寄りから死んでいくのは自然の摂理だ」
「うん……」
「だから、アルスにちゃんと残しておきたいんだよ」
「残す?」
「アルスが生きていける術――力や技術……」
「お爺ちゃん……」
「そして、両親の残した遺伝に引き継がれる魔法の資質……。それも出来るだけ」
イオルクの言葉に、アルスは俯いた。
「お爺ちゃん……。僕……、魔法を使う資格はないかもしれない」
「バーサーカーの呪いのことを言っているのか?」
アルスは首を振る。
「怖くて……。お父さんとお母さんを忘れていたから……」
俯くアルスの目から涙が落ちる。
「大好きだったのに……。自分のことだけを考えて……。そんな僕が魔法を使うなんて……」
「アルス……」
「僕は最低の人間だ……」
イオルクはアルスの側まで行くと、アルスの肩に手を置く。
「今、大事に想ってたから泣いてるじゃないか」
「だけど……」
「怖くて当たり前だ。死が眼の前にあったんだから」
「だけど……」
「順番じゃない。今、想っていることが大事なんだ。今は、俺と話せるぐらい落ち着いたよな?」
「うん……」
「大好きだった。大事だった。ちゃんと想えるし、声に出せるよな?」
「出せる……。大好きだった……。大事だった……。死んで欲しくなかった……」
「今度、一緒にお墓に行こう」
「うん……」
「きっと、元気になったアルスを喜んでいるよ」
「……そうかな?」
「当然だ。だから、受け継いだ資質をしっかりと身につけよう。それも、アルスの大事なお父さんとお母さんの絆だ」
「うん……」
アルスは、イオルクに抱きつくと大声で泣き出した。
(両親の話は、いつかしなければいけなかった……)
イオルクは、アルスの頭を撫でる。
(ちゃんと受け止めたよな)
バーサーカーの呪いの話は、暫し後回しにされた。