更に二週間が過ぎる――。
アルスにとって初めての長旅の目標地点――ノース・ドラゴンヘッドの王都に到着する。綺麗な石畳の道と格式高い家々が立ち並ぶ。それのどれもが騎士の貴族の家だ。
イオルクは迷わず実家を目指し、アルスがそれに続いて歩くと、やがて、イオルクの兄であるジェムの趣味が広がる庭が見え始めた。
「凄く綺麗な庭だね」
「ジェム兄さんの趣味だよ」
「お兄さん?」
「ああ、爺様の兄さんだ」
(そうだよね。お爺ちゃんのお兄さんなら、皆、お爺さんだ)
イオルクとアルスは庭の真ん中の道を進み、屋敷の呼び鈴を鳴らす。暫くして出て来たのは背筋のしっかりとした、白いシャツに青いロングスカートの老婦人だった。
「お久しぶりです、隊長」
(家族なのに隊長?)
アルスは首を傾げ、一方の老婦人は溜息を吐く。
「相変わらず、名前を呼ぶことも、姉と呼ぶこともしないのだな」
「そういう関係じゃないですか」
「そして、何で、家族には似非敬語なのだ?」
「俺が馬鹿だからに決まってるでしょう」
「…………」
額を押さえた老婦人の気持ちが、アルスにはよく分かった。
そして、老婦人は、暫くするとアルスに気付いた。
「そこの少年は?」
「少し事情があって、俺の養子にしたんだ」
「……養子? 養子だと⁉」
「そう」
老婦人がイオルクの胸ぐらを掴む。
「お前は、嫁を貰う前に子供を作ったのか!」
「俺に作れるわけないでしょう。拾ったんですよ」
「拾うな!」
老婦人のグーが、イオルクに炸裂した。
「だから、事情があるって言ってるでしょう……。事情を聞く前に殴る癖は、いつになったら治るんですか?」
「お前が癖を刻み付けたのだろうが!」
「まったく。無駄に歳だけ取って」
再び老婦人のグーが、イオルクに炸裂した。
「一言多い!」
「まあ、いいです。事情を聞いて貰えますか?」
「相変わらず、自分のことだけを進める奴だな……。分かったから、進めろ……」
イオルクがアルスの肩に手を置く。
「アルス・B・ブラドナーだ」
アルスは小さく頭を下げる。
「ティーナ・ブラドナーです。初めまして」
アルスは挨拶を言い忘れたことを思い出すと、慌てて挨拶する。
「は、初めまして」
「イオルクの子供にしては、礼儀が出来ているな?」
「どういう意味ですか……」
アルスは項垂れたイオルクを見て、自分の認識は共通なんだと改めて思う。
一方のティーナは、先ほどのアルスの紹介で気になったことを質問する。
「ミドルネームが付いているな?」
「両親を忘れないためにですよ」
「両親?」
「ベアントセンのB」
「ベアントセン……? まさか魔法特区の――」
ティーナがアルスを見ると、イオルクはアルスを気遣って屋敷を指差す。
「中で話しません?」
「……そうだな」
ティーナは、屋敷にイオルクとアルスを招き入れた。
…
客間にイオルクとアルスを通すと、ティーナは、侍女にお茶とお茶菓子を頼む。
暫くして、それぞれの前にお茶とお茶菓子が運ばれて来ると、お茶を啜りながらイオルクが話し出した。
「隊長、他の皆は?」
「城に出ている」
「隊長は?」
「休みを貰っている」
「いい加減、皆、引退すればいいのに」
「そうなのだが、最近の若い連中は弛んでいてな。この老いぼれにも勝てない奴ばっかりで……。現役を引退したくても出来ないのだ」
「迷惑な連中ですね」
「全くだ」
「若い世代に時代を渡さずに」
「我々のことか!」
してやったりのイオルクが笑っていると、ティーナが話を変えるために咳払いを入れる。
「それより――」
アルスに視線を移したあと、ティーナがイオルクに質問する。
「――彼は?」
イオルクは頭に手を当て、気持ちを入れ替える。
「馬鹿やってる雰囲気でもないか。家に入る前に察して貰った通り、公開処刑された魔法使いの子供です」
「何故、お前が引き取ったのだ?」
「話すと長いんだけど……。サウス・ドラゴンヘッドの宝物庫が開いたの知ってます?」
「ああ……。信じられないが、最近の調査で裏づけが取れ始めたところだ」
「その宝物庫に封印されていた、魔族が残した呪いのアイテムなんかも流出したことは?」
ティーナは思わず、イオルクに目を向け直す。
「それは知らない。報告を受けていないぞ」
イオルクは椅子に体重を預ける。
「そっか……。実は、そういう類のアイテムも流出したみたいなんですよ」
「本当なのか?」
「魔法特区の領主の話を聞く限りじゃ……。領主は魔法特区を治めているわけだから、サウス・ドラゴンヘッドから魔法のアイテムが流出すれば、当然、一番に手に入れる。しかし、そんな呪いのアイテムが流れているなんて知らない。知らずに手に入れて、精神がおかしくなって、領主はアルスの両親を殺してしまった」
「何てことだ……。そんな理由があったのか……」
ティーナが苦渋の顔をする中、イオルクは話を続ける。
「そして、アルスまで殺しそうになって、俺が助けに入ったんです」
「掛ける声も見つからない。中途半端な慰めは、その子を傷つけるだけだろう」
イオルクは僅かに頷く。
「でも、ここに来る前に正気を取り戻した領主に会って、区切りだけはつけました。アルス自身がね」
「そうか……」
ティーナは優しい眼差しをアルスに向ける。
「きっと、御両親も安心したはずだ。その歳で、立派だな」
「ありがとうございます」
アルスがしっかりと頭を下げると、ティーナは顎に右手を持っていく。
「それはそうと、領主の対応は、どうするべきか……」
真相が分かり、ティーナは城で検討しなければいけない案件だと頭を悩ます。この一件は、城でも保留状態になったままだった。
その考え込むティーナに、アルスが声を掛ける。
「あの……」
「どうした?」
「領主様をやめさせないでくれませんか?」
アルスの頼みは、ティーナには理解できなかった。
「君は、領主に両親を殺されたのだろう? 何故、庇うのだ?」
アルスは視線を僅かに落としたあと、直ぐに顔を上げる。
「そうだけど……。このままじゃ、領主様は罪に向き合えない……。胸を痛めて頑張ってた……。だから――」
必死に言葉を繋ごうとするアルスに、ティーナは溜息を吐く。
「本当に、この子は……。そんな態度を取られたら、善処するしかあるまい」
「え?」
「領主の務めを果たしたがために、呪いに掛かった。それは街の人間に触れさせる前に、自分が身代わりになったとも取れる。そして、そんな危険なものがバラ撒かれたのであれば、それに携わった領主に意見と対応策を仰がねばならない。……そういう方向で、この件を処理するようにする。これで、いいのだな?」
「ありがとうございます!」
ティーナはアルスの優しさに微笑んで返すと、イオルクに尋ねる。
「イオルク。これからアルスを、どうするつもりだ?」
「どうするって? 一緒に住むけど?」
「そうではなく……、どのように育てるかだ。アルスは魔法使いなのだろう?」
イオルクは困り顔で真実を語る。
「それが……。呪いで、おかしくなってた領主にレベル2以上の魔法を使うとバーサーカーになる呪いを掛けられてて、アルスは魔法使いとしての道を閉ざされてしまっているんです」
「では、本当にどうするのだ?」
イオルクは、もう一口お茶を啜る。
「俺の鍛冶屋としての技術と生きるために必要な戦う技術を教えるつもりです」
「お前の技術?」
「はい」
「騎士にするのか?」
「正直、難しいかと……。俺のガキの頃と比べると、アルスは一回り以上、小さいですからね」
ティーナは騎士の家系の子供とアルスを頭の中で比較する。
「まあ、両親の血筋を考えれば……」
「仕方ないんで、力のない分は武器の性能で補うしかないと考えています」
「武器?」
「簡単に言うと、アサシンみたいな戦い方を覚え込ませようかと思っています。剣同士で受け合うんじゃなくて、躱すか受け流す。騎士のように鎧ごと潰すのではなく、鎧の隙間から斬る」
「なるほどな。そのための武器の性能か」
「隊長のレイピアでの戦い方なんかも、参考に出来ると思いますね」
ティーナは、アルスを上から下に見る。
「確かに、騎士にするには少し細いな」
「すみません……」
「別に謝ることはない。それに騎士になるのでないのであれば十分だ」
「そうですか?」
「騎士は戦うことが生活の一部だが、一般人の生活に騎士と同じような訓練をする時間なんてないだろう? 当然、筋力も技術も経験も騎士の方が上だ。これは賊などにも言える。そして、イオルクが戦い方を教え込むなら、例え、魔法使いで筋力が騎士に及ばなくても、一般人よりは強くなれる。一般人よりも強ければ生きていくのに十分だ」
「お爺ちゃんも、同じことを言ってました」
「そうか……。同じ話を二度も聞かせてしまったな」
イオルクは、アルスに付け加える。
「教官と部下のマンツーマンだから内容濃いぞ。俺、弟子とか居ないから、奥義の伝授とかに躊躇する必要ないし、バンバン教え込む予定だからな」
ティーナが疑問を口にする。
「お前に伝授できる奥義など、存在するのか?」
「ブラドナーに伝わる奥義は渡せませんけど、俺が知る限りのものを渡すつもりです」
「何だ、それは?」
「経験ですよ」
「経験か……。なるほど」
イオルクの経歴を知るティーナは納得する。伝えるには、申し分のない経験と知識がイオルクには蓄積されている。
「俺は爺様になっちゃったから、余り多くを伝える時間がないかもしれない。だから、余分なものを削ぎ取った純粋なものだけを教え込みたいですね」
「いいかもしれないな」
「ええ。他にも一緒にレベル1の魔法とかを応用する訓練をするつもりなんですよ」
イオルクの言葉に、ティーナは微笑む。
「何だか、お前の方が楽しそうだな?」
「楽しいと思いますよ。……な!」
イオルクに声を掛けられたアルスは、少し戸惑うが頷く。
「お爺ちゃんが一緒なら、楽しそうかな? ここまで一緒に来たのも楽しかったし」
ティーナは、アルスにも微笑む。
「安心した……。お前達は、しっかりと信頼関係を作っていたのだな」
アルスは、ティーナに笑って返す。
「少し普通の家族とは違うけど」
「馬鹿なところだけは真似しないようにな」
「隊長、どういう意味ですか……」
「深い意味はない」
項垂れるイオルクを見て、アルスは可笑しそうに笑っている。
イオルクは笑われるのも悪くないと思いながら、そろそろ用件の話に移ることにした。
「まあ、いいです。で、このあと、剣を納品するんで、買い取り金額を決めてください」
「ああ。本来、そっちが話の内容だったな」
アルスは思い出したように、リュックサックから自分の鍛えた剣を取り出す。
「お爺ちゃん、これは?」
「まだ城に納めるレベルじゃないな」
「そうなんだ……」
ティーナは、アルスの持つ剣に興味を示す。
「それは?」
「僕が初めて造った剣です」
「ほう……」
(もう鍛冶技術の習得が始まっていたのか)
「拝見しても?」
「はい、構いません」
ティーナはアルスから剣を受け取り、鞘から剣を引き抜くと直ぐに笑みを浮かべた。
「確かに、城の騎士には使わせられないな」
「そんなに変ですか? 僕の剣?」
「では、私と手合わせしてみようか?」
「え? でも……」
アルスは、イオルクを見る。
「アルスじゃ相手にならないぐらい強いから、安心していい。それに俺以外の人と戦うのも、いい経験になると思うぞ」
「う~ん……。じゃあ、お願い出来ますか?」
「ああ、ここで十分だろう」
ティーナは客間の模造剣を手に取り、アルスはティーナの席に置いていた自分の鍛えた剣を手に取る。
アルスは『お願いします』と頭を下げて、ティーナの前で正眼に剣を構える。
「さあ、掛かって来い」
片手で構えたティーナに、アルスは、ゆっくりと剣を向ける。
(あれ?)
いつもと違う感覚に、アルスは気付く。しかし、それでもと柄を強く握り、自分の剣を振り上げ、ティーナの剣を弾き飛ばすつもりで剣を当てに行く。剣の軌道は、自分の予想より逸れる。
(……おかしい)
今度は薙ぎ払う。
「何だ、これ……? 気持ち悪い……」
アルスの様子を見て、ティーナは微笑んでいる。
そして、今度はティーナから仕掛ける。アルスにはティーナの無駄のない動きが、何の予備動作もなしで模造剣が伸びたように感じた。そのせいで、軌道を逸らすのが遅れる。
「っ!」
それでも剣の訓練のため、ティーナが剣速を落としてくれていたお陰で、アルスは何とか模造剣に剣を当てて方向を逸らす。
そして、これでは無理だと、アルスはイオルクを見る。
「おじいちゃん! この剣じゃ戦えないよ!」
「お前が造ったんだろう?」
「使って初めて気付いた。剣のバランスが悪くて狙いが定まらない」
イオルクは声を出して笑う。
「正解だ」
アルスが原因に気付いたことで、ティーナは模造剣を元の場所に戻し、アルスに話し掛ける。
「そんな剣でも、店では売っている。初めてで売り物になるものを造ったのだ。自信を持っていいぞ」
アルスは、自分の造った剣を見る。
「こんなものが売り物になる……?」
イオルクが付け加える。
「二束三文にしかならないけどな」
「僕、全然ダメだ~……」
アルスは、がっくりと肩を落とした。
「気にするな。それの繰り返しで立派な武器を造れるようになる」
「だけど……」
「それに鍛冶屋に武器の扱いが必要な理由が分かっただろう?」
「……うん」
アルスが不満顔で剣を鞘に納めると、ティーナは別のことを褒める。
「少し剣を合わせただけだが、いいセンスをしている。二回の攻撃と一回の受けで違和感に気付いたではないか」
「そうなのかな? 造ってる時に気付かないと意味ないんじゃないかな?」
「使い手の気持ちも分かった方がいいと思うがな、私は……。少なくとも、私の剣を整備に出す鍛冶屋は、そういう者であって欲しい」
「ううう……。頑張ります……」
アルスは、自分の未熟を強く認識した。
反省しているアルスを見ると、ティーナは、イオルクに話し掛ける。
「案外、騎士にも向いているかもしれないな」
「率先して戦うのは、貴族の騎士様に任せますよ。アルスには、自分で自分の生き方を決める権利があります。俺や隊長のように貴族の騎士の家に生まれたんじゃないんですから」
「お前の場合は、関係なしで我が道を進んだがな……」
「年齢制限で無理だったんですよ。父さんから奥義を伝授して貰って、終わった時には戦える期間は少しじゃないですか」
「それでも姫様は、自分の側に居て欲しかっただろうに」
「犯罪者が側に居るわけにはいきませんよ」
「そういう気遣いの出来る奴は、少なくて貴重なのだがな」
「大事な人だからですよ。側に居れないのは」
イオルクの言葉に、アルスは首を傾げる。
「お爺ちゃん」
「ん? 何だ?」
「お城のお姫様が好きなの?」
「人としてだぞ」
「そうだよね」
アルスはホッと息を吐き出す。
「はっきり言うが、こんな爺が恋してるとか言ったら、気持ち悪くて吐くぞ」
「人前なのに……」
(あのアルスの反応に覚えがある……。イオルクは、精神的には何も成長してないな……)
ティーナは、アルスのこれからの苦労に同情の念が浮かんだ。
「さて、お前の事情も分かった。納める剣を確認しよう」
「そうしてください」
イオルクは席を立つと、自分のリュックサックをティーナの側まで移動させる。
「いつも通り、鞘の色で鉱石の種類を分けてます」
「助かる」
ティーナが一本一本、剣を鞘から抜いて確認し始めると、アルスがイオルクに話し掛ける。
「お爺ちゃん。何で、種類を分けてるの?」
「本当は上等な鉄鉱石だけで造りたいんだけど、貴族以外の出身の騎士も居るんだ。最初の給金が出るまで、安い剣しか買えない騎士も居る」
「そうなんだ」
「それでも給金出るまでは、切れ味も耐久度も落ちないように仕上げているつもりだ」
「そういう条件で造る場合もあるんだね」
ティーナが話に加わる。
「実際、助かっている。良心的な値段だから、負担を掛けることがないからな」
「お城で買ってあげないの?」
「買ってあげたいが、国民の税金だからな。国同士の戦争の時なら、兎も角。個人の所有物まで面倒を看ていたら、直ぐに財政は傾いてしまう」
「そうか」
「いずれ、名品と呼ばれるものを手に入れられれば、整備だけで何年も使えるようになる」
「名品?」
「私のレイピアは赤火石で出来ていて、代々受け継いでいる」
「凄い……」
「そして、そろそろ譲ろうかと考えている」
「へぇ」
イオルクが補足する。
「生まれた子供が男の子だったから、隊長はレイピアを受け継がせていないんだ。その子供の子供――つまり、孫にあたる子に女の子が居るから、その子にって」
「そうなんだ」
ティーナは、本音を少し漏らす。
「本当は長年戦い抜いた相棒だから、手放したくはないのだがな」
「でも、慣れない武器を使わせるわけにもいかないですしね」
「そうなのだ。譲る相手に早めに慣れさせるためにも、早々に手放さなければならない……」
「じゃあ、お爺ちゃんに造って貰えば? 重さとバランスが同じの」
「それがいいかもしれないな」
イオルクは笑って答える。
「丁度いいですね。少し特別な技術をアルスに伝授したいんで、造ってあげますよ」
「すまないな」
イオルクは顎に手を当てる。
「どうせなら、全員分造るか……。大事な人達に造るものだから、最高の技術を使うし」
「あまり、時間を掛けて欲しくもないのだが?」
「隊長のは一番最初に造りますよ。そして、出来次第、送ります」
「そうしてくれ」
イオルクは頷く。
「じゃあ、アルス。帰ったら、早速、取り掛かるぞ」
「僕、そんな腕ないんだけど……」
「最初は見てればいいさ。俺の本気の鍛冶仕事を見たことないだろう?」
「いつも真剣に見えたけど?」
「装飾の細工とか硬度をあげる裏技は使ってない」
「特別なものは、別の造り方があるの?」
「その通り」
「じゃあ、見るところから始めるよ」
「ああ」
イオルクは胸の前で手を合わせて鳴らす。
「面白そうだ。気合いが入ってきた」
(ちゃんと習得できるかな?)
イオルクとアルスを見て、ティーナはクスリと笑う。やっぱり、何度見てもイオルクの方が楽しそうにしていた。