数日後――。
地下の鍛冶場では、ぐったりと疲れ切った職人二人が地面に倒れて寝ていた。倒れた瞬間に埃と砂が肌に張り付いたが、そんなものはどうでもよかった。オリハルコンを鍛える間、風呂にも入れず汗を掻き続け、張り付いた服は汗と鍛冶場の材料や鉱石の臭いを染み込ませて最悪な状態だった。その不快な状態を洗い流すよりも先に、体が休息を求める。
通常よりも遥かに高い炉の温度に火傷を何箇所もして、仮眠しながら不休で叩き続けたオリハルコン。アルスが回復魔法を覚えていなければ、火傷で仕事も出来ないような場面もあった。 その苦労の結果、遂にオリハルコンは姿を変えた。
イオルクとアルスが力尽きて倒れた時間は夜だったが、日が昇り、再び夜が訪れても起き上がれない。イオルクが目を覚ましたのは、倒れてから二日目の昼だった。
「……っ!」
久々に動かす体は、ビキビキと音を立てるように痛みを伝える。筋肉痛だけではない。何もしないで動かなかったのも原因のようだ。
「……臭い」
しかし、何より自分の体から漂う臭いに、イオルクは口を押さえる。
「体が痛い……。腹も減った……。気持ち悪い……」
一体、何から手をつければいいのかも分からない。
「いつもなら手を掛けた武器をまっしぐらに見るんだが、それもしたくない……。まず、体を洗おう……。この臭いのまま食事をしたくない……」
イオルクはフラフラと立ち上がると、地下にある鍛冶場から一階に向かう通路へと歩き出す。そして、一階に着くと風呂場へ向かった。
「最悪だ……」
風呂釜を見て、思わず呟く。
「水が張ってない……」
これから、井戸で水を汲み上げなくてはならない。イオルクはシャツを脱ぐと、窓から外に放り投げた。
「二度と着れるか」
ふらつく足取りで、井戸まで向かう。
「もう、お湯じゃなくてもいい……」
イオルクは井戸から水を汲み上げると、頭から水を被った。
「気持ちいい……」
それを三回繰り返し、少し胸を擦ると垢が出る。
「やっぱり、風呂でしっかり洗おう……」
今度は風呂と井戸を往復して風呂釜に水を貯め、六往復目にして釜の水が貯まる。
「火を点けて、お湯になるまでに体を洗おう……」
脱衣所でズボンと下着を脱ぐと、イオルクは窓から外に放り投げた。
「二度と着れるか」
イオルクは風呂場に入り、体を洗い始める。
「これは二度洗いだな。風呂に入る前に洗って、風呂で温まって、更に洗う。こうでもしないと、体の芯の汚れが取れない」
イオルクの脳裏には、ドラゴンチェストで労働者達を風呂に入れたことが思い出されていた。
「あの時よりはマシか……」
体を洗い終わった頃、イオルクは少し思考力も戻り、疲れも汚れと共に落とされた。
…
一方のアルスは、未だに眠りの中だった。イオルクが目を覚ましてから、一時間が経過しても動かない。
そのアルスを仕方なくイオルクが起こしに来た。
「オイ」
ツンツンとアルスの頬を突っつく。
「……ん」
アルスが頭に手を置く。そして、普段では有り得ない砂のざらっとした感触で目が覚めた。
「ここは……? そうか……。オリハルコンを叩き終わったあと……」
ゆっくりと手を着いて、アルスは体を起こす。
「起きたか?」
アルスは手を額に持っていく。
「起きた……。そして、何処を触ってもざらつく……」
「嫌だねぇ。何? この汚い子?」
「お爺ちゃんだって!」
「俺、お前みたいに臭くないし」
「……どうして?」
アルスがイオルクの手を取ろうとすると、イオルクは身をよじる。
「触るなよ。汚い」
「お爺ちゃん……。この状態でからかう? 普通?」
「反抗期か?」
「違うよ」
「兎に角、風呂行け」
「うん」
「服も脱いで行け。もう着れないぞ」
アルスは自分の服の臭いを嗅ぐ。
「ダメだね」
アルスは立ち上がると歩き出す。
「脱いでいかないのか?」
「……恥ずかしいよ」
「ガキの癖に」
「いいでしょう! 最近、その……」
「生えてきたのか?」
「…………」
アルスは、無言で一階に向かった。
「お坊ちゃんだね~……。まあ、俺も男にセクハラなんてしても、面白くも何ともない」
一階に向かおうとして、イオルクは立ち止まる。
「……女だったら犯罪か?」
イオルクは、今度こそ一階に向かった。
…
台所――。
アルスが風呂から上がり、食事が始まる。テーブルの上には、パン、ハム、チーズに味噌汁が並ぶ。
「何だか、朝食なんだか昼食なんだか分からなくなるね」
「時間の感覚が、おかしいよな」
「記憶が、ところどころハッキリしないよ」
「俺もだ。一心不乱に何かしていたことしか覚えていない。ちゃんと、仕事してたよな?」
アルスは首を振る。
「分かんない。でも、間違いを犯した感じがないんだ」
「疲れ過ぎて、体に染み付いたことしか出来なかったのかもしれないな。だとしたら――」
「だとしたら?」
「――俺達、勘で仕事をしてたってことだな」
「勘……」
「どっちにしろ、食事が終わったら確認だ」
「うん。……ちょっと、怖いね」
イオルクとアルスは無言で食事を再開した。火造りまでしたはずのオリハルコンの武器の記憶が残っていないのは不安でしょうがなかった。
…
夕方近く――。
イオルクとアルスは、地下の鍛冶場へと潜る。火炉は完全に沈黙し、白剛石の入れ槌の柄の部分は、豆が潰れて血が付いていた。そして、金敷の上には、うっすらと光る武器の形に変わったオリハルコンがあった。
「お爺ちゃん……」
「ああ……。最高の出来だ……」
イオルクがオリハルコンの武器を手に取る。
「砥石で研ぐ前なのに……。武器としては未完成なのに……」
「うん、気持ちが満たされている……」
イオルクは、アルスに振り返る。
「焼入れするの忘れてた……」
別のリアクションを期待していたアルスがこけた。
「火炉の火を落とした後だよ! ちょっと感動気味に入ったのは、何だったの⁉」
「ノリだ」
(お爺ちゃん……)
アルスが溜息を吐くと、イオルクは笑いながら付け加える。
「まあ、焼入れするにしても実験は必要だろう。刀みたいに必要箇所に泥を塗りつける必要があるのか……とか。そのまま青水石で清めた水に浸すだけでいいのか……とかを調べなくちゃ」
「理由が後付けだ……」
「いいんだよ。焼入れが終われば、あとは研ぐための工程だけなんだし、ここで残った赤火石を使い切っても問題ない」
「そうかもしれないけど……」
(お爺ちゃんは、貴重品を使い切る気なんだ……)
再び溜息を吐いたあと、アルスがオリハルコンの武器を見詰めて、自然とオリハルコンの武器のための言葉を漏らす。
「これに見合う砲筒と立派な柄と鞘も造らないといけないね」
「ダメじゃん。それも造るなら赤火石を節約しとかないと」
「今更……」
「作業に入る前でよかった」
「というか、上の鍛冶場で赤火石使うの?」
「オリハルコンを使ったお陰で、赤火石の使い方は、大体、覚えたからな。特殊鉱石を溶かすのは熱量が要るから、赤火石の方が楽だ」
「そんな理由なんだ……」
アルスは、自分が居なかったら、イオルクが計画通りにオリハルコンの武器を造れたのか疑問に思った。そして、自分がしっかりしなければと、立場を逆にして改めて思うのであった。
一方のイオルクは、オリハルコンの武器を再度見詰める。
(これが俺の生涯最後の武器になりそうだ……)
オリハルコンの武器は、ここまで、そう思わせるような出来になっていた。