日が昇り、太陽の光が森の中に降り注ぐ。活動を始めた動物達の小さな声に、アルスは目を覚ました。座ったまま眠ったせいか、少し首が痛い。ゆっくりと首を回し、握られている左手に目を移す。
「まだ握ってるのか」
アルスは右手でリースの指をそっと開く。そして、左手を抜き取ろうとして、リースに両方の手を握られた。
「……え?」
両手の人差し指と中指を拘束された。
(強引に引き抜く? やってみよう)
両手を少し引っ張ると、リースの手が漏れなくくっ付いてくる。
(起きるのを待つ?)
この両手を差し出しながら、しゃがみ込む格好は辛い。
「仕方ない……。起こすか」
アルスは、リースに呼び掛ける。
「リース、起きて」
「……ん」
「朝だよ」
「……朝?」
リースは、ゆっくりと目を覚ますと、横になって、寝ぼけたまま状況を考える。
「……どこ?」
「昨日の森なんだけど……」
「……森? ……アルス?」
「うん」
「……さん」
(時間差……)
リースは少しずつ頭がハッキリしてくる。
「リース。そろそろ解放してくれると、ありがたいんだけど」
「え?」
リースはしっかりと握っている手に気付くと、慌てて手を放して上体を起こした。
「ごめんなさい!」
「解放してくれればいいから。気にしてないよ」
アルスは笑顔を浮かべると、立ち上がって伸びをする。
「体は、大丈夫?」
「体……」
リースは、昨日、シップを貼り付けたことを思い出す。湿布の上から患部を手で擦ると、痛みはしっかりと引いていた。
「大丈夫」
「よかった。昨日の残りなんだけど、スープを温め直して朝ごはんにしよう」
アルスは燃えカスになった枝を退けて、別の枯れ枝を焚き火に組み直す。即席の枝で作った、鍋を支える支柱を地面に突き刺すと、鍋に太い枝を通して支柱に固定する。
着火は呪文を唱えて、レベル1のファイヤーボール。戦闘向きの魔法のため、一気に火が燃え上がった。
「この着火方法、間違ってる気がする……。でも、お爺ちゃんは、これが楽だって言ってたからなぁ」
アルスの独り言を聞きながら、リースは温められる鍋を見詰めている。アルスも鍋を見詰めながら、スープが温められるのを待つ。
そして、鍋が温まるまでの時間を利用して、アルスは、昨日、聞けなかったことを改めて聞き直すことにした。
「リース。少し気持ちを強く持って聞いてくれる?」
「……はい」
リースは毛布の上で正座して、アルスに向き直った。
「昨日、何かあったんだよね?」
「昨日……」
再び蘇る記憶……。
リースの目に涙が溢れ始めると、アルスはリースに右手を差し出す。
「怖いなら掴まって」
リースはアルスの右手を掴んで、呼吸を荒げて必死に耐えている。
「深呼吸しよう。今は、その何かはここで起きないから」
アルスが深呼吸してみせると、リースも真似して大きく息を吸う。
「ゆっくり吐いて」
アルスの声に合わせて、リースは息を吐き出す。
「もう二回、やってみようか?」
アルスとリースは、深呼吸を二回繰り返す。
「落ち着いた?」
リースが無言で頷く。
「話せるかな?」
リースは、再び頷く。そもそも、このことを誰かに伝えるのがリースの役目だった。
「街が襲われた……」
「町? ここから一番近くの?」
「……そう」
(移民の町だ)
イオルクに聞いていたドラゴンチェストからの移民達の町だと、アルスは理解する。
「誰に襲われたの? 熊とか狼とか動物?」
「人間……。盗賊に……」
「……嘘でしょう?」
リースは首を振った。
(そんな馬鹿な……。だって、ここは騎士の国ノース・ドラゴンヘッドだ。国で警備している騎士が居るのに、町を襲う盗賊が居るわけがない。リスクが大き過ぎる)
しかし、目の前の幼い少女が嘘を言っているとは思えない。
アルスは確認を取る。
「本当なんだよね?」
「うん……」
「リースは、それを伝えに来たの?」
「お父さんとお母さんが、家にある秘密の抜け道から逃がしてくれた……。他の町に行って逃げなさいって……」
(方向が逆だ……。混乱していたのかな? でも――)
「助けを呼びに行けって言われなかったの?」
「子供の足じゃ捕まるから、まず逃げなさいって……。でも、街のみんなが心配だから、わたしは、道を歩いて来たの……」
(道を間違えて正解だったかもしれない。追っ手が居たら、殺されていたはずだ)
アルスは『少し拙いことになった』と口を強く結ぶ。
(道を外れて警戒して進むしかないな)
アルスはリースを気遣って、困っていることを顔に出さないように勤める。
「でも、リースが無事でよかったよ。お使いも、ちゃんと出来たね」
「あ……」
見詰めるリースに、アルスは頷く。
「うん、僕に伝わった。朝ごはんを食べたら、一緒に戻ろう」
「一緒に行ってくれるの?」
「放っとけないよ」
リースは安心して、初めて笑顔を見せた。そして、今まで忘れていた大事なことを思い出す。
「あ、あの……」
「ん?」
「どうも、ありがとう」
アルスは笑顔を浮かべる。
「どういたしまして」
温め直したスープで、アルスとリースは朝ごはんを食べる準備を始める。リースは盛られた器から伝わるスープの温かさが、アルスの気持ちの温かさのように感じていた。
…
舗装されていない砂利道――。
剥き出しの岩も目に付く足場の悪い道をリースは裸足で歩いて来たことになる。そして、そのような足場の悪い道を歩かせるわけにはいかず、リースはアルスにリュックサックと一緒に背負われている。
アルスとしては、本当は自宅のある山まで戻って、リースの身なりを何とかしてもよかったが、先を急ぎたいリースのお願いを優先した。
「ごめんね、お兄ちゃん」
「気にしなくて平気。お爺ちゃんと仕事をしていて、重い荷物を運ぶのは慣れているんだ」
(わたし、そこまで重くないんだけど……)
男手で育てられ、しかも、イオルクが育ててしまったため、アルスには少しデリカシーというものが欠けていた。
「ところで……。盗賊は沢山居たの?」
「うん。街に居た見習いの騎士は、みんな、やられちゃった」
「信じられないなぁ」
「わたし、嘘言ってないよ」
「いや、リースを疑ってるわけじゃないんだ。ノース・ドラゴンヘッドは騎士の国だから、そんなことをすれば強い騎士が差し向けられて、手痛いしっぺ返しを喰らうって分かっているはずなんだ。それなのに、町を団体で襲うって信じられないってこと」
「そうなんだ」
「僕達は国の騎士達に守られているはずなんだ。でも――」
リースがリュックサックの上からアルスを覗き込む。
「――盗賊団が動いたなら、国の騎士が対応しないわけがない。サウス・ドラゴンヘッドを経由して来たのかもしれない」
「魔法使いの国? そこも魔法使いが撃退するんじゃないの?」
「……うん」
(だけど、あの国は、いつからかおかしくなっている。宝物庫を解放したり、最近は、大臣達が昔以上に好き勝手をしているとも聞いている。ドラゴンチェストからの無法者が、サウス・ドラゴンヘッドに流れて来ているんじゃないだろうか? だとしたら、ノース・ドラゴンヘッドの騎士が動いても、サウス・ドラゴンヘッドに逃げ帰って対処できないことになる。国境に柵が出来て関所が設けられるなんてことにならなければいいけど……)
黙りこくってしまったアルスをリースが心配する。
「お兄ちゃん」
「……ん?」
「どうしたの?」
「ごめん、考えごとしてた」
「大丈夫?」
「大丈夫」
(逆に心配されちゃった……)
アルスは少し反省すると、話す内容にも気を遣う。リースが辛いことを思い出しそうなことも禁止。不安を煽るような心配事も禁止。ドラゴンヘッドに自生する竜火草のことなどを話しながら道を進んだ。