移民達の町が近づいて来ると道も広くなり、しっかりと踏み固められてくる。しかし、その分、見通しが良過ぎる。こちらからも見えるが、あちらからも見える。
アルスは盗賊の残党を警戒して、道から反れた林を進む。視線を少し先まで延ばすと、新しい馬の蹄の跡が沢山見える。
「馬を使っていたのか」
町を越えた、更に先には蹄の跡は見えない。それが道なりに来ていないことを示す。
「間違いない。ノース・ドラゴンヘッドの盗賊じゃない」
アルスはしゃがみ込んで、リースの視線に合わせる。
「多分、もう盗賊は居ないと思うけど、万が一がある。確認してくる」
「わたしも行く」
アルスは首を振る。
「ダメ」
「どうして?」
「守りながら戦ったことがないから、自分だけで精一杯」
「お兄ちゃん、弱いの?」
「弱いと思う」
「そんな立派なものを下げてるのに?」
アルスは左足の横にある大剣に触れる。
「僕、鍛冶屋なんだ。腕の良し悪しに関わらず、武器を携帯しているんだ」
「そう……」
「この茂みに隠れてて。荷物もここに置いて行く」
「うん」
アルスはリュックサックを下ろし、外套も外して身軽な格好になる。ついでに隠密行動するには邪魔な大剣も下ろす。
そして、茂みを出ようとして声を掛けられた。
「盗賊が居たら、どうするの?」
アルスは真剣な顔で、リースに振り返ると答えを返す。
「……全力で、脱兎の如く逃げる」
(この人、大丈夫かな……)
リースに多大な不安を残して、アルスは茂みを抜け、林を抜け、移民の町へと向かった。
…
アルスは道を足早に横切り、町を囲む木製の塀にぴったりと体を着ける。耳を澄まし、町の中で物音がするかを慎重に聞き分ける。
(物音一つしない)
塀伝いに町の入り口の門まで進んで中を覗くと、アルスは直ぐに顔を背け、塀に凭れかかった。
「酷い……。見習いの騎士の死体が曝されている……」
アルスが見たのは、力を見せ付けるために、張り付けにされて殺されていた騎士だった。アルスは大きく息を吐き出し、町の中を再度覗き込む。燃えた家、転がる死体、略奪というよりも虐殺された跡だった。
暫くして、アルスは物音一つしない静まり返った町に、盗賊は居ないと判断した。しかし、それは町の中に生きている者も居ないという判断だった。
アルスは門から町に入り、改めて全体を眺める。
「こんなもの……。リースに見せれるわけないじゃないか……」
アルスは片手で項垂れた額を支える。それはあまりに凄惨な光景だった。
…
アルスが沈んだ顔で林の中の茂みまで戻る。
――これからリースに何と言えばいいのか?
――あの光景を見せないようにするには、どうすればいいのか?
――心配そうに自分を見ているリースに、どんな顔で、どのような答えを返すべきなのか?
アルスが悩み続けたまま、何も言えないで黙っていると、リースが口を開いた。
「……夢じゃなかったんだ……」
「リース……?」
「……みんな――」
リースは深く俯いた。長い金色の髪が顔を隠しても、零れ落ちる涙が泣いているのを分からせた。
「――死んじゃったんだね……」
リースは声をあげずに泣いていた。本当は知っていたが、言葉にしなかった。それが嘘であると信じたかった。夢であると信じたかった。
(この子は見てしまっていたんだ……)
両親が殺された時の締め付けられる胸の痛みをアルスは思い出す。最初に襲ってくるのは殺されるという恐怖。行き場のない悲しみは、あとから、じわりと広がっていく。
(僕が確認したことで、リースは、今、両親と町の人の死を受け入れたんだ……。眠れなくなるのは、これから……)
アルスは、どうすればいいか分からない。抱きしめて人の温もりを感じさせて、一時でも死を忘れさせる方がいいのか?
リースに手を伸ばそうとするが、アルスの手が止まった。
「……さない」
リースの口から、低い声が漏れていた。
「……ったいに」
髪の掛かった隙間から見えるリースの口……。その奥では、ギリギリと歯を噛み締めている。
「アイツら……」
前髪を乱暴にかき上げて覗いた目は、女の子のものとは思えなかった。吊りあがる眉、眉間による皺、鋭く威嚇する憎しみに満ちた目……。
口からは呪いの言葉が漏れる。
「殺す……。絶対に殺してやる……」
アルスは言葉を失くして立ち尽くす。何も出来ずに震えていた自分とは正反対の反応。リースの身に宿ったのは恐怖ではなく憎悪だった。
「許さない……」
リースがアルスを置いて町へと歩き出すと、アルスはリースの肩を掴んだ。
「リース!」
「放して!」
リースがアルスの手を振り払う。それでも、アルスはリースの肩を掴む。
「何処に行くんだ!」
「アイツらを殺す手掛かりを探す! そして、見つけ出して殺す!」
「どうしちゃったんだ!」
髪を振り乱して、リースは振り返る。
「わたしは、正常だ! 大切な人を殺されて怒ってる! 当たり前の感情じゃない!」
「当たり前……? 違う!」
「何が違うの!」
「そんなものは、あとだ!」
アルスは町を指差す。
「悲しんで! 弔って! 祈ってあげるんだ!」
「っ!」
リースは胸の衣服を強く握る。
「じゃあ、この胸にある憎しみは……」
「……忘れなくていいから」
それを忘れられないのは、アルスが一番分かっている。許してはいけないのも分かっている。だけど、今は優先すべきことがある。
「町の人……、放っておけないのは分かるよね?」
リースは興奮したまま荒い呼吸をしながらも、ゆっくりと頷いた。
アルスは、リースの両肩に手を置く。
「凄惨な光景だから、リースには見せたくない。死体の弔いは僕がやる。ここで待ってて」
リースは俯いたまま、何も言わなかった。アルスは少し心配だったが、リースを置いて町へと戻った。
…
目を覆いたくなるような現実。曝された死体の山。血が乾いて黒くなった地面。何軒かの家は焼き払われている。
一度、目を伏せると、アルスは頭を振る。そして、町にある大き目の木造の建物へと向かう。そこは町の集会場だった。転がる死体を跨ぎ、奥の棚まで歩みを進め、棚を上から目で追って、アルスは名簿と紙とペンを見つけて手に取った。
「この名簿に載っている名前の数だけ死体があるのか……」
確認したくない作業だが仕方ない。目的のものを見つけて、アルスは集会場を出る。
次に探すのは伝書鳩の飼育小屋。辺りを見回し、それらしいものを探すと、町の片隅に小屋を見つける。
「よかった。鳩は無事だ」
小屋の中で餌を掻い摘んでいる伝書鳩を見て、アルスはホッと息を吐いた。そして、一羽の伝書鳩の足に町が全滅したことを記した紙を結びつけ、伝書鳩を放した。
しかし、この伝書鳩が何処へ飛んで行くのかは分からない。連絡を入れても、いつ戻って来るのか、派遣された王都の騎士がいつ到着するのかは分からない。故に、その間、死体を埋葬しなければいけない。死体は腐るのだ。
「まず、死体を確認しないと」
アルスは町の門まで戻り、時計回りに町を歩くことにした。死体の数と死体の状況、殺され方を紙に記載する。町の建物を一軒一軒回り、確認していく。
「やっぱり……。リースを除いた人数とぴったり合ってしまった……。誰も助からなかったんだ……」
アルスは最悪の結果に肩を落とす。何人かは助かったかもしれないと思った、淡い期待は裏切られ、気分だけが滅入ってくる。それでも、こんなものをリースに見せていいわけがない。
アルスが町の入り口に目をやると目を見開いた。
「リース!」
そこには、見て欲しくない人物が立っていた。アルスは町の入り口まで走る。
「こんなの見ても辛いだけだ」
見せないように立ち塞がったアルスに、リースは頷く。
「分かってる」
「だったら……」
「十分に悲しんだ」
「え?」
「だから、街のみんなの弔いは、わたしもする」
「でも……」
「わたしがやらなきゃダメなの」
リースの視線は幼くても強かった。
その眼差しに負けて、アルスは溜息を吐く。
「君は強いんだね」
「お兄ちゃん?」
「そして、優しい……。町の人をこのままに出来ないんだから」
リースの視線をしっかりと受け取ると、アルスは頷いた。
「町のお墓を教えて。町の人を埋葬する穴を掘るから」
「うん」
「でも、その前にリースの家に行こう。靴を履かないと」
「うん」
リースは町の外にある墓地へ行く前に、自分の家へと歩き出した。
「今だけでも、何とかリースの力になってあげないと……。お爺ちゃんが僕を支えてくれたように……」
リースの後を追って、アルスは歩き出した。