夜――。
夕食を終えて、リースからの聞き取りが開始された。町の人間の埋葬を真摯に行なってくれた騎士達にリースが少し心を開いてくれたため、話のやり取りはしっかりと行なうことが出来た。途中、何度か感情が昂ぶり涙を見せる場面はあったが、リースは頑張って話してくれた。
そして、リースの証言から、アルスが盗賊の似顔絵を何枚か描いて提出した。
「君は、この家の隠し通路から逃げたのか?」
「はい……」
部下の騎士の一人が、リーダーの騎士に尋ねる。
「隊長。何で、この家には隠し通路なんてあったんですかね?」
「そういえば不思議だな」
その疑問には、リースが答えた。
「死んだお婆ちゃんが造ったみたいです」
「お婆ちゃん? 何で、お婆ちゃんがそんなものを造ったんだ?」
「分かりません」
部下の騎士の一人が予想を口にする。
「移民の町ですから、訳ありの人だったのかもしれませんね。何かに追われていたトラウマでもあったのでしょう」
「トラウマか……。ドラゴンチェストで奴隷だった者も多かったようだしな」
納得できない理由ではなかったが、真相は、ここに居る者には分からなかった。
「話は、以上だ。辛いことを聞いてしまって、すまなかったな」
「大丈夫です……」
リースは少し元気がなくなっていた。
そんなリースを見て、アルスは少し気になることがあった。
「あの……。リースはこれから、どうなるんですか?」
「話を聞く限り、親戚と呼べる者は、この町にしか居なかったようだから――」
騎士のリーダーは申し訳なさそうに話す。
「――孤児院で暮らすことになるだろうな」
「そうですか……」
「ここから、二つ先の町だ」
「僕の目的地の一つです。お爺ちゃんが亡くなったから、手続きに寄る予定だったんです」
「なら、彼女を送り届けてくれないか?」
「僕で、いいんですか?」
騎士のリーダーは頷く。
「君の方がいいだろう……。我々は、これで失礼するよ」
騎士達が立ち上がる。
「宿舎の方は無事だから、そちらで寝泊りする。仲間の遺品も整理してあげたいしな」
「分かりました」
騎士達がリースの家を出て行くと、残されたアルスがリースに話し掛ける。
「荷物の整理をしないと……。出発はいつでもいいから、リースの気持ちの整理がついたら町を出よう」
リースは無言で頷くと、何も言わずに寝室へ姿を消した。
「リースは、これから一人か……。僕には、どうにも出来ない……」
アルスは聞き取りをしていた台所の椅子で眠ることにした。リースの気持ちを整理させるために、今夜は、ここでいいと腕を組む。せめて寝室に一番近い、この場所で……と。
…
深夜――。
リースは寝室のベッドに腰掛け、窓から照らす月明かりの中で空を見上げていた。夜空は雲一つなく、月と星が一面に輝いていた。
「…………」
両親と寝ていた寝室を見回す。思い出になるようなものは余りない。『裕福な家ではなかったから、物が少なかったんだ』とリースは思う。ベッドの毛布に顔を埋めれば、まだ両親の匂いが残っている。
祖母は生まれる前に亡くなり、父と母の三人家族。母は祖母と同じく文字や学問を教え、父は街の皆と畑仕事をしていた。この街には同じぐらいの歳の子も居たし、生まれたばかりの子も居た。
近所のおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さん、お爺さん、お婆さん、友達……。皆、大好きだった……。
「…………」
リースは、アルスに改めて感謝していた。大事な別れを蔑ろにしないで済んだ。しっかりと別れの挨拶が出来なければ、胸に後悔が残ったに違いない。
しかし、それと同時に自分の奪われた大事なものも痛いほど理解した。失っちゃいけない、失くしちゃいけないものだった。
――まだ、遣り残したことがある。
リースは毛布を被り、光を遮る。
(光は要らない。邪魔だ)
これは闇の儀式――自分の大事なものを奪った者を許さない儀式。この手で復讐すると誓いを立てる。
「絶対に許すものか……!」
リースは自分を強く抱きしめる。
「子供の時間は終わりだ……。わたしは――」
リースは首を振る。
「――私は、復讐者だ」
リースは心の中で復讐者として大人になると決めた。そして、毛布に包まり、光を嫌うように目を閉じた。
…
早朝――。
人が起き出して活動を始めるには、まだ少し早い時間。
リースが寝室の扉を開けて目に飛び込んで来たのは、一昨日から側に居てくれた少年。台所の椅子に座って寝ているところを見ると、心配してくれていたに違いない。
(こんな眠り難いところで……)
リースは小さく微笑むと、台所を横切り、居間とも客間とも呼べない部屋にある箪笥を開ける。自分の私物は、この箪笥に納まるものだけだった。
寝巻きを脱いで、男の子のようなシャツと長ズボンに着替える。そして、スカート類を残して衣類を取り出し、母親の手作りのリュックサックに衣類を詰め込む。
(他に詰めるもの……)
食器は持っていけない。お金は、何処に置いてあるか分からない。他に何が必要か分からない。
「これだけでいい……」
リュックサックは衣類だけで一杯だった。リースは、リュックサックの紐を締める。
「今日で、ここを最後にする」
ここには戻らないと、リースは決意して立ち上がり、眠っているアルスに近づいて揺する。
「……ん」
「アルス……。私の準備は出来たよ」
「え?」
アルスは、少し寝ぼけてリースを見る。
「おはよう……」
「おはよう。行こう」
「……行く? ……何処へ?」
「街を出るの」
「は?」
アルスは、はっきりと目が覚めた。
窓の外の明るさは、まだ日が昇り始めたばかりであり、出掛けるにしても早過ぎる。
「どうしたの? リース?」
「街を出るの」
「街を出るって……、準備は?」
「終わってる」
「荷物は?」
「背負ってる」
「朝ごはんは?」
「それは、まだ」
(何があったんだろう?)
家の中には、他にも必要なものがあるような気がする。
アルスは溜息を吐く。
「何があったか分からないけど……、僕の準備もさせてよ」
(それを忘れてた……)
アルスは、また溜息を吐く。
「ねぇ、家を出たら戻れないと思うよ」
「分かってる」
「色々、残しておきたい物があるんじゃないの?」
「衣類だけでいい」
「でも……」
(それは、あまりに寂しいよ)
アルスは家の中を見回す。
(これぐらいの量なら……)
「持ち出せるだけ持ち出そう」
「どうするの?」
「僕の家に置いておくよ」
「え?」
「合鍵も君にあげる。思い出を簡単に捨てちゃダメだよ」
リースは確認するようにアルスを見上げる。
「アルスは、ちゃんと残してる?」
「お父さんとお母さんのものは、何一つ残ってない。燃やされちゃったから」
「そんな……」
「だから、リースには大事にして欲しい」
「…………」
リースは頷く。
「じゃあ、荷車を借りて、家のものを持ち出せるだけ持ち出そう」
リースは頷く。
「遠回りだけど、僕の家に運んで保管する。そして、合鍵を渡す」
リースは頷く。
「それから、孤児院に行く。いいね?」
リースは頷く。
「アルス……。ありがとう……」
「うん、大事にしよう。でも――」
「何?」
「――困ってる人を、皆、助けるなんて出来ないから、あまり言いふらさないでね。リースが最初で最後だから」
アルスの困った顔の頼みごとに、リースは微笑んで返す。
(あれは分かったという合図なのだろうか?)
疑問が残ったが、リースの笑顔にアルスは追及できなかった。しかし、もう一つの疑問は聞いておきたい。
「ところで……。何で、僕の呼び方が名前に変わったの?」
「大人になるって決めたから」
「は?」
「子供でいるのは、昨日までにした」
(女の子って、急に大人になるのかな?)
なる訳がない。あくまで、気持ちの問題だ。リースは形から入ろうと背伸びをしているに過ぎない。
「まあ、いいかな?」
昔だったら、気になって流せなかった事柄だが、環境に順応させられたせいか、アルスは、あまり気にならなくなっていた。
その後、朝食を済ませ、荷車にリースの家の荷物を載せると、町の宿舎で騎士達に別れの挨拶をして、アルスとリースは移民達の町を後にした。