来た道を、また戻る――。
酷く無駄な気がするが、一つ目の町を往復するだけで良かったとアルスは思う。寧ろ、格好よく旅立った家に一週間もしないで戻る気恥ずかしさの方が大きい。
荷車をアルスが引き、その横をトコトコとリースが歩く。
「たった数日だったのに、アルスとは何年も前からの知り合いみたいに感じる」
「そうだね。寝食を共にするっていうのは親しくてもあまりないことだから、余計に親近感が湧いたのかもしれないね」
「親近感か……」
(そう言えば、随分と甘えたかもしれない)
リースは手を繋いで寝たことを思い出すと、少し赤くなる。チラリとアルスを見るが、アルスは特に気にしていないようだった。
(そうだよね。向こうは、私よりも歳が上なんだ……)
リースは溜息を吐いて無言で歩き続ける。
やがて、舗装されてない砂利道が終わり、アルスが山を指差す。
「ここからは登り。さっきも言ったけど、荷物を置いたら戻って来るから、無理に付き合わなくてもいいよ?」
「アルスに、そこまで任せられない。確かに自分じゃ荷車引けないけど……。それでも、一緒に着いて行くぐらいはしたい」
「そう?」
「うん」
アルスが荷車を引き始め、リースが続く。道は砂利から土に変わり、山道に変わった。
「アルスって、力持ちだよね」
リースの言葉に、アルスは笑ってしまう。
「おかしなこと、言った?」
「うん。僕は力持ちじゃないよ」
「嘘? だって、穴を掘った時も、途中で荷車を岩に載せた時も降ろした時も……」
「あんなの僕と同じ歳の男の子なら、誰でも出来るよ」
「……そうなの?」
「うん。お爺ちゃんは、僕をへなちょこだって言ってたよ」
「そうなんだ……」
(気のせい? でも、大人の騎士の人より、アルスの方が穴掘るの早かった気がしたんだけど……)
リースの頭には疑問が残るが、アルスが嘘をつくようには思えない。よく分からないと、リースは考えるのをやめることにした。
…
山の中は、移民の町の周りとは、また違う風景だった。重なり合う木々の大きさ、見掛ける草花、全てが初めてで新鮮な気持ちになる。
「綺麗……」
「いいところでしょう? 湧き水もあるんだよ」
「へぇ……」
「刃物を研ぐ水は、井戸の水じゃなくて湧き水。何故か、そっちの方が仕上がりが綺麗なんだ。僅かな不純物の差だったり、成分の差だったりするんだろうけど、学者じゃないから詳しく分からないんだけどね」
「じゃあ、どうやって知ったの?」
「全部、試したよ。水に砥石の種類。天然の鉱石の何が最適か。まあ、一番いいのが合金っていうのは少しへこんだけど……」
疑問符を浮かべて首を傾げるリースに、アルスは答えることは出来なかった。オリハルコンのことは口外禁止と、イオルクと約束していたからである。
…
それから、一時間近く経過する――。
初めての一時間以上の山登りに息を切らすリースを見て、アルスは懐かしそうに昔の自分と重ねる。子供の足にイオルクが合わせたように、今、リースの足に合わせて歩いている。
(少し不思議な気分だ)
疲れて言葉が少なくなったリースに、アルスが話し掛ける。
「ほら、家が見えてきたよ」
「え?」
視線の先に二階建ての家が見える。
「結構、大きい」
「鍛冶場もあるから広いんだ」
「畑もある?」
「今は何もなってないけどね。食べ物も処分しちゃったから、あの家は物しか残っていないんだ」
「水もないの?」
「井戸は蓋を取れば使えるはずだよ」
「よかった……」
リースの言葉にアルスは笑みを溢し、家が近づくと、リースの歩くスピードは早くなる。
そして、到着……。見上げる家が二階建てというのも自分の住んでいた家と違い、リースは興味をそそられる。
「お持て成しが出来ないのが残念だ」
アルスが家の鍵を開けると、薄暗い家の中に光が差し込む。扉を開けた家の中は整理され、シートが被せてあるものが、ほとんどだった。
「鍛冶場は?」
「そこの突き当たり」
「見ていい?」
「シートを被ってるけどね」
リースは家の中を探検するように走って行った。
「今朝の大人宣言は、何だったんだろう?」
荷車の荷物を押さえる紐を解き、アルスは荷物を家の中へと運び入れる。
そこに再びリースが戻って来る。
「凄い大きな釜戸があった!」
「火炉だよ。金属を溶かすまで温度を上げるから、燃料を沢山入れられるようになっているんだ」
リースは楽しそうに駆け回っている。
「あの姿、懐かしいな……」
アルスが手に持っている荷物を客間に運んでいると、直にリースも気付いて運び込むのを手伝い始めた。客間に置く荷物は、十五分で運び終わった。
「井戸に行って、水を汲んでくるよ」
アルスが家の入り口の近くに置いてあった桶を持って外に出ると、残されたリースは部屋の中をゆっくりと見る。
「大きな家……。二人しか居ないって言ってたのに……」
棚にある食器を見ると、まだ誰かが住んでいるような感じがする。しかし、窓を板で塞いでいるのを見ると、旅立った後なんだと実感させられる。
「私、アルスに迷惑掛けちゃってるんだな……」
リースは少し反省する。
しかし、『ありがとう』も『ごめんなさい』も言い尽くしてしまった気がする。これ以上は、しつこいと思うと自然と口を噤んだ。
「棚からコップ取ってくれる?」
戻ってきたアルスが棚を指差すと、リースは棚まで歩き、コップを二つ手に取った。一つをアルスに渡し、アルスは桶から水を掬ってコップをリースに渡す。もう一つの空のコップをリースが渡し、アルスは自分の分も掬う。
「冷えてて美味しいよ」
リースは頷いて、一口飲む。井戸でキンキンに冷えた水は、疲れて火照った体に染み渡る。リースは、一気にコップの水を飲み干した。
「美味しい……」
「お代わりもあるよ」
リースは自分から桶の水を掬った。
アルスも水を飲む。
「久しぶりの味だ。まさか戻って来るとは思わなかった」
アルスはクスリと笑うと、コップを置いて、奥の壁に掛けてある鍵を手に取る。
「リースに渡しておくよ。この家の合い鍵。荷物を取りに来た時、これで開けて」
「ありがとう……」
リースは鍵を受け取り、それを大事そうに見ている。
「アルス……」
「ん?」
「どうして、こんなに優しくしてくれるの?」
「色々と理由はあるね。困ってるリースを放っておけないとか、僕自身が同情してしまっているとか、理由が多過ぎて説明できないよ」
「特別なことじゃないの?」
「特別な出来事があったから、特別ではあるけど?」
「う~ん……」
(アルスって、時々、話が噛み合わない……)
こういう人をなんて言えばいいのかと、リースは思う。
「まあ、リースは特別だよ。信頼しているから、家の鍵を渡すんだから」
「信頼……。うん、私はアルスの特別」
アルスは『変なことを言うな』と笑う。
「さて、一息ついたら行こうか? トイレは?」
「済ませていく」
「分かった」
アルスは家の中のトイレを指差すと外に出る。
「先に水筒に水を入れておくよ」
リースはトイレへと向かい、アルスは、再び家を出る準備を始めた。