最東の山と最東の町を行ったり来たり――。
アルスとリースが、再び移民の町を通った時、後発隊の騎士達が到着していた。静かだったはずの町が別の人間達で賑わっている。
(あの街には、もう誰も居ないはずなのに……)
誰も居ないと知っている事実。誰も居ないはずなのに、知らない人が居る憤り。
(何で、あの人達が居座るの?)
リースは悲しいとも悔しいとも、何とも言えない胸のモヤモヤを感じていた。
「アルス……」
「ん?」
「街に知らない人達が居るの……何か嫌……」
(そういうものなのか? 僕には分からない……。でも、あの旅だった家を誰か知らない人間が勝手に入っていたらと思うと気分が悪い……)
俯くリースに、アルスは話し掛ける。
「大事なところだから、荒らされているように見えるのかもしれないね」
「荒らす……」
「でも、思い出して。あの人達は埋葬を手伝ってくれた。リースの大事なものを荒らしに来たんじゃないよ」
「それは分かる……。荒らされたと感じたのは気持ち……。話せなくなった人達の場所で話してるから……」
「それは――」
「分かってるよ。でも、暫くはダメだと思う。我慢できるようになるか、慣れるか、忘れるかしないと……」
「……忘れたくないね」
「うん、慣れるのも嫌だな。出来れば我慢できるぐらいに強くなりたい」
「強く……」
(この子は、僕とは違うんだな。泣いて、恐怖して、助けて貰えなかったらダメだった僕とは……)
移民の町で荷車を返して先に進み、道が遠くまで一本だけ延びている風景に変わる。温かい陽射し、柔らかい風、緑の草原の匂い……。人間達の凄惨な行いとは関係なしに、自然はいつも優しい……。
「緑が広い……」
「草が揺れて、風が見えるみたいだね」
「目を奪われて忘れるのはありかな?」
「ありだと思うよ」
リースが先に歩き出すと、アルスがリースの歩く早さに合わせて続く。
「今日で、別れるんだよね?」
「うん……。夕方には目的の町に着くと思う」
「そう……。アルスはそのあと、どうするの?」
「役所で手続き。お爺ちゃんが亡くなった連絡をしなくちゃいけないんだ」
「私はしなくていいのかな?」
「多分、連絡が行っていると思う。そうじゃないと、あの人達は、僕にリースを孤児院までお願いしないと思うからね」
「そう……。そのあとは?」
「そのあと?」
「町で手続きを終えたあと」
「報告も兼ねて、世界を回るつもり。お爺ちゃんの知り合いの居る場所を通って行くんだ」
「そっか……。世界を回るんだ……」
「僕とお爺ちゃんの鍛冶屋としての腕を確かめる。新しい技術があれば身につける。そして、世界を見て回るんだ」
「いいね」
「うん」
それから、リースは話をすることはなかった。アルスも無理に話し掛けることをしなかった。大切な人を亡くした二人には、考える時間も大事だったのだ。
…
夕方――。
目的地の町に到着する。石壁に囲まれた少し大きな町。商店、宿屋、酒場……あらゆるものが揃っている。町の真ん中の大通りには、目的の一つの役所。町の西に見える建物が孤児院らしい。
別れの時間は近かったが、アルスもリースも最後の別れの言葉を考え終わらずに、孤児院に着いてしまった。
孤児院は、木造建築。門の代わりに石柱が二本。自給自足もしているのか、小さな畑も見える。
「いいかな? 中の人を呼ぶよ?」
リースが小さく頷くと、アルスは孤児院のドアをノックした。
「はい」
現われたのは若いシスターだった。
「移民の町から孤児院に入る子を連れて来たんですが」
「はい、伺っています。リースちゃん……ですよね?」
「はい」
アルスがリースの背に手を添えると、リースは一歩前に出た。
シスターはしゃがみ込むとリースに微笑む。
「初めまして」
「……初めまして」
シスターは再び立ち上がり、アルスに話し掛ける。
「ご苦労様でした。しっかりと承りました」
「はい。……それでは、お願いします」
別れの言葉は、何故か言えなかった。別れは、サッパリしていた方がいいのかもしれない。
アルスが頭を下げて振り返ろうとすると、アルスの外套をギュッとリースが掴んだ。
「リース?」
アルスが振り返るのをやめると、リースが無言で涙を流しながら、強い視線でアルスを見ていた。
「えっと……」
「私も、連れて行って」
「え?」
暫し沈黙すると、アルスは首を振る。
「無理だよ。僕は行かなくちゃ」
リースは俯くと、声を大にする。
「ここには居られない! 私も行かないといけない!」
「行くって……」
(何処へ?)
「お父さん、お母さん、街の皆の仇を討たなきゃいけないの!」
「リース……。そんなことを考えて――」
「そんなことじゃない! これは、私にしか出来ないこと!」
アルスはリースに向き直る。
「違うよ。そうじゃない。お父さんもお母さんも、そんなことを望んでない」
「違う! 私に仇を討って貰うことを望んでる!」
「違うよ……」
「何で、アルスに言い切れるの⁉」
アルスはリースに迫力負けしたが、そこで黙らずに答えを返す。
「だって……。僕は、リースにただ幸せになって欲しいもの」
「……え?」
「だから、幸せになって欲しい君の手が、武器を握るなんて考えたくないよ」
「…………」
リースは押し黙る。しかし、自分の感情が否定する。
「お父さん達は、そうかもしれない。でも、私が許さない! 私が許さないんだ!」
「そのために、僕を利用するのか?」
「……利用?」
(そうだ……。これは、私がアルスを利用して着いて行く卑怯な行動だ……)
リースは涙を拭う。
「そう。私個人の理由で、アルスを利用するの」
「そんなあっさり認めるなんて……」
アルスが額に手を置くと、置いてけぼりのシスターが手を上げる。
「あの~……」
アルスとリースがシスターを見る。
「リースちゃんは、随分と過激な女の子みたいですね?」
「そんなことないです!」
アルスは両手を振って否定した。
「でも……」
「ここに来るまでに辛いことがあっただけです。それで、感情が膨らんで――」
「よく分かっていらっしゃるじゃないですか」
「え? はあ、まあ」
シスターが片手を頬に当てる。
「実は最近、孤児院に入る子が増えまして……」
「はあ……」
「この孤児院も養える子供がギリギリなのです」
「はあ……」
「リースちゃん、養子にしちゃいませんか?」
「は?」
アルスは暫し固まり――
「はぁぁぁ⁉」
――そして、絶叫した。
「このままだと、リースちゃんは必ず孤児院を脱走しますし……。最悪、そのまま餓死なんてことにも成りかねません」
「脱走のうえ、餓死……」
「はい。私達も養育費などを考えると、是非、そちらの方が――」
「待ってください! 後半、確実にあなたの都合ですよね⁉」
「ここは、リースちゃんの意見を尊重すべきでは?」
リースはアルスの外套を掴む。
「行く」
(僕の都合は……? ハッ!)
アルスはシスターに詰め寄る。
「僕は、まだ子供だから養子を取れる権利はありません!」
溜息を吐くと、シスターは質問する。
「幾つですか?」
「は?」
「歳です」
「一昨日、十五歳に……」
「まあ、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
(この人は、一体……?)
シスターはリースの頭に手を置く。
「よかったわね。この国では十五歳から養父になれるのよ」
「いいわけあるか! この腐れシスターっ!」
「条件は整っていますが?」
「全然整ってない! 僕が生活費を面倒みれるような大人に見えますか⁉」
「健康そのものに見えますが?」
「そういうことじゃないです! まだ、青二才の子供ですよ! 自分の生活費を稼げるかも分かりません!」
「ここも同じ様なものですよ。生活費がギリギリだから自給自足もしていますし」
「そうじゃなくて……。何なんだ? この人?」
蹲って頭を抱えるアルスの後ろでは、シスターがリースに話し掛けていた。
「リースちゃん。ここに居るのと、そこの人の側に居るの、どっちがいい?」
「アルスの側がいい」
「そう、分かったわ」
シスターがアルスの肩を叩くと、アルスは蹲ったまま視線を向ける。
「孤児院は、リースちゃんの受け入れを断固拒否します」
(有り得ない……)
シスターは天使の微笑を浮かべる。
「では、お元気で。神は貴方達を見守っていますわ」
バタンと孤児院の扉が閉まった。
(今、間違いなく見放されたんだけど……)
残されたアルスとリース。リースはジーッとアルスを見ている。
「……僕の負けだ」
アルスが項垂れると、リースはニッコリと微笑んだ。
…
アルスは足取り重く、町の中央通りにある役所の建物を目指す。リースは『少し悪いことをしたかな?』と、青い瞳をアルスに向ける。
「あの、ごめんね」
「もう、いいよ……。僕はシスターという生き物が、この世で一番凶悪な生物だったと認識しただけだよ……」
リースは困った顔のまま、苦笑いを浮かべる。
「問題は生活費だよ……。気ままな一人旅なら、町の鍛冶屋でアルバイトとか、力仕事をして、その場の収入で旅を続けることも簡単だと思ったけど……」
アルスは、リースをチラリと見る。
「一人分多く稼ぐとなると、お金を稼ぐ時間が増えるから、旅は遅れることになる……」
アルスの言葉に、リースは初めて生活費のことなどに気付いた。自分は間違いなく不良債権に違いない。
(でも、孤児院なんかに居たら、仇の盗賊を探せない)
リースはアルスを見ながら『どうしようか?』と、うんうん唸っている。
(この迷惑は生涯掛けて償っていく。だから、今は私の我が侭を受け入れて……なんて、本当に何て勝手なお願いだろう)
それでも、リースに縋れるのはアルスしか居なかった。アルスに迷惑を掛けると思っても許せない。胸の中で、黒くて熱い塊がジクジクと自分を蝕んでいる。
リースは奥歯を噛み締めていると、アルスの視線に気付く。
「何考えてるの?」
「……何でもない」
「そんな目を吊り上げて、何でもないわけないよ」
「…………」
リースは、そっぽを向いた。
(あれ? アルスは怒ってない? 悩んでもいない?)
リースは、アルスに視線を戻す。
「どうしたの?」
「アルスこそ、どうしたの?」
「何が?」
「怒ってたでしょ?」
「シスターにはね」
「困ってたでしょ?」
「さっきまではね」
「今は?」
「これもありかなって」
リースがこけた。
「……どういうこと?」
「いや、お爺ちゃんが『楽しんできな』って言ってたの思い出して」
「それで?」
「旅の早々に連れが出来るのも、楽しいことなのかもしれないって思ったんだ」
「それだけ? それだけで許してくれるの?」
アルスは少し考える。
「許せるみたい」
アルスが笑って見せると、リースは呆れながら項垂れる。
(アルスって、どういう性格なんだろう?)
多分、イオルクの影響が大きい。真面目で優しい性格は両親譲り。それに豪快なイオルクの性格が加わって、今のアルスがある。
その変化が良いものなのか、悪いものなのかは分からない。しかし、その変化をアルスは受け入れた。ただ、それだけだ。
「とりあえず、役所に行って手続きをしてしまおう」
「……うん」
アルスという人間をまだ全部知ったわけではないのだと、リースは改めて思った。