町の役所――。
石造りの堅牢な建物の中では、職員が窓口で忙しそうに対応をしている。この町の住人だけではなく、アルスのように近くの町から訪れる者も多いためだ。
アルスは番号札を貰って、待合室で待たされていた。
「夕方のせいか、待ってる人は少ないね」
「私は初めてで分からない」
「僕は何回か来たんだけど、昼間は凄い行列だったよ」
「そうなんだ。あ、次かな?」
待合室はアルスとリースの二人きりになった。
リースが足をブラブラさせて、アルスに話し掛ける。
「私達、ちゃんとした家族になれるかな?」
「……非常に難しいと思う」
この先、どんなことが待ち受けているか想像も出来ないため、アルスはそんな感じがした。
そして、番号札の番号を呼ばれて二人は立ち上がり、待合室を出ると待合室に鍵が掛けられた。どうやら、最後の客になったらしい。
アルスはリースを連れて窓口に向かった。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「身内の死亡届になります」
「亡くなった方のお名前は?」
「イオルク・ブラドナーです」
「貴方との、ご関係は?」
「養父になります」
「暫くお待ちください」
窓口を挟んでの会話が止まり、受付の女性が厚い資料を調べ始めると、やがて確認が取れる。
「確認しました。貴方は、アルスさんで合っていますか?」
「はい」
「ご本人確認も、大丈夫そうですね」
(普通は、僕が名乗って確認の気もするけど……)
アルスは細かいことを突っ込むのをやめる。
「他にも、ご用件はありますか?」
(来た……)
「はい……」
「何でしょう?」
「養子の話を――」
「は?」
受付の女性の反応は尤もだと、アルスは思った。養父の死を報告したその日に、養子の話を持ち掛けるなど聞いたこともないだろう。しかも、見た目から判断して、養父になるとは思えないはずだ。
「え~っと……。また、何処かの家に入ると?」
「そうではなく――」
受付の女性が疑問符を浮かべる。
「――この子を養子として、僕が預かる申請です」
受付の女性は、さっきの厚い資料を捲り始めた。
「あの、三日前に十五歳になられたばっかりですよね?」
「ええ……」
「法律的には問題ありませんが……本気ですか?」
「はい……。孤児院の(腐れ)シスターに勧められました……」
「そっちの子の了承は?」
リースは頷いてアルスの外套を握った。
「私の知る限り、最短記録ですね。十五歳で養父になる方も、三日目で養父になる方も」
「でしょうね……」
「嫌なのですか?」
「いえ、さっきのシスターを思い出して、少しムカついてるだけです」
「…………」
(あそこのシスターは、何をしたんだろう?)
受付の女性は、それは置いといてと、手続きを進める。
「そうしますと、父親、アルス・B・ブラドナー。娘さんがリースですが、ミドルネームの類は、如何しましょう?」
アルスは、リースに振り返る。
「リースは貴族の子じゃないんだよね?」
「うん」
「じゃあ、リース・ブラドナーでいいのかな?」
リースは少し考えると、アルスにお願いする。
「リース・B・ブラドナーで登録して」
「B? 僕のBは、両親の苗字をお爺ちゃんが入れてくれたんだけど? ベアントセンのB」
「……アルスと同じがいい」
「そんなのでいいの?」
リースは頷く。
「そう? リース・B・ブラドナーで登録できますか?」
「出来ますよ。リース・B・ブラドナー、十歳ですね」
「十歳……。いいのかなぁ……。十五歳の父親に十歳の娘が居るって?」
「聞いたことありませんね」
受付の女性はクスリと笑う。
「はい、手続きは終わりです」
「ありがとうございました」
「いい親子になってね」
「……頑張ります」
アルスはリースを連れて役所の外へと出ると、酷く疲れた気分になる。
「宿屋を探そうか?」
「…………」
リースは立ち止まった。
「リース?」
「アルス……」
「ん?」
「家族になってくれたアルスに、話しておきたいことがあるの」
「いいよ」
リースが人の居ない脇道を指差すと、アルスはリースと脇道に入った。
「話って?」
「私……、秘密の名前を持ってるの」
「秘密の名前?」
「お婆ちゃんの苗字」
「苗字? 貴族じゃないんでしょう?」
「うん。お婆ちゃんは、移民の街に入る時に貴族を捨てた。お婆ちゃんの名前は、ニーナ・ビショップ」
「ビショップ……」
「そう、ビショップのB。アルスのミドルネームが、偶々、Bだったから隠せる」
「ビショップ……。ニーナ・ビショップ……。昔のサウス・ドラゴンヘッドの王女様の名前だったけど――待って」
アルスは両親に教えて貰った歴史を思い出す。
「リースはビショップって名前について、何か?」
「私は秘密の名前を教えて貰っただけ。それ以上も、それ以外も知らない」
「あの悪名高き、サウス・ドラゴンヘッドを潰した王女様と同じ?」
あまり良い噂ではなさそうなので、リースは声を落として質問する。
「……悪名って?」
「サウス・ドラゴンヘッドの王様を殺して、国を独裁しようとして殺されたんだ。でも、この歴史は曰く付きでもあるんだ」
「曰く?」
「その正反対。独裁を阻止しようとしたけど、罪を着せられて殺された」
「殺されているなら、私と関係ない」
「そのはずなんだけど……」
「気になることがあるの?」
「うん……。リースの家にあったっていう隠し通路……。王女様なら、追っ手を警戒していたのかもって――」
アルスは首を振る。
「――考え過ぎだ。何で、サウス・ドラゴンヘッドの王女様がノース・ドラゴンヘッドの――しかも、移民の町なんかに居るのさ?」
「うん、遠過ぎるし」
「女の人の足で逃げるなんて無理な距離だと思う。ビショップという苗字だから、親戚や血縁者だったから逃げた……の方が普通かな? 王女様が殺された後に」
「そうかも……。お母さんは、お婆ちゃんに魔法と歴史は勉強しちゃいけないって言われてたって」
「両親の才能は遺伝するから、魔法の才能から正体がバレるのが嫌だったんだろうね。歴史も、それとなく気付いて欲しくなかったのかな」
「お婆ちゃんは、お母さんや私を守ろうとしていたの?」
「多分、そう思う……。貴族の肩書きを捨ててまで守ったんだ。そして、リースのお母さんもお父さんも、リースを守ったんだ」
「私を?」
「うん。強い絆だね」
リースは顔も知らない祖母に守られていたという不思議な感覚に包まれていた。
「だから、リースは死んじゃいけない。簡単に死ねない」
「うん」
「だから、仇討ちとか、復讐とか、そういうものはしないで、普通の生き方を探していこう」
「それは、別」
「…………」
リースの中の決意は固い。アルスの説得は一蹴された。
(ダメだ……。時間が掛かっても、根負けするまで言い続けるしかない。復讐するなんていいわけがない。それに、さっきの話が予想通りなら、リースのお婆ちゃんは戦うことを避けて、子孫を残す道を選んだんだ。その孫のリースが危ない道を選ぶなんて望んでいないはずだ。僕自身も女の子が武器を持つなんて嫌だ)
アルスは溜息を吐く。
「リース。僕は反対だからね。いつまでも言い続けるよ」
「別にいい……」
少し拗ねた顔で答えを返したリースに、アルスは、また溜息を吐く。
「あと、リースの苗字は引き続き秘密にしておこう。僕も、誰にも言わない」
「どうして?」
「何か話してしまうと、大事にしていた何かを壊してしまう気がする。僕は、リースが家族と信じて話してくれた気持ちで十分だよ。だから、その秘密は、リースが大事に仕舞っておきなよ」
「……うん、そうする」
「実感が湧かないけど……。これから、よろしくね」
アルスの差し出された右手を、リースは強く握り返す。
「うん、よろしく。……ところで」
「ん?」
「パパとかって、呼んで欲しい?」
「…………」
アルスは空いている方の左手で顔を覆う。
「そうか……。僕は、父親なのか……」
アルス・B・ブラドナー、十五歳、十歳の娘あり……。この日、アルスは父親になってしまった。