ここから魔法特区まで普通に歩けば七日、子供の足があるので十日を見る――。
道のりは長く、話題もいつまでも続くか分からない。しかし、それはリースに訓練内容を教えてからでも構わない。そう結論付けたアルスは、先に訓練方法を教える。
「まず、筋力を鍛えないとどうしようもないから、ナイフを使うのに必要な指の筋力を鍛える」
アルスは、先ほどの短い鉄の棒を見せる。それを指に挟んで、閉じたり開いたりする。
「これをする」
「何の訓練?」
「握力の向上と手首のスナップを鍛える。ついでに指でナイフも投げれるように」
アルスが指に挟まる鉄の棒を上に飛ばすと、落ちてきた鉄の棒を同じ指で挟んで掴む。傍から見ると曲芸のように見え、楽しそうに映る。
「初めは動かすだけでいいよ。慣れたら飛ばしてみて」
「うん」
リースがアルスから鉄の棒を受け取り、六本の鉄の棒を両方の手の指に挟む。
(重い……)
短い鉄の棒でも、ずっしりと指に重さを感じる。
(でも、出来る……)
鉄の棒がリースの手で上下に動く。
「結構、簡単かも」
「そう?」
アルスは微笑む。
「じゃあ、僕がレベル2未満の魔力しか体に通せない理由を話すね」
「うん」
リースの手で、鉄の棒はクニクニと動き続ける。
「信じられないかもしれないけど、僕には呪いが掛かっているんだ」
「呪い?」
「そう、レベル2以上の魔法を使うとバーサーカーになってしまうんだ」
「バーサーカー?」
「体が強化されて、敵味方関係なく襲っちゃう。だから、魔法を使えない」
リースは半信半疑で聞き返す。
「呪いなんてあるの?」
「あるよ。実際、レベル2以上の魔法を使って試したから」
「それで使えない――じゃなくて、使わないの?」
「うん、自分で制限を掛けてる」
「そうなんだ」
「本当は、お父さんとお母さんと同じ魔法使いになりたかったんだけど、魔法使いになれないから鍛冶屋になったんだ」
「ふ~ん……」
リースが自分の指を見る。初めてから少ししか経っていないのに……。
(指が疲れてきた……。でも、これを続けないと仇討ち出来ない……)
リースは頑張って続ける。
「そして、僕に呪いを掛けたのが、これから会いに行く人でもあるんだ」
「それって……」
「うん、僕の両親を殺した人」
(アルスは、私よりも辛い目にあっているのかな……)
立ち止まってしまったリースに、アルスは振り返る。
「どうしたの?」
「アルスの方が不幸なんだね……」
「不幸なんて比べられないよ。大事な人を失ったのは同じなんだから」
「でも、夢も失ってしまったんでしょ?」
アルスは微笑んでいる。
「新しい夢を貰ったよ」
「鍛冶屋?」
「知らないだけで、とても魅力的だった。それにお父さんとお母さんの才能も、完全に使えないわけじゃないからね」
アルスが指を立てて炎を灯らせると、リースは少し安心して微笑む。
「アルスも、十分に強いと思う」
「強くして貰ったんだ」
「お爺ちゃん?」
「そう」
「いいお爺ちゃんだったんだね」
「うん」
リースは話を止める。
「指が限界……」
「休みながらでいいよ」
「そう? じゃあ……」
「でも、今日一日は、やり続けるよ」
「え?」
リースは指に挟まる鉄の棒をバラバラと落とした。
…
一日歩き続け、草原だった風景は山の中に変わる――。
リースの指はズキズキと痛み続けていた。
(アルス……。本当は戦い方を教える気はないんじゃないのかな……)
先を歩き続けるアルスに不信が募る。
(思えば強引に着いて行くって言い張って……。言うことを聞かないで大暴走……。本当は旅の邪魔だったりしてるのかも……)
少し気分が滅入る。視線の先では、アルスが随分と先に進んでいる。
(でも、あれだけ話をしたんだし、嫌われてはいないはず……)
指はズキズキと痛み続け、リースは俯いて歩く。初めての訓練に、ちょっとのことが辛く感じる。
(こんなことで、仇討ちなんて出来るのかな……)
顔を上げると、いつの間にか山道を塞ぐ大きな岩があった。
(こんなの登れない……)
だけど、差し出される手。
「掴まって」
「あ……」
(そうだよね……。アルスは待ってくれている……)
リースは指に鉄の棒を挟んだままの手を伸ばす。
「こんな時まで握ってることないのに」
アルスがリースの手首を掴んで、岩の上まで引っ張り上げる。
「休憩しようか?」
「うん……」
大きな岩の上で、アルスとリースはリュックサックを降ろして足を投げ出す。岩の上には、リースが握っていた鉄の棒も転がっている。
「大丈夫?」
「正直、辛い……」
「何処が痛いか分かる?」
「分かる」
アルスがリースの指の上と手の甲をなぞる。
「ここら辺かな?」
「うん」
「そこが重要になるんだ」
「こんなところ?」
「しっかり覚えといて。ナイフを使った訓練で、そこを意識するから」
「ここ……」
リースは自分の左手を右手でなぞる。
「ナイフを手首のスナップを利かして振ると、痛いところが一直線になるんだ」
「この痛みを意識するの?」
「そう。そして、そこが普段使わない筋肉で、戦いで使う筋肉」
(そうなんだ……)
リースは両手を開いたり握ったりして、痛みを確認する。
「筋肉痛が取れるまでにナイフの使い方を覚えようね」
「そうか……」
リースは自分の手を目の前に翳し、痛みの跡を目で追う。
「……これが目印になる」
「そう。明日から、朝と夜はナイフの使い方。歩きながら魔法の訓練」
「逆じゃないの?」
「しっかりと地面に足を着けなくちゃいけないから、しゃべりながら出来る魔法の詠唱が歩きながら」
「一日休めば?」
「滞在費が掛かるから無理……」
「切実だね……」
アルスは『そうなんだ』と項垂れた。
「サウス・ドラゴンヘッドに入る前に、何処かでお金を稼がないと拙いかも」
「ごめんなさい……」
謝るリースに、アルスは首を振る。
「仕方のないことだよ。――ハンターの資格でも取ろうかな? この前の盗賊は、三分の一の報奨金しか出なかったし」
「いい案だと思う!」
リースは顔を上げて、アルスに頷く。
「そ、そう?」
「そうすれば、ビンゴブックが手に入る!」
アルスは微妙な気分になった。
(この子、絶対に諦める気ないな……)
思わず溜息が出ると、アルスは転がる鉄の棒を拾ってリュックサックに詰め込む。
「仕舞うの?」
「これ以上やらせたら腱鞘炎になっちゃうよ」
リースは手を交差して前に伸ばす。伸ばされた筋が気持ちいい。
「絶対に頑張る!」
「いつか盗賊団を倒すために?」
「うん!」
「叶う日は来ないと思うなぁ……。相手にする人数が違い過ぎるから」
「それでもいいの!」
リースはアルスを見て舌を出した。
(私が頑張りたいのは、もう、それだけじゃないんだから)
アルスが困った顔をすると、リースは可笑しそうに笑った。そして、その日は、山を下りた麓の町で一泊することになった。