翌日から、リースの武器の訓練と魔法の訓練が始まる。リースの訓練は、アルスにとっても自分を振り返る良い機会になった。他人に教えることで、改めて気付くこともあったりする。
…
武器の訓練は基礎を中心――。
イオルクから教えられたナイフの振り方、投げ方を丁寧に伝授する。リースの中に初めての間違い探しの答えが頭にインプットされ、自分以外の存在――アルスを強く意識することで、自分以外の相手の状態も頭に浮かべるように意識し始めた。
これが間違い探しの初歩である。アルスの立ち方や動きをリース自身の動きに頭の中に合わせる。そうすることで、自分の間違いが見つかる。これが完全に一致するようになった時、基礎の動きが出来るようになる。
また、この基礎訓練は、毎日続ける必要がある。アルスもリースも、まだまだ成長する。背が伸び、体重も増え、日々、変化しているのだ。その変化の微調整をし続けなければいけない。
そして、成長以外に体調も変わる。基本となる基礎を正解の姿として持ち、日々、修正を必ず入れなければならない。アルスもリースも騎士ではない。魔法使いの家系の弱い存在。力が足りない分は、技術で補うしかないのだ。
…
一方の魔法の訓練――。
これは少し信じられない――いや、当然の結果を齎した。初めての魔法の使用で、リースはレベル3までを使って見せた。アルスは純粋に驚かされた。アルスの場合はレベル1とはいえ、十歳まで両親に魔法の訓練を受けていた。体は魔法を使える準備が整っていたことになる。
しかし、リースは、何の準備もなしに魔法を使ってしまった。この調子なら、アルスがイオルクにレベル5までの魔法を披露したように、リースがアルスにレベル5の魔法を見せる日も近いかもしれない。
……なのに、当のリースは魔法を使うよりも武器を使う方にご熱心な様子だった。リースの頭の中では、町から町へと移動する間の魔法の訓練をしていても、朝と夜のナイフ術の武器の訓練が頭を過ぎっていた。
「正直、武器の訓練を面白いと言い出すとは思わなかった」
「だって、魔法の訓練は、歩いている間、しゃべりっぱなしで詰まんない。……口は渇くし」
「仕方ないんだよ。魔法を使ってなかったリースは、魔法を使い続けて魔力の通りを良くしないといけないんだから」
「私は外で遊ぶ方が多かったから、仕方ないの」
「外? そうか。リースのお婆ちゃんの代から魔法の力は秘密だったから……」
「そういうこと。純粋な魔法使いの家系じゃないんだよ」
「でも、魔法の力は凄いと思うんだけどなぁ。やっぱり、お婆ちゃんの血筋が色濃く出てると思うんだけど」
リースの才能を勿体なく思うアルスとは、根本から違うのかもしれない。リースは普通の町の子として過ごしていたので、体を動かす方が楽しく感じるようだった。
「アルス、歩きながら出来るナイフの訓練方法を考えてよ」
「困ったなぁ……。これじゃ、回復魔法とか無詠唱の魔法とかの応用を教えられないよ。武器の扱いにしたって、大事な基礎を雑になんて教えられないし」
数日の間で打ち解け始めたアルスとリース。しかし、今は、まだまだ子供のリースにアルスが振り回される形。
こんな調子で、更に数日が過ぎて魔法特区へと到着することになった。
…
魔法特区――。
かつて、アルスが住んでいた町。今は住んでいた家もなく、両親の墓があるだけだ。町に到着して、アルスが最初に向かったのは花屋だった。
両親の墓に供える花を買い、リースを連れて両親の墓を訪れた。両親の墓は清掃され、新しい花が供えられていた。アルスは、それを誰がしてくれたか分かっていた。
供えられた花の横に自分が買った花も供える。
「…………」
アルスは、自分以外が供えてくれている花に優しく微笑む。
リースは不思議そうにアルスを見たあと、手を合わせて祈りを捧げる。アルスもリースに気付くと、遅れて手を合わせて祈りを捧げた。
祈りを捧げ終わって、アルスがリースにお礼を言う。
「ありがとう」
「安らかに眠ってくれているといいね」
「そうだね」
「お花……、アルス以外にも供えてくれた人が居たんだね」
「うん……。多分、領主様だよ」
「そっか」
「行こうか」
「何処に?」
「リースに会わせるって言った人のところ」
「……うん」
「緊張しなくても大丈夫だよ。優しい人だから」
「本当?」
「うん……。そのお墓に花を供えてくれている領主様だよ」
「え?」
リースには、アルスの身に何が起きたのか、疑問を深くした。
…
領主の館――。
アルスの両親を殺し、アルスに呪いまで掛けた人物の家。その人物がアルスの両親の墓に花を供え続けている。その人物に会うことに、リースは緊張していた。
アルスが領主の館の呼び鈴を鳴らすと中から執事の男性が顔を出し、アルスは領主に面会を申し入れた。そして、案内された二階の領主の部屋は、あの時と変わらない内装と造り。ドアを開けた部屋の中は変わっていなかった。
「お久しぶりです」
「アルスか……。また大きくなったな」
「ありがとうございます」
「イオルクは?」
「……お爺ちゃんは亡くなりました」
「そんな……。まだまだ元気そうだったのに……」
痩せた白髪の老人は悲しそうに俯いて、お悔やみの言葉をアルスに送った。
領主は、リースに手を向ける。
「そちらは?」
「その、僕の娘……です。戸籍上は」
「娘?」
領主は可笑しそうに笑う。
「お爺さんと一緒だな」
「ええ、成り行きで家族になりました」
「困ってないかい?」
「毎日、困ってます」
領主は、再び可笑しそうに笑う。
「そして、今日は?」
「この子に領主様の苦しみを話してくれませんか?」
領主は、アルスの頼みの意図が分からなかった。
「どういうことだね?」
「約二週間前、この子の町が盗賊団に襲われて、この子以外が殺されました」
「あの移民の町の子か?」
「はい。そして、心の中に色んな気持ちを押し込めています。中でも盗賊団に対する怒りや憎しみが強いんです。だから、憎しみだけではなく、反省した人が背負う罪というものを話し合いました。それが理解できれば、この子は悪い人を殺す以外に罰することを理解できるはずなんです」
「それで、私か……」
「心を抉ってしまう行為ですが、この子のために話してくれませんか?」
「……ああ、話そう。私なんかの話で、少しでも何かに気付けるなら話させてくれ」
「ありがとうございます」
アルスは深く頭を下げると、リースの背中を押す。
「自己紹介をして」
「リース・B・ブラドナーです」
「ブラドナー……。イオルクの苗字をそのまま残したのだな」
領主は感慨深げに名前を口に出したあと、自分の立場を軽く自己紹介し、リースに静かに経緯を話し出した。
「今から五年も前になる。私は商人から、ある品物を二つ手に入れた。悪魔が書いたと言われる契約書だ。そして、それを見た瞬間、私の中にある醜い大きな心が膨れ上がった」
「醜い心?」
「嫉妬心だ。私は、この町の領主よりも優秀なアルスの両親に嫉妬していた。その心が爆発的に膨れ上がったのだ。その結果、アルスの両親を町の民の前で処刑した。更にアルスまで殺そうとしていた」
領主は幼いリースのために殺しの内容などは口にしなかったが、それでも聞いた内容が内容なだけに、リースにはショックだった。
「その処刑される場に割り込んで、アルスの命を助けたのがアルスのお爺さん――イオルク・ブラドナーだった。しかし、アルスの命は助かったが、狂った私は残った契約書でアルスに呪いを掛け、未来を奪ってしまった。正気に戻ったのは、暫く経ってからだった」
「この時の被害者って……」
誰でもない全員だった。
(アルスがこの真実を知っているなら、仇を討ちたくても討てない……。だって、アルスは……)
リースはこれまで接してきたアルスの性格を理解している。アルスが仇討ちなど出来るはずがないのを分かっていた。
「私は許されないことをした。アルスに何度謝っても謝り切れない。私は償えない罪を一生背負ってしまったのだ」
リースは、アルスに振り返る。
「アルス! 許してあげないの⁉」
「……許さない。それは愛する家族に対する冒涜だから」
「でも……。でも……」
領主がリースの肩に手を掛ける。
「それはアルスの優しさなのだ。私はこの罪が許されたら、一生拭えない後悔を背負う。アルスは、後悔の代わりに罪を背負わせてくれてる」
「そんなのって……」
領主は首から大事そうに首飾りを外すと、鎖の先に付いている歪なナイフを見せる。
「これが、何か分かるかい?」
「……ナイフ」
「いや、私にとって勇気なんだ」
「これが?」
「私に殺されそうになった恐怖を、アルスはイオルクと一緒に造ったナイフで退けた。このナイフには、本当に勇気が宿っている。それをアルスはくれたのだ。私は罪に心を押し潰されそうになったら、このナイフから勇気を貰っているのだよ」
「アルス……」
アルスは、リースに話し掛ける。
「罪を知ると、これだけ辛いんだ。だから、裁かれた盗賊や悪い人が罪に気付いた時、心が押し潰されそうになる。そして、領主様のように心を痛め続けることになる」
「…………」
リースは領主とアルスの話を聞いて、深く俯いた。
「そういう機会を与えることで、殺すのを我慢するのはダメかな? 罪を認めることが出来るのは大事だと思う」
「うん……」
リースは顔を上げると、領主とアルスの手を取る。
「出来るだけ我慢する……」
「うん、ありがとう」
「君に話して、少し心が楽になったよ」
リースは頷くと、領主に微笑み掛けた。
…
話が終わり、場所をテーブルの前に移し、三人は紅茶で一息入れていた。
領主がアルスに話し掛ける。
「これから、どうするのかね?」
「王都のお爺ちゃんの家族に報告します」
「そうか」
「今日は、ありがとうございました」
「礼はいらないよ」
「お墓の方もあります」
「……私の罪だからな」
「今日、凄く嬉しかったんです。お墓は綺麗で、花も供えて貰っていた」
「ああ、そう言って貰えてよかった……」
リースは二人を見て微笑む。こういう罪の償い方があるのが少し嬉しかった。
「今日のこれからの予定は?」
「もう一つ先の町まで、進もうと思っています」
「随分、急ぎだな?」
「旅費が少し寂しくなったもので」
アルスは少し恥ずかしそうに笑う。
「なら、ここで鍛冶仕事をしていかないか?」
「仕事があるんですか?」
「この街は、イオルクが訪れて調理器具なんかを直していた。知っているだろう? 使っていた鍛冶場も、そのまま残っているはずだ。明日の朝に看板を出せば、街の人間の列が出来るはずだ」
「助かります」
「でも、この街の人間はイオルクの腕に慣れているから、要求される質も高いぞ?」
「望むところです」
アルスは気合いの入った顔で返事を返した。
(イオルクに相当仕込まれたようだな)
領主は頷く。
「今日は、ここに泊まりなさい。明日、執事に案内させる」
「ありがとうございます」
アルスとリースは旅費を稼ぐため、一日多く魔法特区の町に滞在することが決定した。
…
翌日――。
魔法特区の鍛冶場には長い列が出来ていた。凹んだ鍋、錆びた包丁など、皆、壊れた生活用品の修理をお願いするものを持参している。
(正直、一日で終わらないな)
鍛冶場の熱と格闘しながら、アルスは汗を拭う。
そして、その鍛冶場の外では、リースがナイフ術の訓練をしていた。半身になり、握るナイフの右手を脱力する。無駄な力を抜いて、手首のスナップを利かして左から右に薙ぎ払う。
「上半身のバネと腕の振りと手首の返し……。スピードはついたけど、腕の筋力が弱いせいか目標とずれる。腕の筋肉が中々つかないな」
訓練を開始して十日ほどでは劇的な変化は起きない。それでも、最初の頃に比べれば成長している。
リースは深呼吸して目を閉じる。
(アルスは、余計な癖がつくのはよくないって言ってた。思いっきり振ってブレるなら、ゆっくり、目標までの最短の軌道を繰り返そう。この最短の軌道を振れるように体を鍛える)
リースは、ゆっくりと繰り返す。振り下ろし、薙ぎ払い、振り上げ……。上下左右、斜めと角度を変える。右手が終われば左手。自分の限界を確かめるようにスピードを上げる。
そして、体にブレが出たら初めからやり直す。今は、しっかりと基礎を体に刻み付ける。
「基本を身につけて必殺技。力のない私はナイフの鋭さに頼る。その刃を最短最速で急所に届かせる」
その日、魔法特区では鍛冶場の鉄を叩く音と、ナイフの風斬り音が鳴り続けた。