アルスはミストに教えて貰った地下へと進みながら、首を傾げる。
「おかしいな? 男の人がこっちなら、さっきの人達とすれ違うなり、後ろから声が聞こえてくるなりしてもいいはずなのに」
やがて階段が終わり、一人の聡明そうな雰囲気を漂わす、自分よりも拳一つ分ほど背の高いローブを着た男性に出会う。黒い髪と同じ黒い目。優しそうな目をしているその人は、さっきまで居た貴族とは別な感じがした。
「試験官を務めるトルスティ・カハールです」
「アルス・B・ブラドナーです。……あの、僕だけですか?」
「貴方だけですよ」
「へ? 次の試験って、ここで男の人は受けるんじゃないの?」
「何か会話が噛み合っていませんね?」
「はい……」
アルスは、ようやく思い当たった。
(はは……。貴族の虐めだ……)
アルスは溜息を吐く。
「すみません。この試験を受ける気ないんですけど」
「何故です?」
「僕はハンターの資格が欲しいだけなんです」
「でも、ハンター登録は試験後にしか登録できないですよ」
アルスは左の腰に手を当てる。
「何か、よく分からないなぁ……。さっきの試験がランクFの試験なんですよね?」
「ええ」
「この試験は?」
「ランクCへの省略のものです」
「ランクFは受かったんですよね?」
「ええ」
「じゃあ、この試験を受けずに、ランクFの資格を貰って終わりにしたいんですけど」
トルスティは一拍開けて、説明を続ける。
「説明が悪かったですね。登録が試験後なのです」
「はあ……」
「さっきの試験が終わった時にしか登録できなかったのです」
「え~っと……。つまり、登録するなら受かっても落ちてもいいから、ここの試験を受けろと?」
「……申し訳ありませんが」
「まったく、これだから貴族は……」
アルスは右の腰にも手を当て、苦々しく呟いた。
「何故、そこで貴族が出てくるのですか?」
「騙されたんですよ。男性は、こっちで試験を受けろって」
「恨まれるような、何かをしたのですか?」
「一般人が試験でいい点取ったのが気に入らなかったんじゃないんですか?」
「災難ですね……」
「本当に……。ミストは、そんな人に見えなかったのに」
トルスティが苦笑いを止める。
「今、何と?」
「ミスト・ベルグストロームって、貴族に騙されたんですよ」
(あの子が……? 人を騙して試験を受けさせるなど、そんなことを教えたつもりはありません!)
トルスティの顔が険しくなる。
「その人を処罰します」
「処罰?」
「試験は受けさせません。取った資格もなかったことにします」
「そこまでしなくても……」
「いえ、決して許せません」
「そんなことが可能なら、僕のランクFの合格を認めてくださいよ」
「それは出来ません」
(何て面倒臭い人なんだ……)
アルスは目を閉じて、コリコリと額を掻く。
(とはいえ、こんなことでミストが不合格になるのは、告げ口したみたいで気分悪いな)
アルスは溜息を吐く。
「トルスティさん」
「何でしょう?」
「さっきのなし。僕の独断で受けました」
「は? そんなわけないでしょう」
「いいじゃないですか。トルスティさんだって、勝手に試験を受けさせないような横暴をしようとしているんですから、僕が勝手に勘違いしたことにしても」
「しかしですねぇ……」
「僕が素直に試験を受ければ、ミストは試験を受けれるんでしょう?」
「そのために勘違いにするのですか? 呆れますね」
トルスティが片手をあげる。
「大きなお世話です。トルスティさんがランクFの資格をくれれば、何の問題もなかったんですよ」
「それはルールです」
「どっちにしろ、受けなきゃ資格をくれないんなら同じです」
(変わった子ですね……。罠に嵌めた貴族へ仕返しをするチャンスだというのに)
アルスはポンと手を打つ。
「すみません」
「何か?」
「試験始まって、直ぐにギブアップしてランクFの資格を貰うってありですか?」
「ありなわけないでしょう。真面目に受けなさい」
「……ですよね」
アルスが笑って誤魔化すと、トルスティから試験内容の説明が始まる。
「試験は、合格まで早ければ十分で終わります」
「十分?」
「はい。スタート地点からゴール地点が歩いて十分だからです」
アルスは首を傾げる。
「この試験は補助魔法で魔法をレジストする結界を張るものを利用します」
(あ~……。魔力量の関係で使えないや……)
「補助魔法の中でも高等な魔法のこれを十分間維持できることが条件です。受験者は、左右の壇上に立つ魔法使い達の攻撃を防ぎながらゴールするのです」
(これ、死ぬよ……)
アルスは、何度目かの溜息を吐く。
「失敗した時は、怪我を治してくれるんですよね?」
「はい、私が責任を持って」
「……どうしようかな」
アルスは頭を掻く。視線の先のトルスティの後ろの扉が、その試験会場に違いない。
「道具の使用は?」
「当然、禁止です」
「やっぱりか」
アルスはリュックサックとメイスと腰の後ろのダガーとロングダガーを降ろす。
「すみません。これを置いておきたいんですけど」
「大荷物は詠唱の集中の邪魔ですからね。あちらのゴールまで運ばせます」
「大事に扱ってください」
「分かりました」
アルスは屈伸をして足を伸ばす。そして、腕を回し、首を回す。
「準備できました」
「では、中に入りましょう」
トルスティの後に続き、アルスは試験会場に入った。
…
試験会場に入ると、石で出来た左右の壇上の上を魔法使い達が埋め尽くし、一直線に伸びる真ん中の土の道がスタート地点からゴール地点を表わしている。また、土の道は一直線とはいえ、道幅はかなり広い。
「レジストの補助魔法は、詠唱後、十分間効果がありますが、その間、魔力を送り続けないといけないのが特徴です。魔法使いの修行不足で、途中で切れることもありますし、レジストの効果を貫いて魔法が侵入することもあります。知っていますよね?」
「まあ……」
トルスティは真ん中を指差す。
「あの真ん中の円。あそこの中は、魔法が効きません。受験者の休憩地点です。ただ、いつまでも休まれても困るので、この試験には二十分の制限時間があります」
「分かりました」
「説明は終わりです。何か質問は?」
アルスは軽く右手をあげる。
「他に制限は?」
「制限というのは?」
「例えば、受験者が壇上の魔法使いを攻撃するとか」
「ルール違反ではありませんが、そんなことをしている余裕はないと思いますよ」
「なるほど。何をしてもいいわけですね」
「何か作戦が有るようですね?」
「作戦じゃないんですけど――」
「期待しています。では、始めましょう」
トルスティは手をあげて試験開始の準備を合図する。そして、手を振り下ろし、開始の合図を出した。
「――僕は、その魔法を使えないんですよね」
「え?」
トルスティが信じられないことを耳にしたあと、アルスは走り出していた。
…
試験会場では考えられないことが起きていた。かつて、誰もしなかった方法を実行している。
それは……。
「当たる前に走って逃げる!」
レジストの魔法を使えないアルスは走って逃げるしかなかった。幸い距離からして、壇上からは遠距離魔法しか届かないうえ、使用者は熟練した魔法使いには見えない。そうなると、使用される魔法は、ただのレベル1だけということになる。しかし、レベル1とはいえ、侮れない。塵も詰まれば山になる。質より量の魔法の数を喰らい続ければ大怪我に繋がる。
だが、アルスにだけ不利な要素があるわけではない。アルスを狙う魔法使い達に、アルスの取った行動は意外な動揺を与えていたのである。奇を衒った行動に、スタート地点に位置していた魔法使いは魔法を撃つことが出来ずに終わった。何より、これほど早く動く的を狙った訓練をしたことがないため、狙いを定めるのに手間取っていた。
「リュックサックとメイスを外したから、体が軽い軽い。こんなに、楽に動けるのは久しぶりだ」
トルスティは遠ざかって行くアルスを見て呆然とする。
「……走り抜ける気ですか?」
一向に止まる気配がないということは、そういうことなのだろう。壇上が俄かに騒がしくなってくる。
『早くアイツを止めろ!』
『ダメだ! もう届かない!』
壇上ではスタート地点から中間地点までが混乱している。ゴール地点の魔法使いから指示が飛ぶ。
『アイツの前を狙え! 数撃てば当たる!』
アルスに向かうファイヤーボールが増えてくる。
(僕の走る速さに慣れてきたか……、じゃあ!)
アルスは走る方向を左側の壇上の下近くに変える。
『逃げたぞ! こっちから届かない!』
『お前ら、その距離なんだから当てろ!』
アルスが走り抜けるタイミングを見計らって、一人の魔法使いがファイヤーボールを撃ち出す。
――当たった!
魔法使い達がそう思った瞬間、ファイヤーボールに当たったと思われるウォーターボールが爆ぜた。
『あっつ!』
僅かな熱湯がファイヤーボールを撃った魔法使いに降り掛かった。
『何やってんだ! バカヤロー!』
『ご、ごめん』
アルスは中間地点を越えた。
…
トルスティは、今の出来事を驚いて見ていた。遠くから見ていたからこそ、アルスの走るスピードが変化していたのが分かった。
「ワザとスピードを変えて相殺させたのか……。彼は詠唱している魔法の単語から魔法が撃ち出されるタイミングを利用している?」
それがエアボールで起きず、ファイヤーボールとウォーターボールだけで再現されると、狙ったとしか思えない。
トルスティが叫ぶ。
「足場です! 足場をウォーターボールで悪くして足を止めるのです!」
トルスティの声に魔法使いの何人かが反応し始めた。
…
アルスは舌を打つ。
「あの人、試験官でしょう……。何で、試験中に助言するんだ!」
土がウォーターボールでぬかるみ、足場の悪くなった場所を避けるためにアルスの動きが直線ではなく蛇行する。右に左に乾いた土を探して魔法を避けて走り回る。
「あと少しで、ゴールなのに!」
後ろからは、トルスティの指示が飛び続ける。
「あの人、絶対に感情で動く人だ。さっきのミストに試験を受けさせない宣言も、そうに違いない」
アルスは少し先を見て溜息を吐く。ゴール前の一点を除いてぬかるんでいる。
「汚い……。こんなの数の暴力だ……。あそこに魔法が集中するように仕組まれてる……」
後ろからは試験官の立場を忘れて勝ちを確信したトルスティの声が聞こえると、アルスはゴール地点最後の罠の手前でスピードを上げる。
魔法使い達の撃つ魔法のタイミングをずらし、ぬかるんだ場所を目指して走る。手前、勢いよく踏み切り、ぬかるみを飛び越えるとゴールにある通路に飛び込み、急いで扉を閉めた。閉めた扉に寄り掛かるとガンガンと魔法の当たる音が響く。
アルスは、ぐったりとしゃがみ込んだ。
「もう、二度とやらない……」
アルスは息を切らして項垂れた。