「
泊まっている部屋の外から
「カタッ」
という小さな物音がしたため、リーセロットが素早くドアの前まで行き、両手に短刀を握って身構えた。
「…私です…ララです…」
ドアの外から小さな声がし、リーセロットがドアを開けると、果たしてララであった。
「どうしてララが此処に?」
「はい、リセ。例のリザードマンの集落を襲ったへローフ教の過激派を捜索していた手の者からの報告を受けて調査に向かう途中、この宿に立ち寄ったの。そしたら
ふと見ると、ララの横にこの宿の女将が立っていた。
「申し訳ございませんリーセロット様。てっきりララ様も同じ用件での御出向きかと思いまして…」
「いえ、いいわ。あなたも知っている通り、私とララは一心同体と言っていい間柄だから。」
宿の女将の謝罪にリーセロットはそう答えた。
「…リーセロット、ララ、この女将さんは何者なの?」
宿に入った時にリーセロットと女将が旧知であるのは判ったが、3人の会話からそれ以上のものを感じとり、マイカが尋ねた。
「この女将は、私の手の者よ。この帝国内には、いや、帝国外にも私の手の者が運営する隠し宿が幾つもあって、此処もその一つなの。」
「隠し宿…」
「ええ、そうよ。先に言っておくけど、この先で泊まる宿も皆、その隠し宿よ。」
「ふーん…あ!ララ、ララが今言ったリザードマンの集落って…」
「はい。いや、うん!マイカが見たという、燃やされていた集落のことよ。」
「それでララ、その集落を襲ったへローフ教過激派を発見したという事なのかしら?」
「はい、リセ。フリムラフ教国との国境付近を始め、帝国北部に広く派遣していた者の中から、発見したとの報告がありました。」
「
「はい。それが、アッケルマン辺境伯領と報告を受けました。しかも、アッケルマン伯爵の館から出てきたところを見つけたと。」
「何ですって!?」
「…アッケルマン辺境伯って…?」
マイカが初めて聞く名を耳にして、リーセロットとララに問いかけるように呟いた。
「アッケルマン辺境伯というのはねマイカ、帝国北側の広大な地域を領する有力な帝国貴族の一人でね、フリムラフ教国への抑えの役割を
「えっ?でも、そのアッケルマン伯の館からへローフ教の過激派が出てきたってことは、抑えどころかフリムラフ教国と通じているんじゃ…」
「…そう決めつけるのは早々だわマイカ。
へローフ教の過激派とはいえ、普段は普通の一市民として暮らしていたりするわ。皆、別の顔を持っているのよ。
それこそ行商を
「え?インハングの街で行商人達と話したけど、行商人にはへローフ教の信者は居ないって言ってたよ。」
「それは行商人
「へえー…そうなのか…」
「それでララ、その過激派の連中は集落から持ち出したリザードマンの遺体はどうしたのかしら?」
「それについては不明です。報告によると、その者達は徒歩で何も持っておらず、馬車等は発見に至っていないと…姿格好もへローフ教過激派の連中がよくする灰色の法衣ではなく、よくいる中流程度の臣民の服装であったと。」
「リザードマンの遺体?そんなのどうするの?リーセロット、ララ。」
「…ええマイカ、かつてリザードマンの皮膚や骨、歯や爪等は色んな物、武具や日用品等に加工されていたのよ。一般的にはリザードマンがまだモンスターと区別されていた何百年も昔の事だけどね。」
「…え?でも今は人、人類なんでしょ、同じ…」
「へローフ教信者にとっては、亜人は
「そんな!許されない!!」
「ええ…許す訳ないわ。奴らは我々エルフも長く迫害してきた…いや、
「長年戦ってきた帝国の敵でもあるんだろ?そんな連中と帝国貴族の一員たるアッケルマン伯とやらが、もし繋がっているとしたら…」
「はい。あ、ええ。なのでアッケルマン辺境伯領に私自身が赴いて詳しく調査する必要があると思い、向かう途中だったの。」
と、ララ。
「しかし慎重に調査する必要があるわね…
今、フリムラフと通じていなくとも、自身が調査されている事を知って、疑われているなどと思わせてしまったら…その事が離反の原因になってしまう可能性もあるし…」
「はい、リセ…」
「アッケルマン伯爵って、どういう人なの?リーセロット、ララ。」
「変わった人よ。」
と、リーセロット。
「変わった人?」
「モンスターの収集を趣味にしているの。モンスターの狩猟、捕獲だけを目的とした部隊を編成したりしているし。」
「モンスターの収集…その一環の延長でリザードマンを…って考えられない?」
「まさか!さっきも言った通り、アッケルマン伯は自身のモンスター狩猟捕獲部隊を持ってるわ。わざわざへローフ教の連中なんかを…
いや、非合法の事だから自分の家臣を使わずに、とかも考えられるわね…
それとも、伯爵のモンスター収集の趣味を知って取引を持ちかけてきたとか…」
「何にせよ、もしアッケルマン伯がリザードマンの遺体を入手していたとしたら、伯爵は犯罪者ということになるね?」
「ええ、でもねマイカ、アッケルマン伯は広大な領地を持ち、強大な兵力、経済力を持った極めて有力な貴族よ。更に家臣の中には魔法使いも何人かいるらしいし、もし証拠を掴んでも一筋縄ではいかないわ。」
「逮捕行為そのものだけが困難というだけでなく、政治的軍事的にも困難という事だね、リーセロット。」
「そうよマイカ、更にこのアッケルマン伯はね、今までも変な動きを何回かしているのよ。」
「変な動き?」
「ええ、10年前、フリムラフ教国の大軍が侵攻してきた時、アッケルマン伯も兵を動かす事を命令されていたのよ。」
「うん。それがアッケルマン伯の任務だもんね。」
「そう。そしてステルクステ騎士団軍と合流してフリムラフ軍を迎え撃つ段取りだったのに、モタモタと、明らかにわざとゆっくり準備して、結果、間に合わなくてステルクステ騎士団がフリムラフの大軍を一手に引き受ける
「例の1万5000対50万?」
「そう。それに5年前、帝国北東地域が大冷害に襲われた時も、帝国本領から支援物資を送るのは時間が掛かり過ぎるから、直ぐ近くを領するアッケルマン伯に支援物資を送るように命令したのだけれど…」
「…送らなかったの?」
「ええ、フリムラフ教国が再度侵攻してくる情報を掴んだから動けない、とか言ってね。
後で調べると全く侵攻の気配は無かったから詰問使を送ったら、誤報だったから仕方がないと開き直ったのよ。
私は誤報ではなく虚報だと思っているわ、今でも。」
「…あっ!その大冷害に襲われた北東地域ってアルム村のこと?ハンデルの出身地なんだけど。」
「…アルム村…そうね、それも含む多くの村が支援物資が届くのが遅くなり過ぎたために、大勢の餓死者病死者が出て廃村になったわ。」
「…見殺しにしたというわけだね…許せんな、そのアッケルマン伯…
しかし、何でそんなに自分の兵や物資を供出するのを渋るのだろう?」
「自己の勢力が少しでも弱まるのを
「そんな!セコい奴!!…いや、何か事が起こった場合に備えて力を蓄えているということか…しかも、それは帝国の為なんかじゃなく自己の為…
何か凄く怪しいんだけど、そのアッケルマン伯って。」
「怪しいとは前々から感じているのだけれど…確たる証拠が無ければどうにも出来ないし、証拠を掴んだところで即処罰!と簡単にいく相手ではないし…
…ともあれ、私達には私達の大切な任務があるわ。その件はララに任せて…
ところでララも今夜は此処に泊まるの?」
「はい。そのつもりです、リセ。」
「じゃあ、ララもこの部屋で一緒に泊まりましょう。私のベッドをララに明け渡すわ。
私は…ねえマイカ、私はマイカのベッドで一緒に寝ていい?」
「え!なな、何で!?」
「ララからの報告を受けて気が張って、すっかり目が冴えちゃった。でも明日も一日中馬車の運転をするから早く休みたくて…
私、昔から寝付きが悪い時はお人形とか抱き締めて寝るの。そうしたら早く寝付けて、ぐっすりと眠れるのよ。
だからマイカお願い。明日の為によく眠っておきたいからマイカを抱かせて。」
「だだだ、抱くなんて、そんな!
そそそ、それならララで良いじゃないか!
何で私が…」
「ええい!もう、つべこべ言わずに!!
マイカがいいの!!」
と、リーセロットは素早くマイカをベッドに押し倒し、マイカをギュッと抱き締めてベッドに横たわった。
「ムギュッ!!」
マイカの顔がリーセロットの豊満な胸に
「…マイカ…いい匂い……」
(いやいや、リーセロットも凄く良い匂いですけど!何だ、この石鹸の匂い以外の甘く
「ちょっ!リーセロット!離れ、少し離れて!!」
リーセロットは早くも寝息を立てている。マイカを抱き締める力は強く、振りほどけそうもない。
(ワッ、ワッ!ワアァァーーッ!!
これじゃあ、オレが眠れないよーー!!!)
第68話(終)
※エルデカ捜査メモ〈68〉
アッケルマン辺境伯領は東に帝国北東地域、西にステルクステ騎士団領、北にフラムラフ教国という位置関係にあり(南は帝国本領や他の帝国貴族領)その領域は広大で、帝国最大の貴族領であるウェイデン侯爵領に次ぐ。
領内に膨大な埋蔵量を誇る銀山を持ち、経済的にも極めて豊かである。
西に境を接するステルクステ騎士団領とは、同盟締結の随分前から通商が盛んで、お互いの行商人が年中、季節を問わず多数往き来している。