目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第78話 『謎の行商人男』

 マイカとリーセロットが眠ったまま起きないでいるケルンを馬車に置いて騎士団長府の建物に入っていって間もなく、馬車の横に立っていたアードルフの従士の獣人、豹人ひょうじん族のイエルンに近付いてくる一人の男の姿があった。

 馬車を停めていた場所はステルクステ騎士団長府建物の玄関横であったが、敷地内ではあるものの、門も塀も無いので近付こうと思えば誰でも近付けた。

 その男は、この辺りの商人がよく身に付けている深緑色のタブレットの上衣と、えんじ色のスリムズボン、凝った作りの革靴を身に付けていた。

 頭には上衣と同じ色のフードを被っていたが、顔は隠さず表に現れていた。

 その男の、身体にフィットした服装に浮き出て見える筋肉や凄みのある髭面にイエルンは少し警戒心を抱いたが、ニコニコしながら全身スキだらけで近付いてくる様子に警戒を解いた。


「こんな夜分に申し訳ねえっす。道をば尋ねてえんですが、良かんべでしょうか?」


 その商人風の髭面の男は、ステルクステ騎士団領の東方、ラウムテ帝国北東地域の言葉なまりでイエルンに声を掛けてきた。


「うむ、良いぞ。何処なんだい?」


 イエルンがその男の申し出に気軽にこたえてやった。

 警戒を解いたといっても全く気を抜いた訳ではない。

 何か事があれば直ぐに対応できるように心構えをしている。

 ステルクステ騎士団の騎士はおろか、騎士に準じる従士ですら、その不意を突ける者など世に存在しないとまで言われているのである。

 その自信がイエルンにもあった。


「ありがとうごぜえます。この地図の場所なんですけんど…」


と、その髭面の男が巻き物を一つ上衣の内側から取り出してイエルンの顔の前で開いた。


「この黒い丸印の場所なんですけんども…」


「ほう、此処からそんなに遠くないと思うが、書いてある文字が読みづらいな…」


 イエルンが地図に顔を近付け、地図に記された黒い丸印を注視したところ、その丸印から、まるで湯気のような白いもやき出してきてイエルンの顔全体を包んだ。


「むーん……」


 たちまちイエルンは意識が無くなってその場に崩れ落ちようとしたが、髭面の男がイエルンの身体を抱えて倒れるのを防ぎ、そっと地の上に横たわらせた。

 すると騎士団長府の建物の陰から大きな荷車をいてくる3人の男と、やや腰の曲がった背の低い男が現れて髭面の男に近付いてきた。

 荷車を牽いている3人は髭面の男と同様の、商人風の衣装を身に付けていたが、腰の曲がった小男は紺色のフード付きローブをまとい、手に木製の杖を持っている。


「巧くいったようじゃな、ライン。」


 腰の曲がった小男は髭面の男に向かってそう言った。


「ああシュルス、巧く眠らせることが出来たよ。あんたの眠りの魔法は、こんな使い方も出来るんだな。」


「おうよ。まあ、物に魔法の効果を閉じ込めるなんざ、他の魔法使いもやっておるがの。」


 そう、この場に現れたのはアッケルマン辺境伯配下のモンスター猟獲りょうかく隊の面々であった。

 隊長ラインと眠りの魔法使いシュルス、そして他の3人との計5人は、ケルンの母を捕獲にいった際の生き残りの者達である。


「それではシュルス、手筈のとおりに…」


「うむ、判った。慎重にな…」


 シュルスが荷車の3人に無言で頷くと、3人は荷車に掛けられていた布の覆いを取り外した。

 荷車には馬ほどの大きさがある一頭のケルベロスの成獣が乗っていた。

 しかし、そのケルベロスの成獣は身動き一つせず、目に光なく、毛艶けづやも良くない。

 ラインがその3人と共に身動きしないケルベロスの身体を抱え上げ、ケルンの乗った馬車の後部出入り口に近付いていき、そのケルベロスの3つの頭部を中に少し入れた。


 (……ン?…ナツカシイ…ニオイ…)


 昨夜以来ずっと眠りっぱなしだったケルンの意識が戻った。

 匂いの変化に気が付いて少し目を開くと、ケルンには懐かしい3つの顔が見えた。


 (……ママ…?)


 ケルンが完全に目を覚まして身体を起こしたところ、そのケルベロスの3つの顔は、サッと外に出ていってしまった。


 (ママ!!)


 ケルンが追いかけて馬車の後部出入り口から一歩表に出た。


「眠りの魔法!就落寝しゅうらくしん!!」


 その表に出てきたケルンの右横から、シュルスが手に持った杖の先をケルンの顔に向けて唱えた。

 杖の先から出た白い靄が、ケルンの3つの顔全てを覆う。


 (ウッ…マ……マ………)


 ケルンはその場に倒れ伏せて動かなくなった。


「皆、人が来ないうちに早く!」


 ラインがそう言うと、先に皆でケルンを牽いてきた荷車に積んだ。

 ラインがケルンの前足と後足、3つの口をローブで縛りつけた。

 ラインがその作業を行なっている際、シュルスを除く3人がケルベロスの成獣を荷車に乗せようとしていた。


 (ん?これは…?)


 ラインがケルンの中央の首に掛かっている首飾りに気付いた。それをケルンの首から取り外し、ペンダントトップ部分を掌に置いて彫られている紋章を見た。


「こ!これは!?」


「何じゃライン、どうかしたのかえ?」


 驚きの声を上げたラインの元にシュルスが近付いてきた。


 「い、いや、何でもない。」


 ラインはシュルスにそう答え、その首飾りをそっと自らのズボンのポケットに入れた。


 「ああシュルス、荷車は俺達4人で牽くからあんたは荷台の上に乗ってくれ。」


「当然じゃ、ワシに共に牽けなんぞ言っても半里も持たんわい。」


 ケルベロスの成獣を荷車に乗せ、ケルンを鉄の檻に入れてから、荷車全体に布の覆いを被せた。


「よし!街の中では静かに、街を出たら全速で駆けるぞ!!」


              第78話(終)


※エルデカ捜査メモ〈78〉


 元々アッケルマン辺境伯に仕える騎士であったラインは、罠や魔法などを用いた狩りの方法をわきまえていなかったが、モンスター猟獲隊の隊員として加入してきた色んな地域の、様々な手法を用いて狩りを行うハンター達により、その有効性を認識し、多種多様な方法を用いるようになっていった。

 その隊長であるラインの柔軟な思考によって狩りの効率が凄く上がり、それまで捕獲が難しいとされていた強力なモンスターも損害を出さずに捕獲出来たため、ついに誰も捕獲したことが無いと言われていたケルベロスの捕獲をアッケルマン辺境伯が命ずるに至ったのである。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?