リカは料理の煮込みを待ちながら、マサルの最新情報を調べて、イズルと情報共有をした。
「ガイアリングの件以来、彼は全く新しい任務を受けていないようだ」
「懲罰か、新しい陰謀のカモフラージュか」
そう言いながら、イズルはいい香りに誘われて、鍋の蓋を開けて中身を確認した。
会社のことが予定より早く終わったので、彼は農家直販の店で食材を調達しに行った。そこで、リカの電話を受けて、ぎりぎりスピード違反にならない速度で戻ってきた。
「この牛肉、煮込みやすいと聞いている。本当か」
「そうだね、いつもより早めにでき上がるでしょう」
リカはうなずいて、また話題を戻した。
「何か価値のあるものを聞き出したの?」
リカは彼を婚約者として見ていない――
というのは、イズルにとって価値があるものだけど、リカに教えたら逆にやばい。
イズルは頭を横に振ってさりげなく誤魔化した。
「いいえ。すぐ口喧嘩になったからそのまま退散した。やっぱりお腹をすかせると怒りやすい。晩御飯を済ませてから対策を考えよう」
「ごめん、私が先に彼を刺激した。一度ああになったらかなり頑固でね」
「そうだね、目が真っ赤になって、牙を剥いたんだ。怖かった」
イズルはリカの話に便乗して、いじめられた子犬みたいな顔を作った。
「……あなたは、変なことを言ってないよね?」
その久しぶりのいたずらっぽい表情から、リカはちょっと異様を匂った。
「まさか。彼は恥ずかしがってるだけかもしれない。わざとかも知れないけど、オレたちの前でみっともない姿が晒されたから」
「……」
一理があるけど、イズルの性格にしてちょっと信用できない、とリカは思った。
「正直、オレは彼が怖いんだ」
イズルは弱気のままでつづけた。
「?」
「オレは今、自分の命を狙っているやつと同じマンションにいるんだ」
「……彼の自己保護意識が強いから、今の弱い状態で攻撃しに来ないはずよ。心配なら、追い払いましょう」
「だめだよ。ガイアリングとウィングアイランドの秘密や、彼の目的を聞き出すために、ここに残す必要があるんだ」
「……一体どうしたいの」
これは何か提案か要求を出そうとする流れだよね……
リカは仕方なくとため息をついた。
イズルは自然にリカの手を取り、自分の胸の前に握りしめた。
「実は、このマンションの各階層がそれぞれ遮断できる。理論上で彼を泊まらせても問題ない。オレの心配はただのトラウマだ」
「トラウマ?」
「だから、今夜はオレの隣……の部屋で休んでくれないか? あなたが隣にいてくれれば、心強いんだ」
「……」
いい大人で、戦闘経験もあるのに何に甘えんでいるのかリカは理解できない。
でも、この間の共同生活で、リカは分かったことがある。
イズルは演技下手だけど、何かをやろうと決めると、かなり粘り強い。よく言えば、諦めが悪い。悪く言えば、皮の面が分厚い。
今の調子だと、もうそのゾーン入っているらしい。
まあ、マサルについて相談もあるし、部屋を変えてもそんなに気にすることではない。
ただ一つ――
「……いいけど、減点するよ」
リカはどこから採点スマホを出した。
「そのCEO評価のこと、まだ有効なのか?」
イズルの笑顔は一瞬固まった。
「契約は契約だから」
「……そうか」
イズルは思い出した。
その契約があるから、リカはここに住んでいる。
解除したら、リカはここに残る理由がなくなる。
これもまた難しい問題だ。
生意気なイズルの困りそうな顔を見て、リカは思わず微笑んだ。
「死ね――マサル!!」
エンジェは自分の家で、鏡前に並べているブランド化粧品を全部振り落とした。
それでも気が済まなく、近くにある燭台を掴んで、鏡に投げた。
「チャラン」とガラスが割れた音と共に、エンジェが鏡に映している影にも無数の亀裂が入った。
名種のロングヘア猫たちはベッドの下に隠れて、闇の中で震えている。
真っ白の絨毯に落としたスマホに、マサルからのメッセージが表示されている。
「婚姻届のことはよしとしよう。俺はこれからあのイズルをやっつける。手伝ってくれるなら本当に結婚してもいい」
マサルに結婚を迫るために、エンジェはなんのかんのしつこくせがんでいた。
それでもなかなかうなずいてもらえないから、とうとう「偽物の婚姻届」を作った。
なのに、今となって、彼はすんなりと承諾した。
たかがイズルをやつけるために?
違うわ――!
「知らないとでも思ってるの?!リカのためでしょ!」
イズルをやっつけるのは、リカの婚約者に戻るためだわ!
エンジェは人前でよく従順でよい理解者の姿をアピールしているが、それは他人から甘い汁を吸うためだ。本当は、他人より低い位置にいることを我慢できない。
マサルは夫の第一候補とはいえ、彼女にとって、すでにハーレムに入れたバカ男の一人にすぎない。
女王様の自分への反抗は許さない。
イズルもマサルも、リカの肩を持つ人なら、誰であろうと排除しなければならない!
「あたしの寵愛は無条件じゃないわ!待ってろ!マサル!」
ほぼ同じ時間に、イズルの部屋の隣部屋にいるリカにもマサルからメッセージが届いた。
リカはまず自分の目を疑った。
プライベートでマサルからメッセージがくるのは初めてだ。
しかも、姿勢の低い口調で。
「さっきは悪かった。すべは俺のせいだ。本当は、ずっと知っている。リカは、いつも俺のことを配慮している。ムキになったのは、俺の弱さの故だ。今回は喧嘩のために来たんじゃない。今からこっちに来てくれないか?重要なことを話したいんだ」
イズルの聴覚はとてもいい。
隣の扉の音を聞いたら、足音を忍んで部屋を出た。
エレベータ前で、リカが4階へ向かうのを確認した。