シグルドは、少し考えた後。
「……俺が、リンドル嬢を気にかけてやってくれと最初に頼まれたのは、君が王太子殿下に抱き上げられて医務室に運ばれたすぐあとだ」
「えっ?」
それでは、クリストファーとベルが初めて顔を合わせた直後ということになる。
「それはどういう意味で、ですか?」
「俺も気になって『なぜですか』と聞いてみたんだ。そうしたら『下位貴族のしかも令嬢が、特別クラスにいてはなじめずに辛い思いをしているのではないか』と仰った。その通りだと思ったから、引き受けたんだ」
「……あれ? そういえばフィールズ様がわたしに雑用を押し付けていたのはその前からですよね?」
「殿下に言われる前からすでに、シグルド様はリンドルさんを気にかけるようにはしておられたってことですよ」
黙って聞いていたダンテがこの時初めてシグルドの話に補足する。
「えっ……そうだったんですか」
「別に、便利な雑用係がいたというだけだ。殿下に言われてからはもう少し見ているようになったぞ」
「えええ……」
確かに、そういわれてみればガストン教授に注意された後もそれは続いていたし、ミルバ侯爵令嬢を止めてくれたこともあった。つまりその頃にはクリストファ―の依頼があっての行動ということになる。
「殿下が、リンドルを気に掛けることで周囲に与える影響に気づかないわけはないと思う。だから後から思えば、俺に言ったのは最初からそのつもりだったということじゃないか」
「そのつもりってなんですか」
「リンドルにこれからも構っていくつもりだってことだ。その理由は俺に推し量ることはできないが」
やっぱりか、と予想はしていたが愕然とする。シグルドから見ても、クリストファーはわかっていてなお、人前で敢えてベルに構おうとしているのだ。
「理由っていうか目的ですよね。なにを企んでいるのか」
「お前、本当に不敬だぞ。気をつけろよ」
「ここでだけです」
しばらく三人で考え込んだが、結局のところクリストファーの考えていることなど答えはわからなかった。もしもわかっている可能性があるとしたら、クリストファーの側近グレイシス侯爵令息くらいだろうか。
「それより、今までのこと、助けていただいていたというのはわかります。ありがとうございます。ロッソ様も、先ほどはフィールズ様を呼びに行ってくださったんですよね。ありがとうございました」
改めてふたりに礼を言う。
「それは構わないが……」
「僕も、さすがに侯爵家には言えなくて。シグルド様をお呼びするしかできなくてごめん」
「リンドル嬢、これからもひとりで構わないのか。コンラッド嬢も離れてしまっただろう」
教室では目立たないようにしていたが、アンナがベルと友人になったことも普通に知られていたようだ。ベルは空元気だと悟られないように、笑って頷いた。
「大丈夫です。アンナに迷惑はかけられないし。……あの子は嫡子で子爵家を継ぐんです。社交界から離れられないんだから、オースティン家に逆らうべきではないです」
その辺りのことも、当然シグルドは把握しているんだろう、深くため息を落とす。
「何かあったら必ず言え。本当は、殿下もリンドルがここまで俺を頼らないとは思っていなかったはずだ」
「そうですか? これでフィールズ様に頼ったらわたし本当に女生徒に嫌われてしまいますよ」
「もう遅いだろう。ここまできたら好感度は諦めるべきじゃないか」
「嫌ですよ! 上がらなくてもこれ以上下げたくないです!」
簡単に言ってくれる、と憤慨した。
女の嫉妬は怖いのだ。特に《男性にだらしない女性》というレッテルを貼られたら総攻撃を食らうことは必至である。現に今、その状況に片足を突っ込んだ形だ。
何よりもレティシアが絡むと、物語の強制力があるのではないかと危惧してしまう。そうなればベルと彼女は『ヒロインであるベルと悪役令嬢レティシア』という関係図から離れられないのではないか。
なによりそれが恐ろしかった。
他人の婚約者を奪うような人間にはなりたくないし、王太子妃になるなどとてもじゃないが無理だった。