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第46話 博徒・沈丁花

沈丁花じんちょうげ様、お帰りなさいませ!」


 宗田そうだ千尋ちひろが突然のナンパに返事をできかねていると、百花繚乱ひゃっかりょうらん受付の嬢たちが大きな声で挨拶をした。


 沈丁花と呼ばれた、男を侍らせた博徒は、「ああ、うんうん、いいよぉ、そのままで」とにこにこ、と擬音を当てるにはしまりのない、へにゃへにゃした笑みを浮かべ、手を軽く振る。


「というわけで、私は沈丁花ってモンなんだぁ。君、かわいいね。名前は?」

「そ…………千尋と申す」


 この世界において苗字があるのは、天女教高位の者、血統的に優れた大名家やその縁者、岩斬いわきり擁する天野あまのの里のように特殊な役割を持つ一族、そして男のみである。


 一応女に偽装している千尋は、一人称や口調などを下手に演じることはしないものの、さすがに名乗りぐらいは気を遣う。


 しかし横の十子とおこ、この名乗りがお気に召さないらしい。


「こんなヤツに名乗ってやるこたぁねえ。行くぞ」

「ちょいちょいちょーい。まあまあ待ちなって。今の、船側の対応見てわかんないかな? っていうか、かわいい男の子見てよ! わかんない!? 私、わりと勝ってる・・・・博徒でね。この船に乗るってことは、金か品物が目当てでしょう? ああ、それとも──『極上の男』が出る噂でも聞いたかな? お姉さんに協力してくれたら、いい夢見させてあげられるよぉ?」

「話にならねぇな」


 十子の対応がいつになく頑なである。


(……十子殿は、こういった、いかにも軽そうな遊び人という風情の女が嫌いなのか)


 潔癖というか。

 まあ、若い者特有の、そういうことに潔癖になり、潔癖でない者を嫌悪する時期は誰にでもある。

 そういう快・不快は横から言ってどうにかなるものでもない。ここは任せるべきだろう、と千尋は判断した。


 十子からの嫌悪は伝わっているだろうに、沈丁花はあくまでも軽いノリで応じている。


「話にならんってこたぁないでしょ。っていうか、君には聞いてないんだよねぇ。君のお連れさんなのはわかるけど、今、私が話してる相手はそっちなわけ。わかるかなあ? ね、千尋くん、お姉さんと一緒に来ない?」

「答える必要はねぇ。行くぞ」

「だからあ、邪魔しないで欲しいなあ。沈丁花お姉さんは温厚だけど、あんまり邪魔されると、さすがに怒っちゃうよぉ?」


 と、述べながら、沈丁花が腰の刀に手を乗せる。


 鍔のない一見すると長ドスという風情の刀である。だが、あの細さが千尋は気になった。いったいどのような剣術を使うのか、いくつか想像してみる。


「は! 抜くなら抜きやがれ。ちょうどその刀をぶち壊してやりてぇところだったんだ!」


 十子、売り言葉に買い言葉といった様子で応じ、腰の後ろの物入れから金槌を取り出した。


 これにへにゃりと笑うのは沈丁花だ。


「いやあ、殺し合いを始めようって? ないない。それはないよぉ。ここは賭博船だよ? だったら、決着をつけるのは、博打に決まってるじゃあないか」

「面白れぇ。何をしようってんだ?」

「そうだなァ。その前に、賭け代を決めようか。沈丁花お姉さんが勝ったら、千尋くんをもらう。そっちが勝ったら……」

「二度とあたしらに声をかけんな」

「いいねぇいいねぇ。んじゃあ、喉を賭けよう・・・・・・

「……あ?」

「博打ってのはこうじゃなきゃ面白くない。さ、千尋くんが私のモノになるか、私の喉をその金槌で潰すか。丁半どちらか、張った張ったァ!」

「…………面白れぇ」


 一瞬、気圧された十子であった。

 だが『こんな女に気圧された』という事実が逆に十子の心に火をつけてしまったらしい。互いに引き下がってなるものかという顔をして、見る間に賭場が形成されていく。


 一触即発である。

 千尋がわくわくしながら推移を見守っていると──



「お客様方」



 落ち着いた静かな声が、百花繚乱船内からかけられる。


 振り返れば、そこにいたのは、いかにも巫女といった服装の女性である。

 ただし、千尋のような『旅装も兼ねた巫女装束』ではない。金糸で刺繍された白い千早を纏い、真っ黒で艶やかな髪には御幣ごへいの髪飾りをした、神楽でも舞うかのように本格的な巫女装束である。


 歳のころは二十代中ほどであろうか。装飾のついた重そうな巫女装束を着て歩むその姿は、ある程度以上の武の実力をうかがわせるものであった。


 巫女装束の女性は、思わず目を奪われるような歩き方で、沈丁花と十子の間に立つ。


「ここは賭博船・百花繚乱。されど、天女様に『熱』を奉じる祭儀さいぎ場でもあります。何卒、我ら──天女教の関与せぬ賭場を、勝手に立てられませぬよう」


 お願いという形式の言葉であるが、その声の重さ、静けさは、反論を許すものではなかった。


 沈丁花が『参った』と言うように両手を上げて、肩をすくめる。


「いやぁ、サグメ様にそこまで言われちゃ、お姉さんも無理は言えないねぇ。じゃね、千尋くん。中で会ったら遊ぼうね」


 先ほどの燃え滾るような様子は幻だったのか、と言いたくなるほどあっさりあきらめ、沈丁花が千尋たちを追い抜いて、船の中に入って行く。


 サグメと呼ばれた巫女と、千尋たちが残された。


 サグメはにっこりと微笑んで千尋を見る。なんとも、人の心根の奥底まで見通すような笑みであった。


「当方らの管理能力不足ゆえ、不快な思いをさせてしまいました。まことに申し訳ございません」


 深く頭を下げる。

 だが、そのように謝罪しているにもかかわらず、場の支配者は頭を下げているサグメの方であるという空気が消えない。

 これには横暴な博徒客も参ってゴネるどころではなかろう。


 実際、十子は気圧されて「ああ、いや……あたしも悪かったよ」などと目を泳がせている。


 サグメが頭を上げる。


「当方、この賭博船・百花繚乱の管理を天女様より任されております、石動いするぎサグメと申す者。何かお困りのことがございましたら、以降もなんなりとお申し付けくださいませ」


 苗字がある。

 ここの代官に任じられているという自己紹介からもわかる通り、天女教の内部でかなりの地位にいる者──ということだろう。


「いや、迷惑をかける気はなかった。本当にこっちもすまねぇことをしたと思ってる」

「お客様が気になさることなど、何もないのです。そういった女たちの熱こそ、この船で天女様に奉ずるべき供物なのですから。ただ──何事にも、節度がある、というだけで」

「ああ……」

「ところで、そちらの、千尋様、でしたか? ……男性なので?」

「ああ? いや、それは……違う」

「なるほど」


 どうにもサグメの発言、視線、すべてが嘘を見抜くような、そういう鋭さと深さを宿している。

 十子もはらを覗かれる心地を味わっているのだろう。居心地が悪そうに視線を泳がせ続けていた。


 サグメは──


 にっこり笑った。


「それでは、どうぞ、当方らの賭場をお楽しみください」


 一礼し、去って行く。

 そのゆったりとして見える動作の最中、その周辺にいたすべての者が、固まって動けず、ただサグメの去って行くのを見送るしかできなかった。


 サグメが去ったあと、そこらじゅうから息をつく声がする。……呼吸さえ忘れさせられたのだ。静かだが、重い。穏やかだが、背筋が伸びる。そういう雰囲気をまとう者であった。


(……博徒・沈丁花に、船の主、石動サグメ、か。……いやはや)


 千尋は思わず、喉を鳴らして笑った。

 横の十子が「なんだよ」と拗ねたように言う。自分を笑われたと思ったのだろう。


 だから千尋は、否定してやる。


「いや。……一筋縄ではいかなさそうだと思ったまでよ。本当に、面白い賭場になりそうだ」

「あたしはもう早速疲れたけどな……」


 まだ内部に入っていないとは思えないほどの疲労を覚えた様子で、十子がとぼとぼ歩いて行く。

 千尋も笑ってそれに続いた。


 ──その、二人の背中を見送る者がいる。


 そいつは、静かに、押し殺すように、つぶやく。


「……男を賭け代にする、今の天女教。これ幸いと博打に勝ったというだけで男を侍らせる博徒クズ……やはり今の天女教は間違えている。私が……否、我々が、正しい天女教に戻さねば……!」


 こうして──


 混沌の火種、あまさず百花繚乱へと乗船す。

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