「ああいう生意気な男の子を従順にしていくのがたまらないんだけどねぇ。
(こやつ、俺たちが
あの時、場が騒然としていたのもあった。
だがそれでも、この女──
だというのに、あの場にいたことさえわからない。
……仮に沈丁花が千尋や
男をはべらせてみたり、女さえも眉を
その本質は『場と一体化し、いつの間にか忍び寄る』という、暗殺者めいた何かであるらしい。
「おい千尋、こんなやつと話すことはねぇ。行くぞ」
(そして十子殿がまた不機嫌だ)
この船に乗ってからというもの、十子の不機嫌っぷりが続く。
どうにも十子は潔癖で理想家なところがあるようで、『人前でたくさんの男を侍らせたあげく胸に顔を埋めさせているような女』やら『中身のない大言壮語を延々繰り返すだけの、意味もなく偉そうな男』などという、潔癖さや理想を穢すような存在を気に入っていないようだった。
(まぁ、十子殿が理想家なのは今に始まったことでなし。ありえんほどの夢を本気で追いかけるような気概の持ち主でもなければ、『男が女を斬るための剣』など志さぬだろうよ)
この世界で幾度も戦って、千尋はすでに『男が女を斬る』というのが、いかに馬鹿げた夢のような話かを理解している。
何せ並大抵の業物……とはいえ十子
これを剣の鋭さだけで斬ろうなどというのは、理想家でもなければ抱かぬ目標だろう。
もっとも、客観的に語れば、男という圧倒的弱者の身で、技量のみで女を斬ろうとしている千尋もまた、同じぐらいには理想家である。
だというのに二度、手練れを相手にこの理想を成し遂げてしまっているところが大いに十子を奮起させる結果となっているのだが、当人のことはなかなか見えぬものであった。
ともあれ十子が喧嘩腰である。
沈丁花が「さっきからさぁ」と、わずかに怒気をにじませて十子を見る。
その顔にはへにゃへにゃした軽そうな笑みが浮かんでいたが、細められた目の色がかすかに変わっていた。
「お姉さんはね、千尋くんと話してるんだよねぇ? あんたじゃあないの、会話の相手は。わかるかな? 鍛冶師さん?」
「どうせまた『千尋をよこせ』とか言い出すんだろ? あきらめの悪い女はみっともねぇってのによ。だから恥かく前に話を打ち切ってやろうっていう心遣いじゃねぇか。わかったらとっとと
「ふぅん。でもさあ、千尋くんは欲しいものがあって、
「……千尋に欲しいものなんかねぇよ。こいつは、あたしの付き合いでここにいるんだ」
「だったらなおさら、千尋くんはお姉さんのところで楽しいことするべきだと思うけどなあ? もったいないよねぇ。これだけ男の子みたいにかわいいのに、こぉんな、ものの美醜もわかんない女に連れ回されてるなんて、ねぇ?」
「だから千尋に話しかけようとすんなっつってんだろ!?」
「……ああ、そういえば──私たち、賭けの途中でサグメ様に邪魔されちゃったんだよねぇ? どう? ここならたくさんの賭場も立ってるし、正式に勝負する?」
「いいや、やらねぇ」
「…………あれ? さっきは乗り気じゃなかった?」
そこで沈丁花が芯からという様子で驚いた顔になった。
千尋も首をかしげる。確かに沈丁花の言う通り、この船の入口受付で、十子は賭けに乗り気だったのだ。
十子は、ため息をついて語る。
「……そもそもよぉ、天女様の直営の賭場とはいえ……男を賭け代にするのを見て、どうかと思ったんだよ。……ああいや、男に限らず、人を賭けの景品にするってのは……だめだろ」
「だめじゃあないよ? 天女様直轄の領地で、天女様公認で、賭け代になってるんだから」
「それでもなんか……ダメだろ。あたしんちが苗字を授かったころの天女様のお話は聞いたけどよ、その当時の話の天女様は、そんなんじゃなかったっていうか……」
「苗字を授かった? ……まさか、
どうにもこの世界で、十子本人が思っているより、『天野十子岩斬』の名は広まっているようだった。
引きこもりゆえに容姿の方はあまり知られていないようだが、天野十子、と聞くと一定数が反応するのだ。
十子は「……あたしのことはどうでもいいだろ」といったん視線を逸らし、
「とにかく、人にゃあ、『本人の意思』ってモンがある。……そいつを無視して勝手に賭けの卓に載せるのはよくねぇなって思ったんだよ」
「さっきは載せたのにねぇ」
「うるせぇな! あん時は……イラついてて、考えが足りなかったんだよ」
「……ふぅん? ま、いつもなら夢想家女の戯言──と馬鹿にするところだけど? それが天野の刀鍛冶の言葉なら、いったん退いてあげましょ」
「あぁ?」
「あんた、十子岩斬でしょ? この子にはお世話になってるからね」腰に巻いたサラシに挟んだ剣の柄を叩き、「色んな賭場を回ったから、それなりに、いい物を見る目は持ってるつもりなんだよねぇ? いい物を作る職人、いい技を持つ剣客、全部、
「……調子の狂う女だな」
「まぁでも、千尋くんがお姉さんを恋しいって言うなら、いつでも来ていいからね?」
「いいから消えるんならとっとと消えろ!」
沈丁花がへにゃへにゃした笑顔で「またねぇ」と去って行く。
十子は「二度と来んな!」と怒鳴り、肩をいからせ、ため息をつく。
「ほんっと、ああいう女は苦手だ!」
「しかし十子殿、わりと相性がよく見えたぞ」
「よくねぇよ!」
千尋の率直すぎて迂闊一歩手前の発言に怒鳴る十子である。
その十子の背中に、
「もし」
と、声がかけられた。
十子、どうにもその声の主を、今去った沈丁花だと思ったらしい。
振り返りざまに、怒鳴りつける。
「千尋はやらねぇって言ってんだろ!?」
しかし声をかけた者は沈丁花ではなかった。
赤毛の女は「ああ、いや、その」と気まずそうに言葉を濁らせ、
「私が欲しいのは雄一郎様の方なのだが、少し、その件で話を聞いてはいただけないだろうか?」
キリッとした真面目そうな顔で、そう述べるのだった。