「失礼。まずは名乗らせていただこう。私の名は『ハスバ』。天女教の信徒だ」
ハスバという女の自己紹介には、言葉数以上の情報量があった。
まず、
(見事な安定感だ)
ハスバという女、肉付きは女の中では決していいとは言えない。
背も低い。
だが、立っている姿がいい。背筋がきりりと伸びている。頭の位置がまったくふらつかない。そうして立っている姿だけ見ていると、よほどの長身に見えるのだ。
きっちり肩口で切りそろえられた赤い髪。キリッと開かれた赤い瞳。顔立ちは表情に固さがあるが、それは初対面の相手と話すから緊張しているというより、彼女の骨身になじんだ固さ、すなわち生真面目な性格によるものと思われた。
服装は着物に袴というものであり、女性にしては露出度が低い。
薄桃色の生地は鮮やかではあるものの、露出が少なく、籠手で袖をまとめているところなど、いかにも戦いを生業とするもの、それも傭兵や浪人ではなく、どこか貴人に正式に仕える者、といった風情である。
それから、気になるのは所持している武器だ。
千尋は十子に耳打ちした。
「なぁ、アレもそうだな?」
「ああ」
視線の先にある剣──と、呼んでいいのか、どうか、ともかく、『武器』。
明らかに異形である。
ハスバが背負ったそれは、一見すると丸い盾であった。
だが、人の胴体ほどの大きさがある丸い盾、その下半分が刃となっている。
刃盾、と言うべき異形の武器。紛れもなく一目でわかるぐらい十子
(船に乗って二人目……否、恐らくは
あの刀の銘は何で、どういう戦い方をするのか……
千尋はそう思い、興奮してくる。
そんな千尋の耳に、十子が小さく話しかける。
「……それより気を付けろ。あいつ、わざわざ『天女教の信徒』を名乗ったろ」
「ああ」
「言うまでもなくこの大陸で暮らす全員が信徒なんだよ。それでわざわざ名乗るってのは……面倒くさい手合いだぞ」
「あぁ……」
神だの仏だのの教えというのは、通常、人が人の世で生き人の世で死ぬための教えである。
その中心にいるのはあくまでも、今、現実を生きている人なのだ。
だが稀に、神に傾倒するあまり、人をないがしろにしてとにかく神に身を尽くすことを主眼に置く者がいる。
つまりそういう手合い、ということだろう。発言に気をつけないと、どういう面倒くさい絡み方をされるかわからない、ということだ。
千尋と十子がひそひそと話していると……
ハスバが気まずそうな顔をする。
「あの、聞こえているが……」
「げ」
「……いや。まあ、無理もない。私は確かに『面倒くさい手合い』だ。……しかし、話が早い。現在の天女教の姿を見て、あなたもきっと、問題を感じたのだろう? 十子岩斬」
「しかも盗み聞きが趣味か」
「う、ぐ……い、いや、そこは謝罪しよう。しかし、現在の……男を景品として出すようなのは、当代の天女様から始まった習慣なのだ。以前の天女様は、そのようなことはなさらなかった……私は、その変化を憂う者である」
「悪いがこっちも忙しいんでな。宗教の勧誘ならよそでやってくんな」
「違う! ……まあ確かに、同志となってくれれば心強いが……今、私が持ちかけようとしているのは、あくまでも、この賭博船・
「そういえば」
十子がもうどっか行こうとしているのだが、質問を思いついてしまった千尋が口を開く。
ハスバは『なんでも聞いてくれ』とばかりに目をキラキラさせるので、その様子に千尋も『うわ、圧、強……』というような沈黙を一瞬してしまうが、気になるものは気になるので、口を開いた。
「くだんの
「まさかそれを知らずに、この時期の百花繚乱に乗り込んだのか?」
「まァ、そういうことになるな」
「なるほど。であれば教えよう。これから、百花繚乱で開かれる大きな賭場……男性の身柄や、異形刀なども景品として出る、今期の目玉となる賭け──『宝物遊戯』について」
どうやら説明を求められると嬉しいらしいハスバにより、意気揚々とゲームの説明が始まる……
◆
──宝物遊戯。
それは百花繚乱船内全体を使った、宝探しゲームである。
開始と同時に船内各所に隠された宝を探すゲームが始まる。
参加者は宝を見つけ、確保し、あらかじめ設定されたゴール地点まで運べば、獲得した宝がそのまま得られる。
なお、その『宝』は景品ではなく、景品と交換するための通貨のようなものである。
価値の高い景品ほど交換に必要な『宝』の数が多い。
だが、『宝』の総数は決まっているため、価値の高い景品を得ようと思えば、協力者を募って人海戦術で集めたり、あるいはすでに宝を持っている者から強奪したりといった手段をとるしかない。
ゆえにこそ、ハスバは協力者を求めている。一人でも多く。
なぜなら、彼女の求める宝である『
◆
「男を景品として出すのを憂うわりに、欲するのは男なのだな?」
「深い理由があるのだ!」
千尋、気になったことをつい聞いてしまう。
するとハスバは『待ってました!』とばかりに、そこの解説を始めた。
「現在の天女教は、先代天女様の御代に比べ、かなり変わってしまった。そのうち大きなものが、この『賭博船・百花繚乱』、それから『天使制度』に『御前試合』だ」
「……ほう?」
「まず、百花繚乱はかつてから賭博船として存在した。だが、昨今、内装が豪華になり、賞品がどんどん……品格がなくなっている。かつてのここは、信者のみなさまから寄進されたものを、多くの人に配ろうという
十子が「気にしねぇよ、事実だからな」と鼻を鳴らす。
ハスバは「すまない」と謝り、言葉を再開した。
「……刀や、それに、人……男性まで、景品にするようになってしまった。これは当代天女様の御代が始まってからの変化である」
「それで、残りの二つは?」
「天使制度もまた、かつてよりあった。だが、かつての天使は実行部隊でもなければ、天女様直属というものでもなかった。天女代理、というのが適切だろうか。天女様がどうしてもお一人しかいらっしゃらない都合上、全国すべてにその恩寵をもたらすのも難しい。そこで、各地に天女様の代わりとして配置された、高位神官こそが天使であった。だが、今の天使は……危ない仕事を、天女様の勅命により行うことが増え、そういう荒事専門の者が多く、天使になっている……」
千尋の脳裏によぎるのは、あの女だ。
確かにあの女が坊主のように読経する姿みたいなものは想像がつかない。
とくれば、『荒事専門の天使』なのだろう。
「それで?」
「ああ、御前試合はかつて、『奉納試合』という名で、天女様に演武を奉納する試みだったのだが……今では、天使同士、あるいは天使候補も含めた、殺し合いもアリの力試しの場となっている……ああまで血なまぐさい催しではなかったのだが、今代から急速にそうなってしまったのだ」
「ふむ……御前試合に出るのは、天使か天使候補なのか」
「実質的にはな。……今代の天女様は、男性への搾取と、女性の上澄みというか……殺し合いを行わせてでも、強い者を求め、お傍に起きたがる、そういう性質が見受けられる。だが、天女教とは、天下万民を安んじるためにあるものだと、私は思うのだ。ゆえに、天女様にわかっていただくためにも、私は……まず、この百花繚乱から、間違いを正していきたい」
「それで、そういう目的のハスバ殿は、なぜ、景品である男を得ようと?」
「まず、男性に仕えるのが、女の最大の喜びだろう?」
「…………ん?」
この意見は正しいのか、そうでないのかどちらだろう、と千尋は十子を振り返る。
十子はなんとも微妙な表情で「あー……」と声を発し、
「いや、まあ、そういう価値観、っていうか、その、そういう教えも、あるが」
「まず天上には初代天女様がいらっしゃる。そして、その子孫たる、当代の天女様がいらっしゃる。だが、その直下は天使でも、他の女でもない。
十子が「いやーまぁー」ともごもごしているのを見て、千尋は理解する。
(なるほど、お題目的には正しいのか)
仏教の教えでも『篤く三宝を……』みたいなものがあるのだが、実際に生きてみると、坊さんよりも近所のカカアが産気づいたらそっちを優先するし、金もないのに寄進をするようなことはしない。
教えではそうなっているのだが、実際のところは暮らしている人々が経験と現実に基づいて優先順位を決めてくださいね──みたいな決まりというのはこの世に多くあり、そのうち一つ、ということなのだろう。
確かに『正しい』。だが、それは『正しいだけで、暮らしに根付いていない』。
ハスバの語る『男性に仕えるのが女の至上の喜び』というのは、そういうたぐいのもの、なのであろう。
だが困ったことに、ハスバはこれを心から信じており、心の底から実行すべしと思っている様子なのである。
(なるほど、『面倒な手合い』だ)
ハスバ、赤い瞳を異様に輝かせ、言葉を続ける。
「そこで、雄一郎様が自由を求めておいでであれば、我ら女は、何をおいてもそれを叶えるべきである。ゆえに、我らは雄一郎様のため、雄一郎様の御身を獲得するのだ。……しかしまあ、昨今は当代天女様の方針もあり、こういった価値観の正しさから目を背ける者も多い。たとえば、ここの船長をしている、サグメなどな」
そこで目に宿る怒気は、サグメとハスバ、この二人の間にあるなんらかの因縁を感じさせた。
「ゆえに、我ら女は、女の正しい姿を体現すべきなのだ。そのための雄一郎様獲得という目標である。わかっていただけただろうか?」
ハスバの目は、信仰に傾倒している者特有のきらめきがある。
十子が千尋に耳打ちしてくる。
「……思想はともかく、利害はぶつからなさそうだし、おこぼれで異形刀も獲得できるかもしれねぇ。協力するのはアリだと思うが」
それは沈丁花や雄一郎と協力するよりは、という前提があろうが、確かに言う通り、アリではありそうだった。
だから千尋、考えた上で、こう述べることにする。
「協力だがな、断る」
ハスバは数舜絶句した。
だが、柔らかい表情を作って──作っていることがわかるぐらい動揺し、怒ってもいる──
「理由をお聞かせ願いたい」
「語れる理由はないな」
「……そうか。残念だ」
予想よりあっさりとハスバは去って行く。
だが、最後に向けられた視線から、面倒そうな者に目をつけられた感は感じられた。
それでも千尋は今の決断を後悔していない。
十子が肩をすくめる。
「……まあ、悪いとは言わないけどよ。お前にしちゃあ、はっきり断ったな? どうしてだ」
「いや、語れるほどの理由は本当にないのだ。ただ、そうさな、一言で言うなら……『主語が大きすぎて気に入らなかった』ということになるか……己のことを『より大きな何か』と重ね合わせる連中というのはなぁ、うむ。好かん」
「なるほど、そいつはわかる!」
十子が大笑する。
それほど気分のよいことを言ったのか? と千尋は首をかしげていた。