目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第67話 乱戦

「いいねぇ、盛り上がってきた。これは──熱い賭場になりそうだねぇ!」


 沈丁花じんちょうげの声のボルテージが上がっている。


 サグメと千尋ちひろの戦い。

 この広い空間を縦横無尽に使い、沈丁花とハスバも『環境』として利用されている。


 ゆえに、最初は一対一が二組というところでそれぞれが独立して戦うかと思われた戦場、一対一対一対一と述べるにも少し違う、たった四人にして、まるで人通りの多い雑踏で勝負でもしているかのような場の乱れ具合となっていた。


 サグメが槍型の異形刀を突きだす。

 それを千尋が避け、サグメの進む方向を制御する。

 進んだ先にはハスバがおり、ハスバもさすがにすでに警戒しているものだから、サグメの槍の穂先から出る鋼鉄の糸を避ける、弾くなどの手段をとる。

 するとサグメの穂先が泳ぎ、沈丁花へと迫る。

 沈丁花、それを服をかぶせた左腕で受け流しつつ、着物で敵対者の視線を遮り、着物の内側からサグメへ突きを放つ。


 サグメは服の内側から放たれる殺意に反応し、槍を下げつつ突きを弾こうとする。

 と、そこに、いつの間にか誘導されてきたハスバが割り込み、沈丁花とサグメの突きが乱れ──


 乱戦。


 四人が入り乱れ、入り混じる。

 千尋を狙ったはずの穂先にハスバが割り込み、ハスバが沈丁花を両断しようと振り下ろした『蓮華れんげ』が千尋によって操られて逸らされ、そうしてできた隙に沈丁花が突きこもうとすれば、サグメが槍の穂先を回して壁となる。

 突きを放った直後の体を狙われてサグメがバランスを崩し、ハスバへと倒れこむ。沈丁花がそこを突こうとすれば、ハスバがサグメを投げるように飛ばし、盾状態の刀で沈丁花の突きをさばく。

 さばかれた沈丁花の突きが千尋に迫るが、千尋、これを最初からわかっていたかのような動きで受け流し、崩れかけた沈丁花のバランスを整える。そうしながら受け流した勢いを利用して身を回し、ハスバに向けて回転斬りを放つ。

 ハスバがこれを受けようと盾を構えたところで、「貴様の相手は、当方だ!」とサグメが割り込む。


 ハスバとサグメ、立ち位置をめぐってくんずほぐれつ、絡まり、倒れる。


 二人が互いににらみ合いながらも立ち上がり、武器を構えた先──


 千尋と沈丁花も、左右に並ぶように武器を構えている。


 千尋は少しばかり息が上がった様子で笑っていた。


「ハッハッハァ! いや、なかなか筋がいい。だんだん速くしているが、不格好とはいえ有効打をとらせぬのは見事よ」


 沈丁花から見てその様子、あまりにも色気があった。

 幼さ特有の無邪気さの中に、なんとも言えない特有の淫靡さがある。


 沈丁花は、すでに確信している。


(絶対に男の子だよねぇ、彼)


 とはいえ、『だから守らなきゃ』というほど、沈丁花は淑女ではない。


 彼は何かを賭けている。

 この『宝物遊戯』ではなく、賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんにて行われるどの賭場でもない。どこかの賭場、沈丁花の知らない相手との間で、何かを張って、さいを振っている。


 その賭場で卓につくために、彼は男であることを隠しているのだろう。

 で、あればここで『千尋は男の子だ』とバラすのは無粋も無粋。博徒として許されぬ一線を超える行為である。

 ……加えて言うならば、ハスバとサグメは天女教である。しかも、両者ともそれなりの立場がありそうで──つまり、男を見慣れている。

 その二人さえ騙し切るほどの『武』を見せる千尋の性別、自分だけが見抜いているという事実にはえもいわれぬ優越感もある。『気付かない節穴どもに、バラしてやるもんか。お前たちは一生、この子を女と思い込んでいればいい』という優越感だ。


「さて、指導は楽しいものではあるが、あまりだらだらとやっても効果が薄い。今、何をされたのか。今、どういう動きをしていたのか。そういうのを振り返る時間というのもな、馬鹿にならぬ鍛錬である。ゆえに──そろそろ、終わらせるか」


 決着をつけよう、と千尋が誘う。


 サグメは憎悪と恐怖がブレンドされた目で千尋を見て、ぎゅっと槍の柄を握りしめている。

 ハスバも昂っていく戦いの気配が最高潮に達しつつあるのをわかったのだろう。頭上で回す『蓮華』の勢いが増し、間合いも増していく。


 一方で沈丁花は、相変わらずふにゃふにゃと芯のない笑みを浮かべたまま、声を発した。


「そうだねぇ、そろそろ、前座・・は終わりにしようかぁ」


「ほう」


 そこで横から発せられた千尋の声、たまらない・・・・・

 驚きと喜びの入り混じった声だった。それが、戦いの熱に浮かされた美少年から発せられるのだ。声だけでも、腰が砕けるほどの魅力である。

 というか──


(いやあ、お姉さん、参っちゃうね。ちょっと彼、カワイすぎるよ)


 沈丁花は数多の『男』を獲得してきた。

 もちろん『少し遊ぶ権利』程度のものであり、このたびの十和田とわだ雄一郎ゆういちろうのように、ほぼ永続的な所有権が賭け代になることはこれまでどのような賭場でもなかった。

 だが、男性を見てきた経験は女の中でもかなり上位であろう。


 だというのに、千尋ほどの魅力を持った男は見たことがない。


(天女教の『始まりの男性』もこんな感じだったのかねぇ。なんらかの妖力……天女様の寵愛みたいなものを感じるよ)


 博徒のカンが告げている。

 ──この子は、身代傾けてでも賭け獲るべきだ、と。


「……どいつも、こいつも。当方の船で行われているこの遊戯を、なんだと思っているのか」


 サグメが静かに声を発する。

 重苦しい声だ。その落ち着いた態度には、周囲の者を思わず静かにさせる独特の迫力がある──はず、だった。

 しかし今のサグメ、沈丁花から見ると、まったく怖くない。


「サグメ、お前との決着は、この二人を倒したあとに回す」


 ハスバも固い声を発する。

 その地に突き立った一本のくさびが如き特有の雰囲気。高潔であり潔癖であるという様子には、やはり、戦う者として向かい合えば、ついつい背筋が伸びてしまうような緊張を強いて来るもののはずだった。

 だがやはり、こちらも、沈丁花から見ると、もはや威容がない。


『熱』だ。


 せめぎ合う同格の者同士が競い合う賭場には、互いの熱がぶつかり合い、見えない炎がうずまく。

 だが、決着直前の賭場は、片方の熱が高まり、もう片方の熱が急速に冷めていく。

 いわゆるところの『趨勢すうせいの決する気配』。賭けの渦中にいれば幾度となく感じることになる、未だ決着はついていないが勝敗はすでに決しているという、そういう空気。


 ハスバ、サグメには、すでに熱がなかった。 


 対して横にいる千尋、ただそこに立っているだけで焙られるように熱い。


 沈丁花は背筋の震えを覚える。

 それは恐怖だった。それは恍惚だった。それは背徳だった。


 沈丁花が賭場に求めるすべてが、千尋から発せられていた。


「行くぞ」


 声は静か。だが、微妙に低く、かすれ、これから低くなっていくであろうその声は、あまりにも耳の奥に強く響いた。


 千尋が動く。

 沈丁花は合わせようか、それとも見守ろうか、悩んでいた。

 頭では、悩んでいた。だが、体はすでに、千尋に合わせるべく動いている。


 思考で決定するより先に、体が結論を出してしまう。

 この状態、『熱に浮かされている』と沈丁花は表現する。


 迫る螺旋の溝を持つ円錐形の穂先──鋼鉄の糸を備えた変形異形刀『睡蓮すいれん』。

 同時に床を滑るような低さで薙ぎ払われるのは、盾状態から回転による遠心力によって槍へ変化する変形異形刀『蓮華』。


 千尋は当然のように跳び、睡蓮の穂先へ向けて突っ込んでいく。

 沈丁花は思わず笑ってしまった。


(その行動はさぁ──お姉さんを信じてるってこと、だよねぇ!)


 このまま進めば、睡蓮から飛び出た鋼鉄の糸にズタズタに切り裂かれる。

 だから、そうしないためには──


 沈丁花は細長い剣を思い切り突き込む。

 切っ先が向かう先は、睡蓮の穂先のもっとも尖った部分。


 沈丁花の得物もサグメの得物も、同じ十子とおこ岩斬いわきり作異形刀。

 とはいえあの鋼鉄の糸に巻き込まれれば沈丁花の手から刀は奪われるであろうし、相手は細い刀一本巻き込んだところで回転を止めぬであろう。


 だからこそ、切っ先と穂先とを思い切り衝突させ……


 回転の中心を抑えて、相手の槍を止めねばならない。


 精度、威力、タイミング、どれ一つとしてずらせない、精妙かつ豪快でなければ成し得ない奇跡。


 千尋はその奇跡に張った。


「まさか、お姉さんが壺を振る側に回されるなんてね」


 鋼と鋼がぶつかり合うすさまじい音が響き……


『睡蓮』の回転が止まる。

 鋼鉄の糸が『傘』ではなくなり、隙間ができる。


 千尋、肩を刻むようにしながら隙間を通り抜け、サグメの頭部へと抱き着き……

 脚を用いて、首を絞めた。


 これが千尋が数多の戦い──くだらないケンカの仲裁も含む──で見出した、『男の非力で女を倒す方法』のうち一つ。

 神力しんりきで強化された女の皮膚に刃は通らない。喉を突こうが、他の急所を突こうが、弾かれる。

 だが、絞めるという行為はどうにも通用するのだ。


 とはいえ女の腕力である。何十秒も絞め続けようとすれば、力で剥がされる。そもそも、相手は武器を持っている想定であるから、千尋の修めた武術において、だらだらと相手の体にとりついて締め続ける、なんていうことはしない。

 ゆえに、技量によって、一瞬で絞め落とす。


 千尋に股間を押し付けられるようにして首を絞められたサグメ、気絶するまで一秒ほど。

 そもそも締め技は『呼吸器を潰して呼吸困難にさせる技』ではなく、『脳への血流をシャットアウトして意識をブラックアウトさせる技』である。未熟であればきちんと動脈を塞ぐことができず呼吸困難を狙わざるを得ないが、千尋の技量と人体への理解であれば、優しく一瞬で相手の血流をせき止めることが可能であった。


 膝から崩れ落ちるサグメ。


「おいッ!?」


 そのサグメの体が倒れこまされる先は、足首を薙ぐような攻撃を、姿勢を低くして放っていたハスバ。


 気を失った人にのしかかられて、さすがの神力持ちも一瞬、止まる。

 そうしてバランスが崩れたところを脚をかけられて完全に倒され……


 倒れたハスバの眼前に、沈丁花の件の切っ先が突き付けられる。


「『物言い』はあるかな?」


 沈丁花が問いかける。

 ハスバは忌々し気に、自分の上にのしかかるサグメを見てから……


「……我々の負けだ」


 とてもとても悔しそうに、敗北を認めた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?