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第68話 壺の中の目は

「ねぇ千尋ちひろくん、お姉さんさあ、やっぱり──君が欲しいなぁ?」


 サグメに敷かれたままのハスバを横目に、沈丁花じんちょうげの目が怪しく輝き、千尋を捉える。


 宗田そうだ千尋、この目を向けられて、笑う。


「俺は景品ではないぞ」

「そうだねぇ、だから、これは、個人的な賭け。……ね、今から、お姉さんと勝負しない?」

「勝負ねぇ」

「相手の刃が先に体に触れた方の負け、っていう勝負」

「構わんが、その程度の決着でいいのか?」

「賭けっていうのはね、勝つか負けるかわからないから楽しいんだよ?」

それ以上・・・・でも、俺は構わんが?」

「いやいや。君を傷つけるような勝負だと、お姉さんの剣が鈍っちゃうんだよねぇ?」

「……なるほど。それなら仕方ない、か」


 とはいえ、提案した沈丁花は最初、『男の子への気遣い』のつもりだったのは事実だ。

 神力しんりきを持たない男が、女を倒す手段は存在しない──否、千尋が『締め技』という可能性を見せてしまったし、彼ならばきっと他にも何かの手段は用意しているだろう。だがそれはとても難しく、『倒す』を目的にしてしまっては、賭けが成立しないとも、思ったのだ。


 だが、目が、その侮りを否定していた。


 宗田千尋。

 殺し合いでもまったく意に介さない。


(いやぁ、すごいね。ぞくぞくする)


 沈丁花の方が退かされた。

 千尋の『熱』が、また一段高くなったように感じる。


「それで、何を賭ける?」


 なんでもいいぞ、という様子であった。

 これは駆け引きは通じないと考え、沈丁花は笑った。


全部・・

「全部、というのは?」

「宝物遊戯で得たお宝、それに──命と人生も」

「……ほう」

「君が何かを目指してるのはわかるよ。ここじゃない、お姉さんの知らない賭場に立って、今もサイコロを振り続けてるのがわかる。だから、『それ』も賭けてもらおうかなぁ? お姉さんが勝ったら、君の命も、君の人生目標も、君がこれから得るはずのもの、君が今持っているもの、全部全部、私がもらう」

「つまり、そちらも同じものを賭ける、と?」

「当然でしょう? 賭けたものの重さがそろわない賭博なんざつまんないよねぇ? 腕を落とせと言われれば落としましょう。脚を落とせと言われれば落としましょう。死ねと言われれば死にましょう。財産ごとき、すべて捧げましょう? 大事なもの、全部つまびらかにして、捧げましょう。さぁ、私は卓にすべて置いた。丁か半か。賽は壺の中にある。この壺を開く覚悟は──」


 千尋が、ただ、剣を正眼に構えた。


 それが、返事であった。


 沈丁花は背筋にゾクゾクとしたものが走り続けている。

 指先まで震えてしまいそうになるのを、必死にこらえる。


 恐怖はあった。敗北しすべてを失うかもしれない、恐怖だ。

 緊張ももちろんしている。人生を賭けた。その覚悟に偽りはない。だからこそ、この大一番に緊張している。

 そして、背徳感が多分にある快楽もあった。このかわいらしい男の子にすべてを奪われること、それは、多くの女にとって、『実は、望む』ようなことではないだろうか?


 そして、何より──


(彼のすべてが手に入る)


 ──負けるつもりで賭場に立つ博徒などいない。

 沈丁花の背筋を震わすもっとも大きなものは、勝利し、千尋という美酒を好き放題に呑める未来予想図である。


 


 拮抗した実力の者同士が、人生おのれを賭けて切っ先を向き合わせる時、独特な間が生じる。

 それは医学生理学的に、緊張による生理反応、震えや尿意などによる動きの乱れ、いわゆる『隙』を待つ時間では、ある。


 だが剣客と剣客の間にあるのは、もっと概念的なもの。


 沈丁花は『炎』の高まりを見ている。

 互いの熱がぶつかり合って間で渦巻く炎。これが揺れて、相手に火の粉がかかる瞬間を待っている。


 一方で千尋は──


(いやはや、硬い・・


 相手の硬さを、見ている。

 これはもちろん概念的な硬さである。

 百や千では利かぬ数の立ち会いをこなし、その半数程度であろうが殺し合いも行ってきた。

 そうしていくうちに、千尋は、斬りかかるべき機には、相手の心身に柔らかいところができて、その部分にスッと刃を滑り込ませれば、すなわち勝つという感覚を得るに至っていた。


 強い者は、全身が鋼のように見える。


 沈丁花、千尋の目から見て、赤熱する鋼である。


 稀にあった。

 相手が柔らかく見えない時。不撓不屈ふとうふくつの鋼にしか見えず、いくらにらみつけていても、決して柔らかさを見せない時。


 そういった時に、千尋がどうしてきたかと言えば──


 ……隙を作る技術は、もちろんあるのだけれど。

 相手があまりにも硬くて、硬くて、硬すぎて、どうしようもないほど『死』の気配が背後に迫って、『死』の息遣いまで聞こえるような、そういう、極限の時は──


 斬ってみたい、という衝動に任せてきた。


 鋼を斬りたい。硬くてとても斬れそうにない鋼を。赤熱する鋼を。どこにも斬り込むべき場所が見当たらない鋼を。誰にも斬れそうにない鋼を。

 だからこそ、斬りたい。


 千尋は欲望を堪えきれず、赤熱する鋼に斬りかかる。


 沈丁花の切っ先がほぼ同時、千尋の頭部に向けて突き出される。

 途中で止める気の速度ではなかった。にらみあううちに、すべてが忘却され、互いに互いをどう殺すかということのみが頭の中に残ってしまった──優れた剣客同士の立ち会いではよくある、事故の原因であった。


 そうして、勝敗は決した。


 沈丁花の突きが、千尋の頬をかすめる。

 だが、その前に──


 千尋の振り下ろした刀が、沈丁花の、剣を握る右手親指にあてられていた。


 指斬り、と呼ばれる技法だ。

 多くの場合、人は親指を落とされると何も握れなくなる。

 ゆえに剣の勝負には相手の親指を狙う技、搦めて折る技などがある。

 それを守るために、剣には鍔があるのだが……


 沈丁花の刀、鍔のない長ドスである。


 ゆえにこそ、決着。


こすい勝ち方をしてしまったかな」


 頬から血を流し、千尋が問う。


 沈丁花は、「いやぁ~」と言葉を探すように声を発し、


「最後の最後で、怯えて突きが逸れちゃったよねぇ。……指を落とすってのは、ま、指を落とすだけなんだけどさ。うん、怖かったよ。すごく、怖かった。千尋くんは──本気で、人を殺せるんだね」


 本気で殺す、とはどういうことか?

 腕力で叩き潰す、速度で攪乱する。それらを支えるための激しい鍛錬を己に課す。それらももちろん、『本気』ではあろう。


 だが、千尋の本気は、『手段を選ばない』ということ。

 弱点があればそこを突くのをためらわない。急所があればそこを叩くのを迷わない。

 人道、倫理、共感。そういったものを勝負の最中には捨てられること。……それすなわち、『武』の本来の姿である。

 平和な時代には決して受け入れられぬ、むき出しの、生々しい、『武』なのだ。


 沈丁花は、剣をパッと離し、その場にあぐらをかいた。


「よし、じゃ、これから、お姉さんは千尋くんのものだよ。まず、何をしてほしい?」

「うーむ、そうさなぁ」


 千尋は刀を腰に納めながら、悩むように天井を見上げ、


「これは十子とおこ殿にも許しを得ねばならん話ではあるが」

「……」

「これからも精進し、ますます強壮な剣客となってほしい」

「…………………………はい?」

「いやな、その刀は十子岩斬の作であろう? 俺たちは異形刀回収のための旅をしているものだから、それももらい受けねばならんのが本来のところであるのだが……しかしな、その刀でもって、沈丁花はもっと強くなれる。であるから、その刀は持ち続けてほしく思う。ここにな、十子殿の許しを得ねばならんのだ」

「……いや、いいんならいいんだけどさあ。ちょっといい? お姉さん、そんなに魅力ない?」

「いやァ? 魅力的だぞ。あなたなら、きっと、いつか──俺の『敵』となってくれるだろう?」

「……」

「俺は『敵』が欲しいのだ。実力を備え、才覚を備え、成長を続け、そして……いつか俺と、不倶戴天ふぐたいてんの関係となり、互いに全力を尽くして殺し合わねばならん敵が欲しい。……が、俺が指導してしまうとな、そこがどうにもうまくいかん。ゆえに、あなたには、まぁ、なんだ、その、自由に頑張ってほしい」

「…………」

「いつか敵対する理由ができたら、殺し合おう。俺の望みは、それだけだ」


 沈丁花は、視線を十子の方へ向けた。


 十子は痛そうに頭を抑えており、横にいる雄一郎は『何言ってんだこいつ』という表情を隠しもしていない。

 つまり、千尋の仲間と思われるあの二人をして、今の千尋の話は理解できなかった、ということで。


 だから沈丁花は、こう言うことにした。


「わかった。君の『敵』になろう。もっともっと、自分を鍛えてね」


 だって、かわいい男の子の言葉を自分だけがわかってあげられるっていうのは、たまらない優越感だし。

 心の中でそう付け加えて──


 賽の目はこうして出そろい。

 また、新たな壺が振られる。

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