「見事、二百七十の宝を得て終着にたどり着きましたるは、なんと! あの
賭博船・
そこにはすでに多くの船員・観客がおり、
船員が大きな声で叫ぶとあたりからは歓声と拍手が上がる。
スポーツマンシップ的なものがあって称えているというよりは、とうに諦めた連中が、拍手したり祝福したりすると
「いやはや、『男』とはここまでのものなのか」
もちろんこれまでも街を歩いたりはした。
だが、男というのは基本的に見ない。街にいても、たいていは家の中に隠されている。
何せ弱々しいくせに生物としての価値が高い生き物なので、
そのため、なかなか『世間の男の扱い』を生で見る機会というのはなかったが……
賭博船に集う女どもに、雄一郎がきゃあきゃあ言われている様子を見るに、千尋の認識よりずっとずっと、『男』というのは特別な存在の様子だった。
しかし雄一郎、千尋のぼそりとした呟きに反論をする。
「違うぞ! 『男』がこうまで騒がれるんじゃあない。この僕、十和田雄一郎の魅力あってこそだ!」
「そうか。すごいな」
「ちーひーろー! お前さぁ、この僕に言葉をかけられる栄誉をもっと喜んだ方がいいんじゃないか!?」
雄一郎は調子に乗りやすい子なので、こうして騒がれていると、騒ぐ声の大きさに比例して自尊心もふくらんでいく様子であった。
(まぁ、このぶんなら、これから先、『一人で』生きていくとしても困るまい)
一人で。
天女教に衣食住の世話をされず、自分で自分を所有して生きていくとしても、きっと、困らないだろう。
というかこの人気ぶりならば、たぶんどこかの領主に自分を売り込めば何不自由ない暮らしが与えられるはずである。たとえば
一人で、生きる。
人は一人では生きられない。社会とかそういうしがらみと無縁でいられない的な意味で──という大前提の上で『一人で生きる』というのはまあ、なんらかの職を見つけて、それで
そしてこの世界の男は、力仕事はできないし、医者などのいわゆる知識職にもつけない。というか、そもそも、人々が自力かつ資源を必要とせず火を熾したり清浄な水を出せること前提で設計されたこの社会において、男は男であるというだけでもう、一人で生きていくことはできないのだ。
たとえばどうしても天女教で囲われていては達成できない目標がある、などの事情があれば別だが……
そういったものなしで、『自分を獲得して生きていく』というのは……
(天女教での暮らしと、どこがどう変わるのか、俺にはわからんなあ)
千尋からすれば、そうなる。
……まあ、最近の天女教は男の管理が厳しくなっているという話も小耳に挟みはしたが、雄一郎の奔放な様子を見るにつけ、その言葉が果たしてどこまで締め付けられた生活を指すのかは、怪しいところである。
「なぁ、千尋」
雄一郎が、真剣に千尋を見ている。
千尋は首をかしげた。それは、『この男、こんなに意を決した顔もできたのか』というぼんやりとした驚きゆえであった。
雄一郎は、千尋の目を真っ直ぐに見つめて、口を開いた。
「僕の宝、お前にやるよ」
「……えーと、そもそも、おぬしの宝などあったか?」
「あっただろ!? 僕が僕を獲得するための二百だよ!?」
雄一郎もまったく働きがなかったかと言えばそうと言い切れない面もあるのだが、宝の過半数を『僕の』と述べてしまうのは、実際に汗を流した量からすれば、なかなか違和感のある言い回しである。
しかし言っていることは理解できる。だが、そう言いだすに至った経緯がわからない。
千尋は一応、話を整理してやることにした。
「念のため言っておくが、宝二百がないと、自分で自分の身柄を取り戻すことはできないぞ?」
「わかってるよそれぐらい! だから! 僕は、僕を取り戻すはずの宝をお前にくれてやるって……あのさぁ!? ここでこんなにつっかえることあるか!? このあと! このあと僕が、いいことを言うんだから、そこまで話を進めさせてくれよ!」
「ああ、腰を折って悪かった。しかし意外な申し出だったのでな……」
「だからその理由を言わせろよ!」
「わかったわかった、では、どうぞ」
「…………なんかさぁ! 感動っていうか、驚きっていうか、薄くないか!? もしかして僕に興味がないのか!?」
「………………」
「否定しろ!!! バカ!!!!」
「あ、うん、そうだな。興味はまあ、ご想像にお任せする」
「否定しろって言ったんだよ!?」
雄一郎が息を切らせるころ、急に千尋と雄一郎のあいだで始まったやりとりに、会場がシンとしていた。
これはもちろん、千尋という『女』が、雄一郎という『男』に対してあまりにも失礼であるから、それをとがめるような心地の沈黙もある。
だがそれ以上に、この二人の遠慮のない、仲のよさそうな、距離感の近いやりとりに、多くの女が脳破壊のような衝撃を受けており、何も言えなくなってしまっていたのだ。
女であれば誰もが人生で一度は、このように男性と忌憚ないやりとりをすることに憧れる。ひたすら『男性との忌憚ない会話』のみをつづった書物・物語さえ世には数多く出回っているほどだ。
その、多くの女にとって夢のような会話が目の前で行われている……
夢が現実になったショック、その現実が自分と男性との間に訪れたものではないショック、千尋を自分に置き換えて妄想しそのあまりの刺激の強さに変な薬でもキメてしまったかのようになったショック……それらが織りなして生み出された沈黙であった。
その静けさの中で、雄一郎、ため息をつく。
「……千尋、お前、僕に興味がないよな」
「いや、まあ、興味がない、と言うと語弊はあるな。うん。もう少し別の何かだ」
「だからさ、僕は決めたんだよ。……お前に、興味を持たせてやるって」
「……」
「そのためにはさ。……お前たちの力に頼って集めた宝は、受け取れない。僕はやっぱり、僕の力で、宝を得て……自分を取り戻す必要があると思ったんだ。だから、宝は全部、お前にやる。僕はまた別の機会に、別な手段で、自分を取り戻して……お前と再会してやるよ」
「『別な機会、別な手段』か」
「ああ。たぶん、サグメは二度と、僕を百花繚乱で景品にしないだろうしな。……だから、『別な手段』が必要だ。それに、その手段を行使する機会だってきっと……自分で作らなきゃいけないと思う」
雄一郎の言葉を否定してやろうか、という優しさを、一応、千尋は検討してみた。
だが、気休めの甘い言葉など、もう、必要なさそうだった。
雄一郎は『男』の顔をしている。
千尋が前世、男女比がそう偏っていない世界で見たような、『男』の……少年が大人へと一歩を踏み出す、そういう顔だ。
「男は弱くない。弱い男がいるだけだ」
雄一郎は、言う。
それは自分に聞かせるような、自分の心の底に芽生えた炎を大きくする風を吹き込むような、そういう声だった。
「千尋、お前さ、たぶん、強いやつが好きなんだろ?」
「まぁそうだな」
「だから僕、強くなるよ。お前がおどろくぐらい強くなって……もう一度、お前に会う。そしたらさ、なんだ、その…………い、言いたいことが、あるんだ。お前に」
「今では言えぬ、と」
「……ああ。今では言えない」
「そうか。ならば無理に聞くまい。……雄一郎」
「なんだよ」
「強い者が強くなるのは、実のところ、さほど大変でもない。弱い者が、弱いままで生きていくことも、これも、実は大変ではないのだ。強い者が弱くなることも……恐らく、大変ではない」
「……」
「一番大変なのは、弱い者が、強くなることだ。弱く生まれついた者が強者の側に立つこと。これは、とてつもないことだぞ」
「ああ」
「だからもし、おぬしが強くなれたならば……俺は、尊敬を以て、それを祝福しよう」
「尊敬なんかいらないよ。……一つだけ、僕の言葉を聞いて、それに答えてくれたらいい」
「わかった。約束しよう」
「ああ! 約束だぞ!」
会場がなぜか温かい拍手に包まれる。
その拍手の中、チームの代表で名前を呼ばれてからずっと蚊帳の外だった十子が、げんなりした顔でつぶやく。
「……これ、教えねぇ方がいいのかな……」
雄一郎が千尋を見る視線。
どう見ても『愛』がある。
雄一郎、千尋を女だと信じ、これに告白するつもりであろう──というのは、会場にいる全員がわかるぐらい、あからさまだった。
女たちは自分が男にモテる状況も好きだが、懸命に愛を貫こうとする男の子もまた好物なのである。
ゆえに、わかった。雄一郎から千尋へと、愛の波動を感じたのである。
しかし、会場の中にはそういった機微を察することのできない者ももちろんおり……
そのうち一人が千尋なのだった。
(っていうか雄一郎、マジで千尋のこと女だと思って言ってるよな??? どうすんだこれ? あたしはどういう感じでいればいい? 教えるのか? これから頑張ろうっていう雄一郎にそんな残酷な真実を教える? え、その役割、あたしじゃなきゃダメ!?)
ダメっていうか他にいない。
……こうして十子がいらん心労を抱えさせられる事態になりつつも……
賭博船・百花繚乱『宝物遊戯』。
それぞれが欲する物を見つけ、目標を見出し生きていくという、大団円の終幕と相成った。
一部の重大な真実は、伏せられたまま……