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第70話 晩節を穢す

 すべての景品を交換し終えて、宗田そうだ千尋ちひろが抱いた感想は、このようなものだった。


(素晴らしい領地よなぁ)


 何せ、千尋らが景品を交換したシチュエーション、賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんの船長にして領主、石動いするぎサグメの気絶中・・・なのである。

 締め落としたサグメはその後、活を入れられる(現代柔道などでは、絞めて落とされた者はすぐに意識を回復させることになっている。重篤な障害を防ぐための配慮だ。その意識回復行為を『活を入れる』と称する)こともなく、そのまま放置された。

 船員たちが遠目に見ていたので『あとはそちらで』という感じで放置したわけだ。


 そういう状態であるにもかかわらず、船長を締め落とした千尋らになんの不備もなく景品を渡してみせたのは、まったくもって見事と言うより他にない。

 領主の裁量や面子よりも、ルールが上位にある証拠である。


 実のところ、サグメと敵対が明確になった時点で、千尋はこの船全体が敵に回る想定をしていた。

 というよりも、領主がいかにめちゃくちゃやろうとも、領主は領主なのだ。領主の面子は領地の面子。特に昨今の天女教は『強さこそパワー』みたいな方針のようであり、その思想に深く傾倒しているのがここの領主たるサグメである。

 で、あるならば、そのサグメの『負け』はなんとしても認めぬであろう、というのは自然な思考の推移であった。


 しかし、本当に何事もなかった。


 それはこの船が『賭博船』であり続け、多くの博徒が安心して遊び、さらにお大尽だいじん様からの出資など募っている以上、どうにもならない信用問題がかかわっているのだろう。


 ……と、いうように分析しながら対岸に渡るための船着き場へとたどり着いたのだが。


 その桟橋にて、サグメが待ち受けていた。


 明らかに剣呑な気配──というか、表情である。


 最初に会ったサグメは、『底知れぬ雰囲気を持つ、落ち着いた穏やかな美女』であった。

 今は正直に言って見る影もない。憎悪にまみれた表情。全身から発せられる冷たい怒り。

 ……人というのには『格』がある。それは、身分や味方の多さ、武力などではなく、その人の魂が持つ重さ、高貴さといったものであると千尋は考えている。

 落ち着き払っている時のサグメには、まだ、『格』があった。

 だが、今の、剣呑そのものといった様子で、武装した数名を背後に従えているサグメからは、一切の『格』を感じない。


 ゆえに千尋、ため息をつきながら、サグメへと言葉をかけた。


「サグメ殿、今のあなたはつまらん。戦う気も起きんので、どうかそこを通してはくれまいか? ……たまには一人も斬らぬというのも、ともすれば悪くないのではないか──などと、そういうふうに、思っていたところなのだが」


 今回、百花繚乱で行われたすべては『賭博』であり『遊戯』であった。

 遊戯ゆえに、人は傷つかない。せいぜい打ち身、擦り傷、そういうものはまぁ、荒っぽい博徒どもが集う場であるから、あるだろう。殴り合い程度ならば、日常茶飯事かもしれない。


 しかし『殺し』はしないという一線がすべての者にあった。

 千尋が性別を偽っているゆえに『相手が男であればうっかり死んでしまうような攻撃』は幾度も放たれたものの、あのハスバでさえ、相手が女であれば死ぬまではいかぬ攻撃しかしていない。


 この遊戯の中で唯一、殺意を以て千尋に斬りかかっていたのは、サグメのみであった。


「……その態度」


 鬼のごとく歪んだ顔で、サグメは語る。

 声は静かだった。ただし、薄皮一枚向こうに、隠し切れぬ憎悪が明らかだった。


「千尋、貴様のその態度。天女教に対する侮辱です」

「……」


 千尋、耳をほじる。

 その態度にサグメがピクリとこめかみを動かした。


「なんですか、その顔は」

「いや、耳が痒くてな。どうにもなァ……己の欲望を、大義だの正義だの、後ろについている大きな組織だのの名を借りねば語れぬというのは、なんというか、悲しいし、聞いていてこう……恥ずかしくてな。耳がむずむずするのよ」

「……」

「サグメ殿、あなたは『己』を知るべきだ。あなたの身の丈は『天女教』より小さい。あなたの実力は『天女教』の実力より低い。あなたは、サグメ殿であって、『女性』でも『天女教』でもない。威を借るのは結構だが、威を借っていることが看破されてしまうと、うむ。……まぁ、のちのち思い返して悶える権利はあろう」

「……」

「『お前がムカつく。だから殺す』ではいかんのか?」

「……天女教に逆らう者、生かして帰すわけにはまいりません」

「そうかァ。いや、残念──」


 千尋が腰の刀に手をかける。


 瞬間、動きが止まる。


 その動きが止まった理由を、サグメは──


「? 罰せられる覚悟を決めたということ──」


 ──認識、できなかった。


 彼女が、千尋が抜刀をやめた理由に気付いたのは、その一瞬あと。

 胸の間から、刃の先端が生えてきた時、すなわち……


 背中から心臓を刺し貫かれた時、だった。


「………………は?」


 がはっ、と血のまじった息を漏らす。

 遅れてようやく『殺される』と認識したサグメが肩越しに振り返ると、そこにいたのは……


「天女様より言伝だ。『お前はもういらない。その品格が天女教にふさわしくない』」

「か…………」


 サグメの目が見開かれる。

 視線の先にいたのは、眼帯をつけた、背の高い、理想的な筋肉を身に着け、その体を誇示するように、前の開いた毛皮を身に着けた女……


「かい、り……」


 乖離かいりであった。


 乖離は己の名とした銘の刀を抜き、サグメの血を払う。

 血振りのあと、ようやく乖離の蛮行に気付いたサグメの配下ども。すでに千尋襲撃のつもりでいたので手に手に武器を持っていた彼女たちが、ざわめき、己の主人を背後から刺殺した乖離へと攻めかからんと気を発する。


 しかし乖離、ひと睨みですべてを停止させる。


 そして……


 乖離は、千尋に目を向けた。


「久しぶりだな」


 故郷の村が滅んでから、二月ほど。

 こうして、仇敵と、それを倒さんとする千尋とが、再会を果たした。 

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