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第71話 乖離との再会

「こういった時に、どういう言葉をかけていいかというのは、案外わからないものだ」


 乖離かいりはつぶやく。


 たとえば宗田そうだ千尋ちひろと乖離との因縁を第三者的視点で知る者があれば、その態度は奇妙なものに映ったことだろう。


 乖離の様子は『自分をつけ狙う復讐者に偶然出会ってしまった』という様子ではなかった。

 その距離感、『久しく会っていなかった親戚に会った』と表現すべきである。次の瞬間には『大きくなったなぁ』などと飛び出しそうな、なんとも力の抜けた、親し気なものである。


 一方で千尋の方もまた、「うむ」とうなずく。

 その態度には照れのようなものさえあった。こちらもまた旅先で偶然出会った幼馴染に、いったいどういう言葉をかけていいかわからないという、親し気な様子である。


 そのやりとりを見て、声を発する者がいた。


「乖離ィ!」


 天野あまの十子とおこ


 その処女作の名こそが『乖離』。

 今や剣客の名となってしまっている刀。当代岩斬いわきりが唯一銘をつけた最高傑作たる長刀ちょうとうの名である。


 十子は叫んだ。

 だが、叫び声から先に、言葉は続かなかった。


 極めて衝動的な叫びだったのだ。まだ、十子自身、乖離に向ける感情を決めかねている。だからこそ、言葉が続かない。

 だから十子に大声を出させた理由は、


「あたしにゃ、挨拶もなしか」


 乖離と千尋が、『二人だけの世界』を作っていた。

 ……乖離は幼馴染だ。その幼馴染を救うため……人斬りとしての命脈を断つための刀を、十子はずっと、打ち続けていた。

 それはとりも直さず、乖離のことを片時も忘れたことがなかった、ということだ。


 一方で千尋とはここまで旅をしてきた仲間だ。

『乖離を殺す』という目的の一致から始まった旅だった。未だ打てぬ、まだ見ぬ最高傑作を打ち、その刀でもって乖離を斬り捨ててもらうため、ともに旅をしてきた間柄だ。


 だというのに。


 乖離と千尋は、乖離と自分、千尋と自分よりも、なお深く、強く、つながっている。

 今の一瞬で、そのことを見せつけられた。だから十子は叫んだのだ。叫ばずにいられなかったのだ。


 ばつの悪い想いである。


 だが一方で呼びかけられた乖離も、やや気まずそうな顔をしていた。


「……久しぶりだな、十子」

「どんなツラ下げてあたしの前に顔出すのかと思いきや、『いると思わなかった』ってぇツラか? ……お前にとって、あたしはもう『過去』かよ」


 乖離は少しばかり考えるように目を閉じた。

 そして、目を開く。


「そうだ、十子岩斬。お前は──私にとって、すでに、『過去』だ」

「……」

「逆にお前は、私にどう思っていてほしかった? お前にもらった刀で里の者を・・・・斬った・・・ことに罪の意識を感じ、延々と思い悩んでいてほしかったか? それとも、お前の刀のせいで殺人衝動に目覚めたのだと、お前を恨んでいてほしかったか? あるいは……私が里を出る時、お前を誘ったのに、お前はついてこなかったじゃないかと、怒りでも抱いていてほしかったか?」

「……そいつは、」

「最初のころは、罪の意識もあった。その意識から逃れたくて、刀を打ったお前を逆恨みしたこともあったかもしれない。怒りも、時折、抱いたよ。お前が横にいればどれほどよかったかと、そう思う日もあった。……だが、私は乗り越えた」

「……」

「お前は刀を打って、私に贈った。私はそれを受け取った。……刀鍛冶と人斬りとの関係など、そこで終わりのはずだ。お前に私を止める義務はないし──私の生き方に口を出す筋合いもない」

「…………」

「今、私の心にいるのは、お前ではなく」


 そこで、乖離の視線が千尋に向く。


 千尋は頬を掻いていた。


「なんだかなァ、俺はどうにもお邪魔という様子の、愁嘆場しゅうたんばめいてきたようだが。果たしてここにいていいのか」

終わった・・・・話だ・・。それより未来の話をしよう。……遊郭ゆうかく領地、そしてこの賭博船。お前の活躍は並々ならぬものがある。天女様の興味は、『サグメの賭場をめちゃくちゃにした者』に向くだろう」

「そいつは重畳、でいいのか?」

「お前がまだ私を斬るつもりでいるならば、そうだな」

「そうか、そうか。だがなァ……おぬしに提示された手順を踏まずとも、ここで俺が刀を抜いて斬りかかれば、それで済む話ではないか?」

「それで済むとお前が思うなら、お前はすでにそうしているだろう?」

「はっはっは。しかり。……俺は襲われる分には場を選べとは言わんが、襲う分には、それなりに『舞台』というやつを気にするらしい。それにな」

「?」

「おぬしが『過去』と称した十子殿だが、俺は決して、そうは思っておらんよ。何せ、俺の未来はお前を斬る以外の道はなく、その未来を拓くための刀を打ってもらおうというところだ。……後ろを向いたり、下を向いたりというのはな、前を向くために必要な準備よ。あまり十子殿をいじめてくれるな。彼女は戦っている。その戦いを無碍むげに扱うことは許さん」

「そうか。……だが、謝罪はしない。異形刀などという玩具おもちゃに逃げて現実逃避をしているうちはな」

「なぁに、心配いらんとも。十子殿は刀を打つさ。というより、打ってもらわねば困る」

「なぜだ?」

「なぜも何も、俺が十子殿の刀に命を賭けているからに決まっているだろう」

「……」

「まだ、おぬしを斬ることはできなさそうだ。だが、この手に十子殿の刀があれば──うむ。まだ見ぬ新しい刀の握り心地、斬り心地を想像するというのは、いくつになっても胸が躍るものよ」


 千尋が目を閉じ、うなずく。

 乖離は──ふっと微笑んだ。


「相変わらずのようで安心した」

「それはどうも」

「弟の安否など聞かないあたりも、相変わらずだな」

「……そういえば、そうだったな。しかしまぁ、粗略には扱わぬのだろう? そう言われたものでな」

「それでも一応確認してみるのが人情とは思うが。……まぁいい。次の目的地は決まっているか?」

「いや」

「であれば、ここから東南東に七日ほど行った先にある『塔』を目指すといい」

「ほう?」

「天女様が、そこに降臨なさる。……一度ぐらい見ておくといい。我ら天女教の総主教様をな。それに、お前の戦いぶりであれば、あるいは天女様の目に留まるやも」

「それがおぬしと戦うための早道か。なるほど、乗った」

「……それに、お前の弟もそこに行く可能性がある。ともすれば、『弟を取り戻す』という目標ならば、私と戦うより先に叶うやも」

「そいつは少し困るなァ。おぬしを斬る大義名分が弟の存在であるというのに。まぁ……『斬りたいから、斬る』でも、おぬしは本気になってくれるか」

「そうだな」

「ならば、それもよかろう」


 別れの挨拶はなかった。

 乖離は用事は済んだとばかりに、足元に落ちたサグメの死体を肩にかつぎ、踵を返す。


 あとに残されたのは、サグメを支持していた船員たちと、千尋、十子。


 千尋は、乖離を乗せて岸辺へ戻る船を見送ってから、歩き出す。


 振り返って、


「行くぞ、十子殿」


 うつむいて動かない十子の手をとり、引く。


 サグメの取り巻きであった船員たちが、気圧されるように道を空ける。

 血だまりを踏んで、歩いて行く。


 千尋の歩む道には、点々と赤い足跡がつき……

 手を引かれて歩く十子の足跡も、同じように、残った。


 旅は続く。

 まだ、成さねばならぬことが、成されていないから。


 足が血にまみれても、続いて行く。

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