「こういった時に、どういう言葉をかけていいかというのは、案外わからないものだ」
たとえば
乖離の様子は『自分をつけ狙う復讐者に偶然出会ってしまった』という様子ではなかった。
その距離感、『久しく会っていなかった親戚に会った』と表現すべきである。次の瞬間には『大きくなったなぁ』などと飛び出しそうな、なんとも力の抜けた、親し気なものである。
一方で千尋の方もまた、「うむ」とうなずく。
その態度には照れのようなものさえあった。こちらもまた旅先で偶然出会った幼馴染に、いったいどういう言葉をかけていいかわからないという、親し気な様子である。
そのやりとりを見て、声を発する者がいた。
「乖離ィ!」
その処女作の名こそが『乖離』。
今や剣客の名となってしまっている刀。当代
十子は叫んだ。
だが、叫び声から先に、言葉は続かなかった。
極めて衝動的な叫びだったのだ。まだ、十子自身、乖離に向ける感情を決めかねている。だからこそ、言葉が続かない。
だから十子に大声を出させた理由は、
「あたしにゃ、挨拶もなしか」
乖離と千尋が、『二人だけの世界』を作っていた。
……乖離は幼馴染だ。その幼馴染を救うため……人斬りとしての命脈を断つための刀を、十子はずっと、打ち続けていた。
それはとりも直さず、乖離のことを片時も忘れたことがなかった、ということだ。
一方で千尋とはここまで旅をしてきた仲間だ。
『乖離を殺す』という目的の一致から始まった旅だった。未だ打てぬ、まだ見ぬ最高傑作を打ち、その刀でもって乖離を斬り捨ててもらうため、ともに旅をしてきた間柄だ。
だというのに。
乖離と千尋は、乖離と自分、千尋と自分よりも、なお深く、強く、つながっている。
今の一瞬で、そのことを見せつけられた。だから十子は叫んだのだ。叫ばずにいられなかったのだ。
ばつの悪い想いである。
だが一方で呼びかけられた乖離も、やや気まずそうな顔をしていた。
「……久しぶりだな、十子」
「どんなツラ下げてあたしの前に顔出すのかと思いきや、『いると思わなかった』ってぇツラか? ……お前にとって、あたしはもう『過去』かよ」
乖離は少しばかり考えるように目を閉じた。
そして、目を開く。
「そうだ、十子岩斬。お前は──私にとって、すでに、『過去』だ」
「……」
「逆にお前は、私にどう思っていてほしかった? お前にもらった刀で
「……そいつは、」
「最初のころは、罪の意識もあった。その意識から逃れたくて、刀を打ったお前を逆恨みしたこともあったかもしれない。怒りも、時折、抱いたよ。お前が横にいればどれほどよかったかと、そう思う日もあった。……だが、私は乗り越えた」
「……」
「お前は刀を打って、私に贈った。私はそれを受け取った。……刀鍛冶と人斬りとの関係など、そこで終わりのはずだ。お前に私を止める義務はないし──私の生き方に口を出す筋合いもない」
「…………」
「今、私の心にいるのは、お前ではなく」
そこで、乖離の視線が千尋に向く。
千尋は頬を掻いていた。
「なんだかなァ、俺はどうにもお邪魔という様子の、
「
「そいつは重畳、でいいのか?」
「お前がまだ私を斬るつもりでいるならば、そうだな」
「そうか、そうか。だがなァ……おぬしに提示された手順を踏まずとも、ここで俺が刀を抜いて斬りかかれば、それで済む話ではないか?」
「それで済むとお前が思うなら、お前はすでにそうしているだろう?」
「はっはっは。
「?」
「おぬしが『過去』と称した十子殿だが、俺は決して、そうは思っておらんよ。何せ、俺の未来はお前を斬る以外の道はなく、その未来を拓くための刀を打ってもらおうというところだ。……後ろを向いたり、下を向いたりというのはな、前を向くために必要な準備よ。あまり十子殿をいじめてくれるな。彼女は戦っている。その戦いを
「そうか。……だが、謝罪はしない。異形刀などという
「なぁに、心配いらんとも。十子殿は刀を打つさ。というより、打ってもらわねば困る」
「なぜだ?」
「なぜも何も、俺が十子殿の刀に命を賭けているからに決まっているだろう」
「……」
「まだ、おぬしを斬ることはできなさそうだ。だが、この手に十子殿の刀があれば──うむ。まだ見ぬ新しい刀の握り心地、斬り心地を想像するというのは、いくつになっても胸が躍るものよ」
千尋が目を閉じ、うなずく。
乖離は──ふっと微笑んだ。
「相変わらずのようで安心した」
「それはどうも」
「弟の安否など聞かないあたりも、相変わらずだな」
「……そういえば、そうだったな。しかしまぁ、粗略には扱わぬのだろう? そう言われたものでな」
「それでも一応確認してみるのが人情とは思うが。……まぁいい。次の目的地は決まっているか?」
「いや」
「であれば、ここから東南東に七日ほど行った先にある『塔』を目指すといい」
「ほう?」
「天女様が、そこに降臨なさる。……一度ぐらい見ておくといい。我ら天女教の総主教様をな。それに、お前の戦いぶりであれば、あるいは天女様の目に留まるやも」
「それがおぬしと戦うための早道か。なるほど、乗った」
「……それに、お前の弟もそこに行く可能性がある。ともすれば、『弟を取り戻す』という目標ならば、私と戦うより先に叶うやも」
「そいつは少し困るなァ。おぬしを斬る大義名分が弟の存在であるというのに。まぁ……『斬りたいから、斬る』でも、おぬしは本気になってくれるか」
「そうだな」
「ならば、それもよかろう」
別れの挨拶はなかった。
乖離は用事は済んだとばかりに、足元に落ちたサグメの死体を肩にかつぎ、踵を返す。
あとに残されたのは、サグメを支持していた船員たちと、千尋、十子。
千尋は、乖離を乗せて岸辺へ戻る船を見送ってから、歩き出す。
振り返って、
「行くぞ、十子殿」
うつむいて動かない十子の手をとり、引く。
サグメの取り巻きであった船員たちが、気圧されるように道を空ける。
血だまりを踏んで、歩いて行く。
千尋の歩む道には、点々と赤い足跡がつき……
手を引かれて歩く十子の足跡も、同じように、残った。
旅は続く。
まだ、成さねばならぬことが、成されていないから。
足が血にまみれても、続いて行く。