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四章 天女は『塔』にあり

第72話 青さと熱さ

「……ちぃと重いが、頼むわ」

「はいよー」


 大きな背嚢はいのうを背負った女が去って行くのを、天野あまの十子とおこ宗田そうだ千尋ちひろと並んで見送った。


 二人はとうに賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんのある湖畔から去っていて、今は街道の宿場町にいた。

 次なる目的地──『天女が降臨する』と言われる、『塔』へと向かうための旅路であった。


 こういった宿場町は『街道の左右に旅籠はたごや、そこへの客などを見込んだ酒屋、軽い男装女優遊びなどができる店』などがあり、天女教公認ではない賭場なども立っていたりする。


 そして飛脚便と呼ばれるものもあり、重さや大きさ、距離などで料金が変わるものの、たいていのものは運んでもらえるというサービスもあった。


 今運んでもらったのは、異形刀である。


 遊郭ゆうかく領地で得た『虎鶫とらつぐみ』などはその携行性の高さから十子が持ち運んでいたものの、このたび賭博船での大勝利によって他の異形刀も増えてしまったため、持ち運んでもいられず、天野の里へと送ることにしたのだった。


 物が物なので着服の危険性ももちろんあるが、千尋などは『それはそれで、まぁ、仕方ない』という境地であり、十子の方は一応、天野の里ゆかりの飛脚を見つけて任せたというところの様子であった。

 もっとも、十子は己の異形刀の所持・・にさほど熱意がないように思われる。


『回収』というのは『殺人刀を野放しにはできない』『千尋の刀を打つために己の過去作を見返したい』『そのついでに剣客同士の戦いを見てヒントを得たい』などの複合的な目標であり、そして、その目標の半分以上が『一度回収した時点』で完遂されるのだ。

 殺人刀を野放しにできない、というのは義侠心的な目標である。刀鍛冶としての目的は回収時点でほぼ済んでおり、己の過去作への扱いもはっきり言ってしまえばぞんざいであった。


 特に、今は……


「…………」

「……」


 飛脚が去って行った先を、十子がいつまでもいつまでも見ている。


 まだ昼日中だ。眠気でぼんやりとするには早い。


 最近の十子は──

 賭博船から降りてからここまでの十子は、こうして、思い悩むことが増えていた。


 千尋は十子の顔を見上げ、声を発する。


「十子殿、一度、里に帰るか?」


 ホームシック、というわけでは、ないのだろう。

 だが、賭博船で、幼馴染の乖離かいりとしたやりとりが、十子の精神に影響を与えているのは確実だった。


 ──そうだ、十子岩斬いわきり。お前は私にとって、すでに、『過去』だ。

 ──逆にお前は、私にどう思っていてほしかった?

 ──お前は刀を打って、私に贈った。私はそれを受け取った。……刀鍛冶と人斬りとの関係など、そこで終わりのはずだ。お前に私を止める義務はないし……

 ──私の生き方に口を出す筋合いもない。


 それは、完全な決別の言葉だった。

 十子は、責任か、それとも友情か、何にせよ、乖離に未だ強い感情を持っていた。

 乖離を止めるためにいおりにこもり、幾本もの異形刀を生み出すほど、強く強く、乖離を想っていた。


 だというのに、あの突き放し方。


 千尋は、最近の魂の抜けたような十子を見て、このようにさえ、感じていた。


(十子殿との旅も、ここらで終わりやもな)


 千尋と十子がともに旅をしていたのは、二人の目的が重なっていたからだ。

『乖離を斬る』。


 千尋はそのために技を磨き、『女』を知るため旅をしている。

 一方で十子も、長年のスランプから抜け出し、改めて乖離を斬る刀を打つため、旅をしている。


 だが、今の十子に、『乖離を斬るための刀を打つ』という目的があるとは、どうにも感じ難く……


「なぁ十子殿。別に、折れたならば、やめてもいいのだぞ。無理に俺の道楽に付き合うことはない」


 なしのつぶて、という様子だった十子の視線が動く。

 その目は、千尋を見下ろしていた。


「『道楽』か」

「応よ。人斬りが人を斬るために旅をするのだ。こいつは紛れもなく道楽──というよりも、だ」

「……?」

「この人生そのものが、道楽のようなものよ」


 天女。


 現在、千尋が生きているウズメ大陸において、前後の文脈なくただ『天女』と口にすれば、それは、『天女教総大主教』のことを指す。

 だが千尋の思い浮かべる天女とは、己にこのせかいでの人生を与えた、あの妖魔鬼神である。


 千尋にとって現在の人生は、何かがあの天女の心を刺激して、気まぐれに与えられたものであるという認識だ。

 弱者として、魂と魂がぶつかり合う殺し合いに興じることのできる人生。かつて切望した『弱さ』をこれでもかと与えられたまま、決して強者とみなされ、相手がおのずから平伏することなどないことが約束された、永遠の戦い。


「俺の目標は乖離を斬ることだ。だが、俺のもっと大きな目的は、そもそも、強者との、一切の邪魔も遠慮斟酌もない、たま散るような斬り合いよ。数々の『敵』と殺し合うこと。それが俺の望みで……乖離は、『第一の敵』でしかない」

「……」

「それで何を得られるか? ……何も得られんのよなァ、これが。権力だの、宝だの、そういったものは、何一つ、得られん」

「じゃあ、なんのために命を懸けるんだよ」

「そいつはもちろん、『満足』のためであろう」

「……」

「この、生き方は、この手。この手にな、何かが残るような人生ではない。多くを取りこぼし、多くを滑り落とし、ただ残るのは、人を斬った感触のみ。……だがな、俺は、その感触が、結局、好きなのだろう」


 人殺しは趣味ではない。

 人の命を奪うことに快楽など覚えない。

 誰かを救済しようという思い上がりもなければ、何かを守ろうという気持ちもなく、すがるべき権力も、人を斬る大義名分にできる思想もない。


 只、斬るのみ。


「俺は、この手に残る、強者を斬った感触を愛している」


 死んでほしくはないが、殺し合いたい。

 奪うことへの快楽はないが、奪い合いは最高に気持ちがいい。

 斬った相手は救済されない。だが、斬り合いこそを求め、斬り合いができたと爽やかに笑う死にざまを見せるような者と戦いたい。

 何かを守るなど向いていない。しかし、守るべき何かのために必死になる者との比べ合いは心が躍った。

 本気を出せるならなんでもいい。大義名分、信念。そういうものが必要ならかき集めてほしい。


『敵』とは。


「『全力で俺と戦うことのできる実力者』。これらとの比べ合い。その中で重苦しく手の中に残る感触を、俺は愛しているのだ」

「……」

「だがな、この感触は、消えてしまう。しばらく殺し合いをせぬままでいると、消えてしまう。……消えてしまった方がいいのは、わかっている。この感触を覚えなくていい世こそが理想の世だと、理解している。それでも俺は、求めてしまう。この破滅に向かう道が道楽でなく、一体なんだというのだ」

「……お前は」

「俺は、人斬りだ」

「……」

「だから、俺は一人でも行く」

「……そうかよ」

「うむ」

「それを聞いて、はらァ決まった」


 十子は、笑った。

 あまりにも憑き物が落ちたような、爽やかな笑みであった。


 だから千尋は、こう言った。


「ああ、さらばだ十子殿。達者でな」


 十子はにっこり笑って、大きく息を吸い込んで、こう叫んだ。


「バァァァァァァァァァァァカ、がよォ!」


 そして、げんこつを落とす。


 あまりにも大振りだったものだから、体が勝手に避けてしまう。

 十子は拳がすり抜けた・・・・・勢いでバランスをくずしながら前に倒れそうになり、「おっとっと」と声を発しながら三歩ほど跳ね、千尋を振り返った。

 怒りの形相である。


 なんだなんだ、と十子の大声に周囲の注目が集まっているのがわかった。


 十子も、わかった。


 だが、十子は構わず、千尋の胸倉をつかむ。

 千尋も今度は回避しなかった。


「いいか、千尋。情けねぇ姿を見せたのはあたしが悪い。全面的に悪い」

「……」

「そりゃあな、そりゃあ、なぁ……乖離の言葉は、色々……衝撃的だったよ。別れた幼馴染に片恋してた色ボケ女だって思ってんだろ、お前も」

「いや、そこまでは思っておらんぞ」

「いや思ってんだよ。……思ってなきゃあ、多少そでにされた程度で、夢も目標もあきらめて里に帰るだなんて発想は出て来ねぇんだわ」

「……」

「千尋、情けない姿を見せた上で言うけどな。あたしを舐めるんじゃねぇ」

「……」

「あたしは──刀鍛冶だ。てめぇが人斬りに狂ってんのと同じぐらい、あたしだって、刀作りに狂ってんだよ」

「……そうか。そいつは……生きにくそうだな」

「ああ、生きにくいったらねぇ。乖離を止める。乖離を斬る。……けどなぁ、そもそも、乖離ってのは、刀の銘であって、人名じゃねぇ。お前が斬りたい乖離は『人』だが、あたしが超えたい乖離は『剣』なんだよ」

「……なるほど」

「『人』に突き離されたから、なんだってんだ。はっきりと断言してやらぁ。あたしには自分の生んだ『剣』を止める責任がある。最高傑作はな、後に超えるためにあるんだよ」

「……」

「だから、あたしの夢を勝手に終わらすんじゃねぇ。まだまだ、お前と一緒に歩くぞ」


 それは言い訳であり強がりであり、また、本音でもある、のだろう。

 千尋にはなんとなくわかった。だが、十子の複雑な心情を一言一句漏れなく言語化してやるのは、あまりにも無情だというのも、わかった。

 だから、一言、千尋はこう思うに留めた。


(青い、そして、熱い)


 さらにまとめるならば──


「『若い』なぁ、十子殿」

「お前より年上なんだよこっちはよぉ」

「ああ、うん、そうであったな。だが……やはり、若いよ。この俺の心は、若いわけではない。ただ、『そういうもの』として硬直している。ゆえに迷わんし、止まらん。一度でも迷い、止まったならば、進めぬだろう。止まった己を進ませる熱さが、この俺にはないゆえに」

「あぁ?」

「謝罪しよう、十子殿。そして改めて、お願いしよう。俺の剣を打ってくれ。女を斬る、剣を」

「……やってやる。てめぇの剣を打ってやるよ。この、十子岩斬がな」


 胸倉が離されて、十子から手が差し出される。

 千尋がそれをつかもうとしたが、その瞬間、「あ」という声とともに、手がひっこめられる。


 千尋は首をかしげた。


「どうした?」

「ああ、い、いや、その……冷静になったらな、む、胸を」

「?」

「胸倉つかんだ時にな、胸を触っ……」

「……?」

「なんでもねぇよ! くそ! と、とにかく、行くぞ!」

「まぁ、行くと言うならば行くが、そちらは天野の里方面だぞ」

「うるせえ!」


 方向転換し、十子がずんずん進んでいく。


 千尋は首をかしげながら、その後を追う。


 二人の旅は、まだ、続く。

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