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第73話 『塔』

『塔』。


 宗田そうだ千尋ちひろの視線の先には、確かに『塔』があった。


 だがそれは、仏の舎利しゃりを根元に備えた供養のための墓石ではない。

 ただただ高い建物を指す。


 千尋の視界に映るその『塔』、先端が雲を突き破ってはるか先まで伸びる、とてつもないものであった。


「いやあ、遊郭ゆうかく領地の領主屋敷……『紙園かみその大華たいか』であったか? あれも大したものだと思ったが、あの『塔』を前には霞むなァ」

「当たり前だろ。紙園大華はあくまでも人間の・・・造ったモンだぜ」

「では、あの『塔』は人間が造ったものではないのか」

「人間にあんな高い建物が造れてたまるか。あれはな、初代天女様の創造物ってぇ話だ」


 初代天女。


 男のいなかったこの世界に男を連れて降り立った妖魔鬼神。

 現在の天女教の総大主教はこの天女が『はじまりの男性』との間に成した子の子孫だと言われている。


「つまり、天女の神力による奇跡、というわけか」

「というかな、『そうとしか言えない』んだわ。……あたしも噂でしか知らねぇが、あの塔、中身が、なんつうか……」

「……?」

「異世界的、らしい」

「これはまた」

「いや、あたしも聞いた話だからな」

「……ああ。疑っているとか、馬鹿にしているとか、そういうことではない。ただ、まあ、天女とはそういう存在なのだなぁと改めて思ったというか」


 世界をまたぐ存在。


 天女が奇跡を起こせることについて、千尋はもはや疑わない。なぜならこの身こそが、天女の成した奇跡であるからだ。


「ということは、現在の『天女』もまた、ああいったものを生み出す奇跡を行使できると?」

「……なんでその話をしながら『面白そうだ』みたいな顔になるんだ」

「面白いではないか」

「お前のそれは『斬り合ってみたら』面白そうだ、の顔なんだわ」

「む」

「『バレた』じゃねぇよ」

「……俺はそんなに顔に出やすいか?」

「そこまでじゃねぇよ。ただ、わかるようになっただけだ」

「そういえば、十子殿とも長く一緒にいるものな」

「………………でな、『塔』についてだが」

「何か照れているのか?」

「うるせえうるせえ」


 十子がそっぽを向いてしまった。

 今のは千尋も反省する。少しばかり、からかう意図があったからだ。


(いやはや。小僧ガキめいた悪戯いたずら心が湧いてしまったか。案外俺も、ガキではある、ということか)


 肉体に引きずられている、というよりは、そもそも、中身にガキの部分が多いのではないか、という疑惑もある。

 千尋の前世において、剣というのは『道』を説くものというイメージ作りが盛んであった。しかも、『剣の道を究めると、自然と人の道もついてくる』というようなイメージ戦略である。

 ところが剣術は人殺しの術であるので、当時流行の兆しを見せていた『人の道』たらいうものとは無関係である。


 剣術を極める過程で自然と人として完成していく、というのは嘘だ。

 剣術という人を殺し得る暴力を覚えるのだから、これに一緒に人の道を説いて教え、軽々にその暴力を振るわぬようにせねばならない、が正しい。

 剣の術理が護身手段や出世の手段となりつつあったあの時代である。むやみに暴力を振るわない、すなわち、むやみに敵を作らないというのが護身として最良なのだから、護身術には人道も含めねばならないのは必然であった。


 だから千尋、それなりの偽装・・はできるが、自分が精神的に成熟しているというような思い込みは微塵もない。


「すまなかったな十子殿」

「お前さあ、本当に危ないからやめろよ。その、女をからかうの」

「なんだ、殴られるところであったのか?」

「そういう意味じゃなくてだな……ああもう、いい。もう、言ってもわかんねぇよお前には。ただな……お前ぐらいの年齢の男の子が年上のお姉さんをからかうのは…………危ないぞ」

「女が強い世界だからまあ、その注意の道理はわかる」

「わかってねぇことがわかった」

「どういう意味だ?」

「で、『塔』についてだが」


 話をぶった切られてしまった。

 千尋は首をかしげ、しかし、『塔』に興味もあるので、話を待つことにする。


「あの中には『異世界』の化け物がいて、中に入ったやつの九割は死ぬって話だ」

「ほう」

「……だからさあ、今の話を聞いて『わくわく』じゃねぇんだわ。目的、忘れんなよ? あたしらは……異形刀の回収と、いっぺん、天女の顔を見とくことが目的だからな? 『塔』に挑戦するのが目的じゃねぇからな?」

「わかっているとも」

「いいや、わかってねぇな。……ま、止める気もねぇが」

「ふむ?」

「……それよか『塔』の話の続きだ。もともと、『塔』ってのは初代天女が遺した修練場みたいなモンらしい。だから異世界の化け物が出るんだっていう話だ。そんで、その化け物どもを倒しながら塔を上って、最上階にあるっていう『ぎょく』をとれば、外に出られるらしい」

「いやァ、あの『塔』の最上階?」


 改めて見上げた塔はやはり、そのてっぺんが雲の向こうに消えるほど高い。


「何日、否、何カ月、何年かかるかわからんな」

「ところがな、到達したやつらの話だと、せいぜい七日程度で終わるらしい」

「到達者が知り合いにいるのか?」

「天女お墨付きの天野あまのの里だぜ。刀を使うような連中の話は嫌でも集まってくらぁな。……なんでも、あの塔の中は見た目通りの高さじゃなく、広さでもなく……入ったヤツによって構造が変わるらしい」

「面妖な」

「まったくもってその通りだよ。眉唾まゆつばどころじゃねぇ。が、実際そうらしいんだから、初代天女ってのは別格だったんだろうぜ」

「つまり、当代天女には、ああいう塔を創り出すことはできない、か」

「初代天女にだけ出来て、以降の天女にはできねぇことが山ほどある。『当代天女には』っつうか、『初代以外の天女には』って話だ。男の血が混じったことで弱くなった──みたいな話もまあ、あるな。もちろん迷信とか伝承とかそういう話だが」

「ふーむ、そういう話はわからんなぁ」

「あたしもだ。雑学の範疇を出ねぇな。……とはいえ、その修行場である『塔』は、閑古鳥が鳴く有様さ」

「便利な修行場に思えるが」

「命懸けじゃねぇならそうだろうよ。これまでの天女はな、最上階にある『玉』に価値を認めなかったのさ。……統治者としてまっとうな判断だと思うよ。九割死ぬような修行場の最上階には価値の高い物が鎮座している──なんて発布してみろ。ただでさえ増えにくい人口が減りまくる」

「それもそうか」

「だが……」


 会話をしながら歩いているうちに、千尋たちはようやく、『塔』のふもと近くにまでたどり着く。

 そこで見た景色は──


「さァらっしゃいらっしゃい! 『塔』のふもとと言えばこれ! 『塔焼き』! 滋養にいいよォ! 挑む前の腹ごしらえにどうだい!?」


「お姉さんがた、命懸けの戦いの前に、たまってないかい? 遊郭領地『紙園かみその』出身の店主がとっておきの男装女優を用意してるよぉ。一発どうだい?」


「武具の修理、新品も置いてるよ! なんと! 店の中にはあの『天野』の武具もあるかも!? さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


 ──千尋、十子を見て、言う。


「大盛況の様子だが」


 人、人、人。

 見渡す限りの人の海。それをあてこんだ店の防波堤。塔に向かう道は整備され広く伸び、あたりは武芸者、商売人、商売女でごった返している。


 十子はため息をついた。


「……そんな気はしてたんだよなぁ。……船の中でよ、色々、今の天女教について聞いたろ?」

「うむ。まあ、何か派閥がある様子であったが、どちらの派閥も『女は強く、男を管理する』という方針であったな」

「女に『強さ』を求める天女がよ、こんな修行場を放置するわけねぇんだよな。しかもさ、『命懸けでも強く』みてぇな感じだろ? だったら、最上階の『玉』に価値をつけるんじゃねぇかと思ったが、案の定だ」

「これほど楽しそうに命懸けの塔に挑むとは。武人揃いよなぁ」

「ほとんどが深く考えてねぇ馬鹿だと思うぞ。死ぬ直前になって『こんなはずじゃなかった』とか言い出すような馬鹿だ」

「いやいや、自ら望んで命を懸けるような手合いに深い考えがあるかのような見方はよろしくないぞ。俺も含め、剣客・人斬りなど深く考えて命懸けの戦いをしているわけではないのだ」

「命懸けなんだから深く考えろよ」

「深く考え始めたら命など懸けないに決まっているではないか」

「……お前さぁ!」

「死は恐れるべきものだ。俺とて、死は恐れている。だが、俺の求めるものは死の途中にしかないのだ」

「……」

「この欲求に身を任せて死地に飛び込む者に、『深い考え』などあるものかよ。自分が命を懸ける状況に追い込まれているのを、さも『深い考えがあってのことだ』などと軍師面して語り始めたらおしまいだぞ。さすがに俺も、そこまで終わることはできん」


 あまりにも堂々とした言葉であった。

 十子は思わず、気圧されて笑ってしまう。


「……なるほど、『道楽』か」

「ああ、まったくもって道楽よ。で、行っていいな?」

「……ああ。行っちまえ。あたしも行く」

「命懸けだが、深い考えあってのことか?」

「ねぇよ。……あんまりにもな、刀作りに詰まってるモンだから、やってみたことのねぇことをしてみようって、その程度の話さ」

「染まってきたな、十子殿」

「嬉しそうにするんじゃねぇ。……あー、ただ、『天女の顔を見る』ってのが一応の目的だからな? ……乖離かいりの言葉から察するに、どうにもお忍びっぽいから堂々と『天女です』って看板を背負ってはいねぇはずだが、それっぽいのは一応探してから行くぞ」

「天女というのは、どのような顔をしているのだ?」

「知らん。御簾みすの内側のお方だぞ。あたしみてぇな一介の鍛冶師が拝謁叶うわけねぇだろ」

「いや、『岩斬いわきり』は一介の鍛冶師ではなさそうだが……」

「実際、顔を見たことがあるのは『天使』の連中ぐらいなんじゃねぇか? ま、だからよ。ぐるっと回って一応探して、そっから行くか。食料の補給もしておきてぇしな」

「ああ、七日はかかるのだものな」


 二人は足取り軽く、人込みへと踏み出していく。

 これより『死』に挑む者としては、あまりにも迷いのない歩みであった。

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