(高い。だが、広くない)
今、目の前にある一階部分、千尋の足で普通に歩いたところで、一周するのに十分もかからない程度の広さしかなかった。
その広さをわかりやすくたとえるとおおむね十畳ほどであり、高さを思えば、異常なほどに細い。
この中に
(中はおそらく、『あの空間』も同然の、不可思議な場所なのであろう)
あの空間。
千尋が前世から今生に至るまでに天女と会話した空間。
座ることはできたが、上下も左右もあいまいな場所であった。
(世界と空間に作用する妖術……ああいや、神の御業を使える、ということか? いやはや、強大よなぁ)
剣客の、というよりも千尋の病的な症状の一つとして、『もし、そういう力を持った者が自分の敵に回ったら、どう倒すか』を考えてしまうというものがある。
今のところ、対抗手段は思い浮かばない。『やられる前に斬る』ぐらいか。
(とはいえ、天女は俺の『敵』にはならぬという。……惜しいことよ)
これは千尋が野盗のごとき乱暴狼藉を働かぬ理由でもあるのだが、戦う相手にはなるべく『その気』になってほしい、という欲求がある。
その気でない者を襲って反撃を誘うというのは、なるほど問答無用で勝負になり、確実に先手をとれるのもあって、『殺す』というのが目的であるならばいい手段だろう。
だが、千尋の目的は『戦い』の方であるので、互いに、というか相手には万端の準備をしてもらい、万全の体調で、万感の想いを持っていてほしいのである。
それが千尋が『敵たりうる者』に軽々に襲い掛からぬ理由の、残念ながら、もっとも大きなものであった。
「当代天女らしいのは結局、見つからなかったなぁ」
同じく横で塔を見上げる
そもそも顔を知らないお忍びで来ている天女を見つけようというのが無理な話であった。
だが、千尋は予感しているし……
十子は、予想していた、らしい。
「やっぱり、『塔』の中にいるんだろうなぁ」
「で、あろうな」
『ここから東南東に七日ほど行った先にある塔を目指すといい。天女様が、そこに降臨なさる』。乖離のよこした情報はこれだけなのだ。
だがもしも、これが『欠け』のない情報だとすれば……
天女は、天女という身分でありながら、生存率一割ほどの『塔』に挑んでいるのだ。
「とはいえ構造も変わる、迷いもするような『塔』の中で、会えると思うか?」
十子が問う。
千尋は答える。
「会うのだろうよ、きっと」
根拠はない。
強いて言えば、
「俺の魂が惹かれている」
「……」
「天女たらいうのが強者であるならば、きっと、惹かれる先にいる」
だから、進んでいく。
こうして千尋と十子は、『塔』へと入って行った。
◆
『塔』の内部は不可思議な空間であった。
外から見れば白い石の建造物。その一
しかし中に入ると広大な空間が広がっており、複雑に入り組んだ白い石壁が迷路を作り出しているようだった。
それでいて上を見上げれば、そこには青々とした空が広がっており、石壁からは植物が生えている。
しかも、その『植物』……
(南方めいた植物と、北方めいた植物が隣り合っている。しかもこちらは……なんだ、この、花? 宝石か? 茎から宝石の生えた花とはなんとも面妖な)
「気持ち悪い空間だなぁ……右手があるあたりは暑いのに、左足は凍えそうだ」
「十子殿もそう感じるか。ということは、俺がおかしいのではなく、ここがおかしいのだろう」
「……マジで『なんでもあり』っぽい空間だな。おい、千尋、気を付けろよ──って、気を付けるべきはあたしか」
「何、十子殿の身は俺が守るさ」
「だからお前はよぉ……そういうの言うなって。気を付けろよ本当に。そのうち誘拐されるぞ」
「大抵の相手には抵抗してみせるが」
「そうじゃなく……いや、もう、いい。とにかく護衛はいらねぇよ。あたしだって、弱くはねぇ」
「そうだな。だが、この空間は、腕っぷしだの、走る速さだの、そういうのとはまた別な力を問われそうだ。……楽しくなってきたな」
「なんでもいいのかよおめぇはよぉ……」
あきれつつ声を発すれば、十子は自分の体のこわばりがとれていることを実感する。
こわばっていたことさえ、気付けていなかった。……千尋がほぐしたのか、それともただの天然か、付き合いが長くなっても未だに、この男の行動はわかりにくい。
ともあれ、進んでいく千尋に続いて、進んでいく。
千尋の歩みにはためらいも迷いもなかった。まるで道を知っているかのようだ。
「なぁ千尋、ずんずん進んでるが、だいぶ入り組んだ道だぞ? 根拠があってのことか?」
千尋は進みながら答える。
「ない」
「ない?」
「ない」
「ないィ!? 根拠なしでその歩み!? 嘘だろ!?」
「来るたび構造が変わるという話ではないか。十子殿も道はわからんのだろう? ということは、とりあえず歩くより他にあるまいよ」
「み、道! 道は覚えてんのか!?」
「まぁ、それなりに。……ああ、それにな」
「なんだよ!?」
「どうにも正解らしい」
述べるが早いか、千尋が剣を抜く。
まだ十子には何が起こっているのかわからない。
答えを知るのは、もう十歩も歩いたあと……
入り組んだ白い石の迷路を抜けて、大部屋にたどり着く。
そこには──
狼によく似た、しかし、狼にしては大きすぎる、イノシシのような牙を生やした集団。
そして、
「ぎゃああああああああ! ちょっと! ちょっと! どっか行け!」
それに囲まれる武芸者と思しき四人組。
いかにも絶体絶命という様子だが、それを見てから、千尋が十子を振り返り、笑う。
「ああいう殺気を追いかけて目指せば、このような鉄火場に出くわす。こういった鉄火場を経由していけば、そのうち出口にたどり着くとは思わんか? 何せここは『修行場』なのだろう?」
修行のために天女が創ったものであれば、いかに構造が変わろうとも、出口を目指す者が『脅威』にぶつかるようになっている、という分析らしい。
「いやまぁ、そうなんだろうけどさあ」
なんつー乱暴な
一方で千尋はにこにこと楽しそうにしながら、刀を片手に声を発する。
「そういうわけで、そこな四人! 助太刀した方がいいか!? それとも、邪魔をせぬよう見ているべきか! いかに!?」
「助けてええええええ!」
「請け負ったァ!」
飛び出していく千尋である。
イノシシのような牙が生えた狼の群れ──なんていうもの、あの男には脅威には見えていないらしい。
「……やべぇな、早まった気がしてきた」
十子は『塔』に入ったことをちょっと後悔しつつ……
「いや待て待て、あたしも行く!」
千尋に続いて、飛び出した。