「ありがとうございました!」
「すごく強いですね!」
「ねー、
「それにちっちゃくてカワイイ♡」
「ちょっと、そういうこと言わないの! 本当にすみません、礼儀知らずで……」
助けられた四人が、千尋を取り囲むように、きゃいきゃいと騒いでいる。
その距離は奇妙に近い。
千尋はもちろん巫女装束で女装をしているものの、この世界の女の嗅覚、というか本能が強いのか、千尋に接する女たち、千尋が正体を明かしていなくとも、その距離感が他の者と会話するよりも半歩ほど近かった。
もう少し近寄れば触れられそう、体温を感じる程度には近い距離にて、助けられた少女たちが口々に礼を述べている。
この少女たち、
ただしこの世界は女の方が肉付きがよく成長が早い。この少女たちもその御多分に漏れず、全員が千尋より最低でも頭半分は背が高かった。
格好はいわゆる『村娘』──地味な色の着流しに足首までしっかりと藁紐を巻く旅用の
顔立ちはいい。それぞれ元気、気だるげ、淫靡、生真面目という様子で個性がはっきり表れており、仲のよさそうな雰囲気もあって同じ地元の出身なのではないかと推測された。
「私たち、
聞いてもいないのに身の上話が始まる。
『元気』がそうやって話しているうちにも、『気だるげ』『淫靡』『生真面目』が千尋を囲み、「かわいい」だの「強い」だのときゃあきゃあ騒いでおり、その距離は次第に縮まり、もう数秒もすれば抱き着いてきそうな雰囲気であった。
特に興奮状態にある女はなにがしかの第六感が働くらしく、千尋が男性だと知らずとも、本能で男性にだんだん近寄っていく──というようなことをしてしまうらしい。
これまで千尋も旅をしてきたので、何度かそういうことがあった。
この世界の男性の感覚で言えば、そういうところが『女の気持ち悪さ』になる。
もちろん千尋の感覚であれば、別に女嫌いというわけでもなし、ちやほやされて気分を害するということもない、が……
「うむ。そうか。大変だな! ではな!」
話をぶったぎるように、颯爽と立ち去る。
あまりの颯爽ぶりに助けられた四人の少女はおろか、同行者のはずの
慌てて十子が追いかけると、千尋は角を左に曲がった先で待ち受けていた。
「ああよかった、十子殿まで置いて行くつもりはなかったのだ」
「いやお前よぉ……情緒とかさあ。なんかもっと言いたそうだったぞ、あの連中。もっとこう……」
十子が追いつくと、千尋はすぐさま歩き始める。
その足取りはどこか逃げている様子でさえあり……
十子の感じた『逃げているようだ』という印象、どうにも正解であるらしい。
「どうせ二言目には『ついて行きたい』などと言い出す。面倒ゆえ、言われる前に逃げた」
「……いやまぁ、言いそうだったが」
「どうにもなぁ、世間には、『一度助けてくれた人は、今後もずっと助けてくれる』などという思い込みをする者が多いらしい。『通り道が塞がれていた』『なので、解決した』『結果としてついでに助けた』『だから、そこでお別れ』という関係性はな、説明が必要らしいのだ。しかし、説明してもこういう手合いは理解しない。ゆえに、逃げる。一目散にだ」
「……あいつら、実力足りてねぇぞ。上に行くほど強い化け物が出るっつう話だが、一階であの有様じゃあ、塔から出られずに死ぬ」
「これから言うことを酷と思われるのやもしれんが、彼女らは自らの意思で塔に挑んだのであろう? で、あれば誰かをすがるべきではない。それは彼女たちのためにならん」
「ためになる前に死にそうだが」
「それがどうした?」
「……」
「なるほど命懸けの気概が、実際に『死』を目の前にしてしぼんでしまうことはよくある。あるが、それでも己の決断に責任はとるべきであろう。というか……」
「なんだよ」
「この塔、恐らくだが、出ようと思えば入り口から出られるぞ」
「………………そうなの? 最上階で『
「入ったあと扉を軽く押してみたが、特に閉ざされて出られないという様子でもない。というより、入れたのだから出られるであろうよ。なんだろう、『
「いやでも、生存率一割って話だぞ?」
「その統計もどうとったのかわからんが……まあ、それが真実として、どうしてそうなったかはわかる」
「どうしてだよ」
「誇りは命より重いからだ。簡単に言えば、『おめおめと逃げ帰るのは格好悪い』というやつだ」
「……………………」
「明らかに実力不足である状況に行き遭って、しかも、まだまだ入口付近。あれで逃げずに進むというならば、それは自己責任であろう。また、『命は惜しいし戦うのは怖いがそれでも上りたい』というのであれば、それを俺が守ってやる理由はない」
「……そりゃあ、守ってやる理由はねぇなぁ」
「どうにも視野狭窄に陥ると忘れがちだがな、人には常に『逃げる』という選択肢がある。誇りだの、準備に費やした時間や金銭の喪失だの、その後に降りかかる面倒ごとだのはあるであろうよ。しかし、逃げることはできるのだ。それで命を守ることだけは、できる。それに気付けない者の面倒をいちいち見ていては、キリがないぞ」
「いや……正論すぎて返す言葉もねぇな。あたしが悪かったよ」
「だがまあ、これからも通り道でああいう事態に陥っている者があるならば、障害はどかそう」
「……へっ」
「その時に、俺は言わんが、逃げるという選択肢を十子殿が提示してやるのもよかろう」
「お前にしては回りくどいじゃねぇか」
「武芸者がな、武芸者に『お前は実力が足らんから逃げろ』と言うと、どうなると思う?」
「あ~…………」
意固地になって、進む。
十子は目から鱗が落ちるような思いを抱いた。
が、それはそれとして。
「武芸者っていうか、お前に言われたら意地になるかもな……神力ねぇし。あと、なんていうかこう……お前の前だと格好いいところ見せたくなるんだよ」
「何にせよ、俺の口から『帰れ』と言わんほうがいい、ということだ。……まあ、俺とて人の『死』を避けたいとは思う。しかし、そういうのの面倒を見始めてしまうとキリがないことも知っているのでな」
「……お前本当、何者なんだよ」
「実はここではない世界から来たのだ」
それは千尋にとっては初めての告白だった。
これが戯言と受け取られ、到底信じられないことを知っていたがゆえに、これまで言わなかったのである。
だが、今なら受け入れられそう──受け入れられなくとも、奇妙な顔はされないだろうという『流れ』を感じたゆえの告白であった。
十子は、
「ああ、言われてみりゃ、そうなのかもなあ」
信じたのか、冗談として処理したのか。
あるいは、『お前の出自がどうであれ、そんなことは問題じゃない』という心境なのか。
力が抜けた返事をするのみであった。
二人で歩いて行くのに、支障はない。
だから、迷宮を奥へ奥へと、進んでいく。
◆
五階へと到達するころ、時間感覚ではおおよそ半日ほど経過していた。
『塔』の中の空模様は変わらない。正しくは、変わりはするが、それは時間経過によってではなく、階層の移動によってだ──ということになる。
そうして五階までの旅路で……
「いや、多すぎィ!」
助けた武芸者どもの数、三十を超えていた。
だから十子はがっくりと肩を落とし、千尋に向けてこう述べた。
「……悪い。舐めてた。『キリがない』って言葉、わかってたつもりだが……うん、甘かったわ。世の中にゃあ、あんなにも『逃げられることに気付けない連中』がいるんだな」
「はっはっは。残念なことに、『世の中』だともっと多い。まぁ、ここはその縮図、濃縮された地獄絵図といったところか。……に、してもだ」
そこで千尋が目を向けた先の景色。
夕暮れである。
だだっぴろい草原には仕切りとなる壁もなく、ただただ広大なその景色に
どこから発しているのだろうか、風が吹いて短い草を撫で波立たせる光景は、幻想的でさえあった。
「これまでと随分、様変わりしているようだが」
「ああ、なんでも五階、十階とかいう区切りで強敵が出るらしいぞ」
「ほお」
強敵。
千尋にとってここまで相手どってきた敵、あまりにも弱すぎた。
何せ、剣が通るのである。
これまで『女』との戦いで剣が通らないことが当たり前になっていた千尋としては拍子抜けというのか、それはまあ、剣で斬られると大抵の生物は斬れるわけなので、今までの方が不自然と言えばそうなのだが……
(剣が通らないことに慣れすぎて、『世界の難易度が下がった』とでも言いたくなる有様であったからなァ。……さて、『強敵』。貴様は『敵』たるか?)
気配はすでに、こちらを見ている。
千尋が剣を構えて待ち受けると、周囲の風の流れが変わる。
翼をはためかせ、地に風を叩きつけながら、空より迫り来るもの、それは──
「……牛、鷲?」
牛の体躯に、千尋の知らぬ生き物の顔、それから鷲のような翼を持った生き物である。
その生き物、鈍重そうな重々しい体をしていながら、翼を力強くはためかせ、宙に留まってこちらを見て来る。
その顔──獅子の顔を持った生き物が、吠える。
その咆哮、びりびりと肌を震わす大音声である。
何にせよ、強敵であろう。
千尋は舌なめずりをする。
「さて、俺の『敵』たるか」
剣を構え、空中で身をたわませるような──突撃の予備動作をする『強敵』とにらみ合う。
だが、その時。
光が、横合い、はるか遠くから放たれた。
それは『壁』のようだった。
だが、わかる。その壁のごとき黄金な光。橙色に染まる草原を引き裂く
千尋の背の高さの三倍はあろうかという
千尋の興味はすぐさま、『強敵』よりも、その光を放った何者かに移る。
草原の向こうから、何者かがゆっくりと歩いて来る。
その人物は、
「軟弱」
千尋、それから、十子を見て、つぶやく。
輝かんばかりのまばゆい金髪の女だった。
瞳も金で、肌は純白に近い。
顔の造型は『儚い』とか『可憐』といった方面のように思われる。
表情もどことなく眠たげだ。
だが、その身にまとう輝きがあまりにもまばゆすぎる。
夕刻の橙色を塗りつぶし、強敵が落とす黒い影を塗りつぶし、あらゆる光と闇の中でひたすら発せられる黄金の気配が、その人物を『眠たげな深窓の御嬢さん』という程度の印象では終わらせないのだ。
姿だけ見れば歩き巫女。
その武器はおおよそおかしなところがない
しかし立ち姿があまりにもまばゆい、その人物は──
「女は強くなければならないのに、どうしてそなたのように弱い女がここにいるの? どんな卑怯な手段を使ったの?」
千尋を見て、なじるように言った。