暗闇の中に『それ』はいる。
『それ』が視線を向ける先には、金色の髪と瞳を持つ少女がいた。
ミヤビ──
『それ』は、ミヤビと名乗った少女を嗤う。
(ああ、ああ、ああ……! 実際に観察してみて、よぉくわかった。感動的だ。本当に嬉しい。大好きだよ、『ミヤビ』!)
ひひひひ、と喉奥から笑いが漏れる。
『それ』は潜んでミヤビを見ている立場だった。
しかも、
見つかれば撃滅されるであろう敵対者──否、暗殺者。
だというのに、笑いが止まらない。
ひひひ、ひひひ、と堪えようとしても勝手に喉が鳴る。
(なんて、なんて、偉そうなガキなんだ! この世のすべてが自分に奉仕するのが当たり前と言わんばかりの態度。いざとなれば力でどうにかしてやろうっていう傲慢さ。本当に、本当に、たまらなく好きだ。ああ、『ミヤビ』──天女・
『それ』は、天女の単独行動の報せを受けたとある組織が遣わした暗殺者である。
……このウズメ大陸は、天女教の名のもとに統一されている。
だがしかし、あらゆる治世において、不満も反発も出ない統治というのは、ありえない。
また、今代天女は、その過激な方針から、多くの分裂・反発を生んでもいた。
こういう時代の混乱の際には、ある組織が暗躍する隙間が多く出来上がる。
その組織の名を、『
組織としての理念を一言で言えば『天女の抹殺』。その大義は『この地上に男がなかなか生まれないのは、天女の力のせいだ。天女さえ殺せば、地上にたくさんの男が生まれるようになるに違いない』というものであった。
彼女らなりの根拠はあるものの、その根拠は世間一般には『何を言っているんだお前たちは』と白眼視されるようなものである。
だが、一定数の信者を得ていることは事実であり……
中でも過激派に属する連中は、天女の命を狙い、刺客を差し向けることもある。
塔に潜み、ミヤビを遠くから見つめる『それ』──
反天女教団・地虫の暗殺者である
……反天女教団が、天女が一人で塔に来たことを知ることができ、そのうえで差し向けられた、刺客であった。
(いやあ、それにしても、本当に強い。なんて神力なんだろうねぇ……強い、気高い、美しい。本当に綺麗だよミヤビ。愛してるよミヤビ。だから、お前の苦悶の顔が早く見たいねぇ)
石榑は暗殺者の中でも変わり者である。
いわゆる上流階級への陰湿な気持ちがある──というところまではそう珍しくもないタイプなのだが、石榑の場合、まず、暗殺対象を深く愛するところから暗殺が始まる。
綺麗で、偉そうで、苦労を知らなさそうで、自分に自信がありそうな、輝ける光のごとき、上流階級の女性。
その美しさを愛する。その挫折のなさそうな人生を愛でる。
その上で、自分が愛した相手の苦悶の声が聴きたいというモチベーションを得ることで、十割を超えた力でもって暗殺を行使する。
その異常さ、異質さ……
何よりも暗殺成功率の高さが、このたび、『天女が塔の中で一人きりになる』という、今後二度と見込めないであろうチャンスに彼女が差し向けられた理由だった。
「ひひひ……ひひひひひ……!」
白目を剥き、喉を反らし、とてつもなく長い舌で、べろりと薄い唇を舐める。
手甲に一体化した爪で己の喉を引っ掻きながら、笑う。
赤い筋が刻まれ、彼女の首あたりから血がしたたった。
「サイッコーの女だあ、ミヤビ。待っててねぇ、ミヤビ。私が殺してあげる。私がお前の最期の顔を見てあげる。私だけが、私だけが、お前の誰にも見せたことのない姿を見ることができるんだ。愛し合おうね、ミヤビ。一生の思い出にしてあげる……!」
先ほど、『強敵』を一撃で降した攻撃も、見た。
その上で、暗殺の可能性は低くないと石榑は判断している。
……もっとも、たとえ暗殺の可能性がなくたって、ここまで相手に入れ込んだあとで、撤退するなんていうことは、絶対にありえないのだけれど。
もちろん、正面からやり合っては絶対に敵わない。
だから使うのだ──『搦め手』を。
「さぁて、何が一番いい? ねぇミヤビ、お前のこと、一生懸命考えて、お前が一番苦しめるようなものを用意してあげるからね。私からの贈り物、受け取ってくれるかな……ひひひひひ……罠がいい? それとも毒? お前のためにね、たくさん用意してきたんだ。どれもこれも、他の女には使ったことのない一級品ばっかりさ。ああ、本当に綺麗だね、ミヤビ。うん、わかってるよ。お前だってどうせ死ぬなら最高の死に方をしたいよね。楽しみだなぁ、あの綺麗な顔が歪んで、喉を掻きむしって、瞳孔がさ、キュッてなるんだ。喉が焼けて声も出ないっていうのもいいなあ……ああ、それとも、動けないところを刻んであげた方がいいかな? ああ、ああ、ああ……! なんて愛しいんだ、ミヤビぃ……!」
石榑の強さは、直接戦闘以外の手数の多さにある。
暗殺者の爪が、
◆
そのころ、千尋ら。
「…………なるほど、すべてわかりました」
「つまり、何も分かっておらんということだな」
歩いている道には紅葉が積み上がり、一歩踏み出すごとにさわさわという小気味よい音が鳴る。
永遠にとどまり続ける夕暮れの茜色の空の下、影を長く伸ばし、さっさか先へ進むミヤビについていけば、そのミヤビが唐突に立ち止まり、振り返り──
おもむろに千尋の方へと近寄ると、顔を寄せ、千尋のにおいを嗅ぎ始めた。
「いいにおいがしますね」
「自分ではわからんが」
戸惑う千尋にまったく構うことなく、無遠慮に千尋の手を握る。
「柔らかい手です。剣を振る者とは思えない。小さくて骨ばっていて柔らかい」
「それなりに修練はしているはずだが、まあ」
千尋の手は剣を振っているだけあって硬い方ではある。
しかし、『女』と比べてしまうと、確かに柔らかい。こればかりは筋肉の張りとか、そもそも皮膚の硬さの上限とか、あるいは神力の有無とかいう理由で、どうしようもないことだ。
「顔立ちがとてもかわいらしい。わたくしもかわいいかわいいと評判ですが……」
「まあ評判になりそうな見た目ではある」
「このわたくしと同じぐらいかわいらしい」
「……誉め言葉として受け取る」
「肌が綺麗ですね。しかし、頬に傷がある。細かい傷ですが」
「
眠たげなミヤビの顔からは、その内心をうかがうことができない。
千尋も剣客として相手の心の中を見つめることは多い。だが、ミヤビの心は、直前の瞬間まで虚無で、今この瞬間に唐突に何かを思いついた、というような動きをするようで、次の瞬間の彼女が何を考えているのかは、次の瞬間になるまでわからないのだ。
ミヤビは千尋のほっぺたをもちもちと揉んで、それから、眠たげな目のまま、言った。
「もしかしてあなた、男ではありませんか?」
「……いやぁ、それは」
あんまりにもいきなり、そんなことを言いだす。
そういうわけで千尋──
理由はまったくわからないが、ミヤビに正体がバレかけていたのだった。