「手は出しませんので」
敵がいきなり眼前に出てきた時、唐突にミヤビが言い始める。
それを聞いて、
同行する者が、脅威を目の前にして『手を出しません』。
いわゆるところの『寄生宣言』である。
とはいえそれは、発言者が並みの使い手であった場合。
ここまででミヤビの実力、それから思想を知った千尋は、彼女の発言をこう受け取った。
(『女なら力を示せ』というわけか)
ミヤビは、千尋の方針──『
だが、納得はしていないのだろう。何せ彼女の『女は強さを詳らかにするべきだ』という思想には、なんらかの根っこ、軸、芯みたいなものがある。
(もしも俺が相手に手を焼いて『助けてくれ』と求めたならば、一も二もなく、『弱い俺』を守ってくれるのだろうなァ。……いやはや、それは)
千尋は腰の刀を抜きながら、口の端を持ち上げる。
(つまらん)
千尋は『敵』を求めた。
その結果として『弱さ』を求めた。
そして今生、見事に『弱さ』を持って生まれることに成功した、が──
それはあくまでも、『敵』を得るためのもっともいい手段として弱さを望んだ、ということにしかすぎない。
『相手をするほどの価値もない弱者』とみなされるのは、千尋の本懐からズレる。
ゆえに、ここで千尋がすべきことは、一つ。
「それでは是非とも見ていてくれ。あなたに『強さ』を示してみせよう」
相対する。
敵対者、むき出しの骨の上に鎧をまとった化け物である。
骨格が男であるというのは、何かを暗示しているのか、それともなんの意味もない情報なのか。
その身長は
腕力もかなりのものであろう。
武装は南蛮胴具足。細身でつるりとしており、銃弾が逸れるような曲線的なデザイン。
ただし兜はない。胴具足、手甲、
武器は両刃の剣。刃渡りは
構えは両手で持った剣の切っ先を天へ向けるようなもの。
大上段の構え──とは、微妙に違う。千尋の上段構えは
体躯に優れた、恐らく西洋風のどこかの世界の剣術を身に着けた骸骨剣士。
一体きりで現れたところも、その強さ、自信の顕れであろう。
が……
「とはいえ」
千尋は剣を中段正眼に構え、
「この相手で俺の『強さ』を示せるかは、疑問だ。──しっかり見ておけよ。俺の強さは見逃し易いらしいゆえにな」
そう述べた時、すでに千尋は相手の間合いの内側にいた。
速度、ではない。
にらみあいの最中に、足指の力によってわずかずつ前へ進んでいたのだ。
『ふくみ足』と呼ばれる技法である。足指だけを使い、そのほかすべてを動かさぬことにより、相手と自分との間合いを、相手に気付かれぬように調整する技術。草履という底の柔らかい履物だからこそできる小技。
その小技によって詰められた間合いで、千尋が剣を振る。
喉を狙った突き。
骸骨の身で喉が弱点かどうかは甚だ疑問だ。しかし、相手剣士は対応した。生前? の癖か、あるいはあんな体でも喉や心臓などは弱点なのか。
その対応、『大上段に振りかぶった剣を振り下ろす』というものである。
攻撃的だ。だが、攻防一体でもある。鎧をまとって戦う者は、鎧がある前提の技術を身に着けているものだ。この振り下ろし、千尋の頭か肩を斬りながら、喉に迫る突きは手甲で叩き落とす一撃である。
しかし、鎧をまとった者が鎧がある前提の技法を駆使するなら、鎧をまとわぬ剣術を使う千尋、相手が鎧をまとっている前提の技法もまた習熟している。
それは千尋の生きていた時代にはほとんど無意味とされる技術であった。なぜなら、千尋の前世に『鎧をまとった者と戦う』といった機会はほとんどなかったからだ。
いくらかの野良試合をした。殺し合いもした。それでも、『鎧をまとった敵』などというものは、片手で数えられるほどしかいない。
そのような時代に、相手が鎧をまとっていることを真剣に想定し、これに備えていた者は頭がおかしいとされる。
いわゆる『古流』。現実に使う機会はないが伝承として残しておく技法。実戦に役立たぬ踊りのようなもの。……そう扱われていた。
その技術が今、報われる。
上から叩きつけるような手甲。
千尋、相手の構えからこの応手は想定していた。
なので、刃を上へ向けてある。
刃を上へ向けて持つというのは、主に短刀などの技法で存在する。
片刃の剣を握って相手へ突きを放つと、どうしても『上から峰を触られてはたき落とされる』というシチュエーションが発生しやすい。
そこで、相手を突く際にはそうされぬよう、刃を上へ向けて持ち、突くという技法が残っている。
しかし相手は金属の手甲。
手首に継ぎ目はあるものの、その継ぎ目をぶつけてくるなどという甘い相手ではない。一面つるりとした金属で形成された白銀の手甲が千尋の突き出した刃に迫っている。
(さぁ、ご覧あれ。これぞ、我が──
鎧徹。
身幅のある、鎧をぶちぬける、短い刃物を指す。
それが転じて──
鎧をぶち抜く技法を指す。
金属で金属を斬るためには、どうすればいいか?
それは非力の身でも可能なのか?
可能である。
ただし、とてつもない技術と刀が必要だ。
今の千尋には、その両方があった。
千尋が突き出した刃の軌道を全身を用いて変化させる。
上から振り下ろされる手甲に真っ直ぐ拮抗するように。体全体で刃を押し上げるように。相手の勢いをそのまま己の剣の威力に転化するように──
相手の構えを見た時点で応手は読めた。その応手が来るように攻撃した。ゆえに『上からはたき落とされる』のは狙い通り。
それでもなお、甲冑を裂くのは今の千尋にとっては賭けであった。
賭けに勝つ。
相手の右腕が前腕半ばから、鎧ごと断たれる。
骸骨の手甲が半ばから断たれ、相手の剣がブレる。
肩のすぐ横を通過していく直剣。その風圧に髪をなびかせながら、千尋は手甲を斬るさいに持ち上がった剣を返して、刃を相手へ向ける。
そうして兜のない頭部へと振り下ろした。
半ばまで刃がしゃれこうべに食い込む。
人であれば脳にまで達する傷。
だが相手は理外の化け物。すぐさま剣を戻して距離をとり、正眼の構えに戻りつつ残身。
果たして骸骨の剣士は──
重々しい音を立てながら、その場に倒れ伏した。
「わざわざ危険な技を使いましたね」
背後からかけられるのは、ミヤビの声であった。
危険な技──失敗すれば千尋が死ぬ技であり、ぶっつけ本番の技であり、なおかつ、もっと安全に立ち回ることができたのにわざわざ相手の剣が己の体ぎりぎりをかすめるような技、である。
実際、もっと安全に勝つことは可能であった。
千尋は、
「わかってくれるか、ミヤビ殿。俺が『技』を使ったと」
自分がわざと危険な選択をしたこと。そして、『剣の切れ味がよかっただけ』だの『千尋の膂力が実は強かっただけ』だのといういちゃもんをつけられそうなことをしたのに、『技』と看破されたことが嬉しくて、笑う。
振り返った先、眠たげな顔をした金髪金眼の女は、どことなく怒ったような様子であった。
「……介入しようか迷いました」
「そんな暇は与えるつもりがなかった」
「なぜ、わざと危ないことを?」
「俺の『力』を疑っているのだろう? 鎧ぐらいはぶった斬って見せてやらねばと思ってな」
「神力を出せばよかったでしょう」
「強さをひけらかすつもりはないと言ったはずだが?」
「……減らず口」
「何、お互い様よ」
ミヤビは……
ほっぺたを、ぷくー、とふくらませた。
あまりにも子供っぽい怒り顔に、千尋は一瞬呆ける。
だが、気付く。
(そうか、子供なのだな)
この世界の女には、体格がいい者が多い。
とはいえ『千尋の前世と同じぐらいの体格の女』が圧倒的多数であり、そういった女たちは、千尋が小柄であるから、相対的に大きく見えるだけ、なのだが……
(つまり、俺と同い年ぐらいどころではなく、もしかすれば、俺より年下の可能性もあるわけか)
現在のミヤビの体格はまだまだ成長の前段階であり、彼女が大人となれば、乖離ぐらいの大柄になるのかもしれない。
その未来に思いを馳せて、千尋は笑う。
ミヤビは不機嫌そうにつぶやく。
「なんですか」
「いや、いや、失礼。ミヤビ殿はあれだな、将来が楽しみな御仁だと思っただけよ」
「子供扱いしないでください」
「その意地の張り方は子供そのものなのよな」
「……」
ミヤビ、拗ねてさっさと歩き出してしまう。
それを千尋が追いかけ──
「いや、お前もわりとガキだよ、千尋……」
実力はともかくとして、常識知らずの暴れん坊が増量中である。
三人は進んでいった。
また、一つの階層を抜ける──