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第81話 星の下にて

「少し待て。……いいぞ」


 千尋ちひろが周囲の様子をうかがい、何かをしたあと、二人を招いた。


 そこは中央に澄んだ泉を備えた、短い草が敷かれた広場である。

 地面は土のようであり、十子とおこが踏んでもその土は『石床の上に薄く土が敷かれている』のではなく、『かなり深くまで土の層が積み上がっている』という様子にしか思えなかった。


 外から見ると石でできた陶器めいた質感の塔である。

 だが、内部は本当に『世界が違う』。


「では、今日はここまでとするか」


 千尋がそのように述べたことで、十子はようやく、塔に入ってからもうすでに一日近くが経っていたことに気付く。

 空を見上げれば(塔の中に空があるのもたいがい不自然だが、もう慣れつつあった)、星がまばゆいほどの夜である。大きな大きな月が二つ並んで輝いており、火を焚かずとも視界の確保に困難はなかった。


 短い草地に腰を下ろす千尋を見て、ミヤビが「あら」と声を発する。

 この二人のやりとりを見せつけられてきた十子にはわかる。ここからミヤビが、何か千尋を煽るようなことを言う。その予備動作の『あら』であった。


「体力がないようですね。もうお休みですか?」

「なんだ、体力が尽きるまで戦い抜いて疲弊したところを敵に突かれて死ぬのがお望みか? あまりいい最期ではないように思えるが」

「……」

「そもそも、こういった野営での休憩は体力に余裕があるうちに陣を確保しとってしまうものであろう。この『塔』は内部構造が変化するのであろう? この先にこういった休憩に向いた場所があるかもわからん。今が最後の休憩となる可能性ももちろんあるわけだが、ミヤビ殿には何か今後の展望が?」

「……う……ぐ……ぐ……!」


 こうやって数倍になって返ってくるので、十子からすれば『やめときゃいいのに』という感じだ。

 だが、ミヤビはどうにも、こうして返されるのを好んでいるような──本人に『やりこめられるのが好きなのか?』と問えばもちろん否定するだろうが──様子がある。


 ミヤビはしばらく反論を探して唸っていたが、ぷくーっと子供っぽくほっぺたをふくらませ、黙ってその場に寝転がってしまった。

 千尋の方に背中を向けているのは、わかりやすい『拗ねています』というポーズだが、同時に、この状況で背中を向けることは信頼の表れでもあると、本人は気付いているのか、いないのか……


 何にせよ、十子から見れば、幼い兄と妹のやりとりという感じで、微笑ましさが先に来る。


 千尋もそれをわかっているのか、ミヤビに対する『やり返し』には容赦がない。


(まぁ、男の子にああいうふうに当たられるのは、なんだかんだ、嬉しい面もあるしなぁ……)


 ミヤビが千尋を男だと本当に看破しているかはわからないが、ああいう『気安いやりとり』に憧れる女は少なくない。

 あるいはこれが、ミヤビの『きつく言い返してくる男』という性癖を目覚めさせてしまったのだろうか……

 数々の性癖を十子を始め色々な女子に目覚めさせてきた性癖指名手配犯の千尋であるから、ミヤビの新しい扉を開いてしまっている可能性も充分に考えられた。


「何か生暖かく見守られています」


 ミヤビが十子の視線に気づいたので、十子は素知らぬフリをして、千尋の横、ミヤビと千尋を挟んで反対側に腰を下ろした。


 周囲索敵──など十子が気を払うまでもないだろう。ここを野営地にすると述べたのは千尋である。十子がこの場所で気付ける危険には、当然、千尋も気付いているはずだ。


「千尋、あなたはやっぱり弱いです」


 しばらくぼんやり空を見上げていたところ、ミヤビがそんなように声を発した。


 それはここ数回繰り返された煽りという感じではなく、本音の吐露のような響きであった。

 千尋にも感じ取れたのだろう。「ふむ」と何かを思案するように沈黙してから──


「なぁ、ミヤビ殿。あなたの『弱い女は認めない』という主義はわかった。わかった上で問う。弱いのは、いけないことか?」

「いけないことです。罪です。淘汰されるべきことです」

「なぜ、そこまで『弱さ』を憎む? すべての者が強くあれ──というのは、無理かと思うが。理想にしても、あまりにも、高すぎる」

「すべての者に強さは求めていません。男は弱くていいので」

「なぜ?」

「男は生まれつき弱いから。それを守る女は強くなくてはいけない。……最初からずっと言っている通りです。脆弱な『男』という生命体を守るために、女は強く、賢くあらねばならない。天女教はそもそも、男という至宝を管理するべき組織。至宝が野ざらしにされていて、惜しまぬ者がいますか? 万全のつもりだという警備が穴だらけで、心に『言いたいこと』がよぎらない者がいますか?」

「まぁ、気持ちはわかると言おう。だが、それでも、すべての女に強さを求めるのはやりすぎだと俺は思うがなぁ。天女教だの、強さだの以前に……何か、あったのか? という心配が先に立つ」

「……」

「で、何かあったのか?」


 千尋とミヤビの関係性は、今日始まったばかりのものだ。

 だが、その短さで出していい問いかけではないように、傍で聞いている十子には思えた。


 ミヤビが怒りださないか、緊張感のある沈黙が、一拍、二拍、三拍……

 心臓の鼓動が大きく聞こえるほどの静寂と緊張の果て、ミヤビが口を開いた。


「兄がいました」

「……」

「今、だいたい察しましたね。話し相手としてつまらないと言われませんか?」

「これは失礼と申し上げておこうか。だがまあ、どうしようもないものでなァ。だいたい、他者とこういう、その者の根源にかかわるような話をするのは、殺し合いという状況だ。長々と話を聞いている余裕もなく、相手の吐く情報は戦に役立てるために早く察せねばならん。癖だな。許せ」

「……兄がいました。しかし、病没しました。なんでもない──女であれば、神力によって自然と淘汰されるような、なんでもない病気です。しかし、兄にとっては命を奪う死病でした」

「……」

「男は弱い。そして、この『弱さ』は永遠につきまとうものです。女であれば『体を鍛えて神力を巡らせろ』で済むことが、男にはできません。男を守るには、周囲の女は己の身を守れるのは当然として、どうあっても弱くしか生きられないものを守るために、自分以上を守る力、自分とは違う脆弱な生き物を守る知識、それから特殊な能力や技術が必要になります」

「だから、女は強くならねばならない、か」

「加えて言えば、弱い者を守るためには、『隊』でなければならない。……たった一人、最強の存在がそばにいても、弱い者は守れません。複数人が、複数人の利を活かして、休みなく、常に監視する環境が必要です。片時も目を離してはならないのです。専門の知識や技術や力を持った者たちが、複数人、必要なのです。そう考えると──この世界は、男に対して女が少なすぎる」


 一対二十と言われる男女比。

 それでも女が少ないと言う。


 ミヤビの経験したことは、そういう性質のものだったのだろう。


 千尋は、長く息を吐き出し、空を見上げて言った。


「『最強の存在』か」

「今はわたくしであり、当時は母でした。間違いなく、最強です。単純な力だけであれば、並ぶ者などいません。それでも、助からない者はいるのです。……この光で斬り裂けない相手には、ただ戦いが強いだけでは無力なのです」


 十子は、かすかに微笑み、ため息をついた。


(……もう、正体隠す気ねぇなぁ。いや、最初からか?)


 ミヤビ。


 恐らくというか、ここまででもほぼ確定だったが、今のやりとりで『ほぼ』がとれた。

 その正体は『天宮売命あめのみやびのみこと』。すなわち当代天女である。


 ミヤビは、言葉を続ける。


「敵を倒す力しかないのであれば、それは圧倒的でなければいけない。他の技能がないぶん、一人ですべての武をまかなえるぐらい、強くなければならない。初代天女の遺された奇跡たるこの『塔』ぐらいは攻略できないようでは、話にならない」

「それが、あなたがここに挑んだ動機か?」

「ええ。そして、わたくしは、この塔を攻略できる程度でさえ、話にならぬ立場。……力は当然。知識を身に着け、技術を養い、人を集める。すべての女に強くあれと命じ、特別な技能ある者らに活躍を奨励する」

「そのために、女がいくら死んでもいい?」

「……命懸けででも強くなるべきと考えています。ですが、死んでもいいとは思いません。ただし……」

「ただし?」

「力を誇りながら、その力に溺れ、振り回される者。調子に乗っているのに、その『調子に乗っている理由』がゆらいだ者には、それなりのしっぺ返しはあるべきと思います。より『正しい志を持った女』が上へ登り、『誤って調子に乗った女』が淘汰されることは、男性のためにもなります」


 それはきっと、賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんで、天女の命によって乖離かいりが、船長領主サグメを斬った理由なのだろう。

 勝ち誇るなら負けてはならない。力を頼みにするなら負けてはならない。何かを差配して甘い汁を吸う者は、差配しきれなくなれば用済みなのだ。


 厳しい。

 子供じみて──厳しい。


 あまりにも潔癖な理想だった。

 気高くはあるが、


「弱さを許容せぬならば、行きつく先は破滅だぞ。やり直しの機会を与えぬならば、先々で強者になる、現在は弱い者が育たぬぞ」

「千尋は剣客なのでしょう? あなたの生き方は、あなたと比べ合った者を破滅させ、育つ機会を奪うもののはず。あなたにだけは、そんなこと言われたくない」

「まぁ、そう言われるとぐうの音も出ぬな。だが、別に『すべての女を強くし、男一人にたくさんの女をつける社会』は俺の理想ではなし。俺には俺の理想があるし──その『理想』の行きつく果てが、世の破滅か、俺の死かというのも、心得ておるよ」

「……寝ます。話しかけることを禁じます」

「……」

「返事は?」

「話しかけることを禁じられたと思ったが」

「変なやつ」

「そういう評価を受けることは存外多い」

「変なやつ!」


 ミヤビが拗ねて地面に顔を押し付けるようにしてしまった。


 千尋が十子の方へ視線を向けて、肩をすくめる。


 十子は千尋に何かを言うべきかとも思ったが……


(『優しくしてやれ』? 『容赦してやれ』? 『謝ってやれ』? ……どれも違うんだよなあ)


 この二人はきっと、こうでいいのだろう。

 だから十子も、ため息をついて肩をすくめて返すしかなかった。


 千尋が口を開く。


「十子殿は眠れ。一応、寝ずの番は俺がしよう」

「……いやいやいや。むしろお前こそ眠れよ。お前は──ああ、まあ、なんだ。ずっと戦ってたろ。あたしは見てただけだからな」


 体力に劣る男だろう、的なことを言いかけたが、思いとどまった。

 ミヤビの態度を見るに、なんだか千尋を男だと思っている様子ではある。だが、一応、千尋とミヤビとの間では、まだ千尋を女として扱っている。

 ……だから、その関係に、自分が横から『男だ』とバラしてケチをつけるようなことを、十子は避けたのだ。


 千尋は何かを言いかけた。

 だが、十子は千尋から目を逸らさなかった。


 一瞬のにらみ合いは、十子の勝ち。


 千尋は仕方なさそうに笑った。


「わかった、わかった。では、十子殿にお任せしよう。二辰刻しんこくほど経つか、何かあれば起こしてくれ」

「何かあったら勝手に起きるだろうが……まぁ、わかったよ」


 二辰刻、すなわち四時間ほどである。

 ここまで戦いの連続であったので体力を回復するための睡眠としては短いように思われるが、千尋はどうにも『眠り方』も知っているらしい。

 一瞬で熟睡するし、熟睡すると危機が近づくか、事前に告げた時間までは決して起きない。そして、決めた時間でぴたりと起きる。


「不用心」


 寝たふりをしていたミヤビがつぶやく。


 ……明らかにそれは、『女に挟まれて熟睡する男』に向けた言葉に思われた、が。

 十子は、何も反応しなかった。


 だからかミヤビもまた眠る。


 泉のそば、草地の上、木々に囲まれた一角で、切り取られた星空を見上げる。


 このような環境だというのに、虫も鳥も、蛙の声も聞こえない。

 あまりにも、静かで……


(きっと、千尋が生きていきたい環境は、こういう感じとは違うんだろうな)


 細い体で殺し合いを続ける男のことを、なんとなく思った。

 それを惜しいとも、つらいとも思わないぐらいには、十子は千尋のことを理解していることに、気付いた。

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