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第83話 悩み

 宗田そうだ千尋ちひろは困り果てていた。


 発端は、ミヤビの問いかけである。


十子とおこ岩斬いわきりは何を悩んでいるのでしょう?」


 戦いの最中だ。


 二人の競い合うような戦いぶりは加速の一途をたどり、『塔』を上るペースが落ちることはなかった。

 十子も最初は少しでも戦おうと食らいついてきたものの、今では千尋とミヤビが敵を蹴散らして駆け抜けるペースについていくのがやっとという有様である。

 ……くれぐれも勘違いしてはならないのが、十子、この世界において別に『弱い女』ではない。

 もちろん技術があったり殺し合いに慣れていたりといった『剣客』のようには強くない。しかし、神力しんりきの多寡しか問われないような殴り合いにおいて、だいたいの相手に勝利できるだけのスペックがある。


 その十子が『単純に走る』というだけで精一杯になるペースを長時間続ける──しかも敵が次々出て来る『塔』の中で、そういうペースで駆け抜ける千尋とミヤビが単純におかしいのだ。


 とはいえこの二人、スパルタなところがあるので、『ついては……来てるな。じゃあヨシ!』ぐらいの感じでしか気遣わない。結果、十子岩斬、息を切らせて走るしかできなくなっているというわけだ。


 そして十子の露払いをする二人、駆けて戦いながら、雑談までする余裕がある。

 もはや体力どうこうの問題ではなかった。そもそも千尋の体力や脚力などは十子よりはるかに劣る。心肺機能の問題ではない。身体運用の問題であり、敵の勢いを逆用して加速に使ったり、呼吸の仕方で走りながら体力を回復するという、この世界において『妖術』と呼ばれることが行われているのである。


 その千尋をして、ミヤビの問いかけには困ってしまう。


 何を悩んでいるのでしょう?


 千尋は相手を観察する目を持つが、それは内心をピタリと読んで言い当てているというわけではない。

 ただ相手のわずかな挙動から未来を察する推測力を鍛え上げているだけであり、いわゆる『個人の事情』について語られてすぐにわかるのは、前世の立場柄、多くの者に悩みなどを打ち明けられてきたお陰である。


 なので乙女の悩みは全然わからない。


 ……が。

 先ほどの暴走の契機は、なんとなく、察するところである。


「きっと、剣では解決できぬ悩みであろうなァ」

「無力」

「ああ、まったくもってその通りよ」


 駆け抜ける二人の前方に、黒い靄が集まり始める。

 それはこの『塔』において、敵対する化け物が出る合図であった。


 靄は人型に集まっていく。

 だが、それが具現化する前に、千尋とミヤビが、固まり切る靄の首を断った。

 靄は固まることなく霧散していく。


 ……倒すのが早すぎて化け物モンスターのPOPが間に合わないのだ。


 二人はその偉業をまったく誇ることなく、油断なく足を進めながら、会話を再開する。


「俺が語っていいことかはわからんので、ぼかす。……まぁ、なんだ。幼馴染がな、どうにも、俺の方と仲良さげにしていたので、そこから悩みが始まっている様子なのよ」


 千尋視点──

 十子は、吹っ切れて、いない。


 十子にとって乖離かいりは間違いなく特別な存在だ。

 その乖離から突き放された心の傷、本人が思うよりも軽くないとの見立てであった。


 実際、乖離に突き放されてからの十子、しばらく死んだように毎日静かに思い悩むばかりであった。

 宿場町で刀を天野あまのの里に送った際には吹っ切れたようなことを言っていたものの、思考があっちこっちにいっている様子はまだ見られた。集中力がない、というか。自分が悩んでいることに気付けず、無意識の心的重圧が、集中を乱し、重圧から逃れようという心の働きが、どうでもいい妄想を呼んでいる──という様子である。


「まァ、若い者特有の、と言ってしまえばそれまでなのだがな。無数にあんなことを繰り返し、若いうちには、空元気だとか、思い込みだとか、とにかくやってみるだとかで、悩みを無視しようとする。歳を重ねれば付き合い方を覚え、『こういう時は休むのが一番だ』と開き直ることもできようが……十子殿はな、まだまだ、そこまではいかぬらしい」

「千尋、何歳なんですか?」

「ミヤビ殿はひ孫のように見ている──と言えば信じるか?」

「ムカつきます」

「では十……三歳だったかな。そう言っておこうか」

「年上? ムカつきます」

「はっはっは」


 もう何を行っても引っかかるミヤビを笑ってやれば、薙刀が千尋に向けて振るわれる。

 避けなければ両断という勢いであった。だが、千尋、この程度のなんの飾り気もない攻撃を避けるのは造作もない。


 避けると同時、背後に出現していた化け物が真っ二つにされる。

 千尋も返礼とばかりにミヤビの背後の化け物を突き殺し、また二人は駆けつつの会話に戻る。


「ああいう若さゆえの悩み、それに、個人の出自から発する悩みについて、俺は無力を痛感する。『成長に期待するしかないなぁ』と年寄りめいたことを腕組みして語ると、いかにも若輩に己の力で乗り越えるべき試練でも課しているかのように振る舞えるがな。……実際には、こちらからは何もできんのよ。腕を組んで見ている以外にはない悩みというのがな、人にはどうしてもある」

「そんなものですか」

「ああ、そんなものだ。そういう時には、迂闊に手を出さぬ方がいい。しかしこれがなぁ。『見ているだけしかできない』というのは、存外、腹がざわつくものだ。出しても無意味、どころか害になるとわかっていながら、たまらず手を出したくなる。そういうのを避けるために、腕でも組んで、がっちりと己を拘束しておく必要がある──というわけよ」

「抱きしめてあげればいいんじゃないですか?」

「俺が抱き着いて解決する悩みならば、まあ、やぶさかではないが。ミヤビ殿は、それで解決する悩みはあるか?」

「……………………」

「どうした?」

「今から言うことは誰にも明かしてはなりません」

「おう」

「案外、それで解決する悩みは多いのかも」

「そうか」


 千尋にはわからぬことであったが、そう述べるミヤビは、何かにたどり着いたかのような顔をしていた。


 ミヤビが自分の言葉について検討する様子なので、会話が止まる。


 そこまでの会話の様子を見ていた十子、ぜぇぜぇと息を切らして、頭に空気が回らぬ状態で、こんなことを思う。


(くそ、なんだか知らねぇが見せつけるみたいにいちゃいちゃしやがって……! 天女様があたしに色ボケの罰でも降してんのかァ!?)


 まだ煩悩が去っていないことを察した十子、走る速度を上げる。

 すると『ああ、まだ大丈夫だったんだ』とばかりに、千尋とミヤビが速度を増した。


「お、おい、おい、おい……くそ、くそ!」


 すでに限界いっぱいの十子が、歯を食いしばって食らいつく。


 奇妙にすれ違った三人が『塔』を駆け抜け──


 最上階の目前まで、迫りつつあった。

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