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第85話 死の前にても

 最上階が間近に迫っているらしい。


 七日かかるという行程は、気付けば二日で踏破されてしまっていた。


 今、千尋ちひろらがいるのは継ぎ目のない白い石、あるいは石にしか思えない何かでできた空間であり……

 ここは、千尋が生まれ変わる時に、妖魔鬼神としての天女と出会い、その願いを詳らかにした場所を思い起こさせた。


「二十階層で終わり──だったか? 存外低かったなァ」


 千尋はそう語るものの、千尋とミヤビとのペースについて行かされた十子とおことしては、『いや、充分高いよ』と言いたげであった。

 しかし全速力の長距離走を続けさせられた十子、この場所に来るなり倒れこんでしまっており、未だにしゃべる程度さえ体力が回復していない。


 倒れて呼吸をするだけの生き物になってしまっている十子を、ミヤビが一瞥だけして、千尋に言葉をかけた。


「まさかここまで泣き言の一つさえ引き出すことができないとは思っていませんでした。千尋、お前をある程度認めます」

「そいつは光栄、と言っておくか……」

「ムカつく」

「はっはっは。……ところでだが、『ぎょく』というのは、複数人でとりに行ってもいい物なのか? もしもミヤビ殿が一人で挑みたいというのならば、少し待つか、先に行くかするが?」


 そこでミヤビが一瞬押し黙ったのだが、千尋にはその沈黙の理由は推し量れなかった。

 少なくとも、利得とは関係ない、何かを考えている様子である。いわゆる『乙女の悩み』だ。


 ミヤビは長めに沈黙したあと、声を発する。


「……そもそも、問題になる試練とは認識していません。だから、ここまで来たら、最後までお前に付き合ってあげます」

「そうか。ならば、しっかりとついて来いよ」

「ムカつく」

「まァ、しかしだ」

「……?」

「『玉』の前に、我らで雌雄を決するという手も、なくはない」


 そこでミヤビが目を細めたのは、決戦の機運が不意に高まり緊張した──というわけではなかった。

 その視線に言葉をつけると、こうなる。


「何言ってんですかお前は」

「いやぁ、そもそも、俺の実力を疑っているからここまで一緒に来た──のだろう? であれば、先に雌雄を決しようというのはそうおかしな考えでもないように思えるが」

「……ああ、なるほど。千尋は、『ない』んですね。日常とか、戦場とか、仲間意識とか、敵対意識とか。ようするに、『空気』を読まないんです」

「『ない』わけではないぞ? ただ、『それはそれとして』というやつだ」

「『それはそれとして』と切り分けて迷いなく殺し合いにいけるのなら、『ない』も同然です。……これが『剣客』という生き物ですか。わたくし、少しお前のことがわかった気がします」

「で、やるか?」

「やりません。馬鹿なの? 共倒れになったり、そっちが負けたりしたら、十子岩斬いわきりとどういう空気で話せばいいんですか……お前を殺して十子岩斬を保護して塔の外に連れ出す間、空気が最悪っていう段階じゃないですよ」

「まぁ俺はこういう者なので、十子殿も理解を示してくれるとは思うのだが」

「それはちょっと人間に期待しすぎです。人間は弱い。特に──『親しい誰かの死』を経験していない人にとっての、『親しい誰かの死』は、それまでの自分がすっかりぶち壊されるぐらいの衝撃なんですよ」

「含蓄のある言葉だ」

「少しばかりの快楽でさえあります。ああまで自分が変わることなんか、二度とないでしょうから」

「『変化』は『快楽』か」

「『破壊と再生』が快楽です」

「……いやはや、早熟よな……」

「……いえそういう意味ではなく?」

「まぁいい」

「何か放置できない認識のズレがある気がします。ムカつく」


 ミヤビがじっとりと黄金の瞳で千尋をにらむ。

 千尋はその視線さえ受け流し、笑った。


「まぁ、最後まで仲間として戦うならば、それもいい。俺からは裏切らんが、騙し討ちも歓迎だ」

「だから……いえもう、常識を説くのが間違いですね。実はお前に切り出す話があったんですけど、やめにします」

「なんだ? ともすれば死ぬかもしれんので聞いておきたいが……」

「……お前のことをまだ少し理解できていませんでした。……お前は、『どうせ楽勝だから』そうしているのではなく、『死ぬかもしれない戦い』を前にしても、そうしているのですね」

「そりゃあそうだろう? 戦いというのは死ぬことがあるものだぞ。明日死ぬかもしれんのだから、今日話すべきは今日話した方がいい──というのは、そうおかしな気遣いか?」

「もう疲れました。お前にしたい話というのは、お前は天女教に属してもそれなりの位置に行ける、ということです」

「ふむ。立身出世の話か」

「うわー興味なさそう」

「立場を得てしまうとなぁ。『敵』が減る」

「いや増えるでしょう」

「立場があるとなぁ、欲得づくの敵対者が刺客を遣わすことはあるが、『お前を、我が剣で、殺したい。得るものはない。戦いこそが、報酬である』というような気概の者とやる機会が減ってしまうのだ。刺客の相手というのはつまらんぞ……」

「……頭おかしい」

「いや実際な、」

「とにかく」


 ミヤビは強引に話を引き戻す。

 千尋もそうしつこく続けたいわけではなかったので、笑って話をミヤビに譲った。


「……とにかく、です。千尋、お前は天女教に入れば、『天使』になれるでしょう」

「俺は力をひけらかさんが?」

「わたくしがお前を天使にします。というより、お前をヒラ教団員で置いておくのは問題があるので」

「そうか」

「うわー興味なさそう」

「いやだからな、立場を得ると……」

「天使は強くある定めを課せられます。その人生から戦いが遠ざかることがないと、誓いましょう」

「いやァ、『戦い』? それは、男を隠した村で、有象無象を焼き殺すことも含むのか?」

「………………」

「大義だの、正義だの、教義だの、か? そういうものにな、己を殺して勤めていけるというのは、立派なことだと思う。俺には真似できん。そういうものに従って弱者を斬るのであれば──上役に噛みついて殺し合った方が、楽しくなるとは思わんか?」

「必要なことです。脆弱な男性は管理され、守られるべきですから」

「そうか。俺には必要性がわからん。必要性のわからんことはできん。よって、勤め人には向いておらん」

「天女教の庇護なく、人斬りを続けることができると思っているのですか?」

「できなければ、それをできなくする社会を斬るだけだ」

「死にますよ」

「生き残るつもりで殺し合う阿呆はおらん」

「自殺志願ですか?」

「ところがな、負けるつもりで戦う阿呆もおらんのだ」

「……」

「さりとて、明らかに強大な、特に形のない社会だの、世界だのというものと斬り合うのは、まぁ、それそのものが阿呆と扱われても仕方ないわなぁ。うん、つまりだな、俺は阿呆だ。言葉が通じん。そういうことであきらめてくれ」


 そこで、ぐったりしていた十子が、重苦しい動きで体を起こす。


「あいたたた……くそ、さんざん走らせやがって……起き上がるだけで全身痛ぇ……おい、ミヤビ」


「なんですか寝坊助」

「まだ説得の文言でも考えてるんじゃねぇかと思ってな、忠告してやる。……こいつをなびかせるのは、無理だぞ。力でも、礼儀でも──権力でも、な」

「……」

「貸しでも作れば返してはくれるが、押さえつけようと思っても無理だ。こいつは、天女様・・・でも従えられねぇあくたれよ」

「惜しいとは思わないのですか? 千尋は、今の生き方でさえなければもっと──」

「不可能だ」

「……」

「惜しむ、惜しまないじゃねぇんだよ。当たり前のことだがな。……こいつの生き方を決めるのはこいつで、それは他人がどうこう言って曲がるもんじゃねぇんだよ。こいつは管理・・されない」


 会話の前提に、共通認識がある。


 ミヤビが天女だと、少なくとも十子は理解していること。

 そして、千尋が男だと、ミヤビが察していること。


 もっと明らかに、そのあたりを口に出せば、こんな、薄紙一枚挟んだような会話にはならないだろう。

 けれど、ミヤビも十子も、はっきりとは口に出さなかった。


 ……それらをはっきり口に出してしまえば、ここまで積み上げたものが『終わる』。

 ほとんど確信、のままにしておきたいのだ。確信に足る根拠を、出してはいけないのだ。


 根拠を出した時点できっと、互いの信義のための戦いが始まってしまう。

 だって、千尋は縛られるつもりがなく、ミヤビは男を縛り付け、管理し、女として男より弱いことを認めてはならない立場なのだから。


 ミヤビはぷくーっと頬をふくらませた。


「ムカつく」

「そうかい。……あたしか?」

「二人とも。不愉快になりました。お前たちは寝なさい。わたくしが番をしてあげます。たっぷり、寝なさい。このあとに挑む決戦で、『疲れて力が発揮できなかった』なんていう言い訳をされたくありませんから」


「なんだかこの俺が、大層な頑固者のように扱われているようだな……」


「頑固者だろ」

「頑固者以外のなんなのですか」


「味方がおらん……」


 とはいえ否定もしない千尋である。


 言葉が重なったことが、十子とミヤビの間に笑いを生んだ。

 目を見合わせてわずかに頬を吊り上げるだけのかすかな笑顔であったが、その笑みを交わし合う様子には、深い仲間意識があった。


 ミヤビは穏やかに笑って、声を発する。


「明日、決戦です。とはいえ『道中』はあるらしいので、駆け抜けます。ついて来られないなどという泣き言は聞きたくありませんので、そのつもりで」

「俺から泣き言を引き出したがっていた者の言葉とは思えんなァ」

「この塔では諦めます。お前に泣き言を言わせ、女らしく、あるいは、そうではなく・・・・・・振る舞わせるのは、塔の外での課題にしましょう」

「……そうか」

「わたくしは、兄の死に納得していません」

「……?」

「もっと、手を尽くせた。わたくしの意識が甘かったのです。母の意識も、そうでした。……『女』には、意識改革が必要です。男性は想像より弱く、女はもっと男性を真剣に守るべきである、という意識改革が。だから──強い男など、絶対に認めない。そんな存在がいれば、女たちはますます油断する」

「……」

「わたくしにかしずく権利をお前にあげます。ともにわたくしの理想のために戦いなさい」

「断る」

「わたくしの申し出を断るとはいい度胸です。……なので、ふさわしい舞台でお前を処します。そして、その舞台は、こんな閉ざされた『塔』の中ではない」

「なるほどなるほど。そいつは……楽しみだ」

「本当にムカつく」

「さすがに此度はなぜかと問うぞ」

「お前が処されるのを楽しみにしているからです」

「うーむ、うーむ?」

「……本当におかしいやつなんですね」


 これだけ一緒にいたのに、とミヤビはつぶやく。

 一緒にいたのに──殺し合いにためらいがないどころか、楽しみにしていると、心からそう思っているように言う。


 それは、とても、ムカつくことだった。


 とても、とても──わからせてやりたい、様子だった。


「いいでしょう。わたくしが圧倒的にお前を上回って……お前を、わたくしに従わせます」

「……楽しみにしてはいかんのか?」

「ムカつく。楽しみにしていいですよ。わたくしも楽しみにします。お前を踏みつけて降参させる日をね」

「そうか」

「だから、それまで死なないように」

「…………ともすると、とてつもなく迂遠に檄を飛ばされていたのか?」

「ムカつく」


 千尋は解説と味方を探すが、勤めあげられそうな十子は、肩をすくめて『お前が悪いよ』というような態度である。


 なんだか悪者にされている気もするが、懐かしい空気だ。

 親しい者同士のやりとり。気安い者同士のやりとり。万が一機嫌を損ねてもいきなり殺されたり、なんらかの重大な不利益を押し付けられることのない、『味方』とのやりとりだ。


 千尋はこのやりとりを懐かしいと感じる自分に驚く。

 その一方で、


(うん、やはり、今この瞬間に斬りかかられてもいいように備えている自分がいるな)


 自分に日常は向いていないと、思い知らされていた。


(こういうゆるゆるした関係に比べ、殺し合いのなんと気が楽なことよ。……魂は戻らんなァ)


 笑った。

 きっと、自分のこぼした笑みの理由をわかっている者はいないだろうなと思い、ますます、笑った。

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