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第86話 最上階

 石榑いしくれは鋭い爪型の剣を噛んでいた。


(罠、毒……確かに、ミヤビたちは速かった。だから、さほど量は仕掛けられてない……でも、一個も引っかからないなんてこと、ある!?)


 石榑とてただただ必死に追いすがっていたわけではないのだ。

 相手が休憩したのを見て先回りし、罠を仕掛けた。

 戦っている最中、気取られぬように、霧状にした毒を散布したり、踏み込んだ足の裏に突き刺さるように、研いで尖らせた小石に塗った毒を撒いたりした。


 だというのに、すべて空振り。


 一撃致死の毒を、一撃致死の量で仕掛ける余裕はなかった。

 だが、『それ』さえ当たれば相手に隙ができ、二の仕掛け、三の仕掛けとどんどん施し、最終的に詰むことができる──そういう、第一歩目の仕掛けである。

 これは効果が弱いぶん、数多く、そしてうっかりするだけで少しぐらいは入るようにという……ようするに、石榑の罠・毒の中でも『バレにくいさ』に主眼をおいたものである。


 だが、一切合切、かからない。


(それに……あの神力しんりきの全然ない……千尋ちひろだったっけ? あいつ、神力がないってわけじゃなさそうだね。隠し方がうまいんだ……ご同業かな)


 ミヤビとともに駆け抜ける千尋の姿を見て、理解した。

 通常、どのような女でも、戦闘などで力や丈夫さを上げようと意識すれば、神力が漏れ出るもの。そうやって漏れ出た神力は、石榑ならばどんなにわずかでも感知できる。


 だが、それがない。それがないのに、ミヤビの速度に追いすがるどころか追い抜く勢いで、超長距離を駆け抜ける。そのまま刀を振って、いくら神力で守られていない男みたいな・・・・・化け物とはいえ、この塔で多くを殺すような連中を一撃で斬り裂く。


 千尋には神力がある。

 暗殺方面の仕事を請け負う者は、神力をあまり漏らさずに行動する癖のようなものがある。きっと、そういう手合いだろう。

 とはいえそれでも石榑ならば通常は感知できる。つまり石榑でも感知できないほど、その扱いが精妙なのだ。


 ……というのはもちろん石榑の勘違いである。

 男である千尋には神力など一切ない。


 余談ではあるが、石榑が『第一の仕掛け』として放っている毒、想定する相手が女であるから、千尋の身で受けると『軽い仕掛け』のつもりでさえ致死の毒となる。

 だがしかし、石榑は、あれだけ強いミヤビと千尋が、徹底的に毒を受けない理由を、このように想像した。


(もしかすると、あのだいだい色の髪の女、二人に気遣われてるんじゃあないかい?)


 ミヤビも千尋も、罠や毒を執拗に片付ける。

 ……それが罠とか毒とか……ようするに、『塔の仕掛けではなく、自分たちを狙う何者かが仕掛けたのではないか?』と疑ってはいないのだろう。何せ、『何者か』を探す素振りがまるでない。だから、塔の仕掛け、あるいは毒かどうかもわからず、少しでも危険なものを徹底的に排除しているだけ、というように考えられる。


 そう考えていくと、ミヤビはもちろん多少の危険などそのまばゆいほどの神力でどうにでもできてしまうだろうし、同じぐらい強い千尋も、そこまで繊細に気遣う必要はないだろう。

 ということは、だ。この二人がああまで執拗に危険を排除しながら進む理由、橙色の髪の女に違いない。


 ……もちろんこれも石榑の勘違いであり、千尋は己が弱いのを知っているので些細な仕掛けにも普段から注意を払っているだけであり、ミヤビもまた、十子ではなく千尋の方を気遣って徹底した危険の排除をしているのが真実である。

 だが、千尋を『精妙に神力を操作しているだけで、ミヤビぐらいの強さの女』と思い込んだ石榑は、その真実に思い至らない。


 なので、こうなる。


「……つまり、あの橙色の髪の女が、ミヤビと、千尋? にとっての弱点、っていうこと、だねぇ……」


 真実には思い至らないが……

 確かに、『殺し合い』という状況において、三名の中で一番弱いのは、十子である。


「さらう相手は……ひひひひひ……」


 かくして、過程は間違えど、結論的には正解へたどり着く。


 暗殺者の目が、十子へと向く中……


『塔』の最上階を、千尋たち三名と、それをつけ狙う一名が、進んでいく。



 敵は強くなっていく。


 宗田そうだ千尋ちひろは止まらずに進んでいた。


『塔』の最上階──


 これまでの階層は迷宮のようであった。

 しかしこの階層は一本道であり、通路と大部屋が交互にあって、大部屋の中にはこれまでの階層で打ち倒した強敵がいた。

 五階層刻みで強敵が出る。ゆえに、最奥までの大部屋は恐らく三つであろう──


 というのを、十階層で出た化け物を倒したところで、察することができる。


「十五階層の化け物を倒したのは、俺かミヤビ殿、どちらであったか……」

「どちらかわからないならば、わたくしが倒したということでいいのではないでしょうか」

「そうさな、では、今度は俺が倒すか」

「しまった」


 相変わらず楽しそうだな、と十子とおこは二人のやりとりを見て笑う。


 五階層に出た、翼の生えた獅子のような生き物。

 これは五階層においてはミヤビが倒したので、今回は千尋が倒した。

 空を飛ぶ四足歩行の肉食獣である。

 だがしかし、攻撃手段に飛び道具がなかったため、突撃の一瞬を突かれてあっさりと千尋に首を斬られた。

 千尋に曰く『刃が通る。首を斬れば死ぬ。こんなに楽な相手はない』とのことだが、常識的に言って、空飛ぶ巨大な四足肉食獣は見た目だけでも十二分に脅威である。

 これを前にまず『恐れる』ということがない千尋とミヤビ。十子からすれば理解ができないほど肝が太い。


 次に出たのは十階層の化け物であった。

 今、目の前で倒れ、どろどろと崩れて消えていきつつあるモノだ。


 実はこれ、十子をして正体がわからない。

 何かしら『いきなり空間に出現する』というような生態を持つ生き物であると思われるのだが、十階層では千尋が出現と同時に斬ってしまい、ここの化け物どもは死ぬととろけて消えるので、十子が目撃できたのは、とろけた姿であった。

 そして今、ミヤビもまた出現の気配を察すると同時に両断したので、結局コイツがなんだったのか、最後までわからなかった。

 どういった生態なのか、どういった能力なのか、どういった姿なのか、一切不明。

 この塔に出るのは意思なき化け物であるはずだが、奇妙に同情してしまう十子だった。


 そして、進んでいき……


 通路を抜けた先、広がっていた空間は太い木々が並ぶ森であった。


 気候はかなり寒い。びょうびょうと身を斬るような風が吹きつけ、足元には雪が積もって歩行を阻害している。

 また、太く高い木が並んでいるので視界も悪い。


「ここのはなんだったかなァ」

避役カメレオンです」

「そうそう、そうだった。耳慣れぬ響きの生き物よな。足のある蛇、いや、大きなヤモリか? あるいは蛙? なんともぬえがごとき、多くの動物の特徴を備えた生き物よなぁ」

「というより、ここに出るモノはすべてそうです。いろいろなものが混ざったような……天女教では、ここに出る化け物は、天女様の怒りに触れ、混ぜられて閉じ込められたモノどもであると語り継いでいます。ゆえにここは、『天罰の塔』とも称するのです」

「ほぉ」


 などと会話しつつ、千尋がスッと片足を引く。

 すると、直前まで千尋の足があった位置に、何かが放たれ、積もった雪を爆ぜさせる。


 その『何か』の正体は『舌』である。

 景色に溶け込むような体色の避役カメレオンが、目にも止まらぬ速度で舌を発射したのだ。

 ではなぜ同じ速度で舌を戻さないかと言えば……


 その舌、戻り切る前に、千尋によって突き刺され、木に縫い付けられているからである。


 千尋は「しまったな」と顎を撫でた。


「舌を刺したら、刀を動かせん。どう殺すか」

「わたくしを頼ればよろしいのでは?」

「いやいや、まぁ、少し考える。……うむ、そうだな」


 千尋──


 刀をぐるりと回し、刃をカメレオンの舌の出ている先──本体へと向ける。

 そして木に突き刺さった切っ先を抜くと同時、かすかに跳ねた。


 するとカメレオンは千尋程度の重量などものともせず舌を引き戻し、千尋の体を口内に入れようとする。

 その動き、ほとんど目にも留まらぬ速度。

 だが千尋は動き出す前には動きを決めている。……自明の理だが、四つ足の動物が舌を伸ばしたならば、その目的は捕食であり、舌に連れて行ってもらえば、目の前に口内が来るに決まっていた。


 なので、そこを貫く。


 かくして千尋は化け物の喉を突き、殺害に成功。


 千尋が突くとほぼ同時、化け物は黒い雪のようにばらばらと散っていき、突きの姿勢の千尋が、その『黒い雪』を貫くようにして移動する。

 舌によって引かれた速度を化け物の体と雪で殺したあと振り返って残身。


 かくして、恐らく、塔の最奥に至るための最後の障害も、あっけなく取り除かれた。

 千尋は血のついていない刀を血振りし、納刀しながら笑う。


「いやァ、強敵であったな」


「「どこが」」


 ミヤビと十子の声が重なる。

 ミヤビは『あんな程度の敵を強いなどと言えるわけがない』と馬鹿にした様子で。

 十子は『一瞬で倒しておいて何言ってんだコイツ』という様子で。


 千尋は大笑し、


「いやいや、アレは硬かったぞ。それに速く、強かった。ただまァ、殺意を隠す技量もなく、こちらを欺く術もなかった。それだけのことよ」

「いやいやいやいや……」

「十子殿に驚かれるのは意外だな。そもそも、我らの相手はいつも、硬く、速く、強く、技量を持ち、術を駆使する生き物ではないか」


 それすなわち、『女』である。


 十子はそこで納得しかけたが、『そういう問題ではねぇよな?』とすんでのところで踏みとどまった。

『より強い敵がいるから、大したことない』という考え方は何かおかしい。それより強い敵がいようがいまいが、強い敵は強い敵だ。これまで今以上の死の危機に打ち勝ってきていようが、死の危機は死の危機に相違ないのだ。


 人生に訪れる危機というのは、比較級で語っていいものではないと十子は思う。

 だがそのあたりの人間らしい感情の機微を千尋に聞かせる徒労もわかるので、十子は曖昧に笑うしかなかった。


「では、最後の敵へ向かおうか」


 大部屋から通路へ進む。


 この先に──


 決戦が、待ち受けている。

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