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第87話 強さと弱さ

 宗田そうだ千尋ちひろたちが進む通路には、試練が待ち受けていた。


 狭い道にひしめく化け物ども。

 その多くが小型かつ『強敵』ほどでもない存在ではあるが、それらはこれまでの階層で出て来た者どもの総決算。


 とはいえミヤビが『光の刃』で薙ぎ払うことは可能であろう。

 ……だが、ミヤビは、神力しんりきを身体強化に使うのみであり、神力を放つ攻撃を行わなかった。


 それは温存を考えている、というよりは──


「もうすぐ終わりますね」


 この冒険の終幕を惜しんでいるような。

 少しでもこの時間を終わらせたくないと思っているような。


 そういう様子であった。


 壁から、床から、絶え間なく湧き出してくる敵ども。

 だが千尋たちは進んでいる。着実に『最後の部屋』は近付いている。


 雲霞のごとき敵どもの向こうに見える、白いつるりとした素材でできた扉。

 女性の上半身をかたどった意匠レリーフで彩られたあの扉の先こそが、この塔の最上階・深奥。『ぎょく』の待つ部屋であろうことが確信できる。


 歩みは遅々としている──とはいえそれは、これまでと比較すれば、というだけの話。

 千尋もミヤビも大陸有数の使い手である。特に、ここの者どもは神力がない。肉は肉なり、骨は骨なりの強度。とくれば千尋の剣が止まる理由はなく、非力なれど身体操作に十子とおこ岩斬いわきりの刀が──彼女にとって数打ち物であろうとも、当代随一の刀匠の刀があれば、その刀が敵を斬るのになんの痛痒もなし。


「そうさな。あと、まぁ、二十合もやればたどり着くか」


 言っているあいだに、十九に減る。

 ひと振りごとに、最後の扉との距離が近づく。


「千尋」


 ミヤビのひと振り。

 千尋の算出した『扉まで二十合』というのは、千尋とミヤビ、双方を合算してのことであったらしい。


 ミヤビの薙刀が敵をまとめて斬り裂けば、死して黒い泥のようなものになり消え失せた敵のぶん、扉との距離が縮まる。

 あと十八。惜しむように、ミヤビは前へと進む。


「どうした、ミヤビ殿」


 十七、十六。

 千尋はさすがに複数体をまとめて薙ぎ払うようなことまでは、基本的にはできない。

 敵が薄紙程度の強度であればまた話は変わってくるものの、獣のような、しっかりと肉と骨を備えた化け物であれば、ひと振りで一体を倒すが関の山。

 しかしその『一体』の選出がうまい。空から己らを見下ろしているとしか思えぬ観点から、自分たちが進むのにもっとも邪魔な位置にいるモノを斬り裂く。

 その結果、大量の神力により剛力を誇るミヤビと、それがない千尋、ひと振りで進める距離がほぼ同じであり……


 競うように、互いが、『ひと振りの距離』を、一合ごとに伸ばしている。


「『塔』を出れば、わたくしはなかなか、お前と会うことも適わなくなるでしょう」

「なんだ、つまり、『次に会う時は敵』というやつか」

「そうですね。なので、今のうちに言っておきます」

「拝聴しよう」

「お前に会ってしまったのは、わたくしの人生の中でも最悪に類する経験です。お前みたいなやつのことなんか、知りたくなかった」

「そうか、光栄だな」

「……でも、お前と会えてよかったと、わたくしは思っていますよ」

「そうか、光栄だな」

「聞いてます?」

「聞いているが」

「聞いた上で二回とも同じ返答?」

「そう言われてもな……光栄であろうよ。どの道、そなたにとって得難い経験となった、という話であろう? 誰かにそう言ってもらえるのは、敵としてでも、味方としてでも、光栄に決まっているが」


 十五、十四、十三、十二──


 無言のまま、さらに、残り七まで。


 ミヤビは残りの合数を五に減らすまで無言でいて、それからようやく、口を開いた。


「わたくしをこんなにムカつかせたのは、お前と、兄さまぐらいです」

「いい性格の兄君であったのだな」

「男としては変わった人でした。……だからこそ、『普通の男』を見て驚きました。十和田とわだ雄一郎ゆういちろうという名を知っていますか? 教団内では有名な男ですが」

「まぁ、賭博船で少しな」

「あんなに身の程を知らず、弱く、それでいて優しくもない男がこの世にいる……それどころか多数派であることは、幼い私にとって衝撃でした。だからこそ、今は、『ああいうのが男の標準なのだから、女はそれさえ守れなければならない』と強く思うのです」

「つまりそなたの兄君は、身の程を知り、強く、優しかったのか」

「ええ。だからこそムカつく。……いえ二つ訂正を。わたくしに優しくできるほど強くなかった。だから、身の程を知っていたとは言えません。けれど……最期の瞬間まで、気高かった。これから死ぬなんて、思えないほどに。死が目の前にある人とは思えないほどに、己の運命を受け入れていた」

「……」

「死の前にても笑うお前の姿は、兄と重なります。それがムカつく」

「そうは言われてもな」

「だからお前は、生きなさい」

「……」

「死を前にして笑うなら、乗り越えなければ許しませんよ」

「死ぬつもりで何かに挑む阿呆はおらん」

「けれど、死が目の前にあることをわかっていない阿呆はいます」

「そうさな。……たとえば──あやつ・・・のように、か?」


 瞬間──


 千尋が目を向けた先。


 ……一本道の通路。

 その、背後から顔を出す、黒い女──


 石榑いしくれが。

 最後尾にいる十子へ向けて、吹き矢を放った。

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