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第88話 読み違い

 石榑いしくれは暗殺者である。


 暗殺稼業の者に意外と多いのが、『暗殺対象が一人のところへ出向き、呼び止め、斬り合いを挑む』という者である。

 暗殺者というものをやっていてなお、罠だの、毒だのというのを卑怯と断じ、これから殺す者への礼儀などというものを語り、さも『本来は気高い剣客なのだけれど、よんどころない事情があって暗殺稼業をやっている。けれど、誇りは失っていない』みたいな格好つけた態度でいる者は、あきれるほどに多いのだ。


 そこをいくと、石榑は生粋の暗殺者である。


 卑怯を厭わない。というか、むしろ、好む。

 名乗りもしない。誇りと人が呼ぶもののことがよくわからない。


 だからこそ、石榑が姿をさらす時、そこは、彼女なりに『必殺』と呼べる状況である。


(ここだ。ここなら、あの二人は、あのだいだい色の髪の女を助けるのが、間に合わない!)


 狭い一本道の通路。

 当然ながら、ここで尾行すればバレる。


 だから、大部屋に潜み、待った。

 千尋ちひろとミヤビが十子から一定以上離れ、なおかつ二人が軽々に救援に向かえない好機を。


 石榑が放ったのは、麻痺毒である。

 喰らうと激しい痛みの中でまずは肉が引き攣り、己の骨を軋ませるほど体が反る。

 首や心臓、横隔膜までもが激しくこわばり、呼吸もできず、脈拍も止まる。


 ……そこまでの毒であろうが神力しんりきを持つ女は即死しない。

 もちろん個々人の持つ神力の多寡にかなり左右されるけれど、しばらくのち、神力による自己治癒で毒を分解し、調子を取り戻すのだ。


 だが、苦しみと痛みの記憶は人から抵抗力を奪う。

 それゆえ、石榑は目的が『拉致』の時には、この毒を多用した。


 背後からの奇襲。

 吹き矢という、小型の矢を音もなく飛ばすゆえに気付かれにくい武器。

 さらに、これまでの経緯から、石榑は『相手は自分という暗殺者が色々仕掛けたことには気づいていない』と判断している。なぜならば、仕掛けていることが気付かれているならば、あまりにも探さなさすぎるからだ。


 ゆえにこの吹き矢は必中。


 ……だから、もし。


 これが外れるなら、前提が違っていて──


 石榑は『存在を気付かれていないから探されなかった』のではなく。


 この、気配を殺すことに長け、闇に潜み続けた暗殺者が──


 探すまでもなく位置をつかまれていたから、探されなかった。


 ミヤビと千尋の気配察知能力が、単純に石榑の想像のはるか上であったから、探されなかった。


 そうだとしたら、


「そろそろ来るんじゃねぇかと、思ったよ、っとォ!」


 もちろん、千尋とミヤビが暗殺者の存在を十子とおこに隠す理由もない。


 すでに情報を共有されていた十子、抜いていた金槌で飛んできた吹き矢を打ち落とす。


「な!?」


 石榑が驚く声をあげる中、十子は来た道を戻り、石榑へ近付いて行く。

 そして、千尋らへ声をかけた。


「こいつの相手はあたしがやる! お前らは進め!」


 これより強敵に挑む二人に、このような些事を任せるのは忍びない。

 ゆえに、十子は、こう続ける。


「この程度の雑魚、あたしで充分だ!」


 ……石榑は、誇りというのが何かわからない。

 だから、雑魚扱いされようが、構わない。最後にターゲットを殺すことさえできれば、途中経過がどうあれ、暗殺者としては勝利なのだ。


 しかし、石榑には、特有の癖がある。


 その癖。彼女が暗殺に挑む際に必ずすること。

 それは──


「……お前、ミヤビの前で、私を馬鹿にしたか?」


 ──暗殺対象に恋をすること。


 恋愛感情を抱くことにより異常な執着をし、その執着を原動力に力を発揮する。

 毒や罠などの搦め手を得意とするのと同じぐらい、その目標に懸ける異常な執念もまた、石榑を『天女が一人きりになる』という二度とないかもしれない好機で起用した者どもが評価するところである。


 ゆえにこそ、愛しい人の前で侮られるのは、我慢ならない。

 さらに言えば……


「ミヤビ……? ミヤビも、ねぇ、なんで? なんで、そんな、私に一瞥も向けないの? お前をこんなに愛してる私が雑魚扱いされたんだよ? それとも、何? 私よりも、そこの橙色のぽっちゃりを信じてるの……? ねぇ、なんで? なんでよミヤビ!」


 ……もちろん石榑の異常な執着、彼女が勝手に抱いているだけである。

 石榑は暗殺目標に恋をする。だが、その恋は別に、暗殺目標と会話をしてみたり、あるいはしばらく味方として過ごしてみたりとか、そういった経過を経ない。彼女が暗殺対象のことを一方的に観察し、情報を集め、それをもとに妄想した、『存在しない大恋愛の記憶』に基づいて想いを育むだけなのだ。


 だからミヤビ、一瞥もしない。

 誰だってそうだろう。別に見る必要もないのに、汚くておぞましいものを見たいとは思わない。


 ミヤビにとって、いきなりわけのわからない熱意でもって『お前を愛してる』と言ってくる石榑、ただただおぞましい生き物である。

 そもそもミヤビの恋愛対象は男だ。多くの女が『実際の男』を知らないこの世界において、女性と女性の恋愛はそれなりに多い。だがしかし、ミヤビには実兄がおり、それに『優しい兄に対する幼い妹』なりの気持ちを抱いていたため、彼女の恋愛対象は『少しだけ年上の優しくてちょっと天然ぽい男』なのである。


 ミヤビと千尋が進んでいく。


 その様子、ミヤビに恋する石榑から見て……


「私を置いて行くの……? そんな、そんな、男みたいなやつと一緒に、私を置いて行くの!? こんなテキトーな雑魚をあてがって私を足止めして……わた、私を……置いて……!?」


『もうすぐ祝言しゅうげんを挙げる予定であった婚約者が、知らない間女まおんなと駆け落ちした』かのような、脳を破壊されるような衝撃的光景なのであった。

 ……ここまで身勝手かつ強い思い込みに基づいて行動できるからこそ、石榑は強かった。

 だが、目の前で寝取られると、あまりの衝撃に動けなくなるという、これまで意外と経験することのなかった弱点が、今ここで露呈した。


 そうこうしている間に千尋たちは離れ、十子が──


「気持ち悪ィこと言ってんじゃねぇよ、てめぇ!」


 金槌を、振り下ろす。


 石榑、これを鋭い金属爪のついた手甲で防ぐ。


 爪越しに十子を射貫く視線、暗く濁り、淀み、とてつもない怨嗟が渦巻いていた。


「私と……」

「あぁ?」

「私と、ミヤビの、間に、挟まるんじゃねぇよ、ゴミどもがよォォォォォォォ!」

「……本当に何言ってんのお前?」

「もういい。ああ、もういいよ。ひひ、ひひひひひひ……! 殺してやるよォ。ぶち殺してやるからねェ! ぶち殺しちゃうもんねぇぇぇぇぇぇ! おぞましく! 卑劣に! 凄惨に! 毒で漬けてやるよォ! お前たちが『殺してください』って言うまで苦しめてやるからねェ! 人の恋路を邪魔する馬鹿は、毒に沈んで死んじまえェイ!」

「本当に何言ってんだお前は!?」


 石榑の熱意の源泉は十割妄想なだけに、こうしてキレると、キレられた相手がわけわからなさすぎて困惑するという副次的効果が発生する。


 そうして出来た隙で、石榑は十子の金槌を弾き返し、左手に陶器の球を持つ。

 指に挟むように持たれた薄焼き陶器の球──明らかに、『投げつけて、割って、中身を相手にぶつけるもの』。


 すなわち、毒である。


 かくして決戦へ向かう千尋らを背後に、こちらでも決戦が始まる。


 刀鍛冶十子岩斬と暗殺者石榑。

 これまでの旅路にない対戦カードが、成立する。

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