(ヤバい女だ……)
それだけである。
武器が爪で、あまり手入れがされていなくて、特に切っ先などは血がこびりついて赤ずんでいる。錆びるぞ。もしかして喉あたりの傷、自分で引っ掻いた? なんで? ……などのことはわかるものの、剣客ならぬ十子には、『今、向き合った相手の戦力を、今、整理して分析する』といった思考回路が形成されていない。
だから、十子は、武器を見る。
(あの爪……あたしのだな)
十子
もちろん十子自身は己の異形刀に名前をつけていない。……どれもこれも、銘を切るほどの作品ではないという認識だった。
その理由ももう、わかっている。
今ならその意味がわかる。……『わかる』ではなく『受け入れられる』と述べるべきだろうか。十子は一生懸命に乖離を殺す刀を模索しているつもりだった。だがそれは、逃避行動でしかなかったのだと……今なら、受け入れられる。
その逃避行動の果てに生まれたうち一つが、目の前にある爪である。
だが……
(改造されてやがるな。……もともとひでぇ
もともと、あの刀はいわゆる『ソードブレイカー』である。
三本爪の生えた手甲。その爪と爪の間で相手の剣を受けて、捻り折るためのもの。
『乖離』は長い刀だ。充分に剛性も粘りも持たせたが、それでも腕力のある者が、もっとも脆い地点を捻り折ろうと思えば、折れる可能性がある。
そうして叩き折ってやろう、そういう意図で作った刀が、目の前のアレだ。
すなわちあの刀、もっとも丈夫なのは相手の刀を受ける想定をしている拳部分の保護であり、拳を刃に叩きつけるようにして受けた後、すぐさま肘を畳んで腕を回し、相手の刀を折る、あるいは奪うという用法の物である。
だというのに……
(一番丈夫な部分に、何か……たぶん毒の袋を入れてやがるな。だから爪で受ける。んな受け方したら、腕の関節が壊れるぞ)
もともと人間の腕は『引っ掻く』ことに不向きな構造をしている。
人間が一番『硬く』なるのは、『肘の裏側を真上に向けるように腕を伸ばし、しっかり後ろ足を地につけながら、前足を真っ直ぐにしてそこに体重を乗せた姿勢』である。腕を曲げて受けたり、引っ掻くように斬ったりという姿勢、『脆い』のだ。
(そうか、武器ってのは、見ただけじゃあ、使い方がわからねぇもんなんだな……)
それは十子にとって、発見であった。
十子、武器を見ただけでどのぐらい丈夫か、製作されてからどのぐらいの年数を過ごしてきたのか、どういう使い方をされてきたのか、どういう機能を持つのか、どのあたりが一番斬っているか、前に手入れされたのはいつなのか……
すべて、わかる。
さすがに世間の鍛冶に縁のない者はそこまではいかないとして、武器を見れば機能ぐらいはわかるだろう、というのが十子の認識であった。
……ここには一つの思い込みがある。
まず、鍛冶に縁がある者とて、十子ほどにわかる者はそう多くない。
それこそ歴代の岩斬ぐらいのものである。
だからこそ、『まあ、一般人だということを加味すればこれぐらいか』という、さんざんハードルを下げた『このぐらいはわかるだろう』、すでにハードルが高いので、武器を見てそこまで理解できる者がすでに稀なのである。
まぎれもなく、現場に出て、実際に自分の武器が扱われている様子を見て、初めて気づいたことであった。
製作者の願いなど、基本的には届かない。
作り手が何を思って、どのようなものとして作り上げたかなんていうことを、多くの人は気にも留めない。
剣客と刀鍛冶の関係は、まさしく、『刀を打った。それを渡した。そこでおしまい』なのだ。
だから十子は、笑う。
その笑いに、石榑が眉を動かす。
「何がおかしい!?」
「……いや。地元のばあさんの言葉がな、今更、身に染みたんだよ」
──いいかい十子。
──刀鍛冶の多くはね、注文の品を打つだけの人生さ。
言葉以上に、言葉通りの言葉だった。
商売人としての刀鍛冶は、注文の品を仕上げるまでが仕事。『こう使って欲しい』と願いを込めたところで、どう使うかは客の意思がすべて。史上最高の名刀のつもりで打ったものが、物干し竿にされていても、何も言えない。何もできない。
──技の探求だの、誰かのための剣だの、そんなモンを打つ機会はない。
その機会を、与えてもらっていた。
異形刀が金になるという前提は、たぶん、あった。それでも、天野の里は、十子が自由に技を奮う環境を維持してくれていた。
その上で。
……その上で、技を磨き、旅に出ることを許され。
「……千尋の剣の使い方、ありゃあ……あたしの望み以上だったな」
銘も切らぬ習作。そのあたりに突き立てて放置していた数打ち物。
それを扱う千尋の、なんと刀の声を聞けていることか。
恐らく最初に渡したのが異形刀であったとて、千尋は十全に扱っただろう。
だから、十子は、こう思う。
「あいつのための剣を打ちてぇな。……お前がその刀をどう使おうが、お前の勝手だがよ。そんなヘボい使い方をされてるのを見ちまったからには……ぶっ壊してやるのが、生み手の愛、ってもんだよなぁ」
「わけのわからないことを! いいよ、お前の悲鳴をミヤビに届けてやらあああああ!」
石榑が突撃してくる。
爪である。が、ゆえに、引っ掻くような、大振り。
同時に左手の薄焼き陶器の球を投げて来ることで、大振りの隙を消しているつもりだろうか。……刀は、本来、刀一つで充分に戦えるのに。そのような小技で隙を消さなければいけないという時点で、使い方が間違っているのだと、気付いてほしいものだ。
十子は大振りの爪が振り下ろされるのに合わせるように、鎚をすくい上げるように振る。
陶器の球は気にしない。中身は恐らく毒だろうが、そんなものより、ひどい扱いを受けている刀を壊してやるのが先だ。
刃に限らず、あらゆる構造物には『この衝撃に弱い』という弱点が存在する。
たとえば普通の刀剣は刃筋をきちんと立てれば滅多なことでは歪みも折れもしない。だが、特に日本刀のように繊細な刃物だと、刃筋が少しでも寝てしまうと、歪みやすく、折れやすくなる。
基本的に武器というのは『こちらの一番強く出られる位置・方向で相手の一番弱い位置・方向を叩く』といった使い方をするものだ。
そしてそれは、武器を見た瞬間、本能的にわかるはずだ──と、十子は思っていた。
だってそうだろう? 刀剣を見たら、誰だって刃で斬ろうとする。鎬で相手を叩こうなんていう使い方をする者はいない。
では、石榑がただ単純に未熟で、武器の使い方もわからないほどアホで、弱いと、そういうこと、なのだろうか?
きっとそうではないだろうと、十子は思う。
(たぶんコイツ、弱くはねぇんだろうな)
毒を使う暗殺者である。
肉食獣にも怖気る十子からすれば充分に恐ろしい相手だ。
きっと、頭も悪くないのだろう。
ただ、爪は引っ掻くものだという思い込みがあって、それを払拭できていなかった。
(やっぱ、武器の使い方を間違うヤツは、怖くねぇわ)
薄焼き陶器の球が宙を舞う様子が、やけに遅く感じられた。
時間がゆっくり流れるように錯覚するほどの集中力。覚えがある。……ああ、長らく忘れていたけれど、思い出すことができた。
これは、乖離を打った時の感覚。
この感覚をまた体験したくて、鋼を打ち続けた。けれど、再びこの感覚を覚えることはなかった。
それが、今。
「なってねぇな。──あたしが正解を教えてやる」
鋼には、『正解』がある。
どう叩けばいいか、『正解』がある。
どう用いるべきか、『正解』がある。
世界が定めた正解だ。
刀鍛冶は──
技術を尽くし、鋼の声を聞き、鋼にとっての『正解』を削り出す、鋼に仕える巫女である。
十子の鎚が、石榑の爪を叩く。
奇妙な角度であった。爪の刃を斜めから上方向へカチ上げるような、そういう叩き方。
さほど強くもなさそうなその一打が──
十子岩斬作異形刀の爪三本、ただの一打が、まとめて粉々にした。
「……は!?」
鋼が硝子のように砕ける光景を目のあたりにし、石榑が瞠目する。
その隙に十子は、金槌で石榑の頭を叩いた。
石榑が白目を剥き、膝から崩れ落ちていく。
薄焼きの陶器の球が十子の体に当たって砕け……
中身が空であることが、露呈した。
……よく考えればわかることだったと思うが、『これから接近して斬りかかりますよ』という相手に、強力な毒の入ったものなど投げない。なぜなら、自分自身も相手に接近していくのだから、毒なんか投げたら自分にも被害が及ぶに決まっている。
十子は砕けた鋼の欠片を見下ろし、つぶやく。
「なるほど」
鋼には定まった『正解』がある。
これはもう、あるいは生まれついて確信していたことだ。十子は、鋼が『そう』してほしそうな形というのを見ることができた。
ただ、その感覚を忘れていた。
鋼をねじ伏せ、己の願望の通りに仕上げることばかりに拘泥していた。
その結果生み出されたのが、数々の『異形刀』だ。
だが──
その時間。
玩具を作っている、と乖離に言われたその時間を、十子はなぜか、無駄な時間と言い切ることができなかった。
己の意思を鋼に押し付けているその期間で、磨かれたものが確かにある。
……『乖離』は、鋼の声に従い、鋼の望むままに打った、『鋼に仕える巫女』として正解の傑作だった。
だが、今なら……
「鋼より、あたしの方が、よりうまく、『鋼の望む形』を思い描ける」
掴んだ。
三流は鋼をダメにする。
二流は欲望を乗せすぎる。
一流は鋼の望むままに無欲で打つ。
だが、超一流、一世に一人の一流は、鋼に答えを示す。
自分はその領域にあると、十子は不意に確信した。
「……『女を切る剣』、承った。十子岩斬の名にかけて、最高の剣を打ってやる」
ゆえに誓いを新たにする。
これまでの逃避行動ではなく。
今、無性に、剣を打ちたい。
最強の、剣を。
最高の、使い手に。